さらりと返された「好き」に吐血。




「あ、これもらいっ」
「って、こら!」
 台詞と同時に目の前をひょっと通り過ぎていった手はおわず、目の前の腕を叩く。殆ど反射で行われたそれを見ていたクラスメイトはにこにこと笑っている。狙われたのは自分の弁当のおかずだというのに、だ。
「日向はたくさん食べるね」
「うん」
「そういう問題じゃないから!菱崎!仮にも狙われたのはお前の弁当なんだからな!?」
 日向という名前の、小柄で顔の造作も女子のようにしか思えない少年の手を叩き弁当を守った少年は、弁当の持ち主にそう叫んだ。周りでそれを見聞きしていたクラスメイトも少年に同感なのか無言で頷いている。
「本田の言う通りだぞー、菱崎ー」
「自分の弁当は自分で守れよー」
「意外に食うよな、日向って」
 そして、ちらりと視線をその本田の正面へと向けて、クラスメイト達はぼそぼそと声を小さくして話し出した。
「今日、一人足りなくないか?」
「ああ、『御三家』の?」
「そうそう」
「さっき、放送で呼び出されてたみたいだけどな」
「……呼び出す方も勇気あるなぁ…」
「よりによって昼休みに、だもんな。あー、ほら、嬉々として高原が本田の正面陣取ってるよ」
「ま、生徒会長さんの正面でなくても、隣接はしてるもんな」
「表情だけじゃわかりにくいけど、こう毎日同じ事されてたら目的が何かはわかるよな」
 あと、別に気付きたくもなかったけど表情の違いとかも。
 高原も、御三家の一人の戎も何故か昼食は二年生の教室へ押しかけて食べている。それも二年生の菱崎・日向・本田の三人のやりとりをにこにこと笑顔で見守っているのだ。彼らと初めて同じクラスになった頃から続いている現象なので、もはや慣れというより諦めが勝っている。
「まあ、確かに和むけど」
「特に菱崎と本田な」
「ぼんやりしてるよなあ」
 苦笑して、周りのクラスメイトは顔を見合わせた。結局、押しかけるといっても迷惑をかけているわけではないので、一年生二人は微笑ましく感じている面々によって今日も見守られているのだった。
「直斗先輩」
「なに?」
 視線を合わせて、にこにこと問いかけてくる生徒会長に、高原は心の中で満足とばかりにため息をついた。うっかり、かわいいなあとか思ってしまったのだが、そこはきっちり押し隠しているので誰にも悟られていない。
「やっぱり直斗先輩って好きだなあ」
「っ!!」
「……」
 頬杖ついてにこりと笑ったままの表情で投下された言葉の爆弾に、一緒に昼食をとっていた本田はつい、咀嚼中のおかずを噴出しそうになってあわてて両手で口をおさえた。対して、高等部の四天王とさえ言われ、エスカレータ組には畏怖されてさえいる日向は平然と紙パックの飲料を飲み続けていた。
 対照的だよなあ、と、クラスメイトは慣れているのかそんな感想を抱いただけで、こちらも平然と昼食タイムを続行している。
 感覚が麻痺しているようだ。
「おっ、おまっ……ぅ…」
 何かが気管につまったのか本田は苦しそうに咳を繰り返して発言どころではなく、さすがに見かねた日向は「効果はないだろうけどなあ」と思いつつ背中を叩いたりさすったりしている。それを横目にしつつ、高原はやはり変わらぬ笑顔でターゲットである上級生をご機嫌に見つめている。
「そうなの?」
 しばらくきょとりとしていたが、ぼんやりしているのに何故か生徒に人気がある生徒会長・菱崎は、普段のぼんやりした表情ではなく、今度はにっこりと笑った。
「俺も好きだよ?」
「「「!!!」」」
「………」
 あっさりと返された好きに、思わず周囲は固まった。そのうち何人かは口に入れていた物を思いっきり詰まらせて苦しそうにしだしたが、そんなもの、当事者達には見えていない。
「あれだよね」
「へ?」
 ぢゅー、と、残り少なくなってきた紙パックの中身を吸い込みながら、日向は笑顔で人懐っこく見える下級生と、ターゲットにされている事にまったく気付いていないくせに何故か自然体で全てかわしてしまうクラスメイトへと交互に視線をやった。
「高原みたいに、普段から『好き』を言い続けてる奴より、普段は言わないイメージの奴が言った時の方がダメージって大きいよなあと思って。不意打ちもいいとこなわけだし」
「……ああ、なるほど…」
 本田はうっかり納得しかけて、「いや、でも、そうじゃない奴もいたっけ…」と思い直した、が、それはそっと心にしまって、言葉にはしなかった。
「まー、当人は笑顔で上機嫌だけど、周りで聞いてた連中があれじゃね」
「あれ?」
