想っていれば、行動に出してくれ。



それは、ほんの。
ほんの偶然。

「あ。」

パリッ、もしくは、ガシャ、と言う小気味の良い音が、跡部の足元で鳴った。
音因は忍足の手元から滑り落ちた、

「メガネ・・・。」



「・・・よって、現在の株価状況と比較すると・・・。」

講義中。
一番後ろの席へと腰を下ろし、ふと昨日の事を思い出していた。
なんとなく、嫌な予感はしていたのだ。
昨夜、久々に忍足のメガネがなくなった顔を見ていた時から。



「わりぃ・・・。」

俺は、フローリングの上に無残にも散らばっている、
レンズの欠片を見つめながら、一言そう呟いた。
文句か、もしくは抗議か、そんな言葉が発されるだろうと考えていた、
忍足の口から出てきた言葉は、全く別の心配だった。

「そんなん元々伊達なんやからえぇって。
それよか、景ちゃんの足のが心配やわ。切ったりせんかった?」

レンズを拾い集める忍足の目が、自分に向けられた途端、感じたのだ。
久々に見た、レンズ越しではない忍足の顔がここにある、と。

瞬間、誰かと思った。
こんなやつが今まで俺と同居してたんだっけとか。
こんなやつと今まで俺はヤってたんだっけとか。
そう、思った。


「・・・と、言う訳でインフレ効果はこういう所から・・・。」

講師の声がなんだか五月蝿い。
頬杖ついて、やる気もなさそうに黒板を見つめている俺の姿は、どんな風に見えているのだろう。
やっぱり、今日は止めればよかった。
あの時一言、“明日は行きたくない。”そう言えばよかったのに。


「あ、景ちゃん、明日の予約なんやけど、メガネ屋よってからでもえぇ?」

床に掃除機を掛け終えた忍足から、こんな質問を問われた。

「・・・あぁ。」

咄嗟にそう答えたけど、正直この時まで予約の事など忘れていた。
そういえば前々から明日は、新しく出来た駅前のレストランに行こうと約束していた様な気がする。
街・・・か。
少し考えてから、ため息を吐いた。
お風呂で冷えた身体を、少しだけ温めながら。



鐘がなる、授業が終わる。
一番後ろの席の俺は、一番初めに講義室を出た。
今日は誰よりも早く大学を出、誰よりも早くここを去らねば、そう思っていた。

「けーちゃん。」

外を出、そう呼ばれた方向を振り返る。
そこにいたのは、メガネなし忍足侑士。

あいつ、こんな時に限っていい服着てやがる。

跡部は小さく舌打ちをし、即座に車に乗り込むと、

「早く、出せ。」

そう言った。

「何かあったん?」
「いいから、早く出せっつってんだよ。」

忍足がゆっくりとシートベルトを締める時間さえも、長く感じて仕様がない。
自分は今日一日、本当に大丈夫なのか。

車が大学の横を過ぎ去った途端、聞こえた女子の声に跡部はため息を深くした。



「なんやレンズもフレームもぐっちゃや、言われたんやけど、明日の昼には出来るって。」

メガネ屋から出てきた忍足は、こう言葉を発した。
・・・つまり、今日中には出来ないらしい。
適当な返事を返しつつ、足並みは駅前へと向かう。

振り返る女達。
騒ぎ出す女達。
歩くたびに黄色い声が上がる。

そんな事は常だと感じていたのに、今日のそれはいつもとは違った。
忍足のメガネ一つで、こんなにも数が違う。
駅前通りに声が響き渡る。

「・・・っ・・・。」

気にならなかったものが、急に気になって。
なんだかやけにイラだって。
忍足。てめぇの所為だって、わかってんのかよ。

そんな俺の思いを少しだけ和らげてくれる様に、見えてきたのは例のレストラン。

「あ、あれやない?」

忍足の声と共に、この視線から逃れられると、軽く安著のため息を吐く。
途端、聞こえたのはこんな声。

「あれっ、ゆーし君じゃん!」
「メガネやめたのーっ!?」

最近、非常に偶然が多いのではないかと思う今日この頃。
昨夜、忍足のメガネを踏んでしまった事だって、ほんのたまたま
そして今、忍足のオトモダチとこのレストラン前で鉢合わせしてしまった事も、
ほんのたまたま。

