苦しくなってきたので、ハルカは足を止めた。
息を大きく吸って、呼吸を整える。
呼吸は落ち着いても、気持ちは全然落ち着かなかった。
頭の中は、タケシに言われたことと、緑色の髪をした彼のことでいっぱいだ。
どうして、こんな気持ちになるんだろう。
シュウは、ライバル。
でも、シュウの実力は確かにすごいから、目標でもある。
くやしいけど、尊敬する部分だってたくさんある。
それだけだ。
そう思ってみても、心のどこかでは、
本当にそれだけ?
と誰かが尋ねてくる。
「…そんなの、すぐに分かる訳ないじゃない…」
その誰かにそう言い返し、ハルカはその場にしゃがみ込んで、大きく息を吐いた。
息を吐いたら、少し嫌なものが出ていき、頭がスッキリした気がする。
そうよ、そんなに簡単に分かるなら、こんなに悩むことなんかない。
これはきっと、もっとデリケートなものなんだ。
サトシは男の子だし、無神経なとこがあるから、それで知らないうちにイライラしてるんだ。
だから仲の良いシュウにもイライラしてるんだ。
「サトシのバカ〜、ついでにシュウもバカ〜」
なんだか開き直りや八つ当たりというより、逸れた思考にハルカが走り始めたところで、
誰かから声がかかった。
「バカとは心外だね」
誰かからなんて、とんでもない。
さっきまで頭の中は彼のことでいっぱいだったのだ。
その彼の声が聞こえたので、ハルカは俯いていた顔をがばっと上げた。
例の緑色の髪の彼は、少しだけ呆れたような表情でハルカを見下ろしていた。
「…なんであなたがここにいるの?」
ハルカにとっては素直な疑問だが、シュウにとっては憎まれ口だ。
「…いたら悪いかい?」
「……悪くはないけど、良くもないかも」
あんまりなハルカの言葉に、シュウは肩を竦めた。
「やっぱり今日はご機嫌斜めだね、君は」
シュウには何気ない感想だが、
ハルカの方は、やっぱり、という言葉に反応してしまう。
「何でシュウにやっぱりなんて言われなきゃいけないのよ」
「何でって、サトシくんが…」
案の定な答に、ハルカはもう一度ため息をついた。
「何で…サトシなの?」
なんだかすごくイヤな気分。
「何でって…」
「どうしてサトシとシュウが仲良くするのよ!」
「ハルカくん…?」
「なんでわたしよりサトシと仲良くするの!」
「いや、仲良くというか…」
キューピッド役を申し出たサトシの好意に甘えただけなんだけど。
しかしそれをハルカに言えるはずもないので、シュウは口ごもる。
そのことと、今日ここまで来た目的に気を取られ、
ハルカの様子や言葉に注意を払わなかったのはシュウのミスだった。
「シュウなんか、サトシとずーっと仲良くしてればいいのよ!!」
サトシの時と似たような台詞を叫んで、ハルカはまた走り出してしまった。
「ハルカ!」
掴み損なった手を宙に浮かせたまま、シュウはハルカの背を見送った。
「見送るなよ」
背後からの声にシュウは振り返った。
全速力で走って来たサトシが、呼吸を荒くさせながら
少しだけ咎めるような視線でシュウを見ている。
「こういう時はすぐに追いかけていくもんだって言ってたぞ」
「誰に言われたんだ、そんなこと」
「シゲルだよ。
前に何かのドラマ見てた時に言ってたんだ」
「ああ、そう…」
この少年にそんなドラマを見せるな。
どうせ分かっていないんだから。
会ったことのないシゲルに心の中で毒づき、
サトシにも割と失礼なことを同じく心の中でこぼした後、
シュウは先程のハルカの言葉を思い返し、ため息をついた。
「…なんかどうも誤解されてるみたいなんだけど」
「誤解?」
サトシは首を傾げる。
「まあ、完全に誤解ではないんだけどね」
サトシに頼りすぎたのは事実だ。
「オレにも分かるように説明してくれ」
「説明する時間が惜しい。ハルカくんを追いかける」
シュウはサトシに構わず走り出した。
が、すぐにサトシに追いつかれた。
「なんかちょっと失礼なこと言われた気がするけど、追いかけるのには賛成。
手分けして捜した方が早いだろ」
「……いいけど、彼女には僕から話すからな」
だから余計なことは言わないでくれ、と付け加えると、
了承しながらも、やっぱあいつに似てる、と言い返された。
どことなく嬉しそうな様子に少し腹が立った。
自分で何を言ったかもよく覚えていない。
ただ、頭の中がぐちゃぐちゃしていて、何かとんでもないことを口走った気もする。
何でわたしこんなにイライラしてるんだろう。
さっき出した答えはたぶん違う。
なら答は何なのだろうと考えると、また振り出しだ。
