海と空の境





 しかと分からぬ中で、虚ろによぎった。
始まりはいつからか。
思いにふけり、夢を見る。








温い。むしろ、暑い。
「shit…」
誰にともなく吐き捨て、政宗は涼を得ようと、風上に向かって歩き出した。
 来なければよかった、と後悔を覚えた。
己の軽はずみな決心が恨めしい。
目的を果たせる保証もないのだし、寄り道などせずに速やかに奥州に帰るべきだったのだ。
 己と暑さに苛立ちながら、やがて辿り着いたのは、海だった。
開けた視界の青さに思わず目を奪われる。
空も海も、色は違えども、澄みきった青だった。
 風は今までよりも勢いが強く、その分、木陰にいれば十分に涼しい。
心地よい風が顔を撫で、熱を冷ましてくれる。
そのまま木陰に腰を下ろし、見下ろす海の上に目を向けた。
海よりも幾分青の薄い空は、代わりに雲一つ無かった。
 温い海に、温い風。
自国から遠く離れたここは、気にくわないことだらけだが、少なくとも、海と、特に空は綺麗だ。
 しばらく、ほんのしばらくでいい。
ここで空を見ていたくなった。




 それはただの気まぐれで、目的も何もなかった。
だがせっかく近くに来たのだ。海が見たかった。
ふらりと外に出て、ぶらりと向かい辿り着いた海は、呆れるぐらいに記憶の海と変わりなかった。
 波と風の音を聞きながら、熱く眩む日射しを避けようと、木陰に向かうと、先客がいた。
先客は、元親に気付いていないのか、それとも敢えて無視をしているのか、あるいは興味を引かれぬのか、
元親の方に見向きもせずに、海を見ていた。
「……」
先客の座る木陰は、元親の知る限りでは、最も景色の良く見える場所だった。
だからどうという訳ではなかったが、多少は名残惜しかったので、幾らも離れぬ左隣の木の陰に入る。
腰を下ろす際にちらとだけ見れば、先客は変わらずにその瞳を、海へと向けていた。
「……」
いや、違う。
視線の先にあるのは海ではない。
思わず先客の視線の先に目を向けると、晴れた空にぶつかった。
ああ、空を見ているのか。
わざわざ海に来て見るのが何故に空なのかは、少々気にならなくもなかったが、
所詮は今この時だけの隣人。
元親は先客の見つめる空とは異なる、海へと視線を走らせた。
自分はしばらくはここにいるつもりだった。
おそらくは、相手の方が先に立ち去るだろう。








 そう思っていたが、半刻程が過ぎても、先客は未だ立ち去ろうとする気配も見せない。
身形からして、身分は決して低くはない。
ただの旅人とは思えぬが、自分のところに客人が訪れるなどという知らせも聞いていない。
 元々、新しいものや珍しいものには目がない性格であるので、
一旦意識すると、どうにも気になって仕方がない。
しかし先客はこちらの思いなどお構いなしで、元親の存在も気に留めない。
「……」
身勝手なのは承知であったが、つい不満めいた感想を抱く。
「そんなに空が好きかねぇ…」
無意識に声に出てしまったらしい。
先客の注意が初めて空から元親に向けられ、大儀そうにこちらを振り向いた。
初めて、右の眼帯に気が付く。
左の瞳は、鋭く元親を一瞥した。




 いかにも気位の高そうな男だった。
不機嫌な様子を隠しもしない。
不審そうに元親を見やった後、すぐに興味なさげに視線がそらされた。
同じ隻眼のせいか、逆に元親は尚興味を引かれ、話しかける。
「よぉ先客、どこから来た?」
「……」
「四国に旅行か?」
「……」
「鬼が案内してやろうかい?」
「……アンタ誰だ?」
無視していても五月蠅いだけだと観念したのか、
心底面倒くさそうに、先客は漸くもう一度元親の方を見た。
煩い、邪魔だ、消え失せろ、
と片眼の瞳が罵っているのが分かったが、
元親は気にせず問いに答え、名乗った。
「俺は元親。長曾我部元親だ」
元親の予想以上に、先客はその片眼を大きく見開いた。
「アンタが……長曾我部?」
「ああ。で、先客、お前は?」
先客は、一瞬だけ考え込んだ後、不意にニヤリと笑った。
今までまともに見もしなかったのに、その瞳で真っ直ぐに元親を見る。
「…伊達政宗」
その名前に、今度は元親が目を瞠る。
「…奥州の独眼竜か…!」
話に聞いただけだったが、成程、確かに独眼だ。
「ハハッ、おもしれぇ」
驚きで、逆に笑みが漏れる。
珍しすぎる客だ。
何が目的かは、しかと分からぬが、恐らくは偵察といったところだろう。
しかもわざわざ奥州から御大将が直々にお出ましとは。
「案内してくれるんだろう、鬼とやら?」
独眼竜は、挑戦的な瞳と人を侮ったような口調でそう言った。
いや、実際どれ程の器か試しているのだろう。
「…歓迎するぜ、独眼竜」
しばらくは、退屈せずにすみそうだ。








