歯を立てるな、という言葉と同時に、頭を押さえつけられた。
喉の奥までを満たすものに嘔吐感がこみ上げるが、それを何とかやり過ごして舌を這わせる。
どうすれば早く果てさせ、解放されるか。
何となく上手いやり方がわかってきてはいるが、思うように身体が動かない。
深き闇の果てに
「……ん、んん、…く」
水音が部屋を満たす。ぴちゃぴちゃと響くそれにはもう慣れてしまって、今更羞恥など感じない。
だが早くこの息苦しさから逃れたくて、いつも必死でそれをしゃぶった。
生理的な涙が溢れて視界を濡らす。
苦しくて、無意識のうちに舌で口内のものを押し出そうとしていたらしい。
口の中を行ったり来たりしていたものが、奥まで突き刺さる。
「…! う、ぅう…んッ」
頭を固定され、クリフトは咽ながらも、受け入れざるを得なかった。
勝手に口腔を何度も擦り、膨れ上がったそれから放たれたものを全部飲み下すまで、それをくわえたまま耐えなければならなかった。
喉を鳴らすと、そこで漸く解放された。
そして次の瞬間、彼らは幼いクリフトを仰向けに押さえつけ、衣服を解き始めた。
もう、これで何度目になるか。小さく首を横に振り、拒絶の意を示す。身体はいつも震えていた。
だが恐怖に凍りつくその表情を眺めても、彼らは何も言わなかったし、勿論行為をやめようともしなかった。
下半身を露出させると両脚を開かせ、いつもと同じ場所に狙いを定める。
先端で入口を擦られて、クリフトは小さな快楽に悶えながらも泣いた。
「…やめて、…っく…、…入れない、で…」
両腕で顔を隠し、いつもこう懇願するのだが、この願いが聞き入れられた試しはない。
「あ…っ! …や、ああッ」
一息に奥まで貫かれ、クリフトは悲鳴を上げた。
せめて、と顔を隠そうとする両腕も押さえられ、涙で濡れた顔を上からまじまじと見つめられる。
やめてと言う前に身体を揺すられ始め、クリフトは嗚咽に混じった小さな喘ぎを上げながら、行為の終わりを待ち続けた。
「…このこと、誰かに言っても構わないんだからな。ただ、その時はお前はここから追い出されるんだ。俺達と一緒に」
「……………」
クリフトは震える唇を噛み、拳を握った。
それだけは避けなければいけない。
自分の居場所はここしかないのだ。それにしがみつく為に、クリフトは身体を開き続けた。
まだ10歳を数えたばかりの子供の身体には重すぎる負担だったが、神官になる道を断たれた上、ここを追い出されるよりはマシだ。
誰にも知られてはいけない。開けと言われた時に、黙って従うしかない。幼いクリフトはそれ以外の術を知らなかった。
「……神よ」
少年達が去った後、気だるい身体を仰向け、クリフトは小さくつぶやいた。
「…まだ……僕は、赦されるでしょうか。…こんな、穢れた身体でも…」
赦されるはずなどないと、知っていた。それでも必死でしがみつくしかなかったのだ。
神を象る白い像が、クリフトを見下ろしている。よく手入れされた、汚れたところなど見えない、美しい像だ。
「……そんな、目で…見ないでください…」
見上げた先が、ゆらりと揺れた。
「…お願いです、赦して…。
…必要だ、って……ここに居てもいいんだって言ってください…。…嘘でもいい、だから…」
嗚咽にかき消された言葉の代わりに、クリフトは首から下げた十字を握りしめた。
固く握られた銀の十字架の上に、次から次へと雫が落ちては流れて行った。
そうして、一年が経った。
「…あ、…あぁ…ん、…はぁ、あ」
ぐちゅぐちゅという湿った粘りのある音の中、艶ののった小さな声が揺れる。
吐息と、喘ぐ声と、身体のぶつかる音。
その速度が増し、クリフトの身体がびくびくと痙攣するように揺れた後、少年は彼の中に入れたものを引き抜いた。
「…随分溺れるようになったよな、お前も。
ちょっと前まであんなに嫌がってたのに、今じゃ突っ込めば喘ぐようになったし」
「……………」
言葉を返さず、クリフトは座り込んだまま、ぼんやりと床を見つめていた。
