宵と発破と暗と竜
居心地が悪い。
その思いが晴れずに、人知れずため息をつく。
招かれた城の一室でのこの宴は、他の誰でもなく、己への歓待のために催されたものだ。
つまり主賓は己なのだ。
いや、正確には己だけでは無いのだが、主賓の一人には確かに含まれている。
だから居心地が悪い。
まさか己に限って、と事ある毎にそうよぎってしまい、この厚遇を素直に受け入れられない。
この染みついた卑屈さが恨めしい。
文字通り自棄になって九州を放り出し、相模へ逃れてから早幾月か。
信じ難い幸運の連続で快進撃を続け、先の戦で奥州の独眼竜をも打ち破った。
そして、その独眼竜に城に招かれ、こうして持てなしを受けている。
何故こんなことになったのか。
考えれば考える程思考が混迷していくのでそれ以上考えるのを止めたのだが、
今までの不運を顧みれば、単純に喜べない。
だからこの宴を素直に楽しめない。
故に未だ居心地が悪い。
宴は酣を過ぎ、今は各々が談笑を交わしている程度で、
主賓だからといって必要以上に構われることもない。
ではもう一人の主賓はどうかと探してみると、酒で普段より饒舌になっているらしく、
上機嫌に家とあの傭兵の自慢話に花を咲かせていた。
杯に満たされた酒に目を落とし、一気に呷る。
水のせいか土地のせいかは知らないが、九州のものとは色合いや風味が少し異なっている。
そういえば相模で世話になっていた際もそんなことを考えていたかと思い出しながら、
口中の酒の風味を楽しんでいた。
「どうした?奥州の酒は口に合わねぇかい?」
その軽口に、酒を眺めていた顔を上げると、
招いた城主本人が不敵、いや不遜に笑いながらこちらを見下ろしていた。
「とんでもない。身に余る光栄ってもんさ」
そう答えつつ杯の酒を呷るものの、先程杯を空にしたばかりだったのを忘れていた。
虚しく空気を飲む様に気付き、
独眼竜は周りを見渡して近くにあった徳利を手に取り、隣に腰を下ろした。
杯を出すよう促されたので、流石に慌てた。
「おいおい、お殿さんがすることじゃあないだろう?」
後で考えれば酌を断る方が無礼だったのだが、
独眼竜はそれ程気を害した訳でもないらしく、むしろ己の狼狽を楽しんでいるといった様子で笑う。
「気にすんな、無礼講だ」
もう一度促されたので、仕方なしに酌を受ける。
その酒に口を付けていると、独眼竜は感心した様子でそれを眺めている。
「Hum…器用なもんだ」
言わんとする意味に気付き、官兵衛は手首に付けられた枷を苦々しげに見る。
その存在を誇示するように、枷に繋がった鎖が鈍い音を立てた。
「長い付き合いなんでね。慣れもするさ」
言葉通りを認めるのが癪で、憮然としながらもそう軽口を叩く。
「へぇ……」
呆れとも感心とも判じ難い声を漏らし、独眼竜は手枷を辿り官兵衛の隣にある鉄球に目を遣った。
床板の上に置かれた黒い大球からはずっしりとした重みが感じられる。
"慣れ"に至るまでの辛苦を察して同情したか、独眼竜は声音を幾分和らげた。
「だったら、大概のことは一人で出来るのかい?」
それでも、そう問う彼はその隻眼を物珍しげに煌めかせている。
そこにからかいの気が含まれているのに気付き、官兵衛は大仰に頷いた。
「ああ、お前さんと違って、世話を焼いてくれるような奴に恵まれなかったんでね」
皮肉は通じたらしい。
独眼竜は眉を顰め、舌打ちした。
「……やはり、アンタのそれは直した方がいいと思うぜ」
独眼竜曰くの己の弱点を改めて指摘されるが、官兵衛は変わらず軽口を叩く。
「性分でね。いちいち気にしないことだな」
