道しるべ verサトシ





閉じていた瞳をうっすらと開いた。
不規則に乱れる呼吸と濡れた声が、口から吐き出されていく。
嫌な音だな。
自分が自分で無くなるようで、
自分がますます分からなくなるようで。
何より、
あいつのことが分からなくなっていく。


もう何度目だろう。
何で、こんなことするんだろう。
疑問は尽きなくて、この行為も続けられて。


だけど、理由を聞いても、あいつは教えてくれない。




何を見るわけでもなく見つめていると、シゲルの瞳とぶつかった。
「……っう、あっ」
何かを呟きかけた声は、代わりに色を帯びた喘ぎとなって唇から零れていく。
貫いた状態で身体が動かされ、感じるところを突いてきた。
ただの暇つぶしだ。
そう言ったくせに、突き放すくせに。
「…シゲ…っ」
サトシはシゲルの首に腕を回す。
縋りつくようなその動きに、縋り切れずシゲルは代わりにサトシを貫く熱で突き上げた。
悲鳴にも似た喘ぎ声はそれでも確かに艶を含んでいて、
それがシゲルを救うと同時に奈落の底に突き落とした。
サトシはそれを知らない。








真っ暗だ。
何も見えないんだ。


…ママ、どこ?
どこにいるの?
オレ、どうすればいいの?
どうしたらいいの?
どうしたら…








「…トシ、サトシ!」
揺り動かされて、はっと目を開くと、ハナコと遠くに白い天井が見えた。
「…ママ」
思っていた以上に頼りない声が出て、それに自分で驚いた。
「すごくうなされていたわよ、大丈夫、サトシ?」
くしゃりと頭を撫で、頬をさすった後、その手は額に当てられる。
「熱は…無いみたいだけど…」
そう呟いた後、やや心配そうな表情がサトシの顔を覗き込む。
「具合が悪いなら、今日は寝てる?」
囁く声も、撫でてくれる手も、くすぐったくて温かい。
不意に母親に甘えたくなったが、自分はもうすぐ10歳だ、と我慢した。
「大丈夫だよ、ママ」
台詞とは裏腹な笑顔を向け、サトシは尚も心配そうなハナコにもう一度、大丈夫だから、と言った。




「え…っ!?」
朝食中、不意に聞かされたハナコの台詞に驚愕する。
「ホントに!?」
「ホントホント。シゲルくん、風邪引いちゃったんだって」
「……」
今までのサトシなら、すぐさまオーキド邸に向かおうとして、
ハナコに、朝ご飯をちゃんと食べてから!と怒られていたはずだ。
だがサトシは俯いたまま動かなかった。
「……」
会うのが怖い。
会ってどうすればいいか、分からない。
だけど、
「……サトシ?」
突然黙り込んで動きを止めてしまったサトシに、ハナコは声をかけた。
「…ごちそうさま」
自分で言ったことを覚えているかも怪しいが、
心ここにあらず、な状態でそう呟いた後、
サトシはダイニングを後にした。
「あ、サトシ」
もう一度呼びかけるが、サトシには届かなかった。








ぐるぐると思考は回る。
思考だけが回っている。
そこに立ち止まったまま、まるで景色だけが流れているように、
それを考えているのは確かに自分なのに、自分だけが置いていかれるような、
そんな思いに捕らわれる。
そんなのは、きっとオレじゃない。
マサラタウンのサトシは、もっと元気が取り柄で、いつも前向きなんだ。
そう思うのに、そう願うのに、今の自分はそれとは全然違うんだ。
じゃあ、オレは何なんだ?
繰り返し繰り返し、考えれば考えるほど分からなくなり、
だからそれは、彼のことだけではなかった。








 昨日の雨とは打って変わり今日は快晴だった。
お日様の光をさんさんと浴びて、庭のハーブがキラキラと光を反射しているように見えた。
ハナコのまいた水も光を返し、益々輝いていた。
ハナコはハーブに水をやった後、今度は洗濯物を取り込み始めた。
この天気で、すっかり乾いてしまったらしい。
それを眺めているとハナコが振り返り、有無を言わせぬ笑顔を見せて言った。
「洗濯物、たたんでね」
「…はーい」
家事を手伝わされるのはいつものことなのでサトシも慣れたものだし、
こういう笑顔の時の母親に逆らっても無駄なことも十分に承知していた。
素直に返事をして、太陽の熱を未だ残す洗濯物を摘んだ。
しかし、摘んだ布を暫くじっと見つめている。
実は、返事はしたものの、洗濯物をたたむのは正直苦手なのだ。
「難しいならタオルからたたみなさい」
昨日の分も含めた大量の洗濯物を抱えてハナコが庭から戻ってきて、サトシにそう助け船を出してやった。
その後、抱えていた洗濯物をサトシの頭の上からばらまいた。
「ぅわぷっ!」
思わずくぐもった悲鳴を上げた後、熱い洗濯物をかき分け顔を出すとハナコの笑顔にぶつかった。
その笑顔にはからかいが含まれている。
「ママ!」
母親に呼びかけ抗議したが、サトシも本気で怒っているわけではない。
「ごめんごめん」
普段通り接してくれるハナコの温かさに、サトシは不思議と安堵した。




