花占い
(DQプチアンソロ再録)


「姫様、何度申し上げればわかっていただけるのですか!」
「クリフトこそ、何度説明したらわかるのよ!これは私の戦闘スタイルだって言ってるでしょ!?」
「説明して頂いた内容は理解しております。
 しかし、倒れる寸前まで斬り込んでいく。これがいかに危険なことか、姫様こそご理解なさっていないでしょう?」
「本当に倒れるって思ったら退くわよ。私だって武術にかけてはそれなりに知識も経験もあるんだからっ」
「しかし、それが命の危険に繋がると…」
「あーもう、本当にクリフトはいっつもうるさいんだから!
 くどくど同じことばっかりで怒るクリフトなんて大っ嫌い!」


――沈黙。


一撃必殺だ。
アリーナ以外の誰もがそう悟った瞬間だった。
蚊帳の外となっていた仲間たちは、恐る恐るクリフトに視線を遣るが、そこにあった表情はあまりにも予想通りのものだった。
「……何と言われようと、何度でも申し上げます。
 私のことは嫌っていただいても構いません。それも私の役割ですから」
冷静に言っているつもりだっただろうが、声に動揺が表れている。
もう随分と長い時間を共にしてきた仲間たちには、微かな変化でも感じ取ることができてしまうのだ。
気づいていないのは当人たちのみ、といったところか。
「どうか危険な行動は慎んでください。アリーナ様は一国の姫君です、それをもう少し自覚なさって下さい!」
なお諭そうとするクリフトに痺れを切らしたアリーナは、ついに言った。
「何よ、いつも姫だから、姫だからって…もういいわよ、クリフトなんて知らない!」

痛恨の一撃だ。
外野の連中は顔を見合せた。
走り去っていくアリーナを無言で見送るその背はあまりに痛々しく、誰も声をかけることなどできなかった。


それから一時間後。


はあぁ、と、思った以上に大きく洩れてしまった溜息に、クリフトは思わず辺りを見回した。
……誰もいない。
確認すると、クリフトは足元に広がる緑色の絨毯の上に寝転んだ。見上げた空は抜けるように青く、陽もまだ高い。
今日は珍しく早い時間に街に入ることができた。
それがたまたまなのか、それとも先程の一件に関する、皆の少しばかりの気遣いなのかはわからないが。
雲間から時折降ってくる日差しに目を細める。きらきらと光る夏の陽に、草の匂いが鼻を掠めるのが心地いい。
緑の匂い、花の香り。気紛れに吹く風が運ぶ、柔らかな昼の陽の匂い。
ああ、そういえばこんな日は、姫様は決まって外に出たい、お城なんて抜け出しちゃいたい、そう言っていたっけ。
閉じた瞼の裏に、青空の下で伸びをしながら嬉しそうに笑うアリーナの姿が浮かんだ。
そこまではよかったのだが。

――クリフトなんて大っ嫌い!

およそ笑顔には似つかわしくない台詞が蘇り、クリフトは先程にも増して深い溜息を吐いた。
確かに、煙たがられるような苦言を数多く呈していることは否めない。だから、ああ言われるのも想定内だ。
嫌われようが、煙たがれようが、彼女を傷つけないよう護るのが護衛としての役割。
それに、彼女だって本気で嫌いと言っているわけではない……はずだ。
それでも。

大っ嫌い。
クリフトなんて大っ嫌い!

わざわざ記憶の中の言葉を反芻して更に落ち込み、クリフトは草の上で寝返りを打った。
ふと目を遣ると、緑の中に紛れて、真っ白な花びらを持った小さな花が覗いている。
何の気なしにそれを摘み、茎の部分をくるくると回す。白い花びらがひらりひらりと、目の前で揺れた。
「…花、か」
ふと浮かんだ考えに、彼は小さく苦笑した。

……花占い、など。

クリフトは改めて小さな花を眺めた。
花占いなど、昔アリーナと庭で遊んだ時に一度か二度、やったことがある程度だ。
そう、確かこうやって、一枚ずつ花びらを摘んでいく。