「Ha、言うねぇ」
独眼竜はそう言って唇の端をつり上げるが、彼の隻眼は笑わない。
ここで漸くに、城内でその城主を怒らせる不利に思い至るものの、時既に遅しだ。
独眼竜は既にその身から怒気を漂わせ、その隻眼は戦で対峙した際のそれと同じ鋭光に変わりつつある。
不運を招く軽口という意味において、独眼竜が言ったそれは、成程確かに弱点だ。
またしくじったかと心中で舌打ちし、次に己に及ぶ難儀を覚悟したが、
独眼竜が発する殺気めいたそれは不意に霧散した。
「やっぱ面白ぇなぁ、アンタ」
そう呟き、途端に独眼竜は、今度は屈託無く笑い出した。
唖然とする間に、独眼竜は興味深そうに官兵衛から鉄球の方へとその視線を移すと、
そろそろと近付き手を伸ばしてきた。
試しに突っついて、それが微動だにしないことを確かめてから、楽しげに球体を撫でている。
その様子を見る限りでは、もう怒ってはいないらしい。
その気まぐれさと鉄球で遊ぶ様は、何かを彷彿とさせるが故にか微笑ましくもある。
勿論それに付き合うのは些か骨を折りそうだが。
「あまり触っていると爆発するぞ」
そうからかいながら、再び杯に口を付ける。
拍子に鎖に引かれ鉄球が動いたので、ビクついて独眼竜は伸ばしていた手を引っ込めた。
「……本当か?」
「そうなりゃ嬉しいんだがね」
どうやら本気にしたらしい。
素直なところもあるものだと、少し意外に思いつつ、
訝しげに官兵衛と鉄球とを見る独眼竜の様子にそう付け加えた後、
官兵衛は唐突に話題を変えた。
「ところで独眼竜、そろそろお前さんの目的を教えて欲しいんだがな」
からかわれたことに気付き顔を顰めていた独眼竜は、その言葉に小首を傾げる。
「目的?」
話に聞く独眼竜とは、己を打ち負かした相手をこれ程までに歓待する気性では無く、
何を企んでいるか知れたものでも無い。
「……別に、何も企んじゃいねぇよ」
内包する意味に気付き、独眼竜はそう否定するが、言葉通りに信用できるはずもない。
それを分かっているらしく、独眼竜は言葉を継いだ。
「これでも、アンタの強さを認めているんだぜ。
何しろ、アンタはこの俺とのraceに勝った。しかも、馬すら使わないときたもんだ」
"災い転じて"を使用したあの異様な光景を思い出し、独眼竜は微かに苦笑する。
「まあ、信用できねぇのも無理はねぇが、これはアンタの強さに対する伊達軍の敬意で、
アンタはそれを受けて然るべき者だ。素直に受け取っておいてくれよ」
応える代わりに、官兵衛は探るように独眼竜の隻眼を窺い見る。
髪に隠れたその目を見透かすように、独眼竜はその視線を真っ向から受け止めた。
「それでも納得できないってんなら……奥州筆頭の命を救った礼だとでも思えばいい」
暫し言い淀み、その顔を微かに歪めたのは、
独眼竜にとって敵に情けを掛けられたという、堪え難い屈辱である故だろう。
それを敢えて口にする理由を思いつきはしたが、両極端でどちらかまでは判らない。
考える間に、自嘲していた独眼竜はその顔に違う笑みを浮かべる。
「後は、そうだなぁ……アンタ自身にも興味が沸いたってのが大きいな」
その瞳に浮かんだ光に、少しだけ己にとっての不吉なものを感じたが、
少なくとも独眼竜の言葉自体に偽りは無かろうと思う。
嘘に塗れた者ばかりを相手にしていたのだ。目に多少の自負はある。
それに、皮肉にもこの枷が武器となっている以上、
常に武装していることに違いはないし、今は北条殿や風切羽の存在も大きい。
いざとなれば、強行突破すればいいだけだと、
些か安易な結論に達して、官兵衛はそれ以上の追及を止めた。