刹那に





気付かなかったのか、気付きたくなかったのか。
今はもう分からぬが、どのみちそれはもう過ぎたこと。
気付いてしまったのだ。


髪を掴まれ、無理矢理銜えさせられ、吐き出されたものを咽せながら飲み込み、
何度も貫かれ、中に出される己の身体はもうされるがまま。
心さえされるがままに、
求める言葉を言わせられ、請い願う。


それでも良かったのだ。
心の奥では、そうなることを願っていたやも知れぬ。
それでお前が僅かでもいい、俺を想ってくれるならば、
それでも構わなかったのだ。
だがこいつは、
俺に想いを向けはしない。
俺のことなど見もしない。
身体が繋がろうが、
共に時を過ごそうが、
関係ないのだ。
こいつにとっては、
俺は足下の石と同じこと。


そのような相手に焦がれ、
脚を開き、色に乱れる己の、
何と滑稽なことか。


鬼に食らわれる竜は、何と弱いことか。


だから、俺は……
それこそが、狂気の始まりか。








 日の落ちた空は、夜の闇に覆われていた。
縁側に座って身体を壁に預け、政宗は一人空に目をやる。
厚い雲で、星は見えない。
戯れに目を閉じて、また開いてみるが、あまり変わらない。
どちらも暗い闇だった。
 人の気配がした。
殺気ではないので、聴覚と意識だけをそちらに向ける。
自分の名を呼びかけてきたので、漸くそちらの方に目を向けた。
「…どうした、幸村?」
武田信玄に付き従ってきた赤い装いの男に声をかけ、政宗は静かに声無く笑った。
周りが暗いせいか、幸村にはどうもいつもの元気が見えぬ気がする。
いや、これは単なる言い訳かもしれない。
「……お館様に、お聞き致しました」
口調に覇気がない。
やはりただの言い訳だったか、と政宗は自嘲した。
「何をだ?」
白々しく尋ねる。
「……伊達勢が…織田軍とぶつかり合う、と……」
「…Right」
 織田勢に対抗するため、武田・上杉・伊達勢は一時休戦し、同盟を結んでいた。
今後の道筋を決める会議で、政宗は伊達軍が織田軍とぶつかると、
その間に、徳川、前田軍を抑えていて欲しい、とそう提案した。
もちろん異を唱えられたが、政宗は無理矢理押し通したのだ。
 立ち上がり、政宗は幸村の方へと近づいた。
向き合い、ようやく幸村の顔がしかと見えた。
それに何故か安堵を覚える。
「…何故、そう提案なされました?」
「……それが一番手っ取り早いじゃねぇか」
元より同盟などに頼っていない。
暫しの間だけ、他からの干渉を避けたかっただけだ。
織田との戦に心を向けたかっただけ。
織田は現在交戦中の毛利と長曾我部の戦が終わった時を突こうとしている。
だから織田がそれを仕掛けた直後に、こちらも背後から突く。
戦の時期はそれ以外にないと判断したからだ。
 これを政宗は信玄や謙信には明かしておらず、また明かす気もないが、
相手が相手、どうせこうした考えなど読まれているだろう。
その上で、仮に伊達軍が織田に破れることがあろうとも、武田や上杉勢には何の害も及ばない。
そう言って、両者を強引に説き伏せたのだ。
「…無謀にござります」
もちろん幸村も政宗の心の内を知るはずはない。
現在、織田軍と伊達軍の兵力はまさに多勢に無勢。
傍目には確かに無謀に見えるだろう。
「…Ha」
だがこの男の口からそんな言葉を吐かれるとは。
政宗は苦笑する。
「無謀か…アンタに言われるとは思いも寄らなかったぜ」
「誤魔化さないで下され」
「……」
幸村の真剣な表情に、政宗の表情から笑いが消える。
疲れたように息を吐き、政宗はぽつりと呟いた。
「……織田のオッサンに、好き勝手させるわけにはいかねぇんだよ…」
天下と、それに…
「……長曾我部殿を、でござるか?」
幸村に、心で口にした言葉を言われ、政宗は軽く目を瞠る。
「……政宗殿が求めておられるのは、この方でござりましょう?」
眉を寄せ、そう言った後、幸村は俯いた。
「……」
胸がざわつく。
だが政宗は、それを表に出しはしなかった。
「……いつ、気が付いた?」
僅かに顔を険しくして、問い詰める。
「…確信があった訳ではございませぬ。
しかし、織田との戦をお急ぎでござるし……」
それに、と付け加えたところで、幸村は言い淀むが、重い口どりで続けた。
「…以前、そのお方の名を、呟かれました」
それより前にも、ぽつりと一言、
欲しいものがある、
とも言っていた。
それらで、ぼんやりと気が付いた。
「……」
幸村の言う以前とは、あの情事の時だろう。
我を忘れて呼んだか、それとも譫言か、
どちらにしろ、己の弱さを晒してしまったことに、政宗は軽く舌打ちした。
だがすぐに、笑みが零れる。
それは己への嘲りが込められていた。
「……俺を蔑むか?」
「まさか!」
政宗の言葉に、幸村は顔を上げた。
「嘲るか?」
「そのような気持ち、ありませぬ」
首を左右に振り、即座にそう答える。
が、政宗は変わらず己への嘲りを込め、笑っている。
「…なら、哀れむか?」
「……」
これは、哀れみなのだろうか。
とっさに否定できず、幸村はしばし黙り込む。
政宗は幸村から顔をそらし、暗い空を見上げ、呟いた。
「…アンタは、優しいからな……」
「……」
これが政宗の言う優しさからくる感情なのか。
「違う…」
いや、違うとは言えぬ、だが単にそれだけとも言い切れぬ。
万人に向ける優しさなど、己は持ち合わせていない。
自分はそれほど器のでかい人間ではない。
答えは簡単なことだった。
「…お慕いしています、政宗殿」
「……」
「それゆえ、某は、政宗殿の御心を晴らして差し上げたかった…」
「……」
闇を見上げていた政宗の視線が、また幸村に向けられた。
哀しげに微笑み、その瞳には暗い光が宿っていた。
「……あの時も、アンタそう言っていたな…」
「……」
「…俺の答えは、同じだ」
「……」
「覚えているだろう?」
「……はい…」
幸村は翳る気持ちのまま頷いた。
それを切り出された今、
もう止める術がないように思われた。








