氷の張ったプール
サトシは周りをきょろきょろしながら歩くので、よく色々なものを見つける。
その度に、一緒に歩くシゲルにいちいち報告してくるのだ。
ポッポがいる、とか、コラッタが今横をすり抜けた、とかいった内容だ。
そりゃ、ポッポもコラッタもいるだろう、と何度か言い返したくなりながら、シゲルは聞き流していた。
「あ、見ろよ、シゲル」
サトシが右方向を指差している。
今度は何だろうか、と思いながら、シゲルはサトシが示した方向に目を向けた。
指差す方向には、学校がある。
サトシの指す先にはフェンスがあった。
「フェンスがどうかしたのか?」
「違う、その先」
サトシはシゲルの腕を引っ張りながら、フェンスの方に近づいていく。
されるがままに、シゲルはサトシについていき、フェンスの中を覗く。
フェンスの中にはプールがあった。
夏が過ぎてから使われていないので、だいぶ濁っている。
きっと掃除が大変だろうな、とシゲルはどうでもいい感想を抱いた。
「汚れているな」
「違うって、よく見ろよ、凍っているだろ!」
「え?」
言われた通り、よく見てみた。
確かに、うっすらと氷が張っている。
よくもまあ、見えたものだ、とシゲルはサトシの視力の良さに感心してしまった。
とはいえ、プールに氷が張るということは……
「もう、冬か」
「……そうだな」
どうりで最近、冷え込むことが多くなったはずだ。
今年は寒さが厳しいだろうか、
朝が辛くなるな、
とシゲルが考えていると、サトシが声をかけてきた。
「な、行ってみようぜ」
「……は?」
「凍ってるんだぜ!近くで見てみたいじゃん、な?」
わくわくした様子で、サトシはそう言って、シゲルの返事も待たずに、プールの入り口のある方向へと走り出した。
いつもいつも勝手なことばかりだな、とシゲルはつくづく思うが、言ったところで無駄だろうとも思った。
口ゲンカになるのがオチだ。
さっさと走って行ってしまったサトシの後を、シゲルはゆっくりと歩いて追いかけ始めた。
果たして中に入ることができるのだろうか、と思いながら。
案の定、入り口はしっかりと閉じられ、扉についている鍵に加えて、ご丁寧に南京錠までかけてあった。
これはどう頑張っても、開けられないな、とシゲルは早々に中への侵入を諦めたが、
先程走って行った、諦めの悪い幼なじみの姿はどこにもない。
フェンスに沿って歩けばいいこの道筋を、まさか迷うわけはあるまい。
ただし、シゲルの考えるまさかが、サトシに当てはまらないこともよくあるので、段々とシゲルは心配になってきた。
その時だった。
「おーい、シゲル!」
左の方から、サトシの声が聞こえた。
ここからでは、壁が邪魔して見えないので、シゲルは入り口から離れ、声の聞こえる方へと向かった。
すぐに、フェンスの向こう側、プールサイドで大きく手を振るサトシの姿が見えた。
シゲルはサトシのいる手前のフェンスまで近づいた。
「……君、どうやって中に入ったんだい?」
「ん?簡単だぜ。入り口にカギかかってたから、フェンス乗り越えただけ」
「……」
きっとこんな風に、中に入りたがる奴がいるから、あれだけ厳重に鍵をかけているんだな、
とシゲルは納得したが、サトシみたいな奴には、逆効果だ。
フェンスの高さを考え直す必要があるだろうな、と他人事ながら、シゲルはそう思った。
「シゲルも来いよ」
「……」
フェンスを越えてまで、凍ったプールを間近で見たいわけでもなかった。
さて、どうしようかと、しばし考え、
放っておいて、もう帰ろうかと一瞬思った後、
まあ、たまには付き合ってやるか、と思い直した。
二人でプールサイドの縁に立って、中を覗き込んだ。
「すごいな、ホントに氷だ」
サトシは感心した様子で、じっと見入っている。
それを横目で見ながら、またとんでもないことを言い出さないかと、少々不安になった。
すぐに、その不安は的中した。
「この上で滑れるかなぁ?」
「やめとけ」
即答した後、やっぱりな、とシゲルはため息をついた。
サトシに、氷の厚さが大してないことと、氷の厚さとスケートとの相互関係を説明してやると、
サトシはようやくプール上を滑るという試みを、渋々ながら諦めた。
その代わりか、サトシはプールサイドをぶらぶらとうろつき始めた。
シゲルは片隅にあったベンチに座り、サトシの姿をしばらく目で追ってから、凍ったプールに目をやった。
濁っている上に、凍っているので、底は全く見えなかった。
「……」
水が凍るのは、水の分子が動くことを止めたから。
温度が上がらない限りは、動き出すことは決してない。
時間が止まる。
今は、夏が終わったプールの時も止まっている。
薄いとはいえ、氷の張っているプールの中へ入ることは叶わない。
氷に隔てられ、
氷自身も、
その中の世界も、
他とは違う、孤独な時を迎えている。
いや、時間が止まっているのだから、
それすら気付いていないのかもしれない。
「……くだらない」
自分の思考にそう言い捨て、シゲルは顔を上げた。
辺りに目をやって、サトシの所在を確かめようとしたが、本人はどこにも見あたらなかった。
「……サトシ?」
呼びかけてみるが、返事はない。
シゲルは立ち上がった。
「サトシ」
もう一度呼ぶが、やはり返事はない。
「……」
帰ったのか、まさか一人で?
ならば自分は、取り残されたのだろうか、このプールの様に……
「……」
不意に生じた感情に、シゲルは首を振った。
別にサトシが先に帰ったとしても、彼がすぐ勝手に行動することは、いつものことではないか。
先程の自分の思考が、この感情を煽っているだけだ。
気にすることはない。
「シゲル、どうしたんだ?」
突然、サトシが横からシゲルの顔を覗き込んだ。
シゲルは驚いて、サトシを凝視する。
幻ではなかろうかと、サトシの腕を掴んで、確認した。
間違いなかった。
自分を見つめてくるサトシの瞳を見つめ返して、シゲルは尋ねた。
「……どこにいたんだ?」
そう尋ねると、サトシは、更衣室の方に行っていた、と答えた。
そうか、だから姿が見えなかったのか。
無意識に安堵していた。
「……帰ったかと思った……」
別に言うつもりはなかったが、声に出てしまった。
ほとんど独り言に近い呟きなのに、
サトシは聞こえていたらしく、普通に、笑いながら言い返してくれた。
「お前をおいていくわけないだろ?」
「……」
その言葉に深い意味はない。
わかっていても、そう言ってくれることが、今の自分には救いになった。
「そろそろ帰ろうか」
サトシがそう言って、シゲルの手を握ると、歩き出した。
シゲルは何も言わずに、ただ頷いただけだった。
凍ったプールも、春になれば溶ける。
夏になればまた、たくさんの人間が遊びにくる。
今の自分がもし、この今の氷やプールと同じだとして、孤独だとしても、
先程のようなことを言ってくれる彼なら、氷を溶かす太陽のように、
いつかこの孤独から救ってくれるかもしれない。
自分が彼にしてきたことを考えれば、都合の良すぎることだということは、十分わかっている。
でも、もう少しだけ、もう少しの間だけ、そう期待して、
サトシを想っていてもいいだろうか。
手を引かれながら、シゲルはサトシを見つめる。