「せっかくだから楽しもうぜ、なぁ、クリフト」
およそ修道僧のイメージとはかけ離れた、真紅の衣服を身に纏った青年。彼はそう言って微笑んだ。
同年代で同性、しかも神に仕えるという立場まで同じ。
共通点の多い彼に、クリフトは少なからず親近感を覚えた。
だが、少し話でもしないかと、先に声をかけてきたのは、彼――ククールのほうだった。
Difference
宿の一室、ククールの泊まっている部屋に招かれ、ベッドに腰を下ろす。
彼は僧侶によくある、どこか堅い雰囲気を微塵も感じさせることのない人だ。
クリフトの、彼に対する第一印象はそれだった。
ゆったりと構え、どこか余裕がある。だが心の内で何を考えているのか、それがわからない。
少なくとも今日一日という時間の中では、彼の心の内を掴むことはできなかった。
「今日はお疲れさん。ってことでまぁ、飲めよ」
渡されたグラスの中に、深い赤色をした液体がなみなみと注がれる。
独特の匂いが鼻を突く。…葡萄酒か。
「…あの、お酒は」
言いかけるのを遮って、ククールは自分のグラスをクリフトのグラスに軽く押し当て、すぐに飲み始めてしまった。
半分程中身を干すと、クリフトの方を向いてにこりと愛想のいい笑みを浮かべる。
クリフトは困ったようにグラスの中身と彼とを交互に眺めた。
「…あなたの仕える神は、飲酒を禁じてはいないのですか?」
「…ん?」
ククールは一瞬黙り込み、クリフトを見つめた。少し考えるような仕草をした後、頭上で腕を組み
「まぁ、あんたんとこの神様と同じだよ。基本的に酒は禁止だね」
「なっ、…戒律を破って…?」
驚いて思わず立ち上がったクリフトを見て、ククールはふっと唇の端だけを持ち上げて笑った。
「こういうときはな、融通の利かない奴は負けだ。
俺とクリフトが出会った、記念すべき夜だぜ?神も戒律も気にしてちゃ始まらないだろ」
「…………」
自分と同じ、神に仕える立場にある人。それなのに何もかもが違う。
戸惑いが先に立つ。一体どうすればいいのか。
困惑気味のクリフトに、ククールは更に酒を勧める。クリフトは仕方なくグラスに口をつけた。
グラスを傾けると、酒の匂いがむっと鼻のあたりを覆う。舌を出して少しだけ、舐めるように飲み込んだ。
それでも自分から外れない視線が気になって、もう一度喉を鳴らす。
熱が喉を流れていく。頭がくらくらと揺れた。
「…あなたは、神を崇拝してはいないのですか?…そうあるべき立場なのでしょう?」
カタン。小さな音を立てながら、クリフトはグラスを置いた。手元がおぼつかないのか、それは左右に小さく揺れ、やがて止まった。
「拝んじゃいるさ。修道院を守るための騎士団だぜ?神サマあってこその俺たちだからな。感謝してるさ」
あからさまにむっとした表情で、クリフトはククールを睨んだ。こんなにも露骨に感情を表に出すのは、彼にしては珍しい。
ククールの言葉の端々に感じ取れる、神への執着心の薄さが気に食わなかった。
「…あなたには、信仰心というものはないのですか…?」
ククールは黙ってグラスを傾けた。
「…そういう堅苦しい話は今日は抜きだ。いいから飲めよ」
「修道院を守る立場にあるのでしょう?…信仰がないのなら、何故修道院になんか入ったんです」
「黙って飲めって言ってるだろ?…物静かそうに見えたが、案外口数多いんだな、あんた」
「ククールさ…」
さらりと受け流すククールに、思わず立ち上がろうとするクリフト。
しかしその肩を掴むと、ククールはそのまま彼をベッドに倒した。
予想していなかった行動に受け身を取ることもできず、クリフトは簡単に組み敷かれる形になった。
仰向けになった彼を見下ろしながら、起き上がろうとする手首を掴んで押さえつける。
「…痛…!」
酒が回っているせいか、掴んだ手が熱い。見上げる瞳もわずかに赤く、雫を湛えているようにも見える。
戸惑い、焦り、僅かな怯え。
その複雑に入り組んだ表情を、ククールは不覚にも綺麗だと思った。
「…ちょっ…と、いきなり何を…」
それから後は、おそらく半分は無意識だった。
黒い影が落ちたと思った瞬間、クリフトの口に何かが口に押し当てられた。
近すぎる距離。…何も見えない。何が起こったのかがわからない。
ククールさん。そう言おうとしたとき、何かが口の中に入ってきた。
――舌…?
