空には雲ひとつなく、風はまた、いつものようにやわらかく吹いていた。
日も西へと傾き始めた頃、少し離れたところから近づいてくる足音があった。
誓い
「―――シンシア!」
村のちょうど真ん中にある、少し小高くなった花畑。
いつものようにそこにいる少女のところに、いつものようにその少年はやって来た。
「お疲れ様、ユーリル。今日のお稽古はもう終わったの?
……ふふっ、そんなに慌てて走ってこなくてもよかったのに。息切れてるじゃない!」
「……だって!今日は剣の稽古、長引いたから…もうすぐ日も暮れるから
だから早くしないとシンシア、うちに帰っちゃうんじゃないかって思ったんだよ」
肩で息をしながら、少年は少女の横に腰を下ろす。
それをじっと微笑みながら見ていた少女―――シンシアは不意にユーリルの緑色の髪に触れた。
「……ん?何?」
「ううん。…ユーリル、背、伸びたなぁって思って。
でもまだまだ中身はコドモよね。ふふっ。なーんにも変わってないんだから、昔と」
そう言いながらその細い髪を撫でながら笑う彼女に、ユーリルは少しむっとしたような表情で答えた。
「何だよ、僕だって立派な大人だよ!もう子供なんかじゃないんだぞ!
シンシアはいつだってそうだ。いつまでたっても僕のこと子ども扱いして!」
そう言うとおもむろに、背に負った稽古用の銅の剣を鞘から抜くと、彼女に向き直った。
「剣だってすごく強くなったんだぞ!
今日はさ、先生にすごくカッコいいセリフ教えてもらったんだ。
どこかの国の軍の将軍が敵と戦う前に言うセリフなんだって。シンシアにも教えてあげるよ!」
「へぇ、どんなセリフ?」
「えっと、確かまず……こうやって……」
そして剣を握り締めたまま立ち上がると、その剣を思いっきり空に向けた。
その小さな剣で、遠く、どこまでも広がる空を貫こうとするように。
「……我が名はユーリル!
我が国の秩序と和を乱さんとする者よ
我らにその刃を向け立ち向かおうというのであれば、
我らは我らが持ちうる全ての力で汝らのその刃を退ける!いざ……」
「……いざ?」
「いざ……あ、あれ?何だっけ……?」
剣を突き上げながら慌てる少年を見ながら、少女は吹き出した。
「ぷっ……あははははっ!やだ、ユーリル!
最後の大事なとこ忘れちゃったらしょうがないじゃない!はははっ、苦しい〜!」
「あ、あれ!?おかしいなぁ…さっきまではちゃんと……。
もうちょっとでおしまいなんだけどな…
…もう、シンシア!いつまで笑ってるんだよ!」
シンシアに笑われたことへの恥ずかしさのためか、暮れかけた日に照らされてか少しだけ頬を赤く染めながらユーリルは剣を下ろし、またそこに座った。
「…あははっ、やっぱりユーリル、昔とちっとも変わらないじゃない! ホント、まだまだ子供なんだから」
「う、うるさいなっ!本当にもうちょっとだったんだよ!
……何だよ、シンシアはいつもそうやって僕のことバカにしてさ」
不貞腐れて下を向く少年を見て、少女は笑うのをやめた。
そして今度は優しく…でもほんの少しだけ寂しそうな顔をしながらまた、ユーリルの頭に手を置く。
「………バカにしてるんじゃないわ。 私、ユーリルがいつまでも変わらないことがすごく嬉しいの」
「……嬉しい?」
どこからか吹いてきた風が、静かに二人の髪を揺らす。 そして少女の白い腕に、若葉のような緑色をしたその髪がやわらかく絡んだ。
「うん。すごく、嬉しい。
だって、きっと……私達のまわりのいろんなことって、全部、変わっていくと思うの。
変わってほしくなくても、ずっとこのままがいいって思ってても、きっと、ね……。
…だから私はユーリルがいつまでも変わらないこと、すごく嬉しいの」
細く長い髪に指を通し、ほんの少しだけ目を下に向ける。 けれどユーリルは不満そうな顔をしながらその顔を覗きこんだ。
「でも。何も変わらないなんてつまんないよ。
僕だってもっと強くなりたいし、そしたら一度はこの村の外に出て…
それでいろんなところ見てみたいって思う。いろんな国とか、街とか、いろんなこともっと知りたいって思うよ。
……僕にはシンシアの言ってること、わかんないや」
「……うん。でもいつか…ユーリルにもきっとわかるわ」
「……………?