狂気ゆえの強さを求めながら、同時にひどく恐れていた。
だから求めた。
頭がイかれそうなくらい、何度も、何度も。
身体の感覚がなくなっても、その背に腕を回し、ただ縋った。
もっと、もっと。
優しさなんていらねぇんだ。
意識がぶっ飛びそうなくらい、乱暴に突き刺してくれ。
裂けたっていい、滅茶苦茶に犯されたっていい。
色に狂わせて、それだけで俺を満たしてくれよ。
それだけでいいんだ。
怖いんだ、だからそんなくだらないもん忘れるぐらい、
俺のこと狂わせてくれよ。


そして意識が飛んでしまえば、
どこまでも堕ちていける。








暗く、灯火もない。
周りは大きく蠢いているはずであるのに、何の音も聞こえない。
渦か竜巻かがあり、
その中心に、微かにもがき、呑み込まれようとするものを見た。
あれは己の姿だろうか。








 うっすらと目を開いた。
身体は動かさずに、一度途切れた意識が次第にはっきりしてくるのを待ち、
ようやく自分が他人の腕の中に抱かれていることに気が付いた。
見上げれば、熟睡する幸村がいる。
ああ、この腕はこいつのものか。
温かい。
「……」
きっと、この温もりを受け入れることが最善なのだろう。
そしてきっと、それをしないことこそが、最良。
選ぶ道は、もう決まっている。
決めたのだ。
 掛けられている羽織に目をやった後、政宗は重い身体を動かし、幸村の腕と羽織から抜け出した。
消える温もりに、一瞬身動ぎしたが、脱げてしまった着物を羽織った。
残留感を取り除いてしまいたい。
帯を拾い、部屋を出ていった。




「おら、起きろ」
頭を蹴られ、幸村は目を開いた。
がばと身体を起こし、声がした方に目を向けた。
「政宗殿…」
不機嫌そうに政宗は幸村を見下ろしている。
よく見れば髪がしっとり濡れているので、湯浴み後だと分かった。
「shit、ただ挿れるだけのくせに、俺より長く寝てんじゃねぇよ」
あからさまな言い方と不機嫌な声音に、戸惑いを隠しきれぬまま、幸村は恐る恐る尋ねた。
「あの、お身体の方は…?」
「あぁ?痛ぇに決まってんだろうが。
ほとんど慣らしもせずに、突っ込みやがったのは、どこのどいつだ」
「……すみませぬ……」
「……」
素直に詫びを述べる幸村に、政宗は舌打ちした。
「…謝んじゃねぇよ」
吐き捨てるように言った後、居心地が悪いのか、幸村から顔を背けた。
「……」
「……いい加減、てめぇも着物を着ろ」
無理矢理な話題の変え方ではあったが、幸村は何も言い返さずにそれに従う。
政宗ごと自分に掛けていた羽織から抜け出て、長着を纏い、帯を締めた。
再び幸村が政宗に目を向けると、政宗は顔をそらせたままだった。
その姿に幸村は打ちのめされる。
何てことをしてしまったのか。
「……政宗殿」
声をかけると、政宗は声だけで返してきた。
「……すみませぬ」
姿勢を正し、深く頭を下げた。
「謝んじゃねぇ、って言っただろーが」
苛立ち混じりの声で、政宗は言い捨てた。
幸村は平伏したまま、呟いた。
「…己が情けなくございます」
「……」
唇を、切れそうな程ぎりと噛みしめ、幸村は拳を握りしめた。
己は、何をやったのか。
心を救いもできず、
束の間さえ何も出来ずに、
ただ、求められるのをいいことに、
己の欲望のままに、それを吐き出しただけだ。
そして、縋るこの方を、追いやってしまったのだ。
「すみませぬ、政宗殿…」
紡ぐ都合の良い言葉でさえ、今は嫌悪が押し寄せる。
「すみませぬ……」
しかし、それ以外に、何を言えばいいのか。




謝るべきは、本当は自分だ。
この狂気の渦に無理矢理引きずりこんだのは、自分なのだ。
しかしそれでもこの男は謝る。
「……もう、いい」
消え入りそうな声で、政宗が呟いた。
「これ以上、惨めにさせんじゃねぇ」
己の弱さも汚さも、思い知らされている。
「……政宗殿……」
その声の弱々しさが、逆に幸村の胸を鋭く刺した。
平伏していた顔を上げ、幸村は政宗を見上げた。
政宗は疲れたように幸村を見つめていた。
「……誘ったのは、俺だ……」
これ以上思い知らせるのか、お前は。
言外に幸村を責める。
それに吐き気がした。
「しかし某は、それを利用して――」
「俺もだ」
幸村の言葉を遮る。
「……だから、もういい」
そう呟いた後、政宗は息を吐いた。
吐き気は、消えない。
「……御心を晴らすことは、出来ませぬか…?」
辛い。
「……ああ」
痛い。
「……某には、もはや、何も出来ませぬか……?」
抱き締めたい。抱き付きたい。
「……ああ」
幸村が目を伏せ、俯く。
政宗も顔をそらす。
「……」
二人とも、何も言わなかった。
言える言葉が、見つからなかった。

























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