迷い人事情
困ったなぁ、とハルカは空を仰いだ。
しかし、森の木々や葉に阻まれ、青い空は見えなかった。
お昼がてら、少し一休みをしようということになり、タケシが食事の準備、
マサトはポケモンたちの食事の用意、サトシは水汲み、と役割分担をして、ハルカの担当は、薪拾いだった。
あまり落ちていなかったので、遠くの方まで探しに行っていたら、いつの間にか道がわからなくなってしまった。
ポケモンたちはマサトに任せておいたので、今手元にはモンスターボールは一つもない。
大声でサトシたちを呼んでみたが、返事は聞こえなかった。
「……困ったなぁ……」
何度目かの呟きを、これまた何度目かのため息と共にこぼして、途方に暮れていると、何か物音が聞こえた。
「……?」
ポケモンかな、と音が聞こえた茂みの方へと目を向ける。
音はこちらへと近づいてくる。
「……」
もしも凶暴なポケモンだったらどうしよう、と不意にハルカは不安になった。
今手持ちのポケモンは一匹もおらず、一人きりだ。
襲ってきたら、逃げようとは思うが、果たして逃げ切れるだろうか。
音がすぐそこまで近づいてきた。ハルカは別の茂みに身を潜めた。
しかし、茂みから出てきたのは人だった。
てっきり凶暴なポケモンかと思っていたので、気が抜けた。
一安心して、その人物に道を尋ねてみようと、顔をよく見て、ハルカは驚いた。
「……シュウ」
一瞬信じられなかったが、その人物はシュウに間違いなかった。
ハルカは安堵した。きっとシュウなら道を知っているはず。
これで助かった。
ハルカは嬉しくなって、茂みから飛び出した。
「シュウ!」
「――!」
シュウはハルカを凝視した。
どうして彼女がこんな所にいるのだろう。急いでシュウは動揺を隠した。
「シュウ、良かった!わたし、道に迷っちゃって!
お願い、シュウ。道を教えて!」
ハルカは素直にそう言って、シュウに懇願した。嫌味の一つ二つは覚悟していた。
シュウは一つため息をついた。
「……僕に聞かれても困る」
ハルカは必死に食い下がる。あきらめる訳にはいかなかった。
「お願い!シュウなら道わかるでしょ?
わたしのことバカにしたっていいから、道を教えて!」
「……今、ロゼリアもアメモースもいないんだ。
君の仲間がどこにいるかなんてわからないし、道を教えることはできない」
「じゃあ、せめてここがどこか教えて!
地図とか持ってるでしょ?」
「……」
シュウは黙り込んだ。内心かなり焦っていた。
「……」
あきらめて、懐から地図を取り出し、ハルカに渡した。
「ありがとう!」
ハルカはその場にしゃがみ込んで、嬉しそうに地図をひろげた。
「それで、シュウ、わたしたち、今どこにいるの?」
「……」
シュウの反応がないので、ハルカはシュウの方を振り返った。
「シュウってば!」
シュウがまた一つ、ため息をつき、ようやく口を開いた。
「……わからない」
「……え?」
ハルカは思わず聞き返す。
「……今、どこにいるのか、僕にもわからないんだ」
「……」
ハルカの目が点になった。
「……どういう、意味?」
「……僕も迷ったってことだよ」
シュウからはいつもの余裕は感じられなかった。
どうやら、ウソではないようだ。
期待が大きかっただけに、ハルカはため息をついた。
「シュウなら絶対知っていると思ったのに……」
「……」
言い返す言葉が思いつかず、シュウはロゼリアたちが早く戻ってくることを祈った。
ハルカはしばらく黙っていたが、ここで落ち込んでいても仕方がないと思い直したのか、
近くの木にもたれかかり、なるべく明るい声でシュウに声をかけた。
「シュウも迷うことってあるのね」
「……まあね」
ハルカと同じく近くの木にもたれて、シュウは森の奥を見つめている。
ハルカは気にせず、話しかける。
「ねえねえ、どうして迷ったの?」
「別に……」
「シュウまで迷うなんて、この森って、実は危険なのかも!」
「……」
彼女は誤解している。だが、その誤解を解く気は無かった。
わざわざ自分の醜態をさらすこともない。
「シュウは今まで何回迷ったことある?」
「……」
何回と聞かれても……
答える訳にはいかないので、シュウが返答に困っていると、
ハルカは勝手に今まで自分たちが迷ったエピソードを話し始めた。
弟のポケナビ操作がどうだとか、サトシが脇道にそれるとか、
ロケット団と一悶着あって、気が付いたら迷っていたとか、
彼ららしいな、と思った。
「相変わらずだね、君たちは」
「失礼ね!」
口ではそう言いつつも、ハルカは気にしてないらしく、その表情は楽しげだった。
ハルカにつられて、シュウも表情が緩んだ。
ハルカとこんな時間を過ごせるとは思わなかった。
今度はもう少し、彼女に対して素直になってみようか、
と思えるほど、シュウはリラックスしていた。
悪く言えば、油断していたのだ。
「でも、けっこう道って迷うものよね」
「そうだね」
「え、シュウもそう思うの?」
「いつものことだからね」
そう言った直後に、口を滑らせたことに、シュウは気が付いた。
シュウの発言にハルカは驚いた。
「いつものこと?シュウ、よく道に迷うの?」
「……」
図星だったので、言葉が出てこなかった。
シュウが黙ってしまったので、ハルカはおそらく本当なのだろうと思った。
「……シュウも道に迷うんだ」
意外だったので、思わずハルカはそう呟いた。
「……悪かったね」
憎まれ口を叩くが、いつもの余裕も覇気もなかった。
観念したのか、シュウは今日何度目かのため息をついて言った。
「……僕は、どうも、空間的認識能力が欠如しているんだ」
「……どういう意味?」
難しそうな単語に、ハルカは首を傾げる。
しばらく黙った後、シュウは素直に答えた。
「……つまり方向音痴だってことだよ」
「方向音痴?シュウが!?」
ハルカは仰天した。
シュウが半分うなだれながら頷いた。
「……だからすぐ迷うし、一度迷ったら、もうわからない」
いつも自信たっぷりで、余裕綽々な彼の意外な事実に、ハルカの方が焦ってしまう。
「え、でも、シュウって一人旅よね?