…うん…そっか。いつ、わかるかなぁ」
「そうね……まだわからないけど、でもいつかユーリルにもちゃんとわかる。ね」
それ以上彼は何も言わなかった。
彼女の言葉の意味が知りたいとは思ったけれど、でも何故だかそのわけを聞いてはいけないような気がした。
また、いつか来るそのときを心待ちにしていようとも思った。
「……私の言ってることがわかったらそのときは、ユーリルもちょっとは大人になれるのかもしれないわね」
「あっ!何だよ!!やっぱり子供扱いしてるだけじゃないか!」
そしてまた、やわらかな風が吹いて。
いつものように日はまた、西の空へと落ちていった。
そう、いつものように―――
いつもと変わらない時間。
いつもと変わらない空。
いつもと変わらない村。
優しい人達。大好きな人達。
永遠だと思ってた。
ずっと続くと思ってた。
壊れてしまうことなんてないと思ってた。
なくなってしまうことなんて、ないと思ってた――――
「――…い…たっ…………」
ズキン、と身体中に走る痛み。
身体中が軋むようなその痛みの中で、ユーリルは意識を取り戻した。
頭の中がぼんやりと霞む。喉が、肺が埃っぽくて息苦しい。
身体を起こそうと両腕に力をこめると、自分の上に覆い被さっていた瓦礫が崩れ落ちた。
「………僕…は…………」
朦朧とする頭を無理やり働かせて、思い出す。
―――ここはどこなのか。どうして自分はこんなところにいるのか。一体、何が起こったのか。
そして不意に頭の中に蘇ったのは―――少女の、声。
「―――シンシア」
―――そうだ、僕は。
……頭の中に焼きつく悲鳴、怒声、轟音。
何が起こったのかすらわからないままみんな、行ってしまった。
自分だけを残して。自分だけは守ると、そう言って。
そして少女は―――最後に。
自分とおなじ姿になって。
そして、言った。
―――…自分と一緒にいられたことが、とても、嬉しかったんだ、と―――
(―――シンシア!!…父さん、母さん!!みんな―――!!)
声にはなっていなかったと思う。
ただ心の奥でそう叫びながら重い身体を起こすと、少年は外へ飛び出した。
飛び出して、その目には眩しすぎるほどの光の中で彼は、見た。
いつもと同じ場所。
いつもと同じ空。
でも…そこは、もう―――
彼は涙を流さなかった。
そのあまりにも残酷な風景を、立ちこめる血の匂いを、煙の匂いを前にしても。
いや。
―――泣くことすら、忘れていた。
いつもシンシアと一緒にいた場所。 大好きだった花畑。
今はただ、くすぶる煙の中に焼け焦げた灰が見えるだけだった。
そして彼女がいつも笑いながら自分を待っていてくれた場所には、彼女が大切にしていた羽根帽子が、ひとつ。
それはまるで、自分を待っていてくれたかのように―――
―――ねぇ、シンシア。
今日、君に見せたいものがあったんだ。
この前全部言えなかったあのセリフ、練習してさ。全部、言えるようになったんだ。
だからまたいつもみたいにここで
―――いつもみたいに、笑って見てて、ほしかったんだ―――
―――……僕にも、やっとわかったよ。
これがあのとき君が言ってたことの答えだったんだね。
…全部、変わっていくから。
変わってほしくなくても、ずっとこのままがいいって思ってても、きっと変わっていくから…
だから君は、僕が僕のままでいることを、あんなに喜んでくれたんだね。
―――でもね、シンシア。
こうなることでしかあのときの答えが見つけられなかったんだとしたら、僕は。
―――僕は君の言葉の意味なんて……一生わからなくて、よかった。
空には、こんなときでも変わることのない青空。
そしてユーリルは、背中の剣をゆっくりと抜いて、その青空に突き立てた。
……この空の下のどこかにいるはずの。
大事な人たちを、大事な村を、全てを一瞬で奪い去っていった憎むべき相手への。
そしてもう、この空の下のどこにもいない……二度と会えない、愛すべき人たちへの。
―――それは彼の、誓いだった。
「――……我が名は、ユーリル。
我が国の秩序と和を……乱さんとする者よ………
…我らにその刃を向け、立ち向かおうと…いうのであれば、 我らは…我らが持ちうる全ての力で……汝らの…
……その…刃…を…しりぞ………っ……うっ……―――」
剣を掲げた右腕が震える。
頬には涙が、一筋。……やっと、泣くことを思い出した。
思い出して、止まらなくなって、流れていく。
それでも…やめるわけには、いかなかった。
だから。 震える腕に、身体じゅうの力を、こめて。
思いっきり、その空を仰いで。
「―――みんな!!みんな…みんな……!!
……大丈夫だから!僕は大丈夫だから、心配いらないから――!
もう二度と泣いたりしない!絶対、負けたりしない!!
……だからどこからでもいい、僕のこと、見てて―――……!」
それは彼の、誓い。
愛すべき人たちへの、誓いのことば。
残酷すぎる運命と。
勇者という肩書きと。
そして愛する人たちの、失ったものたちの希望も、全て背負って。
―――すべての物語はここから、始まる―――
5章オープニング話。
いつもこのシーンには涙します。ゲームとは思えないほど感情移入してしまう…。
2003年春頃?執筆