ようやく状況を飲み込み、クリフトはもがいた。
しかし逃げようとすることを先読みされていたのか、強い力で抑え込まれてなおも唇を割られる。
「――んん!…んぅ、う…ッ!」
入り込んでくる舌から逃れようとするが、口内を這う舌の熱さと、体中を巡る酒に頭がぐらぐらと揺れるだけで、抵抗にならない。
絡みつく舌から逃げても、またすぐに捕えられる。幾度となく角度を変えられ、湿っぽい音を響かせながら口腔を犯された。
「…んっ、…ふ、ぁっ、……は」
――苦しい。
そう訴えることもできない。息苦しさに涙が溢れた。
身を捩り、必死に顔を背ける。やっとのことで唇を引き剥がすと、クリフトは涙の滲む目でククールを見上げた。
「黙ってろって言ったのに、無視するから塞いでやったんだよ」
ようやく我に返る。そして思い切り強く唇を拭った。
酒のせいか濡れたようになっている目で、思い切り目の前の人物を睨みつける。
こんな人だったのか。怒りと僅かな羞恥に身体が震えた。
ククールは怯むことなくクリフトの顎を持ち上げ、その鋭い視線を正面から受け止めた。
「やっぱあんた、酒弱いんだな。たったあれだけの酒で、口ん中、めちゃくちゃ熱い。…溶けちまいそうだぜ」
「…っ!」
からかいを含んだ台詞に、思わず拳を握る。
しかし振り上げたそれは、ククールの頬の脇をかすめ、彼の手に受け止められてしまった。
「ゲームの最中、酒場の前に来たときだけ顔を顰めてたもんな」
「…知ってて…ッ!…しかもこんなっ、…同性愛を神が禁じていることを、あなたは知っているはずでしょう!?」
ククールは笑った。しかしすぐにそれを消すと、クリフトの目を覗き込みながら言った。
「……俺だって昔は必死で祈ったさ」
何のことを言っているのか。言葉の意味がわからず、クリフトは無言のままククールを見上げた。
今のあんたみたいに、そう付け足されて初めて、彼の言わんとしていることを僅かながらに察することができた。
何かあったのか。修道僧である彼の、信仰すら覆してしまう程の何かが。
くらくらと、まだ頭の奥が揺れている。口を動かすことは憚られ、クリフトは彼の言葉を待った。
「祈ったのは、たった一つっきりだ。…優しかった、俺の大切な人を返してください、ってな」
クリフトの上に影が落ちる。
さっきまでとは全く違う静かな瞳が、動くことなく彼を見下ろしている。
咄嗟に思った。…いつだったか、この瞳は見たことがある。
しかし、どこでその目を見たのかが思い出せない。
「…ククールさん」
ククールが誰のことを言っているのか、クリフトには到底わからない。
しかし感情を押し殺すようなその声から、彼の心情を推し量ることはできる。
「…だが、神は俺の言葉なんて聞いちゃくれなかった。厳しい戒律を守っても、どれだけ必死に祈っても、だ。
祈れば祈るほど、そいつは俺を憎んだ。…俺の手の届かないところに行っちまった」
吐き捨てるように呟き、そしてまた笑う。
その時、揺れていた頭の中、こめかみにツキンと鋭い痛みを感じた。
目の前にいる青年に、もう一つの影が重なる。
…あぁ、そうか。
思い出した。あの静かな目。神に対する不信感を滲ませた瞳を見たのは、あのときだ。
記憶の中にある、廃墟の前に立つ少年の姿。
滅び去った無彩色の景色の中に、鮮やかな碧の髪が風に揺れていた。
彼はしばらくの間、自分の家の跡を無言で眺め、不意にこう言った。
今でも耳元に響いてくるような気がする。
――神様って本当にいるのかな、クリフト。
あの声、あの表情。目を閉じれば瞼の裏に、声色も表情も、全て鮮明に思い描ける。
『僕はずっと、神様はいるんだと思ってた。
だけど、僕の願いを叶えてもらうことはできなかった。…たった一つでよかったのに。
クリフト。…もし本当に神様が存在するなら、僕は見放されたってことになるのかな』
――同じだ。
滅んだ故郷を目の前に俯きながら笑ったあの少年の、あのときの表情と。あのときの言葉と。
