見た目、良い人。




「君だね?『あの』藤田と常盤のクラスに編入してきた生徒っていうのは」

 突然かけられた声は、なんだか無性に腹立たしかった。


「……そうですけど。何か?」
 クラスメイトなんかではない。そもそも学年が違う。その人は、赤い校章をつけていたから。
(それにしても、私服に校章ってなんかちぐはぐだな)
 そんな暢気な事を考えていたら、また話しかけられた。用件を言う気らしい。
「何か、おかしな事はなかった?」
「は?」
「何かに巻き込まれたり嫌な思いしたり、してないかい?」
「……はあ」
 怪しい。
 何が、とは言わなくてもわかるだろう。わけは簡単。だって俺はこの人に自分の身を心配される理由がないから。知人でもないし友人でもない。あの二人の事を変わっている、と認識しているとしても、同じクラスになったなんて理由だけで他学年であるこの人が俺を心配するなんて、おかしい。筋違い。
「特には。寧ろ気遣ってもらってますが」
 ワケのわからない事に、知らないうちに巻き込まれるのは本意じゃない。誰だって同じような事を思う、と俺は思ってるけど。
「へえ。あの二人が君と親しくしているっていうのは、本当だったわけだ」
「………」
 何こいつ。
 反射的に頭に浮かんだのは、そんな短い嫌悪の言葉。
 ここまでくれば、相手の知りたいと思っている事、その対象がわかってくるというものだ。
 平然と、なんでもないように、を心がけて言葉を紡ぐ。
「そんなに、あいつらが気になります?」
 ぴく、と口元がひきつったのは、ちゃんとこの目で見ましたからね、先輩?
 何、企んでんのかは知らないけど。
「気になるって…まあ、彼らはここじゃあそこそこ有名だからねえ…」
 そこそこ?別にそこは濁さなくてもいいんですよ、先輩?
 あんたが俺の身を案じるフリをしなくたって、もうクラスメイトから助言を貰ってますから。この間、割り切ったところだし。
 ああいう、ちょっと気の抜けるような場面さえなければ、凄くいい奴らだし。そんな奴らと初対面で好感持てないあんたを天秤にかける事すら、無駄でしょ?
 胡散臭すぎだ。
「そうですか。用はそれだけですね?急いでいるので失礼します」
 ここに来て初めて、俺は「図太いなぁ、お前」と言われた作り笑いでかわした。今日までこの外面を使わなくて良かったんだと、使う必要すらない環境だったんだ、と後で気付いたけれど。
 この時は、わけのわからない腹立たしさでいっぱいだったから、気付かなかったんだ。
 ふりきった正体不明の先輩が、忌々しそうにこちらを睨んでいたなんて。あまつさえ、舌打ちまでしていた、なんて。



