一度綻び始めたものは、呆気なく崩れ去ってしまうのだ。
知っていたはずなのに、何に縋っていたのだろう。




 佐助は幸村を半ば引き摺るようにしながら、家へと連れて帰る。
連れて帰りながら、佐助はぽつりぽつりと幸村に話しかけた。
責めることも、慰めることもせずに、出来るだけ感情を押し隠し、淡々と諭した。
幸村には、佐助のそんな気遣いが有り難かった。
 後は、二人とも、何も言わずに歩いていた。
日の沈んだ空は、次第にその暗さを増し始めていた。
「…俺、こっちだから」
分かれ道に差し掛かり、佐助は幸村に声を掛けた。
幸村から離れ、佐助は力なくへらりと笑う。
「じゃあね、旦那」
「佐助」
背を向けようとした佐助を呼び止める。
佐助は疲れた様子で幸村に目を向けた。
「すまぬ、佐助」
「……」
「いつまでも沈んでいたままではいかぬ。
 お主の言う通りだ」
「…そりゃ、良かった……」
綻び始めたものは、繕う間もなく。
「お主がいてくれて、良かった」
「……」
心から言っているのだろう。
幸村はそういう男だ。
それが、自分をどれだけ追い詰めているか、知りもしないのだ。
幸村の言葉が心を抉ってくる。
この全幅の信頼が心を苛む。
何も知らないくせに。
俺の暗い心なんて、知らないくせに。
化け物のくせに。

 佐助は微笑んだ。
いつもの感情を隠したものではなかった。
その笑みはどれだけ歪んでいたのだろうか。
「……やめてよ、旦那」
「…佐助…?」
幸村が眉を寄せた。
佐助の様子が変わった。
そのことに漸く気付いた。
「…そんな風に言われる程、俺偉い奴じゃないよ?」
綻んでいく。
崩れていく。
止められない。
自分でしているのに。
「俺もあんたも、化け物なんだよ。
 あんたなんか、俺よりもっと酷いだろ」
「佐助…」
戸惑ったような、打ちのめされたような目で、幸村が佐助を凝視する。
しかし佐助の言葉は途切れない。
佐助にも途切れさせることが出来ない。
「…俺が何であんたに付き合ってると思ってんの?」
俺は見えるだけだ。
こいつよりはずっとマシだ。
こいつよりは、ずっと、まともだ。
「あんたに付き合ってりゃ、自分はマシだと思えるからだよ」
幸村の側にいると、聞こえないはずの声が聞こえてきた。
それは彼らのものに他ならず、聞きたいものでも無かったが、
幸村の側から離れることはしなかった。
しかし、それは、きっと自分の暗い心を慰めるためだけなのだ。
「……じゃなきゃ、あんたなんかと付き合わないよ」
そう割り切っていたのに、馬鹿で愚かなこの化け物は、そんなことに気付きもしない。
鋭いくせに、気付かない。
何て愚かなんだ。
何て馬鹿な化け物なんだ。
救ってくれやしないくせに。








 自分でも驚くぐらいに、弱々しい声だった。
「…………そうか」
光が、消えていく。
明るくなりかけた世界が、暗くなっていく。
頭が軋み、この世の人間の声が遠くなり、
悲鳴と怒号以外に何も聞こえなくなる。
 ふらりと幸村がその場から去っていく。
佐助は目を合わさずに、その気配を感じる。
自分にも聞こえていた声は小さくなっていき、
いつものように、彼らは佐助の存在を認められず、通り過ぎていく。
 佐助は、漸く幸村が進んでいく方向に目をやった。
最早小さくなった彼の姿が辛うじて見えた。
その周りには、灯火でなく、救いでもなく、
器のみを求める異形のものが取り巻いていた。




