目を疑った。

先ほど去っていったばかりの人物が、なぜこちらに走ってきているのだろうか。
戻ってくる理由が思いつかない。
「……何で、戻ってきたんだい?」
自分の所まで一気に走ってきて、少し息を切らしているサトシにシゲルは尋ねた。
サトシは、へへっと少年らしい笑顔を浮かべ、まだ少し呼吸を荒くさせたままシゲルの質問に答えた。
「ちょっとな、オレも喉渇いちゃって、水飲もうと思ったらもう無くてさ。で、ここに自販機があったの思い出して」
「……で、戻ってきた、ってわけか。わざわざ走って」
実にサトシらしいというか、その無駄に溢れているエネルギーに呆れ半分感心半分で、シゲルはそう言ったが、
サトシはそんなシゲルの様子を特に気にしてはいないようだった。
「だって早く飲みたいじゃないか。そういや、お前は何買うんだ?まだ買ってないよな?」
「……買いたければ、どうぞ」
シゲルは自販機の前からどいた。サトシはちょっと驚きながらも首を振った。
「え、いいよ。最初からお前がいたんだから、先に買えよ。オレはその後でいいから」
シゲルは置いていた荷物を持ち上げながら、サトシの申し出を断った。
「ごあいにく様、僕はもう買う必要が無くなったんでね」
「……なんでだ? だってずっと自販機の前に立って、迷ってたじゃないか」
まあ、ある意味迷ってはいたが……
「それじゃ、ごゆっくり」
 サトシの台詞を無視して、シゲルが出発しようと足を一歩踏み出した時、
不意にサトシが妙に大きな声で言った。
「あ、わかった! お前買おうにもお金が足りなかったんだろ!」




 図星を指された。
「……」
いつもならば、これでもかというくらい鈍くて、こちらの気持ちなど全く理解してくれないのに、
なぜこういう時だけこいつの勘は冴えるのだろうか。
図星を指されたことと、サトシの普段の彼からは絶対にあり得ないであろう勘の良さに、シゲルは言葉に詰まった。
その沈黙がサトシにも自分が言ったことが真実だと知らせる。
「……マジで……?」
「……」
こんな間抜けなことを、サトシにだけは知られたくなかった。
上手くごまかせたと思っていたのに、ごまかした分、余計に情けない。
 バレた以上、ごまかしたって仕方がなかった。シゲルは素直に肯定した。
「……そうだよ」
「……え〜と……なんで?」
シゲルが素直だったせいか、いつもその反対を見せられてきたサトシは少し気まずそうに、とりあえず理由を尋ねた。
それがシゲルをより情けない気持ちにさせることなど、やっぱり気づいていない。
「……前の町で、道具を買ったからだよ」
半ば投げやりにそう答えると、サトシは意外そうに、シゲルをじっと見つめた。
真っ直ぐに自分を見つめるサトシにシゲルは少したじろいだ。
「……何?」
「いや、シゲルも間抜けなことするんだな、と思って……」
「……」
実際間抜けだったのは確かだが、改めて他人から、それもサトシに言われて、
シゲルは少し傷付いた。
 サトシがさらに尋ねる。
「で、結局どうするんだ?」
「どうするも何も、次の町まで我慢するしかないだろ」
「まあ、そりゃそうだよな……」
サトシはさすがに哀れに思い、シゲルを見つめた。
サトシ自身、旅の途中で喉の渇きに悩まされたことは決して少なくないし、実際今だってサトシも喉が渇いているのだ。
 サトシの同情と喉の渇きでシゲルは段々苛立ってきた。
「同情するのはやめてくれ」
少しトゲのある言い方になってしまった。
「……」
サトシが黙り込んで俯いた。その様子にシゲルは罪悪感に嘖まれる。
何度目かのため息を一つつき、シゲルが言った。
「……もう、僕のことはいいから、君は早くジュースでも買えよ。君の仲間も待ってるんだろ?」
 サトシが不意に顔を上げた。
その表情には落ち込んだ様子など微塵もない。
無駄に目がキラキラと輝いていた。
てっきりサトシが自分の言った言葉で落ち込んでいると思っていたシゲルは、怪訝そうに眉を寄せる。
「そうだよ、うん、え〜と、タケシたち待ちくたびれてるぜ! オレもう行かなきゃ!」
そう言うなり、いそいそと自販機に持っていた小銭を入れ、まずは一つ炭酸飲料を買った。
「……」
サトシの性格は十分理解していると思っていたが、ここまで無神経だとは思わなかった。
確かにもういいとは言ったが、こうもあっさりとした態度をとられるとは……
「シゲル、わり、20円貸してくれ」
呆気にとられていたシゲルにサトシが更にそう言った。シゲルが理由を聞く前にサトシが喋り出す。
「どうせなら、ピカチュウにも買っていってやろうと思ったんだけどさ、お金足りないんだよね」
「……」
シゲルは呆れて声も出ない。サトシの無神経さとピカチュウの単語に、再び苛立ちが浮かぶ。
このポケモン馬鹿は今この時に、自分のことよりもあの黄色い電気ネズミを思いやるのか。
いい加減腹が立ったが、今ここで怒りを爆発させても、無駄にエネルギーを消費するだけだ。
シゲルは怒りをぐっと抑え、財布から20円を取り出し、押しつけるようにサトシの手にのせた。
「サンキュ!」
 サトシは嬉しそうにお金を自販機の投入口に入れる。
おそらく今のサトシの頭の中はピカチュウのことでいっぱいなのだろう。
ピカチュウに対して少し嫉妬の気持ちも浮かんだが、とにかく早く次の町へと向かおうと、
余計な雑念を振り払い、サトシの方も見ずに、シゲルは荷物を肩にかけ歩き出した。