「そーりゃあ災難だったなー」
 けらけらと笑っているのは、転入初日に妙な助言をくれたクラスメイトだ。あれからもたまに的確だったり妙だったりする助言をしてくれている。クラスメイトの中でも親しい部類の友人だ。
「なんなんだ、あの不躾なうえに相手を尊重しない態度は。物言いは」
 いや、見た目は穏やかだったよ?見た目はいい人、だったけど。でもなんか、本能とでもいうべきものが、拒否している。
 だから、客観的に見た時と俺の主観で見た時とで事実はかなり違ってくるのはわかっているけど、言葉は止まらなかった。
「んー…かなりおかんむり?」
「当たり前だろ?もう少しで授業に遅れるところだった」
「まーな。お前、そのへんはきっちりしてるもんなぁ。まあ化学の先生はそんな事あんまり気にしない人だから、焦らなくてもいいけど…あいつらは、さすがに「ちょっと遅くないか?」って心配してた」
「え?」
 ふい、と背けられた顔。顎の先を視線で辿ると、そこにはクラス委員二人がいた。いつものように穏やかな笑みを浮かべて話している。内容まではわからないが。
 そして委員の中ではただ一人黒髪の元気な彼は、他のグループの連中となにやら盛り上がっている。
 四六時中三人一緒、ではないというのは転校二日目でわかったが、それでもあの三人は特に仲がいいと思う。
「心配、してた…?」
 俺が驚いてそう呟くと、目の前のクラスメイトは苦笑していた。
「まあな。ほらお前、季節はずれの転校生ってやつだろ?」
(絡まれたりしてたかも、だし)
「……今更それを言うか」
 本当に今更だ、と思ったから、つい本音をこぼしたら、目の前の――池永は、普段の彼からは想像できない落ち着いた表情で俺を見返してきた。
 ――なんだ?
「うん、今更だな。…今更、になるように、あいつらが仕向けたんじゃないかって、俺は考えてるんだな、実は」
 なんだ?何を言いたいんだ?
 それだけじゃ、俺には何が言いたいのかわからないよ。
 少し顔を顰めて見返せば、池永は少しおかしそうに笑った。
「お前、今日、俺がこれを言うまで。…他の誰かに、同じ事言われたり、ネタにされたりした事、ある?」
「えっ?」
 言われて、思い返して――いや、思い返す必要もなく。
「……ない」
 覚悟していた事だから、拍子抜けした。その後は、「さすがに高校生にもなってそんな幼稚な事言う奴もいないか」って納得したんだけど。
 その返事に、池永はいつものようになんの裏も感じさせない顔で笑った。
 うん、やっぱりそっちの方が、お前らしいよ。見慣れてるから、かもしれないけど。
「多分、なんだけど。もし、誰かがお前にそれをネタにして嫌がらせとかをしたら」
「…したら、なんだ?」
 頬杖ついて、クラス委員二人を見ている池永は、とても静かな空気を纏っていた。もし普段からこうだったら、少し声をかけ辛い。
「即行で、雷が落ちると思う。それもかなり大きな雷が。特大ってやつ」
 でも、不思議な事に音はしないんだなあ。かえって不気味っていうか。
「はぁ?」
「まーまー。理由っていうのが、ちゃんとあるんだよ、坂城君?」
 ぱちんと、ウインク。
 ……俺に向けてしないでくれ。今話し相手が俺しかいないからしたんだろうけど、俺はそういうの、苦手なんだから。
「…で?その理由とやらは?」
 池永君、とは返さない。…俺がそんな事できるような器用な人間だったら、そもそもこんなところに転入なんてしていない。
「ちょっと、顔こっち」
 ちょいちょい、と手招きされた。もっと小声でないと駄目らしい。なら、今話さなくてもいいだろうに…とは思ったけど。次の機会があるかはわからないし。
 ちらり、と池永はクラス委員三人にそれぞれ視線をやって何かを確認してから、ぼそぼそと話し出した。
「入学当時、さ」
「うん」
「あんな外見だし、如月は色々と騒がれたわけだよ」
「ああ…そんな感じ」
「だろ?で、まあ、好意的なものだけなら良かったんだけど」
 その言い方は、つまり。
「…何かあった?」
「そう。あったんだな。それも一つや二つなんかじゃないし、軽いものだけでもなかったし。華とか色気とかがない分、学校生活に娯楽を求めちゃうんだな、何故か」
(娯楽…?娯楽って、言っていいものか?そんなのを娯楽にしてしまったら人としてまずいんじゃないのか?だって『娯楽』って、つまりは人で遊ぼうって、事だろ?)