闇が、見えた。








近寄るな。
頭のおかしい奴は、こっちに来るな。
――違う、本当にいるのだ!
――話しかけてくる!
嘘をつくな。
あっちに行け。

お前なんか、誰にも何も思われていない。
何の役にも立たない。
生きているだけ無駄だ。
お前が死んでも、誰も泣きはしない。
死ね。
死んでしまえ。


死ね。


悲鳴を上げた気がする。
それすら、周りの音にかき消されるのだ。
その音は、他の誰にも聞こえはしないというのに。








消えた。
「?」
政宗は首を傾げた。
さっきまで確かにあったのに。
とりあえず、先程まであった気配を頼りに行くと、佐助の姿があった。
「おい、アンタ」
佐助に近寄りながら声をかけてみるが、佐助は見向きもしない。
「んだよ、無視しやがって」
側まで近付いて、耳元で叫んでやろうか。
そう思い、機嫌を損ねつつも、政宗は佐助に近付いた。
佐助が漸く政宗の方を向いた。
いつもと様子が違った。
「何であんたがここにいるんだよ」
「いたら悪いかよ」
言い返すが、佐助の耳には入っていないようだ。
「もう勘弁してよ、たくさんなんだよ!」
見たくもないのに、見たって何も出来やしないのに。
何故見なければならない。
「…真田はどうした?
 一緒じゃないのか?」
声を荒げる佐助も、それ程までに動揺している彼も珍しかった。
幸村の姿も気配も感じられないし、
日が沈んだせいか、雲があるせいか、やけに薄暗い。
「何があったんだよ?」
「あんたは真田の旦那んとこにでも行ってろよ。
 もう俺に付き纏わないでよ」
「アンタ、どうしたんだ?」
もう一度尋ねてみるが、やはり佐助は政宗の問いに答える様子は無かった。
「なぁ、さ――」
「あんたみたいな奴ら、もう見るのうんざりなんだよ!!」
遮られ、怒鳴られ、政宗の言葉が途切れる。
「あんた、自分のこと分かってんの?」
声に嘲りが込められている。
「…何がだよ?」
動悸が激しくなっていく。
周りが更に暗くなってきた気がする。
頭の中で警鐘が鳴る。
これ以上聞くな、と。
「おめでたい奴らだよ、
 ホントのことに、ちっとも気付きゃしないんだから」
「…何が、言いたい?」
ざわざわと何かが身体を這い回る感触。
右目が疼き出す。
 不意に、佐助の横を老人が通り過ぎた。
佐助にも政宗にも気付くことなく。
そして、二、三歩進んだところで、ゆらりとその姿は曖昧になり、やがて消える。
しかしすぐに数メートル先で姿を現し、何事もないように歩いていく。
彼は既にこの世での生を終えていた。
佐助は忌々しげにその老人を眺め、舌打ちし、それから再び政宗の方に目を向けた。
その目は、老人に向けたものと同じだ。
警鐘が大きくなり、周りはどんどん暗くなる。
ここから逃げたい。
逃げて、そして――
それが生じると同時に、佐助の唇が動き、言葉を紡いだ。








「あんたもう死んでるよ」








ぐらぐらと、足下が揺れた。
「あんた、自分が生きてるなんて思ってたの?」
周りは真っ暗になり、佐助の姿も見えなくなった。
声だけが響く。
「おかしいと思わなかったの。
 あんた、俺と真田の旦那以外、話してないんだよ」
雑音が耳に入る。
しかし、佐助の声はそれにかき消されることなく響く。
「俺だってもう、あんたの声なんか聞こえないんだよ。
 聞かずにすんで清々してる」
自分の呼吸が荒いのが分かる。
違う、自分の呼吸の音と、佐助の声しか聞こえていないのだ。
雑音は、自分の動悸に過ぎなかったのだ。
いや、動悸だと思いたいのか?
「だからもう消えちゃってよ。
 こっちはあんた等なんかもう見たくないんだよ」
揺れる地面に足下が覚束なくなり、膝を付いた、気がする。
「消えてよ、消えろよ、
 もう俺の前に現れんな!」
這い回る何かは、どんどん足下から這い上がってくる。
頭まで回ると、今度は身体中を刺してきた。
刺された箇所から身体が壊れていく。
激痛が走り、叫び声を上げた、気がする。
痛む身体を無理矢理動かし、
行く先も分からず、
ただ、
ひたすら。
逃げた。

気がした。








政宗の気配が遠くなるにつれ、佐助は追い詰められた頭で理解した。


嗚呼、俺は。
矮小な今の自分を保つためだけに。
壊してしまった。

























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