迷ったら一体どうしてるの!?」
「……その時は、ロゼリアやアメモースたちに頼んで、道を探し出してもらう」
半ばヤケになって、ハルカの質問に答えながら、
何とも格好の悪い話だ、とシュウは思った。
「……そっか、じゃあ、ロゼリアたちが今いないのは……」
「出口を探しに行っているからさ」
「……」
ハルカはその青い瞳を丸くさせながらも、納得したらしく、ゆっくりと頷いた。
「意外だなぁ……」
大きく息を吐きながらそう言った。
シュウは何も言えなかった。
ハルカから顔をそらし、先程のように森の奥をじっと見つめる。
彼女には、知られたくなかったのに……
情けないやら、自分に呆れるやらで、シュウはまた一つため息をついた。
ハルカはそんなシュウに目を向けながら、思いにふける。
欠点と言ったら失礼だけれど、シュウにそんな一面があるとは思いもしなかった。
普段の彼からは想像もできない。
よくからかったりしてくるのも、シュウ自身にちゃんとした実力があって、
ある程度は何でも器用にこなせるから、まだ未熟な自分のことをバカにしているのだと思っていた。
でも、シュウにも苦手なことがあるんだ、
そう思ったら、自然に笑みがこぼれてきた。嬉しかったのだ。
「元気出して、シュウ!もうすぐロゼリアたちも戻ってくるわよ!」
「……」
突然のハルカの元気な声と笑顔に、彼女の方に振り向いて、シュウは少々呆気にとられる。
まさか自分の欠点を見つけたことがそんなにも嬉しいのか、
そんな疑惑が一瞬よぎりかけたが、その前にハルカが話し始めた。
「こう言ったら、シュウは怒るかもしれないけど、
わたし、シュウが方向音痴でちょっとほっとしたの」
「……」
「シュウはすごく実力あるから、シュウとの距離がすごく遠いなぁ、
って、わたし時々思っちゃって……」
シュウから一度顔をそらして、ハルカは遠くを見つめた。先程の笑顔が一瞬消えた。
しかしすぐにまた彼の方を振り向いて言った。
「でも、シュウにも苦手なことがあるんだったら、そんなに遠くないかもしれない、って思っちゃった」
再び、笑顔になって、ハルカは右腕を真っ直ぐ伸ばして、シュウを指差した。
「きっと追いついてみせるから、覚悟していなさいよね!」
「……!」
呆気にとられたまま、シュウはハルカを見つめる。
ハルカは元気よく言った。
「その時は、わたしが道を教えてあげるからね!」
その意味がどこまでのものなのか、ハルカ本人にはおそらくわかっていない。
だから、シュウもどこまで期待していいものか、果たして何か期待するものがあっていいのか、と思ったが、
すぐに、まあいいか、と思った。
彼女の笑顔がとてもまぶしかったので、それだけで十分だった。
シュウも自然に笑みがこぼれる。
「……早くそうなってほしいものだね」
声が微かに聞こえる。耳をすませると、間違いなくハルカを呼んでいる声だった。
ハルカも呼びかけると、次第に声は近づいてきて、やがてサトシたちが姿を現した。
「お姉ちゃーん!」
マサトが駆け寄ってきた。
その後にサトシとピカチュウ、タケシ、
そしてアメモースとその背に乗るロゼリアが続いた。
「ロゼリア、アメモース!?」
シュウが驚いて声をかける。
アメモースはシュウの頭の上を旋回し、
ロゼリアはアメモースから飛び降りて、シュウの足下に着地した。
「よかった、ハルカとシュウ、一緒にいたんだな!」
サトシが一安心といった様子で息を吐いた。
サトシたちがここに来たこと、そしてロゼリアたちが一緒にいたことが不思議で、ハルカとシュウは顔を見合わせる。
すると、タケシが説明してくれた。
「ハルカがなかなか戻ってこないから、みんなで探してたんだ。
そうしたら、偶然ロゼリアとアメモースに会って、
もしかしたらシュウと一緒にいるかもしれない、と思って来てみたのさ」
「そうだったの」
ハルカが納得していると、先程まで心配そうな表情だったマサトが、ハルカに文句を言ってきた。
「まったく〜、お姉ちゃんは、いっつも心配ばっかりかけるんだから!」
「……ご心配おかけしました〜」
ハルカは苦笑して、マサトの頭を撫でた。
シュウの方に目を向けると、シュウはロゼリアたちを労っていた。
そんなシュウに、サトシは親しげに話しかけていた。
不意にシュウと目があった。
シュウが微かに笑った。ハルカも微笑んだ。
シュウがサトシに言った。
「そろそろ行くよ」
「そっか、元気でな」
少し残念そうだが、すぐに笑顔でサトシはシュウにそう言った。
シュウは、最後にハルカの方を見て言った。
「また、どこかで会おう」
ロゼリアとアメモースを連れ、シュウは森の奥の方へと歩いていった。
さりげなくロゼリアたちが先導しているのを知っているのは、ハルカだけだ。
「ハルカ、何か嬉しそうだな」
サトシが声をかけてくる。
ハルカはサトシに笑みを向けるが、何も言わなかった。