突然名前を呼ばれ、幸村の心臓が跳ね上がった。
まさか隠れている某に気付くとは。
やはりこの伊達殿は物の怪か?
違う、違う、己が気配を隠しきっておらぬのだ。
ぅお館様、この幸村、まだまだ未熟でござりました!
そんなことが頭を巡っていたので、動かずにいたらもう一度声がかかった。
「…早く出てきやがれ、俺は気ぃ短ぇんだよ」
不機嫌そうな脅し口調になった。
我に返り、幸村は政宗の前に姿を現した。
用心深く、そろそろと政宗に近付いていく。
「……伊達政宗殿、でござるか?」
念のために確認してみると、素っ気ない返事が返ってきた。
「Ha、誰に見えるってんだ?」
「しかし真の伊達殿ならば、今はお館様とおられるはず」
政宗の正面に立ち幸村がそう言うと、政宗は喉の奥で低く笑い、教えてやった。
「ちゃーんと接待してやってるぜぇ、俺の影がな」
「なっ……」
幸村は一瞬言葉を失うが、すぐに声を荒げた。
「な、何と無礼な! それが仮にも同盟を結んだ相手にすることかっ!
 伊達殿は武田を軽んじられるおつもりか!!」
凄い剣幕でそう詰め寄るが、政宗は涼しい顔で言い返した。
「謳いやがる。武田の方こそ影をよこしたくせに、言える立場か?」
「な、何を…っ!?」
思わぬ言葉に、幸村の言葉が詰まったが、
「何を言うか! 言いがかりも甚だしいぞ!!」
すぐに更なる怒りを顕わにする。
しかしそれは本当だった。嘘が苦手な幸村には知らせていなかっただけなのだ。
激昂する幸村に呆れながら、政宗は話を逸らした。
「…それに、アンタが俺と話をしたくて堪らなそうだったから、わざわざ出てきてやったんじゃねぇか」
「そ、そのようなことは…」
言葉を詰まらせる幸村を、政宗は更に煽った。
「人のことジロジロ見やがって。
言いたいことあるならハッキリと言いやがれ」
声をやや荒げてそう言い捨てると、幸村が政宗を睨み付けてきた。
その視線に冷笑を返してやる。
 煽りに応え、不意に声を低くして、幸村が言った。
「たとえ、武田と伊達が同盟を結ぼうとも、先の伊達殿の所業は忘れはせぬ」
「…どれのことだ?」
変わらぬ笑みで、政宗は返答に予想のつく問いを口にする。
「貴殿が武田の領地を侵したことだ! 忘れたとは言わせぬぞ!!」
「Ha、それがどうした?」
「ど、どうしただと……っ!」
怒りのあまり、身体が震える。自分の仕える国が侵されたというのに、侵した当人は目の前で涼しい顔なのだ。
「俺は隙を突いただけだ。
どちらかと言えば、隙を作ったそっちに非があるんじゃねぇのか?」
「き、貴様ぁっ!」
怒りの余り、幸村が自分の懐に手を入れた。
二槍は無い。しかし彼の武器は二槍に限らない。
政宗は、幸村の殺気を受け、彼の懐に潜む金属の煌めきを見た瞬間、低く呟いた。
「それを見せれば、同盟の話は無くなるぜ」
「――!」
懐刀の刃が見えるか否かのところで、幸村の動きが止まる。
「家臣が主の意向に背くか。
てめぇはその程度か、真田幸村」
独眼が幸村を射抜き、幸村は動けなくなる。
代わりに独眼を睨み付け、竜の眼光と真正面からぶつかり合った。
しかし、奥歯が欠ける音がした後、幸村は漸く懐に入れていた手を出した。
「無礼な振る舞い、お許し願いたい…っ」
深く頭を垂れ詫びる幸村の腹の内は、おそらく怒りで煮えたぎっているだろう。
度を過ぎた直情な性格に、苦笑が漏れた。
相手が怒るほど、逆に己は冷めていく。
「…なぁ、真田幸村、どうせ暇だろ?
 少し付き合いな」
小十郎達に少々悪いと感じつつも、そしてこう切り出す己を少し不思議に思いながらも、政宗は幸村に呼びかけた。








