内出血
本日分の政務を終わらせ、一休みも兼ね政宗は客人の部屋を訪れた。
部屋の隅で何かをしている客人の後ろ姿は、巣穴でうずくまる熊のようだ。
巫曰く穴熊というのも確かに頷ける。
と、どうでもいい感想を抱きながら、政宗は丸まったその背に声を掛けた。
「Hey、随分と暇そうじゃねぇか。羨ましいぜ」
「なに、お前さん程じゃあ無いさ」
挨拶代わりの軽口を返して、黒田官兵衛が振り返る。
が、回す方向を間違えたのか、枷と鉄球を繋げる鎖が彼の身体に巻き付いてしまったので、思わず政宗は呟いた。
「……逆じゃね?」
「……」
対する官兵衛は、黙したまま面倒そうに両腕を上げて鎖を振り回し、慣れた様子で縺れかけた鎖を解いた。
長い前髪に隠れているので表情は見えにくいが、
真一文字に結ばれた口元を見る限り、気まずくはあるようだ。
忍び笑うに留め、政宗は官兵衛の隣に腰を下ろした。
「なあ、それ何だ?」
官兵衛の手元の巻物に政宗は目を落とす。
反射的に紙を折りかけるものの、小事と判じたか、官兵衛は政宗の問いに答えてくれた。
「新しい機巧の設計図だ。と言っても、まだ未完成だがな」
そう言いながら再び広げられた曰く設計図をまじまじと見てはみるものの、政宗は首を捻る。
「Hum…よく分からねぇな」
機巧の部品らしき絵が説明と共に記されているが、何が何やらさっぱりだ。
官兵衛が素直に見せたのも、政宗の返しを見越していたからだろう。
「だろうな」
微かに笑って呟くその声音は些か得意げだ。
先程晒した醜態に対しての名誉挽回のつもりか、己の無知をからかっているのか。
おそらくは両方なのだろうと思い至り、政宗は顔を顰めて官兵衛から巻物を引ったくった。
そうして機巧図を睨み付けて呻っている政宗に苦笑しながら、
官兵衛は、まだ笑い混じりではあったが政宗を宥めにかかる。
「別にお前さんに限ったことじゃあないさ。大概の連中は興味すら持たないからな」
「……」
さり気なく取り返されていく設計図をまだふて腐れた様子で眺めながら、
そういえば、と政宗は思い出す。
確か西海の鬼も機巧には詳しかったはずだ。
聞きもしないのに嬉々として、真田幸村ばりに暑苦しく、
大筒やらドリルやらについて熱弁を振るっていた鬼を思い浮かべ、
政宗は苦笑しながらも少し懐かしむ。
互いに自身の国に掛かり切りで交流も絶えて久しくなってしまったが、
あの鬼のことだ、四国を立て直しながらも機巧いじりに精を出しているのだろう。
あと他は、家康もだろうか。何しろ三河にはあの戦国最強がいる。
いやアレは少し違うか。
ではその他は、と機巧に関わりのありそうな者を思い浮かべつつ、政宗が再び官兵衛に目を遣ると、
官兵衛は取り戻した巻物を床に置き、それに小筆で何かを書き加えていた。
手枷があるというのに、相変わらず器用な男だ、
と感心しながら、また声を掛ける。
「それ、アンタ一人で考えてるのか?」
「言ったろ、興味すら持たない連中が大概だ」
こちらを見向きもせずに官兵衛がそう返す。
皮肉と軽口はお互い様なので、政宗は眉を顰めるに留めた。
「だとしてもだ、その大概じゃねぇ方の一人や二人、知り合いにいるんじゃねぇのか?」
「……」
不意に顔を向け、官兵衛が政宗を窺い見る。
髪にその目こそ隠されているが、敵意にも似た疑念の視線に、政宗は軽く目を瞠った。
海と自由を好む西海の鬼のことだ、
己が知らぬだけで、国の境など頓着せずに、
実は疾うにこの男とも打ち解けているのかもしれない。