彼もまた同じなのだろうか。
届かない祈りに苛立ち、神を否定して。それでも、誰よりも救いを求めている。…誰よりも。
「……さっきの質問に答えてやるよ」
ククールはそう言うとベッドから下り、静かに続けた。
「俺が修道院に入ったのは、神に仕えるためでも、弱い者を助けるためでもない。生きるためだ」
起き上がったクリフトの表情が、悲痛に歪んだ。
「…ガキだった俺には、居場所なんてそこしかなかったからな。
神を信じようが信じまいが、そこで生きるしかなかったんだよ。…例え誰に憎まれようともな」
クリフトは押し黙ったまま、ククールの表情を追った。
無表情に見えるが、しかしその下には複雑に絡んだ感情が渦を巻いていることを、クリフトは少なからず知っていた。
信じようとしないのは、これ以上の痛みを味わいたくないからだ。
心の奥底にあるひと欠片の希望も、傷つきたくないがために捨ててしまう。
…もしも彼が、あの少年と同じことを思っていればの話だが。
「…あー、…クリフト」
黙り込んでしまったクリフトを見て、ククールは言葉を探した。
勢いに任せた言葉は、冷静さを欠いていた。何の事情も知らない人間に対して、これでは八つ当たりと言われても仕方ない。
「…別に、あんたの信仰まで否定するわけじゃないさ。
そうやって純粋に神に祈りを捧げられるあんたが、羨ましくもあるんだぜ。…ちょっとだけな」
「…………」
「まぁ、なんだ。…悪かったな、変な話しちまって。…少し外に出てくるよ。それじゃな」
「ククールさんっ」
楽しかったと付け足して出て行こうとするククールの手を、クリフトは半ば無意識に掴んでいた。
ククールは戸惑った。酒のせいか、まだ赤みの残る顔で、酷く真剣な瞳で自分を引き止める人間なんて、今までに一人でもいただろうか。
困惑した表情を浮かべるククールに、クリフトは言った。
「…祈りますから。
あなたが神を信じられないとしても、裏切られたと思っていたとしても……私は、あなたのために祈りますから」
…何を言い出すんだ、こいつは。口には出さなかったが、ククールはそう呟いた。
神に背く行為を正面きってやってやったのに、それでも祈るのか。自分のために?
「だから、あなたも祈ってください。今度は一人じゃありません。…私も一緒に祈りますから」
バカじゃないかと思った。ほとほと呆れた。だが一方で羨ましいと、改めて思う。
例えばこいつが女だったら、俺はどうしていただろうな。
今この状況にふさわしくないことまで考えてしまった自分に噴出しそうになりながら、ククールは言った。
「…そうだな。
あんたの祈りが届いて、俺に救いの手が差し伸べられでもしたら…その時は俺も神サマを見直してやるよ」
言いながら、ククールは笑った。そしてくるりと背を向け
「あー、神サマ」
片手で宙に十字を切る。
「…面白い奴に会わせてくれて、どうも。あんたの導きに、今日はちょっと感謝するぜ」
そして肩越しに手を振ると、部屋を後にした。
あんた結構おもしろいぜ、またな。そう言って笑いながら。
同じ、神に仕える者であるにも関わらず、あまりの違いに戸惑ったのは事実。
だが、今は心から祈りたい。
――親愛なるククールさんに、祝福があらんことを。
祈りの言葉を、心の奥でそっと呟いた。
「神よ。…今日この出会いに感謝します」
一人になった部屋の中、指先で十字を切ると、クリフトは目を閉じた。
彼が誰のことを想い、何を祈っていたかはわからない。それでも彼のために祈ろうと思った。
あの人と同じ――あの綺麗な瞳を、どうかこれ以上哀しみに曇らせないでほしい。
ただそれだけを願い、クリフトはもう一度静かに十字を切った。
いたストにはまってしまったせいで、こんなのを書いてしまいました…;
ククール初めて書きましたが、イメージ違っていたらすみません。
神に仕えるという同じ職業にありながら、置かれた環境も考え方も全く違う二人…というのを書いてみたくてこんな感じに。
2007/08/03