 二人して洗濯物をたたんでいく。
サトシの担当は主にタオルや靴下、Tシャツなど簡単にたためる物だ。
「端っこはきちんと揃えてね」
「はーい」
返事しつつも意外と難しい。
タオルなどはまだ簡単だが、Tシャツになってくると、例え片方を揃えたとしてもその反対側が曲がってくるのだ。
「むぅ…」
時たま唸りながらも、サトシは何とか洗濯物をたたみ終えた。
「お疲れ様」
ハナコにたたんだ洗濯物を渡した後、サトシはそのままごろんと横になった。
「……」
ハナコがいつも通りにしてくれるのはありがたかった。
彼との間に起こったことを言えるはずもないし、
奥底に押し込めているこの気持ちを今外に出してしまいたくは無かった。
それが何故かはサトシには分からないが、直感がそうするな、と言っているのだ。
「……」
いつも通りにしていたら、そのうち大丈夫になるだろうか。
また、前みたいになれるだろうか。
そこまで考えて、サトシはそう考えたことを意外に思った。
オレは、前みたいに戻りたいのか?
それは、無理だ。
信じていたものは壊れてしまった。
だから始めには決して戻れるはずもない。
それだけは分かった。




「はい、サトシ」
突然目の前に茶色の液体が映った。
ビックリして身体を起こすと、
ハナコがグラスにお茶を注いで持ってきてくれていた。
「ありがと」
グラスを受け取り、口に含んで飲み込んだ。
冷たいものが、喉を、身体の中を通っていくのが分かった。




何も考えていなかった。
考えるべきことが分からないからだ。
だから言おうと思って口に出した訳でも無かったが、
サトシは少しだけ無意識に母親を頼った。
それはハナコが朝、気遣ってくれたからかもしれないし、
普段と同じようにしてくれたからかもしれない。
それに母親の強さや大きさのようなものを感じた故かもしれないし、
そういう母親の懐に飛び込みたくなる程、今のサトシが追い詰められていたからかもしれない。
「…ママ」
無意識に出た声と、それが朝と似たような頼りないものだったことに、やはりサトシは驚いたが、
同時にやっぱり自分だけじゃどうしようもないと気付いた。
「なぁに?」
ハナコが応えた。
穏やかな声に、知らず再びサトシは安堵し、余計に母親に縋りたくなった。
「…何て、言うのかな…」
彼との間に起こった行為を言う訳にはいかないし、むしろそれにあまり意味は無かった。
「……何かこう、色々と…分かんなくなっちゃって……」
そう、意味を持つのはこれだ。
「…何が分からないの?」
変わらぬ声音で、ハナコはそう尋ねた。
その問いにサトシは考え込んだ。
彼のことがまず思い浮かぶ。
「…どんなところが、分からないの?」
続けられた問いに、サトシはまた少し考え、答えた。
「今まで、オレが思ってたのと…違ってて、それで……」
それから、彼が分からなくなった。
自分が信じていたものは、違っていたから。
「……だから、どうすればいいのか、分からなくて……」
彼のことが分からない。
嫌いだと言われたのに、
近付くなと言われたのに、
それでも気になってしまう。
そんな自分が、分からない。
だから、どうすればいいか、分からない。
「サトシ、」
口調は変わらないがそこに込められた真剣さを感じて、サトシはハナコの方を向いた。
「何も分からなくなったらね、どうすればいいか、は考えなくて良いのよ」
「?」
不思議そうな表情で見上げてくるサトシに、
ハナコは一言一言をはっきりと、諭すように話す。
「大切なのはね、サトシがどうしたいかでしょう?」
「……」
「サトシが今まで思ってたことと違ってから、サトシはどうしたいと思った?」
「…分かんないよ、そんなの」
だから相談してるのに、と少し唇を尖らせるサトシの頭を撫でて、ハナコは微笑みかけた。
「じゃあ、どうしたいかをよく考えて。
 そしてその答えを自分で見つけようね」