そう思ったぐらいで他意も何も無かったのだが、
何かこの男の癇に触れるものでもあったのか。
「……いれば有り難いんだがね」
微かに顔を強張らせている政宗に気付き、官兵衛は声音を和らげそう言い繕う。
政宗の様子を見る限りでは、どうやら四国のことを探られている訳でも無さそうだ。
独眼竜が西海と交流があるとは聞いているが、少し考えが過ぎた。これでは逆に気付かれかねない。
何に脅えているのかと自嘲しつつ、誤魔化しと慰めを込め官兵衛は政宗の頭に両手を載せた。
勿論、枷まで当ててしまわぬように配慮している。
「……重い」
少ししてから、政宗がそう言い捨て頭を動かしたので載せていた官兵衛の両手がずれ落ちた。
肩を竦める官兵衛を暫し黙して見上げていたが、
唐突に腰を上げると、政宗は勢いそのまま官兵衛に身体ごとぶつけ、押し倒す。
「う、おっ、あだっ!」
視界が反転すると共に、鎖に繋がった鉄球にご丁寧にも頭をぶつけた。
突如立てられた物音に何事かと集まってくる伊達の者たちの様子が、チカチカと火花が散る視界の片隅に映る。
次第に火花が消え、何でもないと家臣をあしらう独眼竜の姿が見えてきたので、官兵衛は声を掛ける。
「もう少し丁寧に扱ってほしいもんだな」
そのぼやきに、官兵衛には解し得ぬ異国語を呟いて、
政宗は官兵衛の前髪を掻き上げ、髪に隠されたその目を覗き込んだ。
相変わらず竜の瞳は笑わないと思いつつ、心を見透かされるような気がして、
官兵衛は常の如く軽口を叩こうと口を開きかける。
「どこかぶつけたか?」
しかしその前に政宗が口を開く。
応えるように頭が今頃になって鈍い痛みを訴えてきた。
痛みを忘れる程に冷静さを欠いたつもりは無かったが、
よもや気付かれはしないかと、思いの外、臆病になっているらしい。
「……瘤ぐらいはできるだろうな」
問いに敢えてそれだけ答えると、隠し事に気付き政宗が眉を顰めた。
次いでぶつけた箇所を問われたのでこれも一つにのみ答える。
呆れた様子で、政宗の指が答えた部分を撫でる。
「痛むのか?」
存外に気遣った様子の政宗の声音に些か驚き、却って居たたまれなくなる。
束の間白状しかけるものの、頭を撫でられる心地良さですぐに押し止められた。
今、この手の心地良さに流され、彼の優しさに甘えたところで、どうなる訳でもない。
どうせ後でまた悔やむことになるに決まっている。
後悔はもう嫌なのだ。いっそ、恐ろしい。
「……痛いな」
答えに隠し、口をついて出てしまった弱音に気付き、官兵衛は眉を寄せる。
謀が露見するより余程質が悪い。
よりにもよって、この竜の前で。
いつものように誤魔化すことすら失念している官兵衛を見かねてか、政宗が代わりに口を開く。
「Sorry……悪かった」
次からはもう少し気をつける、と表の寸劇を続けられる。
そうして隠れ場所を提供してくれた政宗に、再び込み上げてくるものがあったが、
結局は、洗いざらいぶちまける相手は独眼竜では無いのだと、
何とかそれを堪え、官兵衛もその寸劇に乗せてもらう。
「なに、これぐらい、もう慣れたもんさ」
滑稽でどこかぎこちないその強がりに、政宗は微かに眉を寄せる。
執拗に隠そうとする傷の方は気がかりであったが、どのみちこの男がそれを見せることはあるまい。
そうして恐らく、死ぬまで隠すかそのせいで死ぬか、どちらかなのだろう。
「難儀な男だ」
呆れ混じりの政宗の呟きに、官兵衛は苦笑するだけだった。