多くはないが夜空に浮かぶ雲の合間から、彼の兜のような見事な三日月が淡い光を放っていた。
秋の初めとはいえ奥州はもう肌寒い。
身体を温めることも含めて、窓際で月を肴に政宗が一人で酒を呷っていると、
誰かの足音と話し声が聞こえてきた。
「……か、…様」
「……いや、…ても…ねば」
困惑気味に止めようとする小姓と、それを振り払う声が次第に近付いてくる。
「どうした?」
外に声をかけると、小姓の代わりに別の声が先に答える。
「…兄上、少しお話ししたく」
その声に政宗は眉を寄せた。
己を兄と呼ぶ者など、現在のこの城には一人しかいない。
「…小次郎か?」
「はい」
「……お前一人か?」
「はい」
「………」
何故こんな時間に弟が一人で?
当然浮かぶ疑問を胸に抱きながらも、政宗は小姓を制し小次郎に部屋へ入るように促した。
「失礼致します」
相変わらず緊張した顔の弟は、部屋が暗いせいか更に顔色が悪く見える。
政宗も月を眺めていた窓際から部屋の奥へと移動した。
「どうした、こんな時間に?」
「……二人きり、でお話ししたくございます」
「……何を?」
眉を顰め、不審そうに小次郎を見据える。
怯えか不安か戸惑い故か、小次郎は一度目を逸らしかけるが、懸命に堪え複雑な表情で見つめ返した。
「…All right. お前ら、退がってろ」
有無を言わせぬ調子でそう命じられ、戸惑いながらも小姓や近従たちが退室した。
 その足音が遠くなり静寂が訪れた時、政宗は再び口を開いた。
「で、一体何の話だ?」
その問いに生唾を飲み込み、小次郎は言った。
「……兄上の御心を…お聞かせ願いたいのです」
「心?」
鸚鵡返しの言葉に、小次郎は生真面目に頷いた。
「これまで互いにほとんど話すこともなく、私は母上から兄上のことを聞かされるばかりでした」
「……」
「しかしそれはやはり、母上のお考えが含まれてしまうのです」
「……」
「ですから、兄上から直接、兄上のお考えを聞きたい。
 そして兄上のことをもっと知りたいのです」
そう言う小次郎と同じく、政宗もこの弟のことなどほとんど知らない。
しかし不安げに見つめながらも、その瞳の奥に真剣な光が垣間見えた気がした。
「…本気か?」
低い声で鋭く睨む。
小次郎は怯みはしたが、目を逸らさなかった。




 暫しの沈黙の後、緊迫していた空気は政宗の零した笑みで唐突に和らいだ。
「OK. Come on」
政宗は手招きして、恐る恐る近付いてきた小次郎に杯を渡し、側に置いていた酒を注いでやった。
「兄弟水入らずだ、ゆっくり話そうぜ」
屈託のない笑顔に、小次郎は思わず兄を凝視した。
固まった弟に政宗は苦笑した。
「そう堅くなるなよ、お前が言い出したんだぜ?」
「あ、申し訳ございませぬ」
慌てて注いでもらった杯に口を付ける。
政宗も杯の酒を飲み干し、すぐに手酌する。
「で、何が聞きたいんだ?」
「…そう、ですね…
…兄上のお人柄を知りたい故、政や戦、それに普段どのように過ごされているかなどを、是非」
「Hu-n… OK.
 だがFairじゃねぇな、お前のこともちゃんと聞かせてくれよ?」
時折混じる政宗の異国語に戸惑いながらも小次郎は頷き、
その生真面目さに政宗は笑みを深くした。




 兄は、思っていたよりも、母から聞かされていたよりも、ずっと思慮深かった。
領民のことを考え、先見の目も持ち合わせている。恐らくは、己よりも。
そなたは兄よりも余程優れている。
どうして兄よりも先に生まれてこなかったのか。
と母は嘆き、事ある毎にそう零すが、兄と話す今、小次郎には到底そうは思えなかった。
 だからこそ、この兄がいる間、決して己に光が当たることは無いのだ。
「小次郎、どうした?」
己の思考の中に入り込み黙り込んでしまった小次郎に、政宗が声をかけた。
それに我に返り、小次郎は首を振る。
「…いえ、まさか、兄上がそこまでお考えの上での同盟だったとは、と思い…」
武田と同盟を結ぶことで上杉を挟み、武田・上杉両方の動きを封じた上で、
機を見て北条を降し関東側から京へと上る、というのが政宗の考えだ。
「ま、そう上手くいきゃ、世話ねぇがな」
勢いが衰えたとは言え北条は未だ手強い相手であるし、その居城は難攻不落と言われる小田原城だ。
ただしそう軽口を叩く政宗からは不安などではなく、無謀ではない自信が感じられた。
「…では、最後にもう一つだけ…」
「…何だ?」
「兄上は何故、天下を目指されますか?」
群雄割拠と言われるこの時代だ、時勢が人にそうさせるのは分かる。
最強を誇る騎馬軍団を有す甲斐の武田も、
今川を降し勢いづく尾張の織田も、
動かずを装う三河の徳川ですら、
天下を取るという野望をその心中に抱いている。
しかし、例えば兄と己が異なる個であるように、それぞれにも理由があるはずだ。
 政宗は酒のせいか幾分据わった独眼で、確かめるように小次郎を見つめた後、やがて口を開いた。
「……決まってるさ、夢の為だ」
「天下を取ることが、ですか?」
「いーや、そりゃただの手段ってだけだ。
 俺の夢はな、小次郎…」
酒のせいだろう、今の兄は、普段――頻繁に見ているわけではないのだが――よりも饒舌なようだ。
ほんのり頬を赤く染め微かに気恥ずかしそうに、
しかし笑みを作り、灯りの火で余計にその一つ眼を煌めかせ、政宗は言った。








 今宵の月は彼の兜が抱く三日月。
ふと、障子の隙間から見える月に目を向け、小次郎は呟いた。
「…兄上は、月のような御方だ…」
「……」
つられるように、政宗もそちらに目を向けた。
未だ空気が冷たいせいか、その形が鮮明に夜闇に浮かんでいる。
「闇に紛れず、迷うことなく光を放っておられる…」
「ハハッ、そりゃどーも」
軽い調子でそう言い、しかし反論する。
「だけどな、月みたいなんて男に向かって言う台詞じゃねぇぜ」
「あっ、申し訳ございませぬ」
元来、月から連想されるものは女だ。
彼の言わんとする意味に気が付き恐縮する小次郎だが、
政宗は口では言いながらもさして気にしてないようだった。
一気に酒を呷り空になった政宗の杯に小次郎は酒を注ぎ、呟いた。
「…ですが私は、月のようになりとうございます」
「……」
注ぎ終え空になった徳利を手に持ったまま、小次郎は今度は政宗を見つめ、言った。
「…兄上のように、なりたい…」
口を付けていた杯から唇を離し、政宗は小次郎を見つめ返す。
 やがて微笑した政宗の表情は余りにも複雑で、それでもどこか哀しげで、
「   」
微かに呟いた声は、小次郎の耳までは届かなかったし、届いたとしても異国語で小次郎には分からなかった。

























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