風に乗って、城下の喧噪が微かに聞こえてくる。
そういえば、城を抜け出してからどれ程過ぎたのだろうか。
部屋に控えているべき幸村がいないのだから、怪しまれるだろうし佐助も流石に心配しているだろう。
それに、ここで帰ろうと言い出せば、この話も終わらせられる。
そう思い、幸村が口を開きかけた時、政宗が先に言葉を発した。
「俺は、それで終わらせたかねぇな」
故意にか軽い口調でそう言う政宗は笑みを浮かべており、しかし瞳は真剣で、
故に幸村は彼の心が理解できなかった。
そんな政宗の笑顔と瞳の光に気圧され、幸村は幾分目を見開く。
政宗は相変わらず屈託無く唇の端をつり上げたままで、気負うことなく続ける。
「確かに人である限りはいつか死んじまうだろうが、それだけってのもつまらねぇ」
「……」
「だったら俺は何か遺してやりてぇ」
「遺す…?」
そう繰り返す幸村に頷き、続けて何を、と問うてきた彼から目を離し、政宗はふと腕を組み考え込んだが、
すぐにそれを解いてひらひらと手を振った。
「さあな、天下かもしれねぇし、別のものかもしれねぇ。まだ分からねぇな」
「分からない? 分からないものを遺すのですか? 誰に?」
政宗の言葉一つ一つを、所詮は彼が幻に縋っているだけと思いつつも、
幸村は彼の言葉に知らず引き込まれていく。
彼の希望に惹かれていく。
政宗は畳み掛けて尋ねてくる幸村を指差し、じっと見つめた。
「アンタに――」
思わぬ言葉と彼の指に幸村は面食らうが、
政宗はすぐにからかうように笑い、言葉を続けた。
「――かもしれねぇし、他の奴らかもな」
呆けた顔の幸村は、政宗の笑い声にまたからかわれたのだろうかと思ったが、
幸村が怒り出す前に政宗は再び口を開き、その顔からは笑みが消えていた。
「俺はな、真田。伊達家の、領主の嫡男として生まれた。その瞬間に俺は、俺の国の民に対して責任を負ったんだ」
「……」
その真剣な瞳は、揺るぎない意思を持って光っている。
「俺は俺の民を守らなきゃならねぇ。
 それにはそいつらが平和に生きる世を、生きていける世を創らなきゃならねぇし、創ってやりてぇと思ってる。
 だから天下を目指すんだ」
「……」
直向きな様子に、儚い幻に縋るような弱々しさは見えない。
「だからそれが、俺の夢だ」
そう宣言する政宗を、幸村は見つめた。
彼を眩しいと思い、同時に彼のようには思えぬだろう己がそれだけ矮小に思えた。
「……某は……」
己の主君も、かつて同じことを語ってくれた。
その時の信玄に尊敬の念を更に抱き、その理想に従い抜こうと心に決めたのも確かだ。
だが己はそこまでだった。
その為にこの命を散らそうとしか思えなかった。
これが領主という立場と、己との違いなのだろうか。
「アンタの考えを否定する気はねぇよ」
黙り込み、思いに耽っていた幸村に、政宗は声をかけた。
顔を上げる幸村を見ながら、暫し逡巡するが政宗は口を開いた。
「夢の為に生きること、戦うことが、俺が生きている意味の一つだ。
 それが善いか悪いかなんてどうでもいい、俺が納得出来りゃそれでいいんだ」
「……」
「アンタもそうだろう?」
そう返され、その思わぬ言葉に一瞬幸村は政宗を凝視するが、すぐに首を振った。
「…違う、某にはそうは思えぬ」
「何故だ、戦で散る為に、アンタは生きてるじゃねぇか」
間髪を入れず反論し、政宗は幸村を再び指差した。
「その心臓はしっかり動いてるし――」
次いで胸から頭へと指差す先を移した。
「――頭だって、飾りじゃねぇんだ、色々考えてんだろ?」
戦や虎のおっさん、それにアンタなら団子もか、と含み笑いで言うそれは余計な一言なのだが、
幸村は、虎のおっさん呼ばわりは失礼でござる、としか返せなかった。
「俺の頭はしっかりアンタを記憶してるぜ、真田幸村。
 赤くて暑苦しい、だがこの血肉を沸き上がらせる、唯一のrivalってな」
そう言う彼の一つ眼は、戦で対峙した時のように爛々と輝いていたが、敵意は無かった。
「アンタはどうなんだ、俺は只の敵の一人に過ぎねぇか?」
それは決して無い、こんなにも胸を騒がせる相手は今までいなかった、と幸村は直ぐさま首を振った。
「なら、アンタだってその頭で俺をしっかりと記憶してくれてる。
 それは無意味なのか?」
「……」
「俺も虎のおっさんも、アンタにとってはただ儚い、無意味なものか?」
「違う!」
思わず大声を出して否定する幸村に、政宗は微笑した。
「だったら、それでいいじゃねぇか」




