叶わない夢なんて、捨てちゃえばいい。
そうすればもっと身軽になれる。今よりずっと楽になれる。
こんなバカげた夢、叶うはずがないなんて、そんなことはとっくに知ってるんだ。
Passing
Rain
「…降り出しましたな」
ぽつり、ぽつりと落ちてきた雫は、すぐに雨に変わった。
さっきまで確かに明るかった空はいつしか雲に覆われ、鉛の空から降る雨は次第に強くなっていく。
本降りになってきたそれは、あっという間に僕達を濡らしてしまった。
だけど向こう側の空は明るいまま。多分これは通り雨だろう。
激しい音を立てて落ちてくる雨をやり過ごそうと、この雲が晴れるまで木陰で休もうということになった。
その時、真っ先に木陰に避難したのは、足の速いアリーナで。
その後姿を追いかけていったのは、やっぱりクリフト。
降り続ける雨の中で、僕はただなんとなくそれを眺めていた。
「やだぁ、もう!髪も服もびしょびしょ!」
アリーナの長い髪が雨に濡れて、地面の上に水の粒がいくつも落ちる。
追いかけてきたクリフトは、心配そうな表情を浮かべながらアリーナの頭にタオルをかけた。
「クリフト、髪の毛拭いてくれない?びしょびしょになっちゃったわ」
背後にいるクリフトに声をかけると、クリフトはまるで壊れ物を扱うように優しく、亜麻色をした長い髪を拭いていく。
その時ぽつりと、睫毛の上に雫が落ちてきた。まるで視界を遮るみたいに。
目を擦り、ぼやけた景色を振り切って
僕は二人の声が届かない、離れた木の下に向かって歩いた。
こんなときはいつも、バカだなぁって自分で自分を笑いたくなる。
とっくの昔に理解してたはずなんだ。
クリフトはアリーナを好きで、大事に思ってる。
それは今更変わることじゃないだろうし、僕がどうこうしたって敵うものじゃない。
そう受け入れたつもりだったのに、まだどこかで拒んでる。
受け入れられたはずなのに。…受け入れなきゃいけないのに。
兜を外し、乱暴に地面に放る。
額や顔に張り付く髪が鬱陶しくて、イライラしながらぐしゃぐしゃと頭を掻いた。
前髪から落ちてきた雨粒が、頬に落ちて流れていく。
…何だよ。これじゃまるで泣いてるみたいじゃないか。
人をおちょくってるのか、この雨。
「…くそっ」
何もかもが面白くなくなって、立てた膝に顔を突っ伏した。
まだ激しく降る雨が、ザーザーとうるさく耳につく。
まるで雨が体だけじゃなくて、心の中も濡らしてくみたいだ。
心の中の同じ場所に、いくつもいくつも雨粒が落ちて、水溜りを作ってく。
…ただの通り雨のくせに。
「…ユーリルさん?」
雨音に混じって突然聞こえた声。
伏せた顔をゆっくりと上げると、アリーナのところにいたはずのクリフトが立っていた。
足音さえも雨にかき消されてたんだろうか。全然気がつかなかった。…いつからここにいたんだろう。
「わ、ずぶ濡れじゃないですか!早く拭かないと、風邪をひいてしまいますよっ」
「…ひかないよ。そんなにヤワじゃない」
「ダメですよ、…ほら、早く」
「…………」
応じようとしない僕に痺れを切らしたのか、クリフトは僕の頭にタオルをかけると、濡れた髪を拭き始めた。
ほら、びしょびしょじゃないですか。そうやって言いながら動く手が優しくて、胸の奥がぎゅっと痛む。
「どうしてこんな離れた場所に一人でいたんです?」
「…別に…」
アリーナと一緒にいるところを見たくなかったからなんて、口が裂けても言えない。
それ以上何も言わずにいたけれど、クリフトもそれ以上何も聞いてこなかった。
無言の空間の中、雨音だけが聞こえている。
「…雨、止みませんね」
「…そうだね」
雫を拭っていた手が止まる。タオルを外すと、ぐしゃぐしゃになっている髪に指を通して、軽く整えてくれた。
慣れてるんだなと思った。…そう、きっとアリーナがいるから。
「僕、雨って好きじゃないんだ。…何か、気分まで暗くなる気がしてさ」
「…そうですか?」
「クリフトは雨、好きなの?」
「うーん…雨が好きというわけではないんですが、雨上がりの、あの独特の匂いが好きなんです」
「匂い…?」
落としていた視線を、ようやく上げてみる。そこで初めて気がついた。さっきよりもほんの少し、辺りが明るくなっていた。
薄く差し込み始めていた光が、雲の間から静かに降ってくる。少しずつ、緩やかに。
「ええ。…土や、草木や、…それから、雲間から差す日の光にまで感じる、透き通った匂い。
雨が降って、古いものは全部流れてしまって、また新しい何かが始まるような…そんな気分になるんです」
「…へぇ…」
「それに、地面にできた水溜りに日が差し込んできたとき、光が乱反射してキラキラ光るんです。綺麗ですよ。
…あ、ほら。見てください。丁度、あんな感じです」
クリフトが指差した先には、今の雨でできた小さな水溜りがあった。そこに雲の間から差した光が注がれて、キラキラと光っている。
「…本当だ。…すごい」
景色はまだそれほど明るくはないのに、そこだけ見違えるくらいに綺麗で
僕は少しの間、言葉もなくそれを見つめていた。
気がつかなかった。雨の後にこんな綺麗な世界があるなんて。
…こんなに特別な景色が広がってたなんて。
「…ね?雨もそんなに悪いものじゃないでしょう?」
不意に耳に届いた声に、僕ははっとなってクリフトに向き直った。
柔らかい光、雲間から差した光。
それが木漏れ日になって、木の下にいる僕達に落ちてきた。
僕に向けられている彼の穏やかな笑顔の上にも、それは静かに降り注いで
さっき見惚れていた水溜りなんかよりも、ずっとずっと目を奪われた。
…そんなことクリフトには言わないけど。言ってやらないけど。
雨は体だけじゃなく、心の中まで濡らすみたいだ。
心の中の同じ場所に、いくつもいくつも雨粒が落ちて、水溜りを作ってく。
そこにもいつか光が射せばいいのに。
痛みも妬みも不安もかき消してしまうくらいの強い光が、水面で反射して、キラキラ輝いたらいいのに。
「あ。雨、上がりましたね。…そろそろ行きましょうか、ユーリルさん」
…あぁ、ほら、まただ。
受け入れなきゃいけないと言い聞かせても、この声が、笑顔が、それをできなくさせるんだ。
こんなバカげた夢、叶うことなんてないだろうってわかってるのに。そんなこと、とっくに理解してるのに。
…本当に、バカだよなぁ。
差し伸べられた手を取って立ち上がりながら、そんなことを思った。
叶わない夢なら、捨てちゃえばいい。
そうすればもっと身軽になれる。楽になれる。
…だけどそんな夢でも、もう少し抱きしめててもいいかな。
いつか僕の中の水溜りにも綺麗な光が射してくれることを、心の中でこっそりと願いながら。
ある曲を下敷きにして書いてみました。久しぶりにこんな初々しい話書いた気がします。
でも基本片想い大好き。今回は珍しく勇者がちょっと自信なさげになりました。何故だろう…。
2007/03/31