汚れてしまった。後でふき取っておかなきゃ。白濁の散った床を見て、彼は何の感情もなくそう思った。
「あぁ、スッキリした。じゃあな」
笑いながら出ていく少年たちの背を眺め、クリフトはぽつりと呟いた。
「…疲れたなぁ…」
なんとなく目を開けているだけ、なんとなく抱かれているだけ。
それが一番楽だと悟ってからは、もう泣くこともわめくこともなくなった。
そんなことをしたって、何が変わるわけでもないと理解したからだ。
だが、なんとなく抱かれているだけでも、結局肉体的な疲労は残ってしまう。
中に出されれば腹痛を起こすことだってあるし、熱っぽく気だるい日があることだって少なくない。
「…明日も、多分、お腹…痛いだろうな…」
床に寝そべり、クリフトは目を閉じた。
泣くことをやめてから、そういえば笑うこともしなくなったなと、不意に思いだした。
まぁ、今更、そんなことはどうでもいいのだが。
試験があるから、勉強だけはなんとなく続けてはいる。
成績が落ちることはないし、情事についても恐らく周囲に漏れてはいないようだから、別に何を咎められることもない。
眠くなるから、なんとなく眠ってはいる。
空腹を満たすために、食事もしている。
身体を求められるから、差し出してはいる。
……でも、それに、何の意味があるのだろう。
穢れた身を持った自分に、今さら、人に神の道を説く資格などない。
家族だって、帰る家だってない。そういえば、預けられた教会からだって、追い出された身だったのだ。
いなくなったほうが、むしろ都合がいいのかもしれない。
誰からも必要とされない自分が、ここにいる意義を見いだせない。
それに、もう、なんだか疲れてしまった。
クリフトは静かに目を開けた。
一年前から変わることなく、神はそこに立っていた。
「…いいですよね?
……だって、あなたは…僕の願いなんて、ただの一つも聞き届けてくださらなかった。
それなら最後くらい、僕もあなたの教えに背いたっていいでしょう?」
次の日、クリフトは、初めて教義を無断で欠席した。
波の打ちつける音が、自分の立っている場所の遥か下で聞こえる。
実際に海を目の前にするのは、これが初めてだった。
潮の匂いと、波の音。白い飛沫を上げる青。
それら全てを見下ろせる場所に、クリフトは立っていた。
ここなら、確実だろう。
高いところは苦手だと思っていたが、今日は身体が震えることも、眩暈を起こすこともなかった。
落ちる時に痛みはあるかもしれない。それでも今まで感じてきた痛みがずっと続くことを考えれば、そんなものは何でもない。
どうしてもっと早くにこうしなかったのだろう。
生まれたときから邪魔でしかなかったのなら、もっと早くにこうすればよかったのだ。
「…さよなら」
クリフトは目を閉じ、薄く微笑むと、躊躇うことなく思い切り地面を蹴った。
――ねぇ。
ねぇ、きいて。
おとうさん、ぼくね。
がっこうで、とびきゅうしたんだ。
ずっと としうえのひとよりも むずかしいべんきょうをしてるんだよ。
おかあさん、あのね。
このまえ、ホイミのじゅもんを ひとりでいえるようになったんだよ。
これで、けがをしたひとの きずを いやしてあげられるんだ。
ねぇ、すごいでしょ?
ふたりとも、ぼくのこと、ほめて。
…ねぇ、おねがい。
いちどだけでもいいんだ。…いちどだけで、よかった。
ぼくのこと だきしめて、だいすきだって いってほしかったんだ――
「……う…っ」
――波の音が、聞こえる。
波が岩壁に砕ける音が、次第に鮮明になってきた。
開かないはずの瞼が持ち上がり、動かないはずの身体はぴくりと震えた。
「…は、…ゲホっ、ゲホ…ッ」
塩の味が口内に満ちる。何度も激しく咳込むと、飲み込んだ水が溢れ出た。
瞬きを繰り返せば、今までと何ら変わらない世界が広がる。重い身体は痛みを伴いながらも、まだ自分のものであるらしい。
「……どうしてっ!」
クリフトは思い切り地面を殴りつけた。あまりの衝撃に、握った拳が痺れるように痛んだ。
「神よ!あなたは何故…!どうしてこんな残酷な仕打ちばかりっ!
