失った片眼。
穏やかな日々。
襲い来る病。
暗い部屋。
壊れていく身体。
荒々しい足音。
伸びる手。
掴む手。
引き摺られる身体。
壊される身体。
壊された身体。
告げられる真実。
母の憎しみ。
母への哀しみ。
振り上げられる凶器。
煌めく刃。
そうして俺は、
死んだ。
後ろに迫っていた闇が遠ざかった。
心の中は冷たく、暗かった。
消えた足下の感覚。
落ちるわけでなく、しかし留まることは最早出来ない。
それが彼の力だ。
存在に意味を与え、奪いもする力。
彼の傍にいられる、彼から離れさせられる、力。
「……」
恨み言を連ねようとして、その無意味さに気付く。
たとえ恨もうと、憎もうと、執着しようと、彼無くば…
だから、無意味なのだ。
「……結局、アンタも……
俺を、否定するんだな……」
幸せも、人の温もりも、生きている間は知ることがなかった。
それを教えてくれたアンタが、最後に俺を否定する。
俺を必要としてくれたのに、俺を要らぬと言う。
縋っていた手を下ろし、地に着かぬ足で立ち上がって、政宗は幸村から離れた。
離れたくない。
だが、お前は。
「……」
唇が僅かに開き、何かを紡ぎかける。
何を言う気なのか。
今更、何を。
「……」
離れようとする足が止まり、唇は震え、身体も震え、込み上げてきた心は、目尻を熱くしていく。
嫌だ。
留まっていたい。
ここにいたい。
傍に。
「……」
いたい。
アンタの傍に。
俺を、必要としてくれ。
俺を。
目尻に溜まった涙が溢れるその直前、幸村が政宗を引き寄せ、抱き締めた。
「そなたと共にいたい。
そなたでなければ、駄目なのだ…っ」
とめどなく溢れる涙は、濡れるはずのない政宗の服を濡らし、
唇が紡ぐ言葉は、政宗の心を揺さぶった。
「そなただけなのだ、俺を無力でないと言ってくれたのは。
俺を必要としてくれたのは…っ」
肩を震わせながら、幸村は強く抱き締め続ける。
アンタだけだった。俺を必要としてくれたのは。
それなのに、
「…どうして…っ!」
想いは同じはずなのに、
俺を肯定した口と同じ口で、俺を否定し、
俺に涙を流させるのか。
あの時流した涙と、違う涙を。
「…幸村っ」
否定しないでくれ。
アンタがくれた俺の居場所を、
俺の意味を、
奪わないでくれ。
アンタとの繋がりを、
絆を、
アンタの手で、断ち切らないでくれ。
「…幸村…っ!」
腕を回し縋り付く政宗を抱き締めたまま、幸村は涙を流し続ける。
抱き寄せたまま、背中に回された腕を掴み、その手を握り、己の胸元まで引き寄せる。
「……冷たいのだ、そなたの手が……」
冷たい指先を温めるように握り、温もりを分け与えるように、その手に口付けた。
「……あの闇は、そなたの手を、そなた自身を、ますます冷たくしてしまう……」
もう片方の手は、政宗の頬を撫でた。
自らの手によって裂けた皮膚から滲む血が、政宗の頬を濡らす。
「離したくない。共にいたい。
それは某の本心に外ならぬ。
だが、」
冷たいままの手を必死に握り、涙で潤む瞳は、政宗を悼み、哀れみ、想っている。
「それ以上にそなたの手を、これ以上冷やしたくはない。
冷たい場所にいて欲しくないのだ」
口から、手から、伝わる熱は、政宗を温め、紡ぐ言葉は政宗への想いに溢れている。
「…だから、そなたは……」
想いに溢れるからこそ、言葉は紡がれ、故に言葉は途切れる。
「…そなたは、……」
留めていたい。
最後の最後まで、傍に留めておきたい。
己の、傍に。
もう心を冷やして欲しくはない。
冷たい場所には、いて欲しくない。
途切れる言葉は涙に震え、涙は溢れる想い故に流れ続ける。
政宗の代わりに泣き続ける。
政宗への労りと、
己の願いと、
過ぎた我が儘と。
全ての想いは、重なる。
「先へと、進んで下され」
初めて逢った時、何て綺麗な方だろう、と思った。
鋭い瞳、
哀しい瞳。
険しい表情。
張り詰めた空気。
だからこそ洗練されていて、
とても、美しかった。
憂愁の美しさだった。
だがきっと、貴方が、
例えば春の光のような、
柔らかく優しい、
そういうものに包まれて、笑んだ姿は、
とても綺麗だろうと思うのだ。
和らいだ表情も、とても美しいものだったから。
嗚呼、何て優しいんだ。バカなんだ。
儘に過ぎないと言いながら、それは俺への想いに満ちている。
何て愛しい。
「……ハ、ハハハ…ッ」
彼の想いに、己に、笑った。
嘲りでも蔑みでもなく、
受け入れ、笑った。
握られた手で握り返し、幸村を見つめ返し、政宗は笑んだ。
「……幸村、」
「政宗殿っ」
政宗はもう一方の手を伸ばし、政宗への想いのままに流す幸村の涙にそっと触れる。
「…いつか、いつか…っ」
はらはらと涙を流し続け、零れる嗚咽が、伝えようとする言葉の邪魔をする。
「俺、は…っ!」
それでも伝えようと、幸村は叫ぶ。
「政宗殿っ、俺、も…っ!」
その時、貴方は、――
「……分かってる」
音に出して言わずとも、言いたいことは分かった。
それはきっと、自惚れでなく、期待でもなく、真実なのだ。
そう思えるのが嬉しかった。
幸せだった。
温かかった。
「幸村、俺もだ」
そしてそれはまた、己の想いと願いなのだ。
アンタに出逢えて良かった。
アンタがいてくれて、良かった。
アンタが俺の為に泣いてくれるから、
俺を愛おしんでくれるから、
俺はアンタの為に微笑おう。
アンタの為だけに微笑おう。
想いを込めて。
「…だから、あんまし、泣いてんじゃねぇぞ」
触れた手は、力強く幸村の目を擦り、流れる涙を乱暴に拭った。
ありがとう、幸村。
政宗の流す涙が一筋分だけ頬を伝った後、
彼は潤み輝くその瞳に光を称えながら目を細め、
柔らかく温かな微笑みを幸村に向けた。
彼に向かって微笑んだ。
そして、
拭ってくれた手が無くなった後、幸村は一筋、涙で頬を濡らした。
「政宗殿……」
その涙を己の手で拭い、幸村は空を仰いだ。
いつか、俺も貴方と同じところに行く時が来よう。
その時、貴方が笑っていてくれれば。
それを見ることが出来れば。