今は、俺もまた奴と同じか。
政宗は手元の書状に目をやった後、ため息をこぼす。
しかしそれ故だ、奴の思考が分かるのは。
政宗は控えていた小十郎に声をかけた。
「そろそろだ、行くか」
「……」
小十郎は何も言わずに立ち上がった。
明智光秀が織田信長に突然の刃を向けたのも、そうするように働きかけたのも、
全て政宗が仕組んだことだった。
以前の偵察の折から、政宗は光秀の乱世を望む思いに気付いていた。
だから唆した。
織田信長の勢いは凄まじい。
近い内に天下を取るだろう。
そうすれば、乱世は終わる。
終わってしまうぞ、それでいいのか。
堪えられぬのなら、ここで謀反を起こしてみるのも一つの手。
どちらにしろ、天下は乱れる。
光秀は、人の生に興味こそ覚えるが、何の価値も見出していない。
それは光秀自身にも当てはまっている。
他人が死のうとも、主君である信長が死のうとも、自分が死のうとも、
興味津々にそれを観察するだけなのだ。
そしてまた、そこまでは行かず、狂う方向が違うとも、今の政宗も光秀に非常によく似ていた。
だから政宗は光秀の思考がよく分かる。
事実光秀は乗った。
乱世に酔い、殺戮に狂った。
そして彼もまた、政宗がどうするつもりかが分かるのだ。
明智軍に追われ、戦力を半減させられ、本能寺まで退いた織田信長を牽制しながら、
政宗は山崎に陣を敷き、光秀に戦をしかけた。
暗い雨で視界が悪い。
「…やはり、私が先ですか、政宗公?」
対峙する政宗に、光秀は語りかけた。
その足下には、自軍兵士も伊達軍兵士も関係なく、屍が転がっていた。
刀を構え、政宗がニヤリと笑う。
「Ah-ha、よく分かってるじゃねぇか」
天下に名を知られた信長を滅ぼした、という事実こそがまた天下に名を轟かす手段。
四国の危機は去り、織田の戦力も削れた今、光秀にはもう利用価値はない。
「……似ていますからねぇ、私たちは」
鎌から滴り落ちる血を舐めた後、光秀も構えた。
彼とて、そんな政宗の思惑など、とうに気付いていた。
しかし敢えて乗った。
政宗が四国に、ひいてはその領主に執着するように、光秀は常に乱世を追い求めた。
戦に、
殺戮に、
転がる死体に、
生に死に、
全てに狂えるならば、多少利用されようが構わなかった。
「嬉しいですよ、貴方がこちらに来るなんてね」
その言葉に眉を顰めた政宗に構わず、
クク、と笑い、堪えきれなくなったのか、光秀が酔ったように叫んだ。
「さぁ、宴の始まりですよ!」
ゆらりと音のない動きで、光秀が向かってきた。
振り下ろされた鎌を刀で受け止め、政宗は嘲け笑った。
「まさか、前菜にもなりゃしねぇ」
光秀の狂気に誘われたのか、政宗の独眼にも狂気の光が宿った。
「アンタは俺には勝てねぇよ」
今や非常に似通った二人の決定的な違いは、
己の生に価値を置くか否かであった。
「向こうで、また会いましょう、政宗公」
好意か呪詛か、
そう言い残し、明智光秀は、最期に高らかに笑った。
伊達軍はすぐに本能寺に向かった。
明智軍を傘下に入れた伊達軍と織田軍の数は今や逆転していた。
炎上する本能寺の最奥で、追いつめた信長に、政宗は刀を突きつける。
「アンタの時代は終わったぜ、魔王のオッサン」
「……虫けらが」
「Ha、ならアンタは虫以下ってわけだ」
燃えさかる炎が、ふと何かをよぎらせる。
熱に当てられたと決めつけ、構わずに政宗は刀を振り下ろした。
「俺のもんに手ぇ出すからだぜ?」
奥州の独眼竜の名は知れ渡り、
同時に、戦の際に見せた、魔王の再来かと囁かれるその所業の惨さは、
他の武将、戦国大名達を戦慄させた。
「あのたけだけしきりゅうは、いまはもうみるかげもありませぬ」
「…若さ故ならば、良かったがのう」
「…すておくことは、もはやむりでしょう」
「愚かよの…」
密議の合間に交わされた会話が、部屋の外で控えていた幸村の胸を刺した。
「…政宗殿……」
空を見上げ、竜を想う。
厚い雲に覆われているのに、雨は降らない。
「……哀れだな……」
からりと晴れた空を見上げ、その下の海を見下ろし、元親は呟いた。
あの夜がちらつく。
腕に抱いた身体も、声も、
全てが求めていたのに。
全てを求めていたのに。
もっと早く気付いていれば、もう少し距離が近ければ。
過去への悔やみは何の意味もない。
「そんな風にしか、できなかったのかよ…」
織田との戦の後、すぐに奥州へと引き返してきた伊達軍は、
その途中で武田・上杉同盟軍に攻め入られた。
しかし独眼竜の勢いは止められず、奥州に残していた軍勢からの挟み撃ちに合い、