「もうやだぁ…」
考えれば考えるほど疲れるだけで、なのに答は全然見つからなくて。
身体の疲労と、考えすぎて疲れたのとで、ハルカはヘナヘナとしゃがみ込んだ。
「いたぞ、シュウ」
繁みに隠れ、その先にいるハルカを示しながら、サトシはシュウに声をかけた。
サトシが出したオオスバメが簡単に見つけてくれたので、手分けして捜さずにすんだ。
ともすれば自分自身が迷子になる可能性もあったことだし、シュウは心の中ではほっとしていた。
ちなみに、サトシはまだシュウの空間認識能力欠如のことは知らない。
「よし、オレはここで見守っているから、シュウは行ってこいよ」
「……」
シュウは呆れた様子でサトシを見る。
「覗き見する気かい?」
「いや、見守るんだって。
オレ、キューピッドだから」
自分の胸をどんと叩き、ものすごく自信満々でサトシはそう言った。
「……」
どこまで本気で言っているんだろう。
「絶対に、手も口も姿も出さないでくれよ」
段々とサトシに容赦がなくなってきた。
サトシにそう言い残すと、シュウは繁みを抜け、ハルカの方へと歩いていった。
「……ハルカくん」
シュウが呼びかけると、ハルカは顔を上げた。
「なんで、いるの?」
先程と同じ台詞を繰り返す。
しかしシュウの方は今度はハルカよりも冷静だった。
だからここでさっきと同じことを繰り返すことなどしない。
「サトシと仲良くしてればいいじゃない」
どうしてそんなにもサトシのことを気にするかが、シュウには分からない。
しかし、それが彼女の誤解とヤキモチだったらいいな、と思った。
「君に会いに来たんだよ」
「どうしてよ。
どうせシュウは、サトシといた方が楽しいんでしょ」
「楽しいとか、そういう問題じゃないんだ、彼とは」
だってサトシは協力してくれただけだし、
それも全部今日のためだから。
君のためだから。
「何よ、シュウなんて――」
パニックになっているハルカは、もう自分が何を言っているのか分かっていなかった。
その場の勢いでとんでもないことを口走ろうとする直前、
シュウはハルカの前にバラを差し出し、彼女を止めた。
バラを押しつけられ、ハルカはパチクリと目を見開いた。
「自分でもよくやるな、とは思ってるんだからな」
少し気恥ずかしそうにしながら、懐から綺麗に包装された箱を取り出した。
それもハルカに差し出す。
ハルカは差し出された箱とシュウを交互に見やった。
「……これ……」
「プレゼントだよ。
今日、誕生日なんだろう?」
「え……」
シュウに言われ、ハルカははたと気が付いた。
そう言えば……!
今日、わたし誕生日だった!
最近のサトシとシュウの仲にばかり気を取られて、すっかり忘れていた。
ハルカの様子に、シュウもそれに気が付いた。
「…ある意味では、100%成功なんだろうけど…」
「え、でも待って。
なんでシュウがわたしの誕生日知ってるの!?」
「それはオレが教えたから」
サトシが繁みから顔を出した。
あれだけ言ったのに、とシュウは舌打ちしてサトシを見る。
サトシは二人のところまで歩いてくると、ハルカに謝った。
「ゴメンな、ハルカ、隠し事してて。
シュウがハルカにプレゼントあげたいって言うからさ。
で、驚かせたいから、絶対言うなって言われてたんだ」
「でもさっき言ったことは守ってくれないんだね、君ときたら」
諦め混じりでシュウがサトシにそう言うと、
だって放っておけないじゃん、とか言い返された。
その答に予想がついていたので、サトシのことは無視した。
「受け取ってもらえるかい?」
いまだ呆然としたまま動かないハルカに、シュウは声をかけた。
差し出されたままの手がなんだか気まずい。
何より自分の行動が恥ずかしいのだから。
「……」
つまりは、最近頻繁にサトシとシュウがメールをしていたのは、
プレゼントをくれるために色々と打ち合わせをしていただけだったのだ。
「…なんだぁ〜」
安堵し、同時に胸のつかえがスッと取れた。
ハルカは立ち上がり、手を伸ばしたままのシュウからプレゼントを受け取る。
「ありがとう、シュウ」
素直に礼を言い、ハルカは気の抜けたような嬉しそうな笑顔を見せた。
「…どういたしまして」
ハルカにつられてシュウも微笑む。
いつもよりも優しい表情のような気がした。
「でもね、やっぱり気になるのよ」
三人で並んでタケシ達のところへ向かいながら、ハルカが唐突に言い出した。
「何が?」
サトシが尋ねる。
「いつの間に、サトシとシュウってそんなに仲良しになってたの?
