雨の中、濡れる事を気にせず佇む人。 「……え?」 人捜しをしていたら、予想外にとんでもない人をみつけた。 「この雨の中!貴方は何をしてるんですか!」 怒りもあらわに怒鳴りつけてくる年下の少年を見つめる瞳は穏やかで、けれど不思議なものを見た子供のように純粋で、また性質の悪いものだった。 「どうして怒っているの?」 「〜っ!!」 素直に発せられた問いかけの言葉に瞬間的に頭に血が上る。が、ふと思い直してみる。 (しまった、ここ、高等部の校舎だ!) きちんと見てみれば相手の制服は高等部のもので、濡れているせいで普段より長めに見えるだろう前髪や横髪のためにわかりづらいが、相手は確かに自分よりも大人に近づいている少年の顔をしていた。 「…っ、すみ、ません」 「?どうして謝るのかな?」 「……へ?」 「だって、俺はこの雨の中、中庭で突っ立っていたわけでしょう?で、このずぶ濡れの状態で教室に戻れば教室が、それまでの道順には廊下なんかに点々と雨水があとを残すわけだよね」 それはそうだけれど。 「…その通りだと思いますけど…」 「うん。なら、君の行動は別に謝るべきことじゃあないと俺は思うよ?」 「……は?」 「だって、廊下が濡れて困るのは君も同じでしょう」 「…はい、まあ…」 相手も気付いているだろうに。自分が高等部ではなく中等部の生徒だと。 なのに、そんな風に言ってくるなんてかけらも想像していなかった。 「ええと、用事があって来たんだよね?どこに行くの?」 「1−Cです」 別に答える義理はないのだが、わかっていて雨の中佇んで濡れていたらしい人物の思わぬ対応のせいか、真はつい、ぽろりと行き先を答えてしまった。 「1−C…」 つと、彼は視線を斜め上へと向けると、もう一度雨空の様子を窺った。雲の厚みは少し薄くなったようだが、晴れ間がいつ見られるのかはわからない。 「人捜し?」 視線をもう一度合わせて、ずぶ濡れの生徒はそう問いかけた。 「はい…」 少し居心地が悪い。好き好んで濡れようとする人の心理がわからない、というのもあるが、第一は好き好んで濡れに行っていた人をわざわざ渡り廊下の屋根の下に引っ張り込んだ事だ。 「そう。きっと、屋上へ行く階段で見つかるんじゃないかな」 「へっ?」 「大きな独り言。気にしない」 にこりと笑って、彼は一歩、外へ出た。再び雨粒が彼を覆う。 「…濡れますよ」 「うん、そうだね」 「酸性雨、かもしれないんですよ?」 「かもしれないね」 「…はげるかも」 「そうかもね」 「…嫌じゃないんですか」 「何が?」 何が、と言われても、自分だって何が嫌なのかと聞いたのか、わかっていないのに。 「ねえ」 「自然に生まれたはずのものが」 「自然にかえれないって」 どんな感じなんだろうね? 薄く微笑むその顔が、見えないはずの雨雲の更に向こう、上空を見透かしている気がして不気味で、不思議でしょうがなかった。 思わず震えが身体を襲った。 それは何から来る震えだったのか、今でもわからないけれど。 「変温動物も、恒温動物も、それぞれ生きていくための能力を身につけているよね」 「人は恒温動物で、寒い地域に暮らす動物のように毛皮もなければ厚い脂肪もないし、暑さや紫外線に負けない強い皮膚もない。それなのに、『知恵』で人間は住む場所を特定せずに寒暖関係なく色んな場所に住める、って、まるで凄い事のように言う人がいるけど」 俺はね、それってどうかと思うんだよ。 「確かに『知恵』は尊い能力かもしれないけれど。でも、その知恵をいかせるのは、今の環境だからこそであって、たとえばパソコンを操作する知識は機材がなければ意味がないし、薬品の種類だって「これは○○である事を証明する薬品だ」ってわかってなければ、他の薬品にそれを混ぜたってあまり意味がないと思わない?肝心な時に、肝心な事ができなければ無意味だと思うんだよね、俺は」 電気製品だって、壊れたら自力で直せない人が殆どなのに。 「ねえ」 ぜーんぶ、世の中全てのものが無に消えて動植物と人間だけが残ったら、どうなるだろうね? 皆、ちゃんと生きていけるかな? これから辿る筈の人類の歴史と、地球の歴史との食い違いがどれほどのものか、気にならない? 振り返って笑う姿は美しくさえあるのに、それはとても危険な毒を持っているような懸念さえ覚えさせた。 「と、まあ、とりとめもなくなんの実益も生まないおかしなどうでもいい事をつらつらと考えていたんだ。ろくな事考えてなかったから、とめてくれても別に良かったんだよ。それに雨に打たれていたのは、単に手近に水道とかがなかったから、濡れてただけだし。思いついたら即実行したくなって」 「……ええと、何を、ですか?」 「うん?ああ、『頭冷やさなきゃな』って」 「……………」 「ああ、うん。反応に困るのはわかってたんだけど、正直に答えないと俺、得体が知れなさ過ぎるでしょ?――自然物がね、好きなだけなんだよ」 だから、この箱庭は俺には少し窮屈かもしれないな。 「――君の捜し人、も、そんな場所にいるかもね」 「え?」 「なんでも。さ、早く探さないと、昼休みが終わっちゃうけど、いいの?」 「……あーっ!!」 「ああ、その辺濡れてるから、気をつけて」 濡らした張本人のくせにさらりと忠告してくる相手に一瞬言葉につまり、けれど真はそれを素直に受け取った。 「ありがとうございます。それじゃ!」 「え?」 意外な返事に虚をつかれて後姿を見送っている自分に気付いて、夏威は笑った。楽しそうに。 「ひねくれてないんだ。へえ…これならアイツも気に入るわけだ。ふうん…なるほど」 満足そうに微笑んだ後、彼はふいと視線を屋上へと向けた。そこには、真の捜し人である筈の律がいる。これは憶測ではなく、確信だ。 「まあ、さすがにアイツは律に止められてるだろうけど」 でも、いくら気持ちいいからって着替えも用意せずに濡れるのはまずかったかな。今度からは着替え、用意しておこう。 俺はいいけど、濡れたままじゃあ周りが困るし。 んっと伸びをして、夏威は体操着をとりに教室へと歩き出した。 雨はまだ、降り続いていた。 |