その先には
気付かなければ良かった。気付きたくなかった。
祖父と久々に夕食を一緒にとった。
ポケモンの研究に忙しい人だから、食事を一緒にとることは少なく、
普段は一人で食べるか、サトシの家でご馳走になるかだった。
身内だというのに、どうにも落ち着かない。
特に大した会話もなく、自分から進んでする気もしなかったので、
シゲルは他のことを考えて気を紛らわしていた。
「……じゃな」
「……え?」
だが、オーキド博士の声に、シゲルは我に返った。
何か話しかけてきたようだが、シゲルは全く聞いていなかった。
それに気が付いて、オーキド博士はもう一度繰り返した。
「今日も、サトシと遊んだそうじゃな」
「……」
いきなり何だろう、とシゲルは少し戸惑ったが、確かにサトシとは遊んだので、とりあえず頷いた。
何か、問題でもあるのだろうか。
この人は何か文句でも言いたいんだろうか。
サトシと遊んではいけないのだろうか。
何となく不安になって、シゲルは祖父を見つめた。
「……楽しかったか?」
「……はい」
シゲルはもう一度頷いた。
「……そうか」
オーキド博士の眉尻が下がる。口元もわずかに笑っている。
博士の表情が綻んだので、シゲルは少しほっとした。
サトシと遊ぶことに対しては、別に悪い感情は抱かれていないようだ。
「どんなことをしたんじゃ?」
「……裏山を探検しました」
「ほう、何か見つけたのか?」
「キャタピーやビードルがいました」
「そうかそうか、良かったのう」
どこらへんが良かったのだろう、とシゲルは思ったが、
わざわざ言うほどのことでもないので何も言わなかった。
「……サトシは、元気な子じゃな」
「……」
それはもう余りある程に。
おかげで色々と連れ回されている。
今日の裏山にしても、サトシに連れて行かれたのだ。
でも、だからどうだというのか。
暗に自分はその反対だと非難されているのだろうか。
マサラタウンに引っ越してきて、この祖父と暮らすようになってだいぶ経つが、
この人がどういう人なのか、いまだによく分からない。
何しろあまり会話したことがないのだ。
だから知っているのは、ポケモンの研究の世界的権威であるという、研究者としてのオーキド博士だ。
「一緒にいると、楽しいじゃろう?」
「……」
楽しい、というより、疲れる。
確かに退屈はしないが、だからといって、楽しいと言えるのだろうか。
オーキド博士は続ける。
「お前も、サトシといる時だけは、随分と心落ち着くみたいじゃのう」
身内の自分よりも、とオーキド博士は心の中で付け加える。
それは少し寂しくもあるが、孫が心を開ける存在ができることが、何よりの願いだ。
一度失っているから。
いまだ不審そうに祖父を見つめていたシゲルは、祖父と目が合うとすぐにその目をそらした。
何も毎日毎日サトシと遊ぶ訳ではない。
サトシが誘ってきて、行く気になったら付き合っているだけだ。
今日もサトシは誘いに来たが、家で本を読んで過ごすつもりだったので、断った。
だが、
「天気がいいんじゃ、外で遊んできなさい」
そう言われて、家を追い出された。
他に行くあてもない。
仕方がないので、ぶらぶらと歩き出す。
裏山で、昼寝でもするか、と思った。
途中通りがかった広場では、自分と同年齢の子たちが遊んでいる。
サトシも元気に走り回っていた。
今日は大人数で遊ぶ、ということも断る理由ではあった。
別に、怖い訳でも、嫌いな訳でもないが、他人といると、どうも落ち着かない。
だから、苦手なのだ、他人は。
話しかけられれば応えるが、自分から近づこうとはあまり思わない。
だけど、
サトシといると、心落ち着く。
祖父に言われた言葉を思い返す。
「……」
そうかもしれない。
サトシを苦手だとは思わないし、一緒にいると落ち着かないわけでもない。
ただし疲れるが。
なぜだろうか。
他の人間と、サトシは何が違うのだろうか。
研究所の庭で一緒に迷ったから?
