「…こんなに濡らしちまって、あんた、実は無理矢理犯られるの好きなんじゃねぇのか」
闇の中で声がした。おぞましいあの声。
気がつくと、そこはあの場所だった。
強さの意味―その後―
「やめろっ、放せッ!」
叫びながら身を捩ると、男は私の頬を殴りつけながら暴れるなと怒鳴った。
「…ぅ、……っ」
幾度となく殴られて、切れた口内に広がる錆びた味。
まだ息も整わずにいるというのに、男は構わずに私の脚を掴み、左右に大きく開いた。
「――いやだっ、…嫌…!」
抵抗も空しく、無遠慮に秘部を広げられる。
そして無骨な指が挿し込まれ、狭いそこを無理矢理押し広げていった。
「…やめて、…痛い…っ」
恐怖に歯がカタカタと音を立てる。だが男は薄く笑うばかりで、手を止めようとはしない。
「…嘘つけよ。もうこんなじゃねぇか。あんた、そんななりして大した淫乱だな。…聖職者のくせに」
「――っ…!」
言葉が脳裏に何度も反響する。
「…ちがう…」
発した言葉と同時に、涙が溢れた。心の奥深く、大切な何かを踏みにじられた気がした。
けれどもそんなことには全く構わず、嘲るような声が耳元に響く。
「何が違う?あんたが自分自身でそう思い込もうとしてるだけだ。
あんたは神官のくせに、無理矢理犯られて感じる淫乱だ。
本当は嬉しいんだろ?だから逃げない。違うか?」
「――違うッ!」
発した声は、最早悲鳴も同然だった。
恐ろしさとおぞましさと、あまりの悔しさに涙が止まらない。
何度も「違う」と繰返すと、頬を平手で打たれた。
「……ユーリルさん」
何も考えられず、ただ浮かんだ文字をそのまま口にした。
刹那、パン、と乾いた音がして、また同じ場所を打たれる。
足を抱えられた。秘部に熱が押し付けられる。
「…嫌だ…!…ユーリルさん、ユーリルさんっ!」
その瞬間。――飛び込んできたのは闇だった。
目の前に広がるのは、さっきと同じ一面の闇。
ただ、拘束されていたはずの手が、押さえ付けられていたはずの身体が軽い。
何故か自由を許されている両手で、胸を押さえた。心臓が、おかしな速さで動いている。
何が起こったんだろう。そして、これから何が起こるんだろうか。
ただがくがくと震える身体をどうしようもできずにいると、不意に背中に何かが触れた。
「…大丈夫?…また、夢、見た?」
背中に触れた手の感触に、耳元に届いた声にはっとなった。
夢。
…あぁ、そうか、夢だ。
あの悪夢は、続いてはいない。もう終わったんだ。
「……すみません」
背中をさすってくれている声の主に、そう告げた声も震えたままだった。
「…今水持ってくる。待ってて」
声の主――ユーリルさんはそれだけ言うと、すぐに部屋を出て行ってしまった。私はただ黙って頷いた。
…大丈夫。あれは夢。夢だ。
手繰り寄せたシーツに顔を埋め、自分自身に言い聞かせる。
何とか震えを抑えようとしても、まるでうまくいかない。自分の身体なのに、制御ができない。
「…大丈夫。…もう終わったんだ。…大丈夫…」
暗がりの中、一人呟いた。声は帰ってこない。
誰もいない。…誰も。
「…っ…」
埋めたシーツの中から、顔を上げられなくなった。
顔を上げたらまた、あの場所に戻っているかもしれない。
さっきの声は、背中をさすってくれた手は幻で、ユーリルさんが傍にいてくれたのは、自分の都合のいい夢だったのかもしれない。
怖い。
夢じゃなかったのなら、あの声が、手が幻じゃなかったのなら、早く戻ってきてほしい。
「…ユーリルさん…っ」
祈るように呟いた言葉とほぼ同時に、扉の開く音が聞こえた。そのすぐ後に、足音。
自分のほうへ真っ直ぐ近づいてくるそれに、酷く安堵した。漸く顔を上げると、心配そうに背に触れる彼の姿があった。
「クリフト、大丈夫?
