夜中、ふと目が覚めた。
別にこれといった理由もなかったけど、それからなかなか寝付けなかった。
はじまりの場所、はじまりのとき
僕らが今いるのは、ミントス。
この町に来たのは、もうどれくらいぶりになるんだろうか。
久しぶりにこの町に来た一番の理由といえば単純で、マーニャさんが久々に一番のお気に入りのミントスの宿のベッドで寝たい〜って駄々こねたからなんだけどね。
全くマーニャさんは…。
もう、どれくらい経ったんだろう。
僕が一人で旅立って、何もわからないままみんなに出会って。
……最初、マーニャさんとミネアさんに出会って。村を焼かれて絶望してた僕を助けてくれた。
二人とも僕のこと、本当の弟みたいに可愛がってくれて。
何もわからず途方に暮れていた僕にとって、それはすごく心強かった。
それから、ホフマンさんやトルネコさんに出会った。
ホフマンさんは僕が初めて友達になった年の近い男友達で、いろんなこと話したな。
トルネコさんは…ちょっとだけ父さんに似てるとことかあってたまに思い出しちゃってたりしたっけ、村のこと。
それから、トルネコさんの船に乗って……この街に来たんだ。
そしてこの街、ミントスは僕にとって忘れられない街になった。
「旅の神官が、重い病に倒れたらしいな」
街に入るとすぐに、こんな言葉を耳にした。そしてその病気が、普通のものじゃないってことも。
たまたまふらりと立ち寄った旅人の病気が、町の噂になっている。大変な病気なんだろうということはすぐに想像がついた。
(旅の神官。…重い、病)
何故かはわからないけど、見ず知らずのその旅人の話が、気になって仕方がなかった。
妙な胸騒ぎっていうのがしっくりくるような、そんな感覚。
きっと、それがミネアさんの言う「運命」ってやつだったんだろうなって、今となっては思う。
「その宿へ行ってみましょう。
私達も何かお役に立てることがあるかもしれませんし……」
「そうですね。どっちにしろ私達も今晩はここに泊まることになるんですし」
「そうね!あたしも賛成!
だってその人、ひょっとしたらいいオトコかもしれないじゃない!
うふふ、病弱な美男子!いいわぁ」
3人みんな言い方は違ったけど、きっと僕と同じように感じてたんだろう。
そして僕らは宿屋へ向かった。既に日は暮れかけていた。
2階への階段を上ると、そこにはたくさんの部屋のドアがあった。
一番手前のドアをノックしようとすると、おじいさんが出てきた。手に持っているのは一つの水瓶。
おじいさんは、そのとき初めて会ったはずの僕の顔をじっと見つめて…一瞬時間が止まったみたいにその場が静まり返った。
「…こんばんは。あの、街の人に聞いたんですけど…。
旅の途中で病気にかかって倒れた人がいるって。もしかして、この部屋に…。
僕たち、何かお役に立てることがないかと思って来たんですが」
僕が沈黙を破ると、おじいさんははっとして僕らを中に入れてくれた。
「…そうでしたか。何とありがたい…。
とにかく、中にお入り下され」
部屋に入って真っ先に目に入ったのは、大きなベッドだった。
そこは宿屋って言うよりも、むしろ病室に近かった。
ベッドに寝ているのは見た感じ僕より少し年上の男の人。ひどくうなされていて、呼吸も荒い。
高熱がおさまらないと言うのに顔色は真っ青。意識ももう何日も戻ってないらしい。
おじいさん――ブライさんが、この人の命はもう長くないと、診てくれた神官に宣告されたって教えてくれた。
だけどそれをを聞かなくても、誰が見たってそのことはわかったと思う。もちろん僕もそうだった。
それがわかったのと同時に、僕は胸の奥からせり上がってくる、妙な痛みを感じた。
ぎゅっと胸が締め付けられるみたいになって、息苦しくなった。
「嫌だ」
言ってしまってからはっとした。
嫌だ?…一体何が嫌なんだろう。
自分で自分が何を言ってるのかわからなかったけれど、気がついたらこう言っていた。
「この人を助ける方法、何かないんですか?