まず、軍神の刃が折れた。
そしてまた、長篠の地で、武田軍も追いつめられていた。
己の前に立ち塞がるは、武田の赤い炎。
暑苦しい奴だった。
向けてくれたその想いに、寄りかかりたかった。
その炎に焼き尽くされてもいいと、僅かだがよぎったこともあった。
そして、自分の進む方向を定めてくれた。
今はどれも、過去のことだ。
様々なことがありすぎて、様々なことを起こしすぎて、今はどれも遠く感じる。
向かってきた騎馬隊の残党を馬ごと斬り伏せ、政宗は声をかけた。
「よお」
幸村はしばし何も言わずに、政宗を見つめていたが、漸く口を開いた。
「……やはり、戦いは避けられませぬか?」
重く沈んだ声に、彼の躊躇いが伺える。
政宗はそれを嘲笑い、切り捨てた。
「まだそんなことを言ってんのか、アンタは」
刀を振り、血を払うと、ゆっくりと幸村に近づいていく。
「前にも言ったはずだぜ、アンタは敵だとな」
「……」
政宗の表情から嘲笑が消える。
「俺の邪魔は誰にもさせねぇ」
鋭い眼光で幸村を射抜き、政宗は鞘に収めていた残りの刀を抜き、構えた。
己の存在は、もはや邪魔でしかないのか。
改めて幸村はそれを思い知らされる。
「……止められませぬか」
一瞬だけ幸村は顔を歪めたが、すぐにそれは消え、真っ直ぐに政宗を見据えた。
「……ならば、刃を交えるのみ」
幸村も二槍を構える。
「Ha!上等だ」
燃えるような覇気に、政宗が楽しげに笑った。
覇気に応えるように、殺気が迸る。
「真田幸村、いざ、参る!」
叫び声を上げ、幸村は独眼竜に向かっていく。
変わっていない。
相変わらず、突っ込んでくるだけの、戦い方。
呆れるぐらいの真っ直ぐさ。
アンタのそういうとこ、嫌いじゃねぇけどな。
六爪を振り下ろせば、幸村は二槍で受け止める。
槍に宿る炎が熱い。
その熱も、刀と槍のぶつかり合う音も、心地よい。
「Ha!楽しいねぇ!」
刀の一突きが、幸村の腕を掠る。
舌打ちし、幸村は体勢を立て直そうと、一旦下がった。
「何だぁ、まさかもう終わりじゃねぇよなぁ!」
「なんの、まだまだぁっ!!」
二槍をしかと握り直し、幸村が再び突進してくる。
槍を受け止め、続けざまの突きをかわし、政宗は六爪の内、三爪で下から切り上げた。
幸村は刀の動きに合わせるようにして、斬撃を避けると、
更に横から斬り掛かってきた残りの三爪を槍で受け止めた。
政宗が顔を歪めて、笑った。
楽しいねぇ。
だが、こんなに楽しいこと、
いつまでも続けちゃいけねぇよなぁ。
冷笑し、政宗は故意に僅かな隙を作ってやる。
正直に隙をついてきた予想通りの一撃を避け、逆に生じた幸村の隙を狙う。
「――くっ!」
無理矢理作らされた隙をついた斬撃を、幸村は反射のみでかわした。
「…やるねぇ」
短く口笛を吹き、称賛の言葉を口にした。
だが、その直後に、一気に加速して幸村の懐に間合いを詰めた。
目を瞠る幸村に笑いかけてやった。
瞬く間に見た、夢であった。
暗く、灯火もない。
ただそこで、渦かあるいは竜巻は、蠢き続ける。
あの時微かにもがいていたものは、その中心で、もはや動かない。
せめて手を伸ばしてみても、拒まれるだけ。
救い出すことは、叶わなかった。
「……The Endだぜ」
竜の刃が、炎の槍を折り、そのまま胸を深く斬り裂いた。
幸村は衝撃で倒れかけるが、意識を奮い立たせ、何とか踏みとどまった。
しかし、斬り裂かれた身体の方は限界だった。
両膝をつき、折れた槍で何とか体重を支えようとしたが、叶わない。
紐が切れ、首に掛けていた六文銭が乾いた音を立てて落ちた。
続けて、自身の身体から流れる血の海に、幸村は倒れ込んだ。
幾度か咳き込む。
その度に、気道に入り込んだ血を吐いた。
「……ね、どの……」
視界がぼやけ、そこにまだいるのかすらも分からない。
血と共に口から漏れる音は、言葉となっていないかもしれない。
―――せめて、もう少しだけ、御自分を好いて下され―――
狂いゆく竜は、己を労る術を見失っている。
自らを貶めて、嘲り、それゆえに僅かに己を保っている。
痛ましい。
だから、最期にそう伝えたかった。
愛しい人だから、
失ってしまうから、
自分はもう出来ぬから。
だから、いつかはそうなってくれることを何よりも願った。
「……アンタ、正真正銘の馬鹿だな……」
もう微かとなった意識が落ちていく間際、そう聞こえた気がした。
それを確かめることは出来なかった。
「……Thanks」
その言葉も、もう届かない。
翌日、甲斐の虎の牙も、折れた。