鏡を見ているのかと、錯覚することがある。
自分と全く同じ顔、同じ身体。それが眼前に迫るときの心境は説明し難い。
剣を構えた「自分」が目の前に現れ、上段に構えたそれを私目掛けて振り下ろす。
咄嗟に、自分の剣でそれを受け止めた。ガキン、という鈍い金属音が耳を裂く。
同じ格好、同じ剣、目線の高さまで、何もかもが自分と寸分の違いもない。
本当に、目の前に鏡が置かれているんじゃないのかと思った刹那、目の前の私の口元が笑いの形に歪められる。
そいつは一旦後ろに飛び退き剣を下ろすと、片手を真っ直ぐに私のほうに向けた。
――魔法の匂い。
致死呪文が来る、そう咄嗟に思った。構えまで自分と同じだ。
「マホトーン!」
それなら、放たれる前に封じてしまえばいい。
自分とそっくり同じというのは、こういうときは便利だ。
自分の戦闘スタイル、魔法を使うときの癖。弱点までわかっているから対策がしやすい。
呪文が放たれるほんの一瞬前に、私の放った呪文が相手のそれを封じた。
目の前にいる「自分」は、放つはずだった呪文を封じられ、武器での攻撃に切り替えざるを得ない。そこに隙が生じる。
狙うべきは、その一瞬。
剣を構え直そうとした「自分」を、横に思いきり薙ぎ払う。私と全く同じ声が、悲鳴を上げてその場に倒れた。
「…っ」
躊躇ってはいけない。
そうは思っても、「自分」が血を流し倒れる様を見るのは、いつまで経っても気持ちのいいものにはなり得ない。
思わず顔を背けた。その瞬間、少し離れた場所にいるユーリルさんの姿が目に飛び込んできた。
…いや、違う。
ユーリルさんじゃない。本物の彼はあっちだ。
敵に剣を向けている方が本物。こいつは彼の姿を寸分違わず映した、魔物だ。
剣を鞘に収め、掌に意識を集中させる。空気が歪み、渦を巻く。
「――ザキ!」
片手を魔物に向け、叫んだ。放たれたその呪文は、黒い光と澱んだ空気と共に、魔物を捕える。
ユーリルさんの姿をしたその魔物は、悲鳴を上げる間もなく、次の瞬間にはがくりと膝をついた。
同時にユーリルさんが、彼の対峙していた魔物を刺し貫く。断末魔の叫び声が洞窟内に何度も反響し、やがて消えた。
ようやく訪れた静寂。私は胸を撫で下ろした。
…これで、全部か。
レベル上げのために二人で入った洞窟は、この厄介な魔物の巣窟だった。
こちらにいる者の姿かたちを、少しの狂いもなく真似てしまう。
外見だけならまだいい。けれどこの魔物は、力も能力も、全てをコピーする。油断すれば怪我では済まない。
手早く倒してしまわなければ、私一人ならまだしも、二人共やられてしまう。
私は少し離れた場所にいるユーリルさんの方へ駆け寄り、彼に声をかけた。
「怪我はありませんでしたか?ユーリルさん」
「…クリフト」
手にした剣を収めた彼は、ほっとしたというよりはどこか不満そうな表情で私を見ている。
「…今、ザキで瞬殺した?もう少し躊躇うとかさぁ、…そういうのはないの?」
予想もしなかった彼の第一声に、一瞬返答が遅れた。少しの間があって、ようやく言葉を返す。
「え…?でも、あれは魔物で…」
「確かに相手はマネマネだってわかってるけど、一応僕の姿してたわけだし。…なのに何の躊躇いもなく一瞬かーって」
「いえ、それは」
「あーあーあー、そうだよな。…でもあれがアリーナだったら躊躇うんだよな、クリフトは」
「は…?」
ユーリルさんはそう言うと、はあぁ、と大袈裟なまでに溜息をついた。
私の話を聞く気などないらしい。何を勝手に不貞腐れているんだ、この人は。
確かに彼は私よりも年下だ。まだ十代の彼に幼い部分が残っているのは仕方がない。
だけど、こういう子どもっぽいところにたまにイライラすることがある。…人の気も知らないで。
「…躊躇いませんよ。大体、あれは魔物です。魔物に躊躇えなんて言うあなたのほうがおかしいでしょう。
あなたの姿をしていても、あれは紛れもなく敵なんです。躊躇えば命すら危ない。…わかるでしょう、それくらい」
呆れたような口ぶりにカチンときたのか、ユーリルさんはますますむっとしたような顔つきになった。
「じゃあクリフトは絶対躊躇わないっていうのかよ。
大体、アリーナの姿して出てきたマネマネだったら、躊躇うどころか騙されてホイホイついていきそうだよな」
「躊躇いませんし、マネマネと本物を間違えたりなんて絶対しません」
「嘘つけよ、アリーナに化けたら躊躇うくせに!」
「躊躇わないって言ってるでしょう。何をそんなにむきになっているんですか、子どもじゃあるまいし」
どうしてそこで姫様の名が出てくるのか。そして、何故そんなことでむきになるのか。
子どもじみた言い争いだとわかっていても、自分の感情ばかりを押し付けてくる彼に、苛立ちが募っていく。
それは相手も同じらしく、こうなるともう売り言葉に買い言葉。気付けば完全に喧嘩の状態になってしまっていた。
「その人をバカにしたような言い方やめろよな!子どもじゃあるまいしなんて、見下すのもいい加減にしろっ」
「だったら子どもだなんて言わせないでくださいよ!
大体どうして姫様を引き合いに出すんです、そういうところが子どもじみてるって言ってるんです!」
語気を強めて言うと、返答に困ったのか、それとも怒りを爆発させたのか、彼は遂に怒鳴り声で叫んだ。
「もういい、勝手にしろっ!」
「そうですか、それならお言葉に甘えて勝手にさせていただきます。
別行動でいいですよね?一緒に行動したってろくなことがありませんよ、こんな状態じゃ」
「そうだな、一人で戦ったほうがまだマシだ」
互いに一歩も譲らない。というよりは、ここまで来たら譲れない。もう喧嘩も通り越して、意地の張り合いに近くなっていた。
こうして別行動することになった私とユーリルさんは、険悪な空気の中、黙って歩き始めた。
「ついてくんなっ!」
「ついて行ってるわけじゃありません!」
言い合っていると、分かれ道に行き着いた。
ユーリルさんは振り返って私を睨みつけると
「いいか、絶対ついてくるなよ!」
吐き捨てるように言い残し、走っていってしまった。
「…頼まれたって行きませんよ」
彼の姿が見えなくなってから、私は一人で誰に言うでもなく呟いた。
…睨みつける彼の目に、少し悲しげな色が混じっていたように見えたのは、気のせいだっただろうか。
いや、そうだったとしても。あの拗ねようは私の手には負えない。…少し、頭を冷やせばいいんだ。
そう思うようにと自分自身に言い聞かせ、私は彼の行った方とは別の道を歩き出した。
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