僕たちで力になれることだったら、僕、何でもやります」
死なせたくない。絶対死なせたくない。
今初めて会ったばかりの人なのに、その気持ちが消えなかった。
それから僕らは、唯一残された手立てだという万能薬、「パデキア」のことを知った。
そして夜が明けたら、先にその薬を探しに飛び出したお姫様・アリーナさんを追ってパデキアを探しに行くことになった。
「…ひどい熱…」
夜中、僕はブライさんに代わってこの人、クリフトさんの看病をすることになった。
血の気のない頬に触れると、燃えるみたいに熱かった。
さっきよりも熱が上がったんじゃないだろうか。
「死んじゃうのかな、この人」
自分で言ったくせに、そしたらまた苦しくなって、今度は涙まで出てきそうになった。
頭の奥にこびりついて離れない嫌な予感を振り払うように、一人でぶんぶんと頭を振る。
それにしても何だって自分は今日こんなにおかしいんだろうか。
この妙な息苦しさは、何なんだろう。
…あ、もしかして僕もクリフトさんの病気うつっちゃったのかな。
そういえばミネアさんにあんまり近づくなって言われてたんだっけ。
(…なんて、変なことばっか考えてないでちゃんと看病しなきゃ)
思い直して額にあてたタオルに触れると、冷たかったはずのそれはもう温かくなっていた。
「水、替えないと…。ちょっと待ってて下さいね、クリフトさん」
聞こえてるはずもない彼にそう言い残して、僕は部屋を後にした。
まさかその間に彼が目を覚ますだなんて、思ってもみなかった。
水を替えて部屋に戻ってきて、僕は驚いた。
「――――!!
クリフトさん、気がついたんですか!?」
何日も意識がなかったはずの彼が、身体を起こしていた。
ただやっぱり息遣いは荒く、前に身をかがめて掛けていた布団に頭を埋めるような感じだったけど。
「大丈夫ですか!?…少し楽になったんですか?
待っててください、今ブライさんを呼んできますから!」
「―――…さま」
「え?」
「姫…様…、今…行きま……」
すごく小さな声だったけど、でもしっかり聞こえた。そして無理矢理にその身体を起こそうとする。
――無茶だ。
ただでさえ危ない状態なのに、これ以上無理したら本当に…!
「クリフトさん、アリーナさんは今あなたのために薬を探しに行ってるんです。
これから僕達が彼女を見つけてちゃんと一緒に戻って来ますから
無理しないで下さい!でないと…」
でないと本当に。本当に死んでしまうかもしれない。
そんなの嫌だ。
嫌だ、嫌だ!嫌だ…!!
ついさっき会ったばかりの人なのに、まだ話したこともない人なのにこんなこと思うなんて、きっとおかしいって思われるんだろうな。
でも…でも、だけど。死んでほしくない。僕はこの人に生きててほしい。
だけど、そんな僕の言葉なんて聞かずに、彼はベッドから降りようとする。
「やめて下さい!そんなことしたら……死んじゃいます!」
その言葉に初めて彼は顔を上げた。
―――深い蒼の瞳。
熱のせいで焦点が合ってない、精気のない瞳。
でも、その瞳は僕を真っ直ぐに見つめてきた。
僕はその彼の様子に一瞬身体がすくむような気さえした。
どうしよう。止めなきゃ…!
「クリフトさん、もう休んでください!あなたは起き上がれる身体じゃないんです!」
「……行か…せて、下さい……姫様…を…お一人には……」
…そんな事言ったって、そんな体で何ができるって言うんだよ。
大体、言葉もまともに喋れてないじゃないか。僕のことだって、ちゃんと見えてるのかどうかもわからない。
……何でだよ。
死んじゃうかもしれないんだぞ?どうしてそこまでして行こうとするんだよ!