確かにその時から、サトシを嫌いだとは思わなくなった。
最初は確かに嫌いだったのだ。
無性に腹が立った。
だけど、それだけでは理由にはならない。
それはただの結果だ。
ならばその時自分はサトシに何を思っていたか?
シゲルはあの時サトシと繋いだ右手を見つめる。
繋いでいたから、安心できた。
一人じゃないと、思えた。
「……」
僕は、自分のことが好きになれなくて、
でもサトシは、
好きだと、友だちになろうと言ってくれたから。
あの時一緒にいてくれたから。
それでサトシだけは他の人間と違うと、そう思うのか?
いや、何かおかしい。
もしもあの時一緒にいたのがサトシでなかったとしたら、
自分はそのサトシでない相手に心を開いたのだろうか。
例えば、相手が祖父だったら、祖父に。
「……」
違う、そういう問題じゃない。
あの時サトシが隣にいて、あの時手を繋いだことは、始まりのきっかけに過ぎなかった。
では、今自分は、サトシをどう思っているのか。
「……」
一抹の不安がよぎる。
この先を考えることは、自分が全く気が付いていない、未知の領域を知ることだ。
それは、本当に良いことなのか?
知らなかったことを知りたいと思う気持ちはある。
だけど、このことだけは、言いしれぬ不安がつきまとう。
それがなぜか分からない。
「……」
止めた方がいいのかもしれない。
自分はそれを奥底では拒絶している。
「シゲル、シゲル〜!」
自分を呼ぶ声にシゲルは我に返る。
深く考え込んでいたので、しばらくの間広場を見つめたまま立ち尽くしていたらしい。
外に意識を向け、声がした方を見ると、声の主は嬉しそうにこちらに走ってくる。
サトシだ。
「シゲル、やっぱ遊びにきたのか?」
「……ちがう」
好きこのんで、大人数と遊ぼうとは思わない。
サトシと二人なら考えるが。
「……?」
シゲルは驚いた。
なぜ、今そう考えたのか。
「ちぇ、つまんねーの」
シゲルが遊ぶつもりのないことが分かり、サトシは口をとがらせた。
「せっかくシゲルと遊べると思ったのに……」
その言葉に、シゲルは尋ねてみた。
「……僕と、遊びたかったのか?」
シゲルの問いに、サトシは不思議そうな目を向ける。
「そうに決まってんじゃん。だから朝誘いに来たんだぜ」
今更何を言うんだ、といった表情で、サトシはそう答えた。
更に付け加える。
「シゲルと遊ぶと楽しいんだよな、すぐオレのことバカにするけど」
少しだけ不満も含める。
が、気を取り直して、再び提案してみる。
「なあ、ホントに遊ばない?」
「……」
どうして、そんなに構ってくれるのだろう。
だけどそれが、嬉しい。
オーキド博士の孫としてではなく、
シゲルという一人の人間として、
サトシは自分を見てくれる。
そうだ、だから僕はサトシが……
「……」
次に続く言葉が、生じた感情が信じられなかった。
「なあ、シゲルってば」
シゲルが黙ったままなので、サトシはもう一度言ってみた。
しかしシゲルは答えない。
何だよ、何で答えないんだよ。
無視されているようで、サトシは少しむっとなり、最後にもう一度だけ、先程よりも大声で言った。
「おい、シゲル、人の話を――」
「……いい」
サトシの言葉を遮って、シゲルはそれだけ言うと、
少しおぼつかない足取りで歩いていく。
「……なんだぁ、あいつ……」
サトシの呟きも、シゲルの耳には入らない。
今、何を思った?
サトシにどんな気持ちを持ったんだ?
「……」
否定したい。
そんなはずはない、と思いたい。
だが、一度生じた気持ちは、想いは、嘘でも気のせいでもなかった。
「……」
だから僕はサトシが……
その続きを知ってしまった。
僕はサトシが……好きなんだ。
愕然となった。
なぜ、こんな感情を抱いたんだろう。
性別も同じで、相手が自分と同じ感情を持つはずはない。
叶うはずもない。
こんな想い、
気付かなければ良かった、
気付きたくなんてなかった。
せっかく、自分のことが嫌いにならなくなってきていたのに。
気付かなければ、まだサトシと友だちでいられたのに。