 なかなかに食えない男だ。
人当たりの良さそうに話してくれるが、肝心なところでは、はぐらかされる。
やはり、四国を束ねる戦国大名。
流石、というべきか。
 京への用事のついでに、と、元親の読み通り、政宗は南の偵察を思い立った。
既に中国はあらかた見て回った。
気候の違う南の、長期の滞在は、正直楽なものではなく、
付き合わされる家臣の方もたまったものではないだろうが、まあ多少は得るものがあった。
 実際に会って、その人と形を見てみれば、
その人物の思考、ひいては戦略などがある程度は分かるというもの。
武田のあの単純な武将は、分かりすぎるぐらいだったが。
「……おい、独眼竜」
武田領の一部を得た、川中島の戦の際の真田幸村を思い出し、
思わず顔がニヤけていたところで、元親から声がかかった。
「…何だ?」
見上げると、同じ隻眼と目が合う。
「城が見たいか、軍が見たいか?」
「……」
僅かに眉を寄せ、政宗は元親の心中を探る。
わざわざ手の内を明かす気か?
その程度の小者には見えないが。
「城ならば酒を以て持てなそう。
軍ならば…兵と手合わせなどしてみるか?」
「……」
得体の知れぬ笑みを浮かべ、元親は政宗に仕掛けてきた。そのように政宗には思われた。
これは、思ったよりも苦境に立たされているようだ。
多少は囲まれても切り抜けられる自信はあるし、周囲には忍びも控えてはいるが、
敵の領内に入り込むということの意味を、政宗は改めて思い知った。
つい変な意地が出てしまい、本名を名乗ってしまったが、
これでは相手に捕まえてくれと言っているようなものだ。
「……」
いや、元より敵中に飛び込んだのは承知の上。
おもしれぇ。
持ち前の負けん気の強さが出てくる。
「…そうだな、両方見てぇな」
僅かに迸る殺気と挑戦とを政宗は真っ向から受け止める。
しばし沈黙した後、元親から殺気が消え、楽しげに笑った。
「良い度胸だ」
その笑顔が何の裏もないように見え、政宗は一瞬驚いた。








 文字通り、もてなされた。
兵に本名は明かされずに紹介され、ついでに軽く手合わせもした。この鬼とも。
六爪ではなく、刀一本だったが、それを除いてもなかなかの腕前だった。
まあ、相手も得意の武器とは違うらしいので、何の参考になるわけでもなかったが。
 その後は、城に招かれた。
流石に一人で入る訳にはいかないので、その前に、別に領内を探らせていた小十郎と落ち合い、
彼以下家臣十人程を伴い、今度も本名を明かさずに入城した。
しかし、その扱いは懇意の客人と何ら引けを取らないものだった。
 杯に酒をつがれ、それを飲み干す。
傍らに控えた小十郎にも杯は渡された。
「……」
酒に口をつけながら、政宗は元親を盗み見る。
食えない奴を見るのは少なくない。
いや、今まで出会ってきた人間ほとんどが、それを持っていた。
それは戦国の世を生き抜くには必要というもの。
どちらかといえば、真田の方が特殊な例なのだろう。
しかし、この男は分からない。
一体何を考えているのか。
 小十郎を下がらせ、部屋に二人となった後も、酒を飲みながら、政宗は元親を観察する。
「酒の味はどうだ?」
「…なかなか、だな」
「それは良かった」
考えを巡らす政宗を引き戻し、元親はまた微笑する。
よく笑う奴だ、と思った。
その笑顔の裏がいまだ見えないが。
「……」
こちらから仕掛けてみるか。
 杯を置き、独眼で相手を見据えた。
それを受け止め、元親も同じく隻眼を返す。
「…何を企んでいる?」
「何のことだ?」
当然相手はとぼける。
「なぜ俺をもてなす?」
「変なことを言いやがる、歓迎すると言ったはずだぜ?」
それを文字通り行う馬鹿ではあるまい。
「ただ歓迎する訳ねぇだろうが。
何企んでやがる?」
こうして誘えば、言い訳にしろ、敵意にしろ、何かしら出してくるはず。
そこから裏を読み取ることにする。
「…答えろ、長曾我部」
問い詰める口調と共に、微かに殺気も向けてみる。
「……」
その殺気と鋭い眼光が、元親から発せられた殺気とぶつかり合うが、
不意に全て受け流され、元親は食えない笑みを浮かべる。
「…俺は珍しいものが好きでなぁ」
突然の話題に、咄嗟に言葉が出てこなかった。
そんな政宗に、異国から取り寄せたものも幾らかある、と元親は嬉しそうに語る。
特に今飼っている珍しい鳥が、という話に発展していったので、
はぐらかされたと思ったのか、政宗が少々声を荒げた。
「……いいかげんにしろ、それに一体何の関係が――」
「関係あるさ、なぁ、竜?」
途中で政宗の言葉を遮り、元親がそう言い放つ。
隻眼が光った。
「奥州から来た独眼竜なんて、珍しいじゃねぇか」
「……」
傍らに杯を置き、膝を付いたまま元親が政宗に近づく。
「こんな面白そうなこと、滅多にねぇ。そうだろう?」
元親は喉の奥で低く笑い、不意に政宗の顎に手を当て、持ち上げた。
一瞬目を見開くが、屈辱と感じたらしく、すぐに眉間に深く皺が刻まれた。
「……俺を飼い慣らすつもりか?」
間近の元親を睨み付ける。腰の刀に手が掛かる。
「そうされたいのか?」
相手は顔色一つ変えない。
いよいよ刀を抜こうとしたその時、元親は不意に手を離し、
代わりに先程政宗が置いた杯をずいと差し出す。
「…そう気を張るな。
竜が簡単に飼い慣らされる訳はねぇし、
お前自身がそうさせないだろう?」
杯を口に付けられ、そのまま傾けられた。
仕方なしに口の中に入り込んでくる酒を飲み込む。
怒りの先をそらされ、毒気を抜かれた。
政宗が瞠目すると、元親がまた不敵に笑った。
「しばらくはここでゆっくりしていけよ。
その間に好きなだけ偵察すりゃあいい」
「……」
そしたら俺も竜と暫く楽しめるし、一石二鳥だ、と付け加え、
元親が今度は楽しそうに笑った。
その笑顔に、やはり裏は見えない。
「……変な奴だな、アンタ……」
困惑を隠しきれず、政宗は呆れ混じりにそう呟いた。

























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