メールアドレスだって知ってるし」
「だってオレはシュウとハルカのキュ――」
正直に答えかけたサトシの口を、シュウが慌てて塞いだ。
「え?シュウとわたしがどうしたの?」
「……それは……」
ハルカに正直に言う訳にはいかない。
何と言ってごまかそうかとシュウは考えるが、咄嗟には言葉が出てこない。
塞がれたシュウの手の下で、サトシがむぐむぐと何かを言っている。
「やっぱサトシとシュウって……」
悲しさのような、嫉妬のような複雑な表情をハルカが浮かべてしまったので、
シュウの手をはがしてサトシが言った。
「オレとシュウは仲間ってだけ!」
「ホントに?サトシもシュウのこと好きなんじゃないの?」
その発言も含めて、今までハルカが言ってきた言葉に、
ほとんどハルカが悩んでいた疑問もその答えも真実も含まれていた。
しかし当のハルカは気付いてなかったし、サトシも当然気に留めていない。
シュウもごまかすことに気を取られていたので、幸か不幸か、三人とも気付かなかった。
ただし、後でシュウだけは思い返して首を傾げることになったのだが。
ハルカの言葉に、サトシは首を振る。
「シュウのことは好きだけど、それは仲間同士ってことと、あいつに似てるってことだけ!
オレにはちゃんと、他にもっと好きなやつがいるの!」
「……バカ」
シュウはひっそりとため息をついた。
サトシの勢いで言った発言に、ハルカは目を丸くした。
言った直後にサトシが、ヤバイ、と焦り出す。
「ええっ、サトシ好きな人いるの!?」
「え、いや、だからそれは……」
「誰誰!?
わたしの知らない人!?」
「ああ、知らない……って、そうじゃなくて!」
「まさかサトシにねぇ。
付き合ってるの?」
「一応な…って、だからそうじゃなくて!」
サトシの素直さというか、迂闊さにより続くカミングアウトに、
ハルカの見開いた瞳が興味と羨望でキラキラと輝き出す。
自分のことはともかくとして、ハルカも他人のこういった話は大好きなのだ。
「ねぇねぇ、誰?名前教えてよ」
「だ、だから、それは……」
シュウに口止めしておきながら、自ら墓穴を掘ったサトシは、
ハルカの追及にあたふたしていたが、顔を赤くして、自慢の脚力でその場から逃げ出した。
「もう、聞かないでくれ〜!」
さっきとは全く逆のパターンだ。
どうせ後で合流するのに。
「……そういえば、シュウも知ってたの?」
サトシに逃げられたハルカは、今度は多少は事情を知ってそうだと睨み、シュウに振り返った。
「まあ、一応は」
「え、ホント?
誰なの、サトシが好きな人って」
二人のやりとりに呆れて言葉も出なかったシュウは、その言葉に、ブチンと切れた。
「それよりも、君はもっと自分のことを考えろ!」
大声でそう言って、スタスタと歩いていってしまった。
「ちぇっ、まあいいか。
後でサトシにもう一回聞いてみよっと」
不満そうにそう呟いた後、ハルカは握っていたプレゼントに目を落とした。
自然に口元が綻び、大事そうにぎゅっと握り直した。
「シュウ、またね!
プレゼントありがとう!!」
彼に聞こえるかは分からなかったが、
想いを込めて、そう叫んだ。
ハルカが答えに辿り着くのは、まだもう少し先の話。