薄紫の淡い気持ち
ブレーン戦に敗れ、ポケモン達の回復のために、サトシ達はひとまずポケモンセンターに戻った。
ジョーイにポケモンを預けた後、ハルカたちはショップに買い出しに行ってしまった。
サトシはロビーのソファにひとり腰を下ろす。
回復にはまだ時間がかかるだろうが、センターの部屋に戻る気もなく、暇を持てあましていた。
頭に浮かんでくるのは、先程のバトルのことだ。
圧倒的な力で、相手のペースにのせられっぱなしだった。
負けたままにする気はない。
でも、あんなに強い相手に、次は勝てるのだろうか。
ポケモンセンターのドアが開いた。
無意識にサトシはドアの方に目を向ける。
入ってきた人物にサトシは目を瞠った。
名前にふさわしいライラック色をした髪と瞳を持つ、先程負けた相手がそこにいた。
「リラ……」
思わず呟くと、その声に気付いて、リラはサトシの方に目を留める。
「サトシ」
少し顔を綻ばせて、リラはサトシのところまで小走りにかけてきた。
「どうしたんだ?」
サトシが尋ねると、リラは少し迷ったように、目を泳がせた後、口を開いた。
「……その、ピカチュウたちは?」
「今日一日休めば元気になるってさ」
「そう…」
安堵したように、リラが小さく息を吐いた。
ひょっとしてオレのポケモンを傷つけたと思っているのか、とサトシは思い、リラに声をかける。
「リラ、バトルに負けたのはオレの力が足りなかったからだからな」
だから気にするな、と付け加える。
「え、あ、うん……」
上の空だったらしく、リラはとりあえず頷いた。
サトシは横に少し動いて、リラが座るスペースを作った。
「座る?」
「……ありがとう」
二つの意味を込めて、リラは礼を言い、サトシの隣にゆっくりと座った。
隣に座ったまま、リラは俯き、しばらく黙り込んでいたので、サトシの方から話しかけてみた。
「でもさ、そのためにわざわざ来たのか?」
「……いや、それもあるんだけど……」
言いづらいのか、リラは口ごもる。
サトシは首を傾げた。
「他に何かあるのか?」
サトシに尋ねられ、決心がついたのか、リラはようやく顔を上げ、サトシの方を向いた。
「……サトシは、大丈夫だった?」
「え、何が?」
リラの言わんとしているところが分からず、サトシは聞き返す。
「…ピカチュウのボルテッカーを受け止めたでしょう?」
「あ、あれか」
ブレーン戦での自分の行動を言われて、サトシはぽりぽりと頭をかいた。
「大丈夫だぜ、全然平気」
「本当に?」
「ああ、オレ、頑丈だから」
元気よくそう言うが、リラは納得していないようだった。
やがて、覚悟を決めたのか、まっすぐにサトシを見つめた。
「……ゴメンね、サトシ」
「……何が?」
謝られる理由が分からない。
「ホントはね、ボクも恥ずかしいんだよ」
自分の台詞を証明するかのごとく、リラの頬が少し赤くなる。
「だから何が――」
「でもゴメンね、サトシ!」
サトシの台詞を遮って、リラは突然サトシの上着を下のTシャツごとつかむと、上にめくり上げた。
「――うわあっ!」
ちょっといきなりすぎないか、リラ。
自分でも分かっているよ、サトシ。
読み取れた彼の心に、リラは小さく苦笑した。
あまりにも突然のリラの行動に、サトシの動きが一瞬停止した。
呆気にとられて、少しの間言葉が出てこなかった。
我に返り、何か言おうとサトシが口を開きかけたが、その前にリラが言葉を放った。
「やっぱり、アザになってる」
リラの視線の先にあるサトシの腹部には、痛々しい青アザがあった。
「…ボルテッカーをまともに受けて、無傷なはずがないよ」
「……これぐらい平気だぜ」
サトシが強がってそう言うと、リラは彼の腹を軽く押さえてみる。
案の定、痛みにサトシが短く声を上げたので、今度はそっと撫でる。
「無理しないで」
「……」
心配そうに見上げてくるリラの瞳を受け止めて、
サトシは困ったように微笑む。
「これ、うちの薬だけど、良かったら使ってよ」