……姫様は、私のことを。

花びらを一枚、千切ってみる。
好き。
もう一枚、引っ張る。
嫌い。
更に一枚、また一枚、もう一枚。

好き、嫌い、好き、嫌い、好き、嫌い、好き。

最後の一枚が残った。
……ということは、答えは。

ただ一枚残った白い花びらに、今日一番の溜息をつく。
ほら見ろ、余計なことをするものじゃなかったんだ。
しつこく脳裏に蘇ってくるかの人の言葉を遮ろうと、クリフトは寝転んだまま目を閉じた。
クリフトなんて大っ嫌い。大っきらい、クリフトなんて…――

「へぇ、クリフトも花占いなんてやるんだ」

思わず目を見開いた先にあったのは、青空をバックにして顔を覗き込んでいる、若き勇者の姿。

「!!!!!」
声にならない悲鳴を上げ、クリフトは飛び起きた。
ばくばくばくばく。心臓が壊れるんじゃないかという位に跳ねている。
「え?なに?…あれ、あと一枚残ってる。…そっか、アリーナはクリフトのことが嫌い、になって終わりそうなんだ」
聞いていたのか、いや、それ以前に、私は今のを言葉に出していたのか。そもそも、この人はいつからここにいたのか。
尋ねたいことは多々あったが、どれも言葉にならない。
花びら一枚を残した花が、クリフトの手元で風に揺れている。ユーリルはその花とクリフトの顔とを交互に眺め、何かを思いついたような悪戯めいた笑顔を作った。
「いいこと考えた。…それ、ちょっと貸して」
まだ固まっているクリフトの手から花を奪うと、彼は残った一枚の花びらを縦に裂いてしまった。
「え…」
戸惑うクリフトをよそに、ユーリルは二枚となった花びらを、丁寧に一枚ずつ摘むと
「これで、ほら!…嫌い、好き!」
クリフトの目の前に花びらを散らせて見せた。
ひらり、はらり。
言葉を失っているクリフトをよそに、ユーリルは何も言わず、笑顔で彼を見つめている。
「あの…それじゃ、占いの意味がないと思うのですが…」
「別にいいんだよ、何でも」
「何でもって…」
彼は、苦笑いを浮かべるクリフトの隣に寝そべった。
「占いとか、運命とかさ。そんなの信じて落ち込むくらいなら、自分で変えちゃえばいいだろ」
あくびを一つ。それから伸びをして、続ける。
「…まぁ、これ、マーニャさんの受け売りなんだけど」
「マーニャさんの?」
「うん」
眩しそうに目を細めながら、ユーリルは青く抜ける空を眺めた。
「今のクリフト見てたら思い出したんだ。前に僕も同じようなことやってたなーって」
いつの話ですか、そう尋ねようとして、クリフトは言葉を飲み込んだ。
遥か遠い空を見る勇者の表情が、ほんの僅かに変わったことに気がついたからだ。
「…あの時も、確かこんな空をしてたんだ」



――あの時見上げた先にあったのは、鬱陶しいくらい綺麗に澄んだ空だった。



村が平和で幸せだった頃と、何ひとつ変わらない空の色。
穏やかで暖かな、初夏の昼下がり。
柔らかい草を背に、こうして空を見上げていた日常がかつてあった。
その日常が奪われた日以来、大好きだったはずの空は、憎々しげに見上げるだけの存在になってしまった。
青かったはずの空が、血と炎によって赤く染め上げられた、あの時以来。

あの日突然、お前は勇者だと言われ、お前は世界を変えられるとも言われた。
そんな馬鹿なことがあるかと、もう何度、こうして自分の掌を眺めただろう。
あの日、閉ざされた扉を叩くことしかできなかったこの手で、世界を救う?
馬鹿げている、ユーリルはそう思った。
何の力もない、自分が何者かすらもわからない子供に、一体何ができるというのか。

青く澄んだ空程、見ていて辛くなる。
ユーリルは目を背け、草の中にうつ伏せた。
そのまま目を閉じてしまおうかと思った時、ふと小さな白い花が咲いているのが目に留まった。
彼女には白い花がよく似合った。
無垢で純粋で、分け隔てのない優しさを持った彼女には。