 完全に納得はしきれなかった。
彼が戦で得た、彼にとってある種の真理でもあるものは、少しの会話で簡単に変わってしまうような、単純なものではない。
しかしこの会話で政宗が言ったことは、確かに幸村にとって新しいものだった。
彼にとって全く別の、新しい世界を、他ならぬ政宗が己を否定することなく垣間見せてくれた。
抱き続けた思いと新しい世界は幸村の心に溶けていき、その為に彼は暫く言葉を発せなかった。
 だから、この会話はここで終わったのだ。
 長居しすぎた、二人分の小言決定だな、と独りごちた後、政宗は幸村に帰るぞと呼びかけた。
城へと向かう道を急ぎながら、だがおかげでなかなか楽しめた、と政宗は楽しそうに笑う。
それに適当な相槌を打ちながらも、幸村は無意識に見惚れるように政宗を見つめていた。








 それから数月の間、幸村は何度か信玄の使いで奥州を訪れるようになった。
次第にそれを楽しみにするようになった幸村に、佐助は冷やかし混じりに話しかける。
「旦那、竜の旦那の見方、だいぶ変わったみたいだねぇ」
鍛錬中の幸村は槍を振り回す手を止め、大きく頷いた。
「うむ。伊達殿は真、素晴らしき御仁だ!」
二、三ヶ月前と同じ人物の言葉とは思えない。
その一端を担ったのは佐助なのだが、その変化の大きさに心中複雑にさせられる。
幸村が幼い頃から彼の世話をしてきただけに、佐助には親のような感情が芽生えつつあったのだ。
「……えーと、旦那、そろそろ一休みしたら? 団子買ってきたよ」
苦笑した後、佐助は自身から始めた話を逸らした。
「真か!」
目を輝かせる幸村に手拭いを渡し、今用意するから、と言い残して佐助はその場から去っていった。
 手拭いで汗を拭いながら、幸村は政宗のことを思い返す。
あれから幸村が見る政宗は、普段通りの不敵で剛毅なものばかりだが、
あの桃の木の下で愁えていた政宗も未だ幸村の眼球に焼き付いている。
また彼に会いたい。
話をしたい。
斬り結びたい。
日々その想いは強くなっていく。
「旦那、お待たせー」
今度は茶と団子を盆の上に載せ、再び佐助が現れた。
その慣れた様子に最早佐助自身も違和感を感じない。
自他共に、佐助は幸村のオカン的存在だと認めている。
「おお、美味そうだな」
 団子を幸せそうに頬張る幸村は幼い頃から何も変わっていない。
変化に微妙な拒絶を抱いた佐助だったので、尚更そんな幸村に安堵した。
確かに、甲斐以外の国の人間に触れたことは、幸村を大きく成長させたのだろう。
度が過ぎた尊敬っぷりだが、そこらへんは幸村がまだ若く、思い込んだら一直線だからだろう。
何にせよ旦那の成長の証ってことなら喜ぶべきことだし、だったら俺様もそろそろ旦那離れしないとね、
などと正にオカンなことを佐助は思っていた。
 暫くの間、黙ってお茶と団子を幸せそうに味わっていた幸村だったが、
何か思案していたらしく、不意に得心した顔つきになり、次いで深刻な表情を作った。
「…佐助、まずいことになった」
「何、またお茶に砂糖入れちゃったの? 責任持って自分で飲んで下さいねー」
甘味が大好物な幸村だ、それを味わっている時に起こるまずいことなど、今の今まで大したことはなかった。
だから佐助は軽口でそう返したのだが、幸村は湯飲みを両手で抱えたまま、重々しく呟いた。
「惚れた」
「……は?」
何でもありの忍と言えど聞き間違いぐらいある。
いや、聞こえたのだがその言葉が信じられなかった。
正確には、色気より食い気とお館様、な幸村からその言葉を聞くことになるとは思わなかったのだ。
そんな佐助に、幸村は律儀にもう一度同じことを繰り返した。
想いに浸っているらしく、その視線が心なしか宙を漂っていた。
「いやいやちょっと旦那そんな冗談いくら俺様でもちょっとキツイっていうかまさか旦那に限ってってマジで!?」
「うむ」
頷くものの、佐助の言葉など半分も耳に入っていない。
頭に浮かぶのは心に思い描くのは彼の人だけだ。
佐助は興奮気味に誰かと尋ねてくる。
ねぇ、旦那。勿体振らないで教えてよ。あ、まさか独眼竜の旦那とか言い出さないよねぇ。
と言い出した佐助に、何故分かったのだろう、流石忍だな、と思いながら幸村は頷いて肯定した。
ビシッと固まった佐助などやはり目に入っていない。
 考える度、考える程、頭が、身体が、心が熱いのだ。
だからきっとそういうことなのだ。

俺は、あの御方が好きなのだ。




 暑さがまだ厳しい頃だった。

























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何だかんだで青臭い19歳伊達が好き。