 ぐるりと教室内を見渡すと、皆例外なく咳き込むなり動作が止まるなりしている。どうやら『好き』と言ってもらえた当人よりも、周りで聞いていた連中に被害が及んだらしいとは一目瞭然だ。
「あれだよ」
「…まだ何かあるのか、潤」
「まあ。僕達はまあ、こんなの見ても砂吐く程度だと思うんだけど」
「待て、どうやったら人体から砂が出るんだよ?」
「………」
 信じられない言葉を聞いて、潤――日向潤は、親友とも思っているクラスメイト、本田友希の顔を見た。僅かに表情が硬い。
「……それ、本気?まさか冗談を言うような性格だと思ってなかったけど、実は冗談言える性質なの?」
「……何言ってるのかさっぱり理解できないんだけど」
 自分はどうやったら人体から砂が出るんだと聞いただけで、冗談だとか自分の性格だとかは関係ないはずで、脈絡さえわからないんだけど。と思って眉根を寄せて聞き返すと相手は暫く動作を止めた後、思いっきりはっきりとため息をついた。
「…それは後日改めて説明するけど。まあ僕達は砂――まあ砂糖だとでも思って。を吐く程度だとすると、クラスの連中は血を吐くようなもんだから」
「――それって、吐血?」
「まあ、読んで字の如く?」
「……痛そうだな」
「吐いた事ないからわからないけどね」
「……お前は、吐かせてそうだもんな」
「何か?」
「言った。けどわざわざもう一回言ったりしない」
「むー」
「拗ねて見せたってお前の本質は変わらないから無駄。やめとけよ」
 さらりと言ってべしんと頭を叩いてやる。そうすると拗ねた表情は見せるものの、潤はすっぱり諦めて紙パックを机に置いた。
「まあ、他の奴からしたら、それくらいのダメージを受けたに等しい状態ってわけだよ」
「…ふうん?」
 よくはわかっていないものの、なんとなく日向の言わんとする事がおぼろげながらもつかめた本田は、気になる事は全て片付いたせいか再び昼食にとりかかった。にこにこと上機嫌な下級生も、その下級生に見つめられながら食事しているクラスメイトも、すぐそばで紙パックをこかしたり起こしたりを繰り返して遊んでいるクラスメイトも、周りで次の行動が起こせずに静止したままのクラスメイトも全て見えていないかのように自然だ。
 事実、気のせいではなく彼は周りのことなど既に見ていない。
「……そーいうところが、また『彼』のお気に入りになるんじゃないかと思うと、僕は少し心配な気もするけど」
 まあ、身近な人が同性に好かれようとそれをどうしようとどうでもいい。とりあえず自分がそんな対象にさえならなければいいわけで、例えば友人(男)が、「彼氏ができた」と報告してきても笑っておめでとうと言える自信はある。妙な自信だと自分でも思うが。
「?何か言ったか?」
「んーん、何も?」
「?」
 疑問に思いつつもそれ以上は聞かず、本田は最後にとっておいた好物を口に放り込んで咀嚼を始める。僅かにやわらかくなった表情につい苦笑してしまう。
(なんだかんだいって、子供っぽいところあるよね)
 別の下級生二人に「心配でしょうがない」と思われている事なんて、きっと本人は知らないだろう。心配している下級生達も本人に気付かれないよう精一杯気を配っているから尚更だけれど。
「…東風に相談に行こうかなぁ」
 きっと大した話し相手にはなってくれないだろうけれど、彼と常に一緒、と思われている同級生なら話くらいは聞いてくれそうな気がする。何せ彼も風変わりで曲者のような空気を纏っている、ような気がするから。
(気がするだけで、確信はないんだけど)
 それでもこれを話したら、きっとあの二人なら笑い話にして終わりだろう。笑い話で済んでしまうなら、今日のこれもきっと自分は忘れられる。そうしてふとした時に笑い話として思い出すのだ。
 うん、きっとその方が僕への負担は少ないはずだ。よし、そうしよう。
 2−Cの二人も日向も部活動には参加していないので、帰りのHRが終わり次第、隣のクラスへおしかけようと日向は決めた。相手の都合なんてお構いなし、とにかく今日中にこれを聞いてもらう。

 ふと、思いついた。

「ねー、友希」
「ん?」
「僕の事、好き?」
 ぴし、と空気が凍った。すぐ傍の二人だけは春のような空気を醸し出しているが。
 しかし、敵もさるもの、同類とでもいおうか生徒会長と同じように平然と、
「うん?うん」
 え?と一拍おいて、返事と同時に首肯。
 今度こそ、吐血した。
 イメージとしてはそんな感じ。




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