答えなんて簡単に分かるわけがない。
だけど、気になるものは気になる。
お見舞いのクッキーの入ったバスケットを片手に、サトシはそう言い訳した。
どうしたいかなんてのも分からない、だから気になって仕方がないことから始めるんだ。
そう結論づけたサトシは、風邪だというシゲルの見舞いに、オーキド邸に向かうことにしたのだ。
「…また、近付くなとか言われそうだけど……」
そう言われたのは、確か二度目の時だった。
ついでに、嫌いとまで言われた。
だけど気になるから、近付いてしまうのだ。その度に、まあ…
恥ずかしいことまで思い出し、サトシは、はぁ、とため息をついた。
 大体、何でこんなにシゲルのことが気になるんだろう。
と思った頃合いに、オーキド邸に辿り着いた。
呼び鈴を鳴らして暫くすると、オーキド博士が現れた。
「おお、サトシじゃないか、どうしたんじゃ?」
目を丸くするオーキド博士に、サトシはまずは挨拶する。
「こんちは、博士」
それからバスケットを差し出した。
「コレ、ママのクッキー。えーと、その…お見舞い、に来たんだけど」
ぎこちなくそう言うサトシに、オーキド博士は、単純に気恥ずかしいのだろう、と思い特に何も言わずに通した。
「…だが、今はのう、ちょっと寝ておるから」
「…分かった、顔見たら帰るから」
ほっと安堵し、サトシはオーキド博士にバスケットを押し付けると、二階に上がっていく。
勝手知ったる他人の家だ。
忍び込みも含め何度も来ているので、サトシは迷うことなくシゲルの部屋まで辿り着いた。
ノックをしようかと思ったが、寝ているという博士の言葉を思い出し、静かにドアノブを回した。






 閉め切っているせいか、空気がこもっていた。
しかし窓を開けるわけにもいかないので、サトシはそろそろとベッドに近付いた。
ベッドの隣に椅子があるので、それに腰を下ろす。
 シゲルは、布団から首だけを出し、身体を丸めた状態で眠っていた。
眉間に皺が寄っているのは熱のせいだろうか。
「……」
シゲルが眠っていてくれたことは正直助かった。
面と向かう自信はまだ無かったのだ。
顔を近付け覗き込むと、うっすらと汗をかいているのが分かった。
息も普段よりも熱い。
サトシは周りを見渡し、枕元のタオルで軽く拭いてやった。
再びシゲルをじっと見つめながら、
サトシはハナコに言われたことを反芻し、今日ここまで来た理由を回顧した。
自分は一体どうしたいのか、
どうしてこんなに気になるのか。
「……」
知っていたと思っていたシゲルは、それだけでは無かった。
あの冷たい顔も声も、サトシは知らなかった。
だけど、その後身体を気にしてくれたり、気遣ってくれるのは、知っている優しさだ。
だから、分からない。
どちらがシゲルか、分からない。
「……」
そうか、と不意にサトシは思った。
「…だから、気になるんだ……」
嫌いと言われても近付くなと言われても、近付いてしまうのは彼の優しさを知っているから、
怖いと思うのは戸惑ってしまうのは、冷たい表情で見られ、冷たい声で囁かれるからだ。
そんな彼は知らなかったから。
「…う…っ」
呻き声にびくつき、サトシはシゲルに目を向けた。
熱かそれとも夢なのか、うなされるシゲルは何とも弱々しく見えた。
朝に母親がしてくれたように揺り起こそうとして、
熱を気遣ったかそれとも怯えか、
布団越しに肩に触れようとしたサトシはその手を止める。
「…だいじょうぶ」
誰に言ったのかも分からぬその言葉は、眠っているシゲルには届かず、サトシには届いた。
だからなのか、サトシは初めてずっと考えていた答えに気が付いた。
まだ母のような強さは持っていないが、今はうなされる彼を少しでも楽にしてあげられればと思った。
布団から覗いたシゲルの手を恐る恐る握り、サトシはもう一度囁いた。
「…大丈夫だからな」
熱ゆえに他ならないが、珍しく熱いシゲルの手に、何故か胸がざわついた。





















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ちょっとだけ前進したシゲサト(と言い張る)。
中途半端になってますが、
verサトシだけ、アンバランスな9題「どこにいる?」に続きます。

「どこにいる?」