…必要としてくれなかったじゃないか、誰一人…!みんな、僕なんかいらないって言ってたじゃないかッ!」
感情に任せた叫びと共に、堰を切ったかのように涙が溢れた。
久し振りに泣くということをしたせいか、上手く息ができない。
いっそ呼吸が止まってしまえばいいのにと思うのに、そうすることもできない。
クリフトは地面に突っ伏し、細く震える声で嗚咽交じりに呟いた。
「…ずっといらないって言われてたのに、いないほうがいいって……だから死のうとしたのに……それすらも許してもらえないの…?」
――クリフト。
「…?」
誰か、呼んだだろうか。
いや、こんなところで、誰が。
――あなたは、必要とされているのです。
「……誰…?」
見回してみたが、声の主と思しき人など誰もいない。
いや、耳に届くというよりは、頭の中に直接響いたのだ。
動かすたびに軋むように痛む身体を何とか起こす。よろめきそうになるのを堪えて、クリフトは歩き出した。
一歩足を踏み出したとき、冷え切っているはずの身体に、暖かな空気が流れ込むのを感じた。
柔らかく、淡く、暖かな…光のようなものが、身体の奥底から満ちてくるような感覚。
何も考えず、その光に引き寄せられるようにして歩いた。
「…これは…」
クリフトは茫然と立ち尽くした。
朽ちてはいるが、光に満ちた石造りの小さな祠。
恐る恐る足を踏み入れると、光の中から再び声を聞いた。
――導かれし者よ、まだ、あなたの死ぬ時ではありません。
やはり、声は直接頭の中に響いてくる。
導かれし者とは、そう聞こうとしたとき、その問いを予測したかのように声が響いた。
――貴方は数年後、運命に導かれて生涯で最も大切な出会いをします。
その人は貴方の力を誰よりも必要としています。
その助けになることによって貴方のすべては浄化され、神に仕える者として最も高き所へ上るでしょう。
そこまで聞いた瞬間、祠に満ちた光が消え始めた。
「ま、待って!その人って、一体…!」
クリフトは慌てて駆け寄り、光を掬うように手を伸ばしたが、光は淡く輝いたかと思うと、すっと溶けるように消えてしまった。
後に残ったのは、古びた石の祠と、立ち尽くす自分だけ。
「…今のは、…神…?」
クリフトは光に触れた自分の掌を眺めた。冷え切っていたはずの手に、微かに温もりを感じる。
「……誰よりも、僕の力を……」
ぼんやりと掌を眺めていると、海に飛び込んだ時に切ったのか、腕から血を流していたことに気がついた。
クリフトは傷口に手をかざし、目を閉じると、ゆっくりと祈りの言葉を紡いだ。
傷口を光が包んだかと思うと、瞬く間に傷は跡形もなく消えた。
「…僕の力…」
人に必要とされるために身につけたこの力を、いつか誰かの為に使う時が来るというのか。
確かに今、自分の力が必要だと言われた。
ずっと強く願い続けていた、ずっと欲しかった言葉を、初めて与えてもらえたのだ。
逃げるな、ということか。
誰かが、自分の力を欲している。
その人の助けとなることで、穢れた自分の存在をも、赦されるというのか。
声の主すらわからない。もしかしたら、自分の願いが聞かせた幻かもしれない。
それでも、初めてだったのだ。
「…必要、だって。
……はは、誰だろう、それ。…物好きだなぁ。…だって僕、こんな。…こんな…」
笑おうとして、息が詰まった。
光の消えた祠の中、まだほのかに残る温もりを噛み締めるように、クリフトは自分の身体を抱きしめ、膝をついた。
自分を必要としてくれているのか、それとも、自分の持つ力のみを求められているのかはわからない。それでも、クリフトが生きる理由としては十分すぎた。
愛することも、愛されることも、必要とされることも知らずに育った少年は、ただその一言に、静かに泣いた。
――それは彼が「天空の勇者」と出会う、十数年前の出来事。
陰のあるクリフト話第三弾。
以前、ここにいらしている方からお話の概要をお聞きし、文章にさせていただきました。許可くださった方、ありがとうございます!
「追憶」があまりに救いがなかったので、ちょっと光を…という形で終わってみました。
2008/8/3