…そうか、この人もしかして。
――アリーナさんのことが。
それなら、なおさら…行かせない。
気がついたら、僕は彼を抱きしめていた。
腕の中の身体は想像以上に熱くて、すぐにその熱は僕の身体にも伝わってきた。
そして……シンシアが最期に僕を抱きしめながらそうしたように、頭を撫でながら言った。
「大丈夫です。あなたを死なせたりしません。アリーナさんも必ず見つけてきます。
だから…。僕達のこと、信じて下さい。僕達が帰ってくるまで頑張って……」
そうだよ。僕達がちゃんと助けてあげるから。だからそれまで死なないで――。
そう思った瞬間、急に腕が重くなった。
腕の中を見ると、元のように眉を顰めて目を閉じているクリフトさんが目に入った。…また気を失っちゃったんだな。
僕はふうっと息をついて、彼の身体をベッドに横たえた。
「……何だ、お姫様が好きなんじゃん」
ふーん、そうなんだ。
でもこの人神官だろ?相手はお姫様。身分違いの恋ってことか。
きっと今だって、クリフトさんの目には僕なんて映ってなかったんだろうな。
病気がよくなって目が覚めても、僕が看病してたことなんて覚えてないんだろうな。
何か…何かさ。…やだなそれ。
だって僕はこんなに。…こんなに……?
「……う……」
濡らしたタオルを額に載せると、彼はわずかにうめいた。
…あぁ、何変なこと考えてんだろ。そんなことより今は。
「……姫様……、アリーナ…様………」
うわごと………?
…………………。
何だよ。
今一生懸命看病してるのは僕なんだぞ。
「ご無事……ですか?……アリーナ様…………」
やめろ。
やめろ…―――やめろ!
聞きたくない。
そんな名前………聞きたくない!
「………ん……ん、っ………」
苦しそうな彼の声に僕ははっとなって重ね合わせた唇を離した。
―――僕、今何した………?
唇に手をあてると、濡れた感触があった。
ちょっと待てよ。
…え?だって……男の人………だぞ?
でももう遅い。気づいてしまった。
それは生まれて初めての嫉妬。そして、2度目の恋。
きっと、それはこの時始まった。
「…姫、様…」
「クリフト!気がついたのね!よかった………!」
2日後、僕らは戻ってきた。伝説の薬草、パデキアを手に入れて。
「気分はどうですか?クリフトさん。
あ、初めまして。僕はユーリルと言います」
初めましてのご挨拶。だって彼はきっと覚えてないだろうから、あのこと。
「そうだったんですか……ユーリル殿が、勇者………」
それからいろいろと話をして、この3人も僕らと一緒に旅をすることに決まった。
「これから先、どうぞよろしくお願いします、クリフトさん」
「こちらこそ、よろしくお願いします。私のことは呼び捨てにして下さって構いませんよ。
……初めてかもしれません、年の近い同性の方と、その…お友達になれるのは」
そして照れくさそうに笑う。あぁやっぱいいな、笑った顔。
「僕も……僕の村には男友達、いなかったんだ。だからすごく嬉しい。こうして友達になれて。
じゃあさ、クリフトも僕のことユーリルって呼んでよ。殿だなんて堅苦しいよ」
「いえ、呼び捨てはちょっと………。 わかりました。では、ユーリルさんと呼ばせていただきますね」
もうあれからだいぶ経つんだよな。
何か、あれだな。人間って何か上手くいっても、またそれ以上のものが欲しくなっちゃうんだよな。
あの時は、クリフトが助かってくれただけで嬉しかった。
呼び捨てにしていいよって言われて、僕のことも友達として見てくれただけで嬉しかった。
きっと今こうして普通にクリフトと同じ部屋で寝てることだって、最初はすっごく嬉しかったんだろうな。
でも、今はもうそれだけじゃ満足できない。
僕の気持ちに早く気づいてほしい。アリーナじゃなく、僕のことを見てほしい。
贅沢なのかな。そうやって思うのは。
……って言うか鈍いんだよなー。もうそろそろ気づいてくれてもいいはずなんだけどなー。
けど、やっぱり僕は幸せだ。好きな人とこうして一緒にいられるんだから。
前みたいに、シンシアみたいに僕だけを見ていてくれるわけじゃないけど。
アリーナにヤキモチやくのも何かと疲れることも多いけど。
でも側にいてくれるから、僕は頑張れる。
今はまだ友達でもいいけど、いつかきっと君の大切な人になってみせる。
もうちょっとだけ頑張ってみよう。
君が僕を見てくれるようになる、その日まで。