べっとり。 「……何やってるか聞いてもいいかな」 「「は?」」 ああ、うん。自覚がないのは周りから聞いて知ってたけどね。 でも、さすがにそれって、どうかと思うんですよ。 「で、結局何してたんだよ?」 屋上の柵に凭れかけて聞いてくる黒髪の友人に、金髪の彼は苦笑した。 そして、自身の額を右人差し指で、「とんとん」と軽く叩いた。 「ここ、にさ」 「ん?」 「『恵冬』が傷を作ってきたんだって」 「なんでまたそんな場所に」 「『夏威』は、妙瀬田ならわかると思うよ、てそれだけ」 肩を竦める仕草を見て、一はある事を思い出した。 彼、東風恵冬がそんな所に傷を作ってくる理由、の可能性を。 「……それにしても、お前も律儀だな。人前でわざわざ名字で呼ぶっつー使い分けまでしてよ」 「だって、あの二人はただでさえ水崎君と日向に懐かれてて目立ってるじゃないか。一応俺も周りから注目されてるっていう自覚はあるからね。見世物みたいにさせるのは気がひけるじゃないか」 「そういうもんか?」 「そういうもんだよ」 くっくっと笑う二人は、遠めに見れば仲の良い友人に見えるだろう。実際もそうなのだが、どちらかというと悪友という印象の方が強い。 「で、その傷がどうかしたのか?」 本題に入った途端、ぴたっ、と金髪の少年――天野理栄の動きが止まった。そして少し憂鬱そうな顔で斜め下の足元を見ている。 「あー……うん、まあ。っていうか、『そんなの恋人同士でもしないだろ?』って突っ込みたい事したんだよ」 「……何してたんだ、一体」 「傷、をね」 「うん?」 「ぺろりと」 「………舐めたのか」 「うん、そりゃもう、あっさりと、当たり前のように自然体でぺろりと、ね」 人の目なんか気にしてないどころか、他人の血だっていうのも全く気にしてないみたいだったし、舐められてる方も突然の事に驚いてるだけで拒否もしないし。 「……………あいつらだったらそれもありかもしれないと思うのは俺だけか?」 「や、目の当たりにした俺でもそれは思うから多分異常ではない、と思う」 こう、ね。 額に血がべっとりついてたんだよ。そりゃもうそれを見たクラスメイトが何人か卒倒するくらいには凄まじかったんだけど。それを見た時の夏威の反応がこれまた彼らしいっていうかなんていうか、ねえ。 「……へえ」 既に限界まで脱力してしまっていた為に、それ以上力を抜くと後ろに倒れそうだ。 (そうすると屋上から転落か) 呑気にそんな事を思って、きっと大騒ぎになっているか、次の行動がとれずに固まっているだろう2−Cの連中の事を考えて、一はつい、妙に晴れ渡った空を眺めた。 「何考えてるの?」 「何が」 「この怪我」 「別に?」 ぺろりと舐めたかと思ったら、その箇所の乾き具合を見て彼は顔を顰めたのだ。 「これ、さっき作ったばかりだね?」 「さあ?」 「しらばっくれない。とぼけても駄目。さ、保健室行くよ」 ぐいっと掴まれた手首を引っ張られて引きずられそうになるのを、恵冬は僅かに眉根を寄せただけで、足を踏ん張って阻止した。 途端、ぴたりと夏威の動きが止まって、そうしてゆっくりと肩越しに振り返る。 「……恵冬?」 その顔はにこりと笑っていて、逆に空恐ろしく凍えそうな空気を垂れ流している。が、何故か恵冬は無表情でそれを見返す。 「舐めときゃ治る」 途端、教室中の人間が動きを止めた。血の気が引いている者もいる。 「へえ、その大量の血、舐めてもいいの?」 (((……笑顔が怖い。笑顔が怖いから!西原!))) クラスメイトは心の中で絶叫しているが、勿論そんなものは誰にも聞こえない。むしろ感じ取れと言いたいくらいだが、この状況でそんな事を言い出せるほど度胸のある者はいなかった。 が、当事者は平然としたもので。 「……舐める気か?これを」 今も少しずつ自分の顔を流れていく血の感触に意識を向けて、恵冬は問い返したが、やはり夏威は笑顔だった。 「舐めておけば治るんでしょ?それに、そこは自分で舐められる場所?」 「………わかった、保健室に行くから、とりあえず手を離せ」 しぶしぶ従おうとする恵冬に、しかし夏威はむしろ穏やかと言えるはずの、けれど寒々しい微笑を披露した。 「それは駄目。治療が終わったら、離してあげるよ?」 「……………」 観念したのか、はあ、と一つため息をついて、恵冬は踏ん張っていた足から力を抜き、夏威に促されるまま教室を後にした。 「っていうのが、詳細。少し省いたけど」 その合間に理栄の問いかけが入ったわけだが。 「……あー……」 それ以外に何が言えるだろう。 「ああいう事になるから、夏威は恵冬の傍を離れるに離れられないのにな」 「…ま、それがなかったとしても、あいつらは常にべっとりだからな」 「関係は一見ドライだけどね」 「ほんとにな。どっちかにしてくれてれば、ここまでダメージも受けねーっつのに」 「まあ、それがあの二人だしね」 話を聞いてもらってすっきりしたのか、理栄は一がしたように空を見つめた。レンズを通さずに見る空と、さっきまでレンズ越しに見ていた空は同じはずなのに、まったくの別物のように感じる。 「で、それで終わりか?」 「うんまあ。今頃手当てし終わってるんじゃないかな。髪にも血がべっとりついてたから夏威が世話焼いて洗ってるかもね」 「……ありえる」 「今日みたいな事があるから、夏威がつかずはなれず、たまあにべったりべっとりと恵冬にくっついてるんだよね。無自覚なところがあの二人らしいけどさ」 「……何度納得させる為に声に出しても効果はないな」 「…そうだね。虚しいし、やめよう」 さて。 「じゃあ今日は、どこに行く?」 「ゲーセン?」 「ボーリングの半額チケット貰った」 にやり、と笑ってくる、顔。 「じゃ、それでいいんじゃね?」 「じゃあ決定。明日は図書館にしよっか?」 「ああ、それもいいか」 べっとり、べっとり。 それもいいけど、俺達はこんなふらふらしたような関係の方が、いいかな。 「さーって、そろそろ戻ろうかな!」 「2−Cの前は避けていけよ」 数秒、きょとんとした顔をして。 「あはは、それもそうだ!」 豪快な笑い声が、空に二つ響いた。 |