そう言って、リラは懐から取り出した小さな容器をサトシに手渡した。
「……サンキュ」
少し気まずそうに、恥ずかしそうに、サトシは素直にその薬を受け取った。
そんなサトシにリラは優しく微笑んだ。
その笑顔を見て、サトシは思った。
無意識にそれが声に出た。
「……リラは、すごいな」
「何が?」
ソファにきちんと座り直しながら、サトシの言葉にそう返す。
自分で言っておきながら、それを説明する的確な言葉が見つからなくて、
サトシはリラから顔をそらして、天井を眺め、唸りながら言った。
「何て言うのかな、オレと同じくらいの年なのに、フロンティア・ブレーンだし、
お前のポケモンたちもすごい強かったし……」
違う。
そうなんだけど、自分がすごいと思ったのはそういうことだけじゃなくて……
「……」
リラは静かにサトシの次の言葉を待った。
「……えっとな、こんな風にオレのこと心配してくれたりとか…
…オレはただのチャレンジャーなのに、しかもお前に…
…負けたのに……」
同情なんかじゃない。
それぐらいは分かる。
リラは本当にオレのことを心配してくれているんだ。
相手のことに気を回せる心の余裕を、リラは持っている。
「……」
「……ゴメン、うまく言えないや」
だけど確かなことは、今のオレは、こいつには敵わない、ということだ。
黙ったまま、サトシを見つめていたリラは、やがてゆっくりと首を振る。
「…前にも言ったけど、ボクはそんなにすごくないよ」
「……」
違うと言い返そうと、サトシが口を開く前に、リラは続けた。
「それにサトシはボクにとって、
ただのチャレンジャーでも、
負かした相手でもないんだ」
リラの言葉に、サトシはリラの方を向き、小首を傾げる。
リラは変わらず優しく微笑んで言った。
「だってサトシは……大切な、友だちだから」
他のトレーナーとは違う、大切な、大切な存在だ。
「友だちなら、誰だって心配するよ。
助けになりたいって、思うよ。
だからサトシも、こんな無茶してまで、ピカチュウを助けたんでしょう?」
「……!」
サトシがはっとした表情をする。
「友だちだから、相手のことをもっと理解したい、分かり合いたいって思うんだ。
ボクがポケモンたちの気持ちが少し分かるのは、そう思っているからかもしれない」
こちらが心を開いて訴えれば、ポケモンたちは分かってくれるし、とリラは付け加えた。
「……」
リラの言葉が頭に入り込んでくる。
そうか。
今、分かった。
今日のバトルで負けた理由が。
オレはもっと、オレのポケモンたちのことを理解して、
こいつらの力を精一杯引き出してやらなきゃいけなかったんだ。
リラはそれがきちんと出来ている。
だから勝てなかったんだ。
「…でもサトシなら、大丈夫だよ」
また心が読み取れたのか、リラはそう呟いた。
リラの言葉はどこまでも優しくて、それでいて力強くて、
サトシの心を包んでくれた。
やっぱりリラはすごい。
心の底から、サトシはそう思った。
「ありがとう、リラ」
サトシがやっと、いつもの元気な笑顔で笑った。
彼の笑顔に、リラも先程よりも更に笑顔になって微笑んだ。
「ボクはそろそろ帰るよ」
ソファから立ち上がりながら、リラはサトシに声をかけた。
「そっか、じゃあまた明日」
「……明日?」
「ああ、次は負けないからな!」
サトシはもう一度チャレンジするつもりなんだ。
また、彼に会える。
その事実に、リラは嬉しくなった。
「うん」
最後にサトシに手を振って、リラはポケモンセンターを出た。
家への帰り道を歩きながら、リラはサトシのことを考える。
今まで会った人間とも、トレーナーとも違う。
「……素敵な、友だちだな」
サトシと友だちになれたことが嬉しい。
サトシとまた会えることが嬉しい。
「……」
こんな気持ち、初めてだ。
これは本当に友だちに対する気持ちなのだろうか。
「……」
本当は……もう分かっているけれど。