桜がくれるもの





 風が吹き、政宗の髪を乱した。
顔にかかってくる髪を眉を顰めて押さえながら、政宗は家への道を急いだ。
「……?」
ふと、何かに呼ばれた気がした。
立ち止まり、後ろを振り返るが誰もいない。
当たり前だ、今は深夜の2時を回ったぐらいの時刻。
一軒家の建ち並ぶこの辺りでは、24時間営業のコンビニぐらいしか開いている店もない。
自分とて、家に夜食になる物さえあれば、わざわざ外に出ることもなかったのだ。
 気のせいだと思うことにして、政宗は再び足を進めた。
だいぶ暖かくなってきたとはいえ、深夜はまだ十分に肌寒い。
ジャケットのチャックを閉め、歩く速度を速めた。
「……?」
やはり、呼ばれた。
政宗はもう一度後ろを振り返り、今度は左右にも目を向けた。
が、誰もいない。
あるのは街灯が少ないゆえの夜の闇と、
その色のせいかぼんやりと夜闇に浮かんで見える桜の木々だった。
「桜か…」
もうそんな季節か。
最近色々なことがあったので、周りを見る余裕もなかった。
今更そんなことに気が付いた。
 別に未練があるわけではない。
多少腹が立たないでもないが、元々あの男はそんな奴だ。
心に隙間が空いたように思うのは、それまで共にいる時間が長すぎたせいだろう。
「……」
結局、寂しいのだろうか?
そうかもしれないし、そうでないのかもしれない。
どちらでも良いさ。
時が経てば、この気持ちも薄れていくだろう。
儚いな。珍しく感傷めいたものを抱き、苦笑した。


ああ、今頃あいつは何処にいるのだろう。




 慰めるように、風に吹かれて散る桜の花びらが政宗の頬を撫でた。
政宗は漸くまともに桜を見た。
遠いような、近くにあるような、見られているような、息づいているような。
草木も眠る丑三つ時であるはずなのに、
桜だけは起きているような、
何かが起きて桜を見ているような、
そんな不思議な感覚に陥った。
 不意に、桜の合間に人影が見えた。
まさかこんな時間に人がいるとは思わなかったので、一瞬ぎょっとした。
花見には遅すぎるし、ならば酔いつぶれ、今し方起きたとか。
勝手にそう解釈し、政宗は足をそちらに向けた。
置いていかれるような間抜けの様子を、ちらと見て帰れば、気晴らしになるかもしれない。
そんな軽い気持ちだった。








 桜の下を通り、風で舞い散る桜の花びらを浴びながら、
政宗は人影が見えた辺りまで辿り着いた。
そこには、木の幹に身体を預け、花を眺める男がいた。
長い髪を後頭の上の方で一つにまとめた長身のその男は、
政宗にすぐに気が付いたらしく、政宗の方に目を向け、文字通りにっこりと微笑んだ。
「……」
いきなり満面の笑顔で笑いかけられ、政宗は面食らう。
「こんばんは、良い夜だねぇ」
更に話しかけられ、どうしようかとしばし考えるが、素直に尋ねてみた。
「……アンタ、深夜にこんなところで何やってんだ?」
見たところ、酔っている様子もない。
他に人がいるわけでもないし、
ならば、一人でこの男は何をやっているのだろうか。
「良い夜だからねぇ、こんな夜は月光浴がいいんだよ」
男はのんびりとした口調で答えた。
「…桜の下でか?」
「だからだよ」
「……」
意味分かんねぇよ。
確かに今日は満月だが、
月光浴ならもっと月が見えるところに行け、
と心の中で言うだけに留め、政宗は男を無遠慮に観察した。
背はかなり高い方だが、歳は自分とさほど違わぬだろう。
着流し姿が、この年代にしては変わっていると言えなくもないが、
他は特に変わったところもない。
「あんたこそ、こんな時間に花見かい?」
からかうような、楽しむような口調で男が尋ねてきた。
「…俺は買い物帰りにちょっと寄っただけだ」
素っ気なく言い捨てると、男はまたにこりと微笑んだ。
「何でわざわざ?」
「……さぁな」
素直に答える筋合いはないし、第一、答えるのが面倒くさい。
政宗が適当にはぐらかすと、
男は政宗に近づき、彼の顔をじっと見つめた。
「……何だよ?」
睨み返すと、男の瞳が興味深げに輝いた。
「もしかして、俺に逢いに来てくれたのかい?」
「…………はぁ?」
どこをどう考えたらそういう結論になるのか、
男の思わぬ言葉に、政宗は呆気に取られた。
その間に、男は自分の考えに自信を持ってしまったらしい。
「だって、わざわざ寄ってくれるなんて、それ以外に無いだろう?」
そう言い出した。
切れやすい政宗の我慢の緒がブチリと切れた。
「何で俺がこんな夜遅くに見ず知らずのてめぇに会うためにわざわざ来なきゃならねぇんだ。
寝言は寝て言え、寝ないなら訳分かんねぇことほざいてねぇで、さっさと家に帰れ、この酔っぱらい!」
一気に言い放った。
その様子を男は目を丸くしながら聞いていたが、
政宗の言葉が途切れたと同時に堪えきれずに笑い出した。
一瞬だけ唖然としたが、
笑われれば、怒りっぽい性格の政宗なので、火に油を注ぐ結果となった。
「てめぇ、喧嘩売ってんのか?」
低い声で凄むと、男は笑いを堪えながら謝った。
「いや、ごめんよ。
でもそんなに照れなくてもいいのに」
「誰が照れるか」
「だってあんた、何はともあれ桜を見に来たんだろう?」
「だから何だってんだ?」
笑いを堪えながらの口調に神経を逆撫でされながらも、
政宗は再度の爆発は辛うじて押さえる。
それを知ってか知らずか、男はまたからかうような口ぶりで続きを言った。
「それはつまり俺に逢いに来てくれたってことだろう?」
「何で桜を見に来ると、てめぇに逢いに来ることになるんだよ」
政宗が不機嫌に尋ねると、
男はそんな政宗を無知と思ったのか、無知故に微笑ましいと思ったのか、微笑を浮かべた。
そして、言った。
「だって俺、桜の精だから」




「……………………は?」
男の言葉に固まるが、
長い長い沈黙の後に、政宗は漸くそう返した。
男は政宗が聞こえなかったと解釈したのか、再び口を開いた。
「だから、桜――」
「いや、言うな。何も喋るな」
両の手の平を正面に上げて男の言葉を遮ってから、
政宗は一歩後ずさった。
ヤバイ、こいつ。危ねぇ。
政宗の脳裏に言葉が浮かんできた。
触らぬ神に祟りなし。
君子危うきに近寄らず。
正直なところ、ヤバイ奴と関わり合いになるのなんて、ゴメンだ。
「どうしたんだ?」
男は首を傾げながら、政宗が後ずさった分だけ近付いた。
少し開いた距離が再び縮まる。
「いや、俺はもう帰る。
アンタは好きなだけ桜でも何でも見てろ」
だからこれ以上俺に近付くな。
最後は心の中で言うに留め、
政宗は大股で二、三歩後ずさり、再び距離を空けた後、
それだけ言って、返事も聞かずに逃げるように立ち去っていった。
「……驚かせちゃったかな?」
男はそう呟き、再び桜を見上げ、桜に向かって声をかけた。
「夢吉、どう思う?」
花の間を影が動いた。
枝の間から一匹の小猿が顔を出し、高い声で小さく鳴いた。
男はそのまま目を閉じた。
 男の髪が風になびき、桜の花びらがひらひらと舞い散った。

























Next Novel