――あなたを殺させはしないわ。

最後まで微笑んでいたシンシアは、本当に僕が世界を救えると思っていたんだろうか。

「……僕は、世界を」
ユーリルは寝転んだまま、小さな花を摘んだ。
幼いころ彼女が教えてくれたように、花びらを一枚ずつ丁寧に千切る。
「…救える」
もう一枚。
「……救えない」
白い花びらが風に乗る。
救える。救えない。救える。救えない。
「…救える…」
花びらは最後の一枚を残して、全てなくなった。
次に出る言葉が、答えだ。

僕は、世界を、救えない。

ユーリルは目を閉じ、空を仰ぐと、乾いた笑い声を上げた。
「……やっぱりなぁ」
「何がやっぱりなのよ」
突然聞こえた声にぎょっとして目を開けると、呆れたような表情で自分を見下ろしている人物がいた。
「…マーニャさん」
「何やってるかと思えば、あんたってホント暗いわね。こんなところで一人で花占い?」
「…別に。ほっといてよ」
ふいと顔を背けた彼に苛立つ様子はなかったが、代わりに溜息が聞こえた。
「しょうがないわねぇ。ユーリル、それちょっと貸しなさい」
半ば無理やり、花を奪い取るマーニャ。
彼女は何を思ったか、最後に一枚残った花びらを、縦に裂いてしまった。
「これでいいわ。……これで、救えない、…救える。
 あんたは、世界を、救える!」
ひらひらと、舞い落ちる二枚の花びら。
呆気に取られながらそれを眺めていたユーリルは、やがて大きく溜息をついた。
「そんなの、インチキじゃないか」
「インチキでもなんでもないわ。
 占いだろうが運命だろうが、ダメなら自分で変えてやればいいの!」
「……めちゃくちゃだなぁ」
呆れながら言うが、返事はなかった。ただ、彼女の気配はまだ傍にある。
不思議に思い顔を上げると、しゃがみ込んでいたマーニャが振り返り笑顔を見せた。
「同じ花でもね…ほら、見なさい」
見計らっていたのは、風が吹くタイミング。
両手を思いきり空へと突き上げた瞬間、一陣の風がふわりと通り過ぎた。
「そんな辛気臭いことやってるよりも、こっちのほうがずっとずっといいわ!」

見上げた空の青が、瞬間、透き通るような白に彩られた。
――花吹雪。
幾度も風に揺られて、それはひらりひらりと、夏の空を美しく舞った。
それはたった今、一枚一枚千切っては放り投げたものと同じものとは思えなかった。

「結局のところ自分次第なのよ。
 何もせずにただ落ち込んで後ろばっか向いてるのも、何とかして前を向いて、いい方向に持っていこうとするのも。
 あんたはどっちを選ぶの?ユーリル」


舞い散る白い花の中で突きつけられた選択肢。
どちらを選んだのか覚えてはいないが、その光景だけは鮮やかすぎる程に残っているのだと、ユーリルは言った。



「…あの時、単純かもしれないけど、久し振りに空が綺麗に見えたような気がしたなぁ」
「…そんなことがあったんですか」
「あの時は、ホントめちゃくちゃだなって思ったんだけど、あぁ、なんかそれもアリだなって思うようになったんだ。
 今では、花を縦に裂いたマーニャさんを尊敬してる」
あの発想はないよなぁ。そう言いながら笑うユーリルの顔からは、「暗い」などという言葉を連想するのは難しい。
マーニャの言った言葉が真実味を帯びて聞こえるのは、今目の前にいる青年のせいかもしれない。
「…自分次第、か」
クリフトがぽつりと呟いたが、ユーリルは聞こえないふりをした。
隣で立ち上がった彼に向かい、返ってくる答えを知りながら問いかける。
「どうしたの」
「…姫様ともう一度話をしてきます。
 思えば、感情的になって捲し立ててしまった私にも非がありました。
 それなのに言葉尻に囚われて、きちんと話もせずに落ち込んで……まだまだ未熟ですね。恥ずかしいです」
立ち上がって見せたクリフトはまた苦笑いを浮かべていたが、それはいつものあの、穏やかで柔らかい笑顔。
言葉を返そうとしたユーリルは、立ち上がったクリフトの視線が一点に定まったまま動かないのに気がついた。
立ち上がってやっと見えるくらいの距離にある、少女の姿。
いつからそこにいたのだろう。俯いたまま、ちらちらとこちらの様子を窺うように立っているようだった。