 ぐるぐると回る思考。そんな状態でやっとのことで声を絞り出す。
「……上級生とか、出張ってきた?」
「察しがいいね。ま、その通り」
 やっぱり。同級生ならまだしも、上級生相手はそれなりのきつさがある。
「まあ、今の状態を見れば、それが実際はどうかしらないけど表面上は片付いてるわけ。何故かというと、あの二人が絡んでくるんだけど」
 あの二人。…あの二人か。
「常盤と藤田?」
「ご明察。って、まあよっぽど鈍くなきゃ誰でもわかるか。明らかだもんな」
 まあ、見ればわかるっていうか。
「察しがついてるかもしれないけど。藤田は言葉で、常盤は物理的な力でモノいう奴らをそっくり同じ方法で追い払ったわけ。さすがに常盤のは全部が全部秘密裏にできるわけもなくて、学校にばれて大騒ぎになったりもしたんだけどさ。その分、同級生からの好感度はぐーんと、一気にあがったなあ」
「……なるほど」
 人気者なのは、単に明るいとかそういうんじゃなくて、そういう経緯もあったのか。なんて納得していたら。
「それでまあ、その時に新聞部の奴等が色々とやって、それも今は落ち着いてるけど懲りもせずにあいつらはなあ…」
「新聞部?」
「そう。勿論真面目に校内の出来事や地域の出来事を取り扱ってる奴らもいるんだけど、一部、ゴシップ誌みたいなネタを探すような奴も、いるわけ」
「………まさか」
「ん。多分、お前が今日捕まった相手って、それだと思う。後者のほう」
「……確かに災難だ」
「思ってたより厄介?」
「かなり」
 くっくっく、と、聞きようによっては人の悪い笑い方。けど憎めない。…得な奴だ。
「まあ、だからってわけじゃないけど、それも要因だとは思う」
「?何が」
 ん?と見返してきた顔は、上機嫌そう。
「何って、うちのクラス委員三人がお前にはりついてる理由だよ」
「……はっ!?」
「常盤の力が怖いのか、藤田に完膚なきまでに言い負かされるのが怖いのかはわからないけどさ。あいつらを攻略できなきゃ、お前にあれこれ質問攻めできないわけ。で、その足場を崩すために、お前から何かあいつらの弱みを聞きだそうとしたんだと思うよ。クラスの奴らなら、多分殆どが俺と同じような答えを返すと思うけど。言っとくけど、俺がこんな事考えて、お前に言うのはなにも特別な事じゃないから」
 先回りされた。何でそんな事言うのか、と聞こうと思ったのに。
 もう少しで音になる筈だった言葉が消えていくのが物悲しい。なんでだ。
「……雷、ね……」
 どれほどの威力かはわからないけど、上級生を黙らせるって事はかなりなんだろう。もしかして、顔がひきつってたのって常盤のせいか?頭を働かせるのが得意な奴って、どうにも物理的な力に弱いイメージがあるんだけど、俺。
 そんな風に考えていたら。
「如月、もな」
「え?」
「あいつも、あれでかなり『強い』よ」
「『強い』って…」
 どういう意味で?
「さあ。でも、お前あいつらと今話した事情とか関係なくても気が合うみたいだし。それならそのうち、わかるんじゃないかな」
 同級生、それもクラスメイトですら多分気付いてないけど、お前ならね。
「……池永は気付いた、っていうか、そう感じた何かがあるって事か?」
「イエス。とだけ言っとく」
 にんまりという表現がぴったりな、悪戯をした子供のような顔をされて。

「……お前も、実はかなり癖があるタイプなんだろ……」
「はっはっは。お前ら程じゃないけどなー」
 否定はしないー。
 内緒話は終わり、という合図のつもりだろうか。彼はいつものように豪快に笑った。

 俺は思った。

 見た目、良い人。
 でも、見た目が良い人だからって中身まで良い人とは限らない。人を見かけだけで判断するような事はこの歳になってまでしないけど、やっぱり第一印象っていうのは見た目だしな。
 けど。
 見た目が良い人だからこそ、警戒すべきなんじゃないだろうか。
 だって、わざわざ自分の悪いところを曝け出すような奴ってあんまりいないだろ?頭が働く奴なら尚の事、そういうマイナス面は隠す筈だし。

 見た目、良い人。
 今日の先輩もそれにあたる。

 今日から、警戒はしておこうと決意。でもそれは、既に遅い決意だったのだけれど。
 その時の俺に、わかるはずもない。




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