「遅刻の理由? ……本気で聞く覚悟、有ります?」




「遅刻の理由?……本気で聞く覚悟、有ります?」
 一時間も遅刻していながら、担当教師に彼はそう言った。
「……理由があるなら聞きたいかな?」
 まだ二十代の若い彼は、特に顔を顰めるでも窘めるような口調でもなく、珍しく遅刻してきた生徒に言った。
「わかりました」
 そう言うと、入ってきたばかりのドアをもう一度くぐって廊下に出ると、さっきとは比べ物にならないほど不機嫌そうな表情で、廊下と教室の境を跨ぎ、あるものを引きずって担当教諭の前に、べっ、と、放り出した。
 情け容赦なく、べっと。
「……えーと、俺の前にこれを出したって事は、これが理由?とか」
 まさか、というように目を見開いて置かれたものを凝視し、引き攣った顔で、それでも確認のために問いかけた言葉と同時に遅刻してきた生徒を見て。
 少し、後悔した。
 何故って。
「ええ、そうですよ?この馬鹿が、なんでか目覚ましを二時間も遅らせてセットしてて、おまけに俺は小母さん…こいつの母親によろしく頼まれてたので念のために見に行ったら熟睡してて、さすがに腹が立ったので放置しようかと思ったんですけど、さすがに、今日はあれですから」
 にっこりと、爽やかに笑っていた。
 ここは叱るべき場面なのだろう。反省の色もなく八つ当たりともいいわけともとられかねない説明をしている生徒を。
 でも。
(……なーんか、やなクラスもっちゃったかな……)
 もしかして、教師としての経験が浅い自分をこのクラスの担当にしたのは、彼らがいるからなんだろうか。
(…どうしよう、ありえそうで怖い…)
 中高一貫性のこの学校なら、高校一年生の彼らの事情だってわかるはず。
(というかですね、なんでこんなのをセットで同じクラスに振り分けるんですか…!?てもしかして、クラスを分けるほうが面倒な事になるとか…?)
 現実逃避したがる頭をなんとか軌道修正しつつ、それでも考えたところで詮無いことを彼はつらつらと考える。
 とにかく。
「…始業式はもう終わってしまったから、今日提出するよう指示されている課題を提出したら、帰りなさい」
「そうですね。そういえばこの馬鹿は成績表をどこに仕舞ったかわからなくなってしまったそうなので、『探させて』『持って来させます』ね」
(笑っているのに、米神に青筋が浮かんでいるように見えるんだけど錯覚かな?)
 むしろ錯覚であって欲しいと思いながら、彼は情け容赦なく、べっと放り出されたものを立たせてやる。
 居心地悪そうにしてさっきから視線をあわせない、遅刻してきたもう一人の生徒。というよりも、殆ど保護者的な立場にある生徒を遅刻させた原因ともいうべき生徒。
「えーと、宮川。幼馴染同士で気心が知れてるのはなんとなくでもわかるが、そろそろ、自分の事は自分でできるように、学習能力を養おうな?」
 困ったように笑いながら、それでも注意すべき点は注意する。それも、本人は無自覚だろうが、かなり心にグサリとくる言葉を羅列させて。
 ただでさえ居心地が悪かったのに、担当教師にそこまで言われて、つい涙ぐんでしまいながらも、こくりと、意思表示だけはした。
 そうしないと、後ろで笑顔の仮面をはりつけている般若が怖い。後々が怖い。
 その様子を少しかわいそうに思いながら見ていた担当教諭は、それでも賢明なことに彼を庇う事はしなかった。
 その三人のやりとりを、多くの生徒が居心地悪そうに、少数がおかしそうに見守っている。
「こんなの日常茶飯事なのに、先生も慣れないなあ」
「いや、あれは初めて見る人には強烈だよ。俺達は中学から一緒だからまたかって思うだけで終わってるけど」
 幼馴染なのに、あれってもう親子だよな。
 大笑いしたいのを堪えて、数人がうくく、と押し込めた笑いを漏らす。それは当事者、それも遅刻させられた側の少年にははっきりと聞こえているのだが、やはり誰もそんな事にまで気を配ったりしない。
 唯一全ての事を把握していたのは、二人と同じクラスでいつも一緒にいる友人で。
「……この騒動、きっと筒抜けになるだろうけど、垣内にも教えてやるか……」
 いつもいつも、保護者・蘭(あらぎ)と、彼を振り回す幼馴染・宮川のやり取りを見ては笑っているこの少年だが。
(…今回はさすがに、ちょっと哀れかな…)
 いつもは休憩時間に騒動が起こっていたけれど、今回はクラス中に知れ渡るような騒動だ。
 今回はさすがにちょっと、過保護なんではないか、と、思ってしまう。
(共学なのに『アヤシイ』なんて噂されてんの、お前らくらいだぞ?)
 実際、「恋人同士みたい」と言っていた連中を知っている。
 これを言うと一人は固まってもう一人は冷笑を浮かべて噂の出所を確認してくるに違いないから、本人達には言わないけど。
 いやきっと、俺じゃなくても言わないだろうな。今日のこれ見たら。
「…だって蘭、黒いし」