 大体の同盟の儀は終わっていた。
どうせ後は宴会騒ぎだ。
本人のような威圧感の感じられない影武者と騒ぐよりかは、目の前の男を観察する方が、どんなに有意義で面白いか。
そう理由をつけ、城を抜け出した政宗は幸村を連れ、城下に出た。
「…呆れて、言葉もござらぬ」
真面目というか、一直線な性格の幸村としては、政宗の行動は許し難い。
しかし、幸村は目の前の男と同盟を結んだ領主の一家臣に過ぎない。
逆らえるわけが無かった。
「Take it easyだぜ、真田」
「異国語は分かりませぬ」
憮然とした顔でそう言い捨て、城下を見て回る政宗に幸村はただ付いていく。
「アンタに理解されようとは思っちゃいねぇよ」
市に並べられた華やかな櫛をしゃがんで見ながら、複数の意味を込め政宗は言い返した。
「親爺、コレもらってくぜ」
気に入りの物を見つけたらしく、銭を渡すと政宗は立ち上がった。
「さて、機嫌直しも見つけたことだし、一休みでもしようぜ。
アンタも腹減っただろ?」
戻れば、小十郎だけではない、影を任せっぱなしの猫からも小言を言われるだろう。
櫛で猫だけでも機嫌が良くなれば、と淡い期待を抱くものの、
二人に挟まれ怒られる自分を想像すると、少しばかり苦笑が漏れる。
「お気遣いは無用にござる」
幸村は相変わらずとりつく島もない。
それにも苦笑を漏らし、政宗は茶店に入った。
「座って待ってろ」
それだけ言うと、幸村の返事は聞かずに政宗は奥へと向かっていった。
 一体、この男は何を考えているのだろうか。
いや、何を企んでいるのだろうか。
己から何かを探るつもりだろうか。
それとも、例えばここで己を人質にして、優位な条件を結ばせようとしているとか。
己にはその程度の浅はかな考えしか思い浮かばないが、独眼竜は確かに賢い。
しかもその賢さは狡猾の部類だ。
きっと、己が考えつかぬようなことを企んでいるに違いない。
油断無いようにせねば。と気を引き締め直した時、突然目の前に何かを突き出された。
「ほらよ」
団子だった。甘い香りが鼻孔を刺激する。
そういえば、小腹が空いたと感じてから大分時間が経っており、
気付けば空いた小腹は大腹へと変わっていた。
しかも大好物の団子だ。
思わず生唾を飲み込むが、何とか堪える。
「せっかくでござるが…」
「この俺がわざわざ買ってきてやったんだ。大人しく食え」
少し不機嫌そうに言い捨てると、政宗は幸村に団子の串を無理矢理押し付けた。
幸村はそれを暫く眺め、意地と食欲を葛藤させていたが、
後者に軍配が上がった。
「……忝ない」
不本意そうに小さく呟いて、団子を口に入れた。
いつもより甘い気がした。
「ハハ…」
呆れるような笑い声が横から聞こえた。
それが存外優しくて、逆に政宗の方が見られなかった。








 珍しく空一面が雲に覆われていない。
雲の間から日の光が射し、弱いながらも大地を暖める。
暖かいとは言えないが寒さは和らいできている。
人の喧噪と足音が耳を通り過ぎていき、他愛もない日常を飾る。
口の中に広がる団子の甘さとこの穏やかな時が、幸村と政宗の心を落ち着かせていた。
「…一つ、尋ねても宜しいでござるか?」
「……何だ?」
煙管を吹かしていた政宗に声をかけると、ややあって返事があった。
「何故某を…?」
わざわざ城を抜け出して、己をも連れ出して。
何事かを企んでいるならば簡単には白状しないだろうが、期待無しで正直に尋ねてみると、
相手からの応えは無かった。
「……伊達殿?」
やはり何か企んでいたのか?
そう疑念が生じたと同時に、政宗は煙草の煙を息と共に吐き出した。
遠くを見つめていた瞳を幸村に向ける。
「……アンタに興味があったってのはダメかい?」
笑みを含んだ声音で言われ、てっきりからかわれているのかと思った。
「からかうのは止めて頂きたい」
期待はしていないが、こちらは真面目に尋ねているというのに、笑い混じりでそう返されたのだ。
憮然とした調子で言うと、政宗はまた笑みを零し、再び遠くに目を遣った。
「……俺が憎いか?」
「…………は?」
呟いた言葉が唐突すぎて、言わんとする意味が一瞬理解できなかった。
しかしその声を存外弱々しく感じた。
「伊達殿?」
桃の木の前に佇んでいた彼が不意に思い出され、気付けば幸村は焦りを含めた声で政宗を呼んだ。
「……まあ、憎くないはずはねぇよなぁ…」
独り言のように呟かれるその声には自嘲が含まれているように思え、幸村は更に戸惑う。
 不意に、声の調子が変わった。
「手合わせでもするか?」
先程のような弱々しさも自嘲も無い、その声は普段の調子の伊達政宗だった。

























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続きます。