 突然、何か冷たいものがシゲルの頬に押し当てられた。
シゲルが驚いて振り返ると、ジュースの缶を両手に持って、満面の笑みのサトシがいた。
相変わらず瞳は輝いていて、笑顔を引き立たせている。
昔から表情豊かだが、自分は特にこの笑顔に惹かれていた。
邪気のない笑顔に、先ほどの怒りも忘れ、シゲルは思わずサトシに見とれていた。
 我に返って、少し頬が赤く染まった。口を手で覆って、サトシから目をそらす。
サトシはシゲルの反応に気づいていないのか、気にしていないのか、
左手の方の缶――シゲルの顔に当てた缶を今度はシゲルの手に押しつけた。
缶の冷たさに少々驚いて、シゲルはそらしていた顔を自分の手元、そしてサトシの方に順に向けた。
「それじゃあな、シゲル!」
笑顔のまま、サトシはそう言って走り出した。
シゲルはただただ走っていくサトシを見つめる。
姿が小さくなってきた時、サトシが再び振り返った。
「ちゃんと100円返せよな!」
そう叫んで、先ほどよりも更にスピードを上げ、サトシは道の先に見えなくなっていった。
 シゲルはようやく自分の手元に目を向けた。
缶のラベルには、洒落た文字でストレートティーと記されており、その横に小さくノンシュガーと書いてあった。
シゲルが好んでよく飲む紅茶だった。








 オーキド博士から今この近くにいると聞いたので、メールを送って、会う約束をした。
待ち合わせ場所である、近くの丘の頂上でシゲルは腰を下ろした。
いつの間にか、あの時からずいぶん経ってしまった。忘れてしまっていた訳ではなく、タイミングを逃していた。
やっと会える。やっと返せる。
100円玉を握りしめ、シゲルは微笑んだ。
 風が頬をくすぐった。気持ち良くて、無性に嬉しくなった。
くすりとまた微笑んで、丘のふもとを見ると、サトシが走ってくるのが見えた。















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ジュースの値段は、120円ということで……
実際、100円って大きいですよね……?