 二重人格者とか猫かぶりとか色々誤解されても弁解しようがない勘違いをされてしまうんじゃないだろうか。
 普段は存在感さえ希薄でおとなしい印象なだけに。
 誰だって「あの人だけは裏表はないだろうな」って思ってしまうような、むしろそう信じたくなるような人、いるだろうしなぁ。いや、いない人もいるかもだけど。
(さーて、と。実はあいつが人付き合いが苦手な上に面倒だからって物静かに過ごしてたんだってばれたら、ややこしい事になるだろなぁ)
 そんなにあからさまに周りに偽って見せてたなんて知られたら、心象は悪い。
(ま、宮川が特別なんだけど。あれってもう友達とかいう前に面倒見ないといけない対象だよな。頑張れ蘭)
 むしろ宮川のせいで、元々おとなしかった蘭が、今のちょっと人格崩壊方向にある性格になったわけなのだし。
(誰がなんと言おうと、被害者は蘭だよな。なんてったって、俺と垣内は中一の頃からこいつら知ってるし)
 付き合いが長いだけに、出会った当初からどうやって二人が今の関係になってきたのかも、間近で見ていた。
 悉く、宮川のせい。と、思っていたけど。
「…いつ帰れんのかな」
 ぼそりと、つい本音が漏れた。
 彼らが登場してから、かれこれ十数分。今も三人で何か喋っている。他のクラスはそろそろ下校準備に入っているだろうに。
 水を差すにも差しづらい空気なのはわかるけど、先生、これってほんとによくある事だからスルーしてくれませんか。
 いやもう、アヤシイとかアヤシクナイとかどうでもいいから、その二人の事好きに言っていいから、俺まで同類には見ないで欲しいかな。
 等々、時間を潰す為に彼にとってどうでもいい事とそうでない事をつらつらと考えていた、その時。
 キーン、コーン…。
「あ、チャイム…。先生ー、それもういいから、さっさと帰っていーですか」
「えっ?あ…うん、どうぞ…」
 空気に呑まれて、あっさり許可。
「お許し出たぞー。ってわけで、帰るぞお前ら。はい、宮川はこれ持って」
 前半はクラスメイトに向けて言い放ち、後半はずかずか歩み寄りながら二人に告げる。この二人との付き合いが長ければ長いほど、彼らの友人はすっぱりと二人の『事情』という名の言い合いやらお説教やらを強制終了させて連行する。
 よくある光景、だ。
「これ、って、お前の鞄じゃんか」
 むっ、とした顔を隠そうともしない態度は慣れているが、今回までその反応をされるのはどうなんだろう。と、あまり気にもしていないけれど一応蘭には言ってみる。
 するとあっさり。
「だよね。どこで育て方間違ったかな」
 と返ってきた。
(やっぱり親子だ)
 これで友人とか言われたらちょっとひくかもしれない。いや、実際は友人なんだけどもう親子っていうのが周りの認識っていうかなんていうか。
(まあ、一緒にいて飽きないし楽しいから何でもいいっていうのが、本音ではあるんだけども)
 それを言うと、薄情とか色々意味不明な事を主に雛鳥の方に言われそうだから、やめておこう。
 親鳥なら。
「こんな馬鹿に愛想尽かさないでくれて有難う」
 とかなんとか、にっこり笑って言うに違いな……て、あれ?
(今、耳に聞こえた、ような…)
 恐る恐る横を見てみると、にっこり笑顔の蘭が佇んでいて。
 ぴしりと、何故だか背筋が伸びた。
「信下(のぶした)?独り言に慣れててすっかり失念してたみたいだけど、さっきから全部、声に出てるから」
 親鳥とか雛鳥とか、変な表現やめてもらえるかな?
 にっこり笑顔で、お願い。
 お願いというより脅しに近い気がする。
 背筋を冷や汗が伝うのがわかって、頭の一部が妙に冷静なのにも気付いて自分の事なのに呆れた。
 …本当に。
(……この二人といると飽きないっていうか一日を過ごすのが精一杯っていうか…)
 まあ、何の変哲もない一日っていうのは平和で幸せな事なんだけど。
 こんな風に刺激的な日々もよろしいんじゃないでしょうか。




 …たとえこんな風に、窮地に陥ったとしても、ね。
 でも先生は、慣れるまでは不用意な事は言わない方がいいと思うけど。ああそうだ、そう進言してあげよう。覚悟もなしにこの二人につっこんだ事を聞いちゃいけない。
 俺は麻痺してるから、もういいけどね。



蘭 翼(あらぎ つばさ)→テストで満点とる保護者
宮川 勇真(みやがわ ゆうま)→告白してでもプリントを写すアヒルの人
信下 和輝(のぶした かずき)→蘭と宮川のやり取りを面白おかしく見守りつつ笑ってる人
垣内 基(かきうち もとい)→蘭と宮川に苦笑しつつ、その二人で楽しんでる信下にも苦笑するしかない人

垣内はまともじゃないから三人と一緒にいられるのか、まともだから三人を見守ってるのかわからない人です。




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