勇者。
愛する人を片っ端から奪われて、それで死ぬことも許されずに
世界平和のために使われる、使い勝手のいい道具。

PAIN

絶望の淵から何とか這い上がって、ようやく仲間と呼べる人たちと出会った。
仲間と笑い合って、言葉を交わして、そして大切に大切に守られてきた。
まるで腫れものに触るような扱いで、悲劇の勇者だとか、そんな風に囁く人がいることも知っている。

僕は勇者なんて名前じゃない。
あの日まで、そんな名前で呼ばれたことなんて、一度もなかったんだ。
一体誰が決めたんだよ、僕が勇者だなんて。
誰が勇者にしてくれなんて頼んだんだ。

村でただ一人生き残った、伝説の勇者らしい自分。
僕が今ここにこうして生きているのは、僕が必要とされてるわけじゃない。
僕を大切に思ってくれる人がいるからでも、なんでもない。
コマとして生かされているだけなんだ、僕は。


「――来たぞ!」
ライアンさんの声に、僕は我に帰った。馬車を取り囲む魔物たち。目の前まで迫っている殺気。
余計なことを考えていて気がつかなかったなんて、勇者失格だな。
思わず浮かんだ苦笑いを噛み殺しながら、僕は鞘から剣を引き抜き、叫んだ。
「行くぞ!ミネアさん、クリフト!援護を!」
攻撃役は僕とライアンさんの二人。敵は…ざっと見た限りでも四匹。
完全に囲まれる形になっていたようだった。
握りしめた剣を上段に構えて振り下ろす。最初の一撃を寸でのところで避けた魔物の爪が、僕の右肩を掠める。頬に生温い液体が触れた。
「く…ッ、そ…!」
一旦後ろに引き、片足を踏み込んだ勢いに乗せて、今度は横薙ぎに思いきり払う。
肉を断つ手ごたえを感じた。魔物の悲鳴が耳を裂く。
血しぶきは今はもうあまり上がらない。多分剣の扱いに慣れてきたせいだ。斬り方が上手くなったんだろう。
そんなことばっかりが上達して、一体どうするのか知らないけれど。

剣を構えなおそうとした時、風に乗っていつもの匂いが鼻をついた。
あぁ、また。……血の、匂いだ。

目の前に、動かなくなった魔物を見下ろす。
もう何匹くらい殺したんだろう。
何のために殺した?
何のために剣を振るう?
そもそも何で僕はここにいるんだろう。
…あぁ、そうか。勇者だからだった。
僕は、勇者…――

「――ユーリルさんッ!!」

叫び声。気がついたときには背後に鋭い殺気。
振り返りざま、少し離れた場所から、僕めがけて飛びかかろうと、地面を蹴ったばかりの魔物の姿を見た。

剣を構えるだけの時間ならあった。
でも、僕はそうしなかった。

――何を、そんなに必死になっているんだろう。

必要としてくれる人なんていないのに。
僕を僕として見てくれる人なんていないのに。
大切だと思える人の、その瞳の中にも、僕が映ることなんてないのに。
映るのは、世界を救うために必要な「勇者様」でしかないのに。

剣を握った手をだらりと下げたまま、僕はゆっくりと目を閉じた。
痛みなんて、きっと一瞬だ。



「…っ、はっ、はあっ…」

ザン、と剣が地面に突き刺さる音に、僕はゆっくりと目を開けた。
足元をふらつかせ、地面に突き立てた剣にもたれ掛かるようにして息を整えているクリフト。
剣より呪文、の戦闘スタイルを持つ彼が斬ったせいか、頬に僅かに返り血を浴びている。
それでも、これだけ見事に斬った割には、この人にしては血を流させなかった方だ。
ためらいがなかったのかもしれない。
崩れるように剣にもたれる腕は、少し震えていたけど。

「大丈夫ですか、ユーリルさん…!!」
血相を変えたクリフトが、まだ震えている足で僕の方に駆けてきた。
大切な大切な人間たちの希望。傷つけちゃいけない「それ」が、傷ついてしまったことに焦っているんだろう。
僕はいい加減うんざりしながら息を吐いた。

「…ほっとけばよかったのに」
「…え…?」
「何でそんなにまで必死になったの? 飛び込んで、今、無傷じゃないだろ?」
押さえた腕に、血が滲んでいる。
「ですが、あなたが大怪我を負うところだった…」
「別にいいよ」
「いいわけないじゃないですか。その傷も、放っておけば化膿して腕が腫れるかもしれません。見せて下さい」
「自分の傷、治しなよ」
「いいから!」
この人には珍しく尖った声を上げたから、不覚にも僕は言葉を返せなかった。
大人しく言われた通りに傷を見せると、深く息を吐いてから、彼は僕の傷を塞いだ。
痛みは消えたはずなのに、何故か心の深い場所の、鈍い痛みは強くなった。
「…あぁ、そうか。…勇者がいないとダメなんだ」
「…ユーリルさん?」
「腕が化膿して、剣が振るえなくなったら困るからだろ」
「…何を仰っているんですか」
「やっぱなくなると困るんだ、勇者って道具は。世界平和のために、いなくなっちゃ困るんだろ」

その後の数秒間は、何が起こったのかよくわからなかった。
気がついたら背中から派手に地面に叩きつけられていて、左の頬が熱を持っていた。
じわじわと痛みが蘇りだす頃になって初めて、僕を吹っ飛ばしたのは目の前の神官様だってことがわかった。
…ちくしょう、なんだよ、グーかよ。
クリフトは握りしめた拳を震わせ、俯いたまま低く言った。

「申し訳ありませんが、…今回ばかりは、謝りませんから」

それだけ言うと、くるりと背を向け、馬車に向かってさっさと歩きだしてしまった。
周りの仲間もさすがに何も言わなかった。普段が普段のクリフトが突然これだ。言葉を失っても仕方ないと思う。

「…なん、だよ」
謝りませんって、でも、申し訳ないって言ってるじゃないか。
普段があんなしゃべり方で、あんな物腰だから。弱いと思ったら、案外力あるんだ。
普段、傷を癒すことしかしない手で、初めて殴られた。
なんだよ。
何も、グーで殴ることないだろ。


――何も、泣くこと、ないだろ。


「…なんだよ…。ちくしょう…」


不覚だ。
こんなはずじゃなかったのに。
久し振りに流した涙の理由が、悲しいでも、悔しいでも、怒りでもないなんて。

仲間が駆け寄ってきてもまだ、僕は立ち上がることもできずに
まるで子どもみたいに肩を震わせていた。

久しぶりすぎるSSです。
裏に載せる程でもないんですが、勇者→クリフトの気持ちはアリという前提で書いたのでこっちに。
2009.8.28