「なんや、アミちゃんとケーコちゃん、ほんま偶然やなぁ。」

なんとなく、嫌な予感はしていたのだ。

「ほんとぉ。ってか、別人みたいっ!メガネどうしちゃったの〜。」

昨夜、久々に忍足のメガネがなくなった顔を見ていた時から。

「ちょぉ昨日落として割ってもうたん。」

俺はゆっくり3人の顔を交互に見つめた。
そして。

「絶対そっちの方がカッコイイよぉ。」

ゆーしに向かって一言。

「やっぱ、帰る。」

それだけ。
それだけ言って、俺は歩き出した。

「え、ちょ、景ちゃん!?」

最初は普通に、段々早足に、最後には、走ってた。

とても、なんだかとても。
忍足の顔を見られたくなかった。
我侭とか、そういう事じゃなくて、自分にだけ、そうして欲しかった。
何が言いたいのかなんて、自分でもはっきり言って意味不明。

とにかくあの場から離れたくて、一言だけ言葉を発した。
それ以上の言葉は口に出す事も出来なかった。
一歩早く、俺がタクシーへと乗り込む。
駅前だけあって、すぐにタクシーは捕まった。
到底忍足の車で呑気に帰れるような、そんな状態じゃなくて。


目的地につくと、おつりも貰わず、即座にタクシーを降りた。
早く、早く。
自分の部屋へ、そしてベッドの中へ。
すぐにでも眠ってしまいたい、そんな妙な気持ちに取り囲まれて。

「・・・っ、ふ・・・。」

なんか、もう疲れた。


数分後、玄関先で慌しい音がした。
その音にびくりと、俺の背中が跳ねる。
丁度、何か飲みもんでも持って来ようかと、ベットから身体を出した所で。

「景ちゃん。」

今更、言うまでもない。
ゆっくりと俺の部屋を開け、顔を出したのは忍足侑士。

俺はベットサイドに腰掛けたまま、少しずつ顔を上げ忍足の顔を見つめた。

「突然、なしたん?どっか具合でも悪いん?」

そう言う忍足の顔を、無表情のまま俺は見つめ続けた。
そして、突然弾かれた様に立ち上がると、俺は忍足へと詰め寄り、こう言葉を発した。

「早く、メガネ掛けて来い。」

忍足といえば、?のついた表情で、

「明日には出来るで?」

なんて悠長な言葉を口にする。
こいつ、バカじゃねぇの。

「今すぐ、ここで、メガネを掛けろ。じゃなかったら、この部屋には入るな。」
「はっ?」

わかってる、自分の方がバカみたいな事を口にしているのは。
無理だなんて事は百も承知だ。

未だ?マークの取れきらない忍足の顔と、未だ睨み付ける俺の顔がぶつかり合う。

どっか具合悪いかって?そんなのこっちが聞きてぇよ。
わかんねぇけど、泣きそうなぐらいどっか痛ぇ。
痛くて、泣きそうなぐらいに。

「あ、」

この雰囲気を一発でかき消す間抜けな声が、忍足の口から発される。
そして、次に出てきた言葉は、全く予想もしていなかったそれ。

「・・・もしかして景ちゃん、妬いてるん?」
「あ?」

妬く・・・って、俺が、忍足に?

そう考えた途端、走馬灯の様に今日一日の自分が蘇る。
大学で他の女に見せたくなかったのも。
駅前でなんだか腹立たしい気持ちだったのも。
あの女達の前で帰るなんて言い出したのも。

全部、・・・全部?

認識した身体は正直で。

「なっ・・・!」

瞬間、身体が熱くなる。
顔が熱りだす。

「なんや、図星?」

俺の反応を楽しむように、忍足は口端を上げて微笑みだす。
大抵、この笑い方をする時の忍足は、ロクな事を考えていない。
過去数回、この予想を外した記録は未だゼロ。

ムカツク。
腹立つ。
それなのに。

「な、景吾。俺ん事好きなんやったら、おいで?」

忍足の両腕が軽く左右に開かれる。
どれだけ俺が睨み付けても、こいつに効果はないらしい。
この余裕たっぷりの微笑みを、ボロボロに崩してやりたいのに。

「・・・最悪・・・っ・・。」

なのにどうして、俺の身体は忍足の腕に抱かれているんだろう。
この腕が欲しいと願ってしまうんだろう。

いつの間にか、先程の痛みがなくなった事に、まだ俺は気付かぬまま。

「景ちゃん妬いてくれるんやったら、メガネ無くてもえぇなぁ。」
「おい。」

腕の中から講義する声が、可愛らしくてしょうがない。
にしても、自分は毎日の様に妬いてる事に、このお姫様は気付いてなどいないのだろう。

忍足はそんな事を思い、悲しげに一つため息を吐くと、小さな声で抱きしめる恋人に呟いた。

「ちゅーか景ちゃん、想ってるんやったらもうちょい行動したってや・・・。」

跡部の?マークが浮かんだ表情からは、その言葉の真意がわからなかったと読み取れる。
その表情も可愛いなどと思ってしまう自分は重症だ、と感じながら、
忍足は一人、苦笑したのだった。




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