…震えが酷いな。水汲んできたから、とりあえずこれ飲んで、落ち着いて」
「……ありがとうございます」
受け取ると、一息にそれを飲み干した。水が喉を通る感触が、私をやっと現実の世界に引き戻してくれた。
「ちょっとは落ち着いた?」
彼はにこりと笑って見せた。この場に似つかわしくないとも思えるが、敢えてそうしてくれたんだろう。
少年らしさの残る笑顔に、私は頷いた。
「…また起こしてしまいましたね」
これでもう二度目だ。
彼は「眠るのが怖い」と子どものようなことを言う私の手を握り、傍にいてくれた。
うなされる度に彼も起き、悪夢に震える私を気遣ってくれた。…自分だって疲れているだろうに。
申し訳なない。そう思い謝ろうとしたとき、彼は突然、私を抱きしめた。
「な、なに…」
あまりに唐突だったせいで、声が上擦った。反射的に顔が熱を持ち、理由のない羞恥心が込み上げてくる。
「誰も見てないから。今夜だけ」
静かに言い、それからこう付け足す。
「…今夜だけ、こうして寝ればいいよ。一晩、ずっとこうやって傍にいるから」
「…い、いえ、でもっ」
「僕もずっと、悪い夢ばっか見てた頃があってさ。
その頃は僕も今のクリフトみたいに、何度もうなされて飛び起きて…。その度に、誰かにこうしてほしいって思ってたんだ、実は」
「…あ…」
いつだったか、酷くうなされて目を覚ました時の彼の姿が脳裏に浮かんだ。
あの時、常は血色のいい顔を真っ青にして震えていた姿は、今も鮮明に覚えている。
「…あなたも…」
「あの時はクリフトが僕を助けてくれただろ。だから、今度は僕がクリフトを助ける番だ」
そう言って真っ直ぐに瞳を覗かれる。
不思議な色をした瞳。深い夜の闇が拭われる、暁の空のような。
手を握り、背を抱いてくれた。身体を包むようにして、抱きしめられる。
若草のような匂いが、ふわりと鼻を掠めた。
そのとき、ふと思った。
この人は、…もっと小さくなかっただろうか。
もっと幼くて、もっとあどけなさの残る、そんな少年ではなかっただろうか。
ユーリルさんの顔を見上げると、彼は少し困ったような顔をして笑った。
「…やっぱ恥ずかしいかな…?…男同士だし」
そして、嫌だったら言ってくれていいよと付け足す。私は慌てて首を横に振った。
「違うんです。…その。…ユーリルさん。…背、伸びました?」
「え?」
一瞬、きょとんとした顔になる。彼はしばらく不思議そうな顔をして私を見つめていたが、やがて言った。
「…うん。伸びた。最近急に伸びてさ。遅いよなぁ。もう18なのに今頃。
…でもびっくりした。クリフトが気づくなんて」
「私、そんなに鈍そうに見えますか?」
「いや、別にそういうことじゃなくて。…まぁ、うん。いいんだけど」
思い過ごしでなければ、彼は何故だか少し、照れているようにも思えた。
そして照れ隠しか、あの悪戯っぽい笑顔を見せる。あどけなさの残る、幼い表情。…でも、それも少し、昔とは違って見えた。
「…クリフト」
私の頭を彼の胸に押し付けるようにして、また背を撫でてくれた。
途端、柔らかい温もりと匂いに包まれ、忘れていた眠気が一気に襲ってくる。
「疲れただろ?もう寝たほうがいいよ。…ずっとここにいるから」
「…はい…」
ありがとうございます、ふわふわと揺れる意識の中でそう呟くと、優しい温もりに誘われ、私は眠りに落ちた。
遠くなっていく意識の中で、ただ一つ。ゆっくりと背を撫でてくれる掌の温度を感じていた。
優しくて柔らかい、彼の手の温もりを。
「強さの意味」のラストシーン以降をクリフト視点で少々。
オマケみたいなものだと思っていただければいいかなーと思います。
クリフトの勇者に対する見方がちょっと変わってきたよー的なところが書きたかったというだけなんですが(笑)
2007/6/6