クリフトは黙ったまま、草を踏みしめた。
動かない少女の影に向い、ゆっくりと歩を進める。ユーリルも数歩遅れて、その後を追った。

「…姫様」

アリーナは一瞬、ちらりと視線を上げただけで、まだ俯いたままでいる。
クリフトはしばらく黙っていたが、目を合わせようとしないアリーナに向け、丁寧に言葉を紡いだ。
「……申し訳ありませんでした、姫様」
アリーナが弾かれたように顔を上げる。
何で?どうしてクリフトが謝るの?そう言いかけるのを遮り、彼は続けた。
「…あの時は感情的になってしまい、自分の言い分ばかりを捲し立ててしまいました。
 ご無礼を、どうかお許し下さい」
「…クリフト」
ようやく顔を上げたアリーナの目の前にあったのは、穏やかで優しい、いつも通りの彼の笑顔だった。
彼女はほんの僅かに潤んだ目を再び地面に落とすと、ふるふると首を横に振った。
「……ごめんなさい。
 …私、酷いこと言っちゃった。
 クリフトはいつだって私のこと心配してくれて、いつも私のこと考えてくれてるの、知ってたのに…」
『いつも考える』の意味がちょっと違うかもしれないけど。
ユーリルは思ったが、さすがに後でザキを喰らいかねないと思い、その言葉は一応飲み込んでおいた。
「嫌いだなんて嘘だからね。
 …かっとなってあんなこと言っちゃったけど、私、昔からずっとクリフトのこと大好きだからっ」
こんなにも簡単に口に出せてしまう「好き」に大きな意味がないことは理解していたが、それでもこの神官は顔を赤くして視線を彷徨わせた。
「…だから、クリフトも私のこと、嫌いにならないでほしいな…」
アリーナは俯き、爪先で草を蹴った。
会話のなくなった空間の中で、ユーリルは困ったように頭をかきながら空を見遣った。
「…嫌いになど、なりませんよ」
やがて穏やかに沈黙を破ったのは、クリフトの声だった。
視線を上げたアリーナに向かい、彼は微笑んだ。
「何があっても、私は姫様の臣下であり、護衛であり…味方です。
 だから、これから先もずっと、…私はあなたの傍に、居りますから」
アリーナの顔が、まるで蕾が膨らみ開くように、ぱっと明るく色づく。
そして、彼女はようやく笑った。
それは夏の空と、真昼の陽がよく似合う笑顔。
「ありがとう。クリフトが話しかけてくれなかったら、私きっと、…謝ることもできなかった。
 …やっぱり私ね、クリフトのこと、大好き!」
「!!」
「クリフト!」

満面の笑顔で、目の前の神官に抱きついた姫。
くらくらと揺れる頭と身体を叱咤し、必死に踏みとどまろうとした神官。
そして咄嗟に伸ばした腕で、その神官を支えようとした勇者。

一瞬、バランスが取れたかに見えた次の瞬間。
三人同時に、地面に敷き詰められた草の中へと倒れ込んだ。

「…姫様…」
「…ごめんなさい」
「……いってぇ…」

転がり込んだ草の中。
三人は折り重なったままで顔を見合わせると、誰からともなく吹き出した。
後から聞いた話によると、草の上に寝転びながら笑い転げる奇妙な三人組の声は、しばらくの間響いていたという。

占いとか、運命とか。
そんなもの信じて落ち込むくらいなら、自分で変えてやればいい。

――ほら、どうするかなんて、自分次第だろ?


 

DQオンリーの時にお誘いいただいた、プチアンソロの再録です。
珍しくノーマル…でもやっぱり出てくるキャラはほぼいつもと同じという。
2009/01/06