一連の騒ぎはすぐに城へも伝わり、政宗と幸村は間もなく城へ連れ戻された。
主君に対して出過ぎたことであったとしても、小十郎は語気を強めて政宗を諫めるが、
政宗は煩わしげに聞いているだけで、その諫言を理解した様子は無かった。
部屋に戻された幸村は、先の出来事と彼の言動を何度も思い返す。
殺さない理由が無いだけで、彼は子供をその手に掛けようとした。
それはやはり、母親と弟に殺されかけたからなのか。
人など最早信じるに値しないと、
他人は自身を壊すだけだと、
そう思っているのだろうか。
そしてそうなる前に、自身が先に他人を壊してしまおうとしているのならば、
何と哀れなことだ。
不意に障子の先に人の気配がした。
次いで己の名を呼ばれ、幸村は我に返る。
「……片倉殿、どうされましたか?」
障子を開き現れた片倉小十郎に、幸村はそう答えた。
丁度いい、こちらも確かめねばならぬことがある。
居住まいを正し、
眉間に深い皺を刻んだままこちらを睨め付けている小十郎を見上げ、
幸村は彼が口を開くのを待つ。
「……あの童は、峠を越したそうだ」
「そうですか。それは良うございました」
安堵する幸村に礼を述べる小十郎の心情は、恐らくは幸村と同じであったのだろう。
「いえ、安心致しました」
子供が命を取り留めたこと、
引いては政宗が徒に人を殺めずに済んだことに、
幸村も小十郎も息を吐く。
しかし、幸村はすぐにまた身を引き締め、小十郎を見据えた。
「片倉殿、お尋ねしたいことがございます」
「……」
小十郎は沈黙したままだったが、構わず幸村は口を開いた。
「伊達政宗殿に、何が起こったのですか?」
「……」
黙したまま、小十郎は渋面になる。
これ以上立ち入るなと、暗に警告しているようだ。
しかし同時に、言うべきかを逡巡しているようにも見えた。
だから幸村は、小十郎が口を開くのをただ待った。
決心したらしく、漸く小十郎がその重い口を開いた。
毒に冒された政宗は、一月もの間、意識が戻らなかった。
毒を仕掛けた当初こそは、
政宗の弟である伊達小次郎政道を新たに当主に据えるため、
母子が起こしたと考えられたが、
その後の小次郎、母・保春院、そして彼女の生家である最上氏の動きから、
最上義光が伊達家を手に入れるために謀ったものだと見て取れた。
手段がどうであれ、現当主の伊達政宗さえ亡き者となれば、
次代は小次郎政道が順当であるため、
保春院や最上氏を含め政道派は、政宗は死んだ、次の当主は政道だと触れ回っていた。
意識の戻らぬ政宗に対して、政道派が暴挙に出ることを警戒し、
片倉小十郎景綱は医者や政宗にごく近しい者以外は決して近寄らせなかった。
訪れる者に対しても、刀の類を隠し持っていないかを入念に調べさせ、
食物は必ず毒味をさせてから与えていた。
そのような日々が一月程続いたある日、政宗は唐突に目を覚ました。
半身を起こし、声を掛ける小十郎にも構わず暫く呆けていたが、
不意に口を開き、今の状況を尋ねた。
躊躇いを見せながらも小十郎は城内と城下と近隣の国の様子を話す。
変わらず聞いているかいないか分からぬ様子の政宗が無感情に命じた。
「……母上と小次郎を連れてこい」
保春院と小次郎は、この時は山形の最上氏の下にいた。
呼びつけたとしても毒殺を謀った者が素直に応じるはずもない。
また、政宗派と政道派に揺れる今のこの状況で、
彼らが再びどのような暴挙に及ぶかも分からない。
何より、今の政宗がどのような意図で命じているのかが分からない。
だから小十郎は政宗に何とか思い留まらせようとするのだが、
政宗は連れてこいの一点張りだ。
しかし呼びつけて何をするつもりかを尋ねても、まともに答えてはくれない。
「……政宗様、小十郎には政宗様が何をお考えか分かりませぬ。
何故にお二人をお呼びなさるのか、お教え下さい」
「……確かめたいことがあるが、俺にも分からねぇな……」
ふざけているかの口ぶりで、虚空を見つめたまま、政宗はそう答えるだけだ。
「……よもやお二人をお手討ちになさろうとお考えではありますまいな……?」
そう釘を刺しても、政宗は落ち着き払った様子だ。
「まさか、そんなことしやしねぇよ」
何か、どこか違う気がする。
一月も彼の意識の無い姿しか見ていなかったせいだろうか。
実の母親と弟に謀られ、殺されかけたという事実のせいか。
口ぶりは変わらない。
姿形もやつれていることを除いて変わらない。
目の前の人物は伊達政宗に違いないのだが、何か違うのだ。
何か、肝心な部分が欠けているような、確実なものを得られないような。
「……ですが、お二人が素直に来るとも限りません」
「だったら、伊達政宗は死んだと伝えればいい」
政宗本人が口にしたその言の葉が小十郎の心に一つの影を落としたが、
小十郎は主の命に従った。
そして政宗は、伊達の次の当主として城に迎えられた小次郎政道の前に現れた。
「母上、小次郎、お元気そうで何よりです」
通された部屋で死んだはずの政宗が現れ、保春院も小次郎も顔色を失った。
「まだ本調子ではございませんので、このような格好ですが、どうかご容赦下さい」
蒼白の二人に構わずに、長着に羽織を掛けた姿の政宗は機嫌良く語りかける。
「……何故…なぜ、お前が…」
絞り出されたその言葉に政宗は笑顔で答えた。
「生憎死に損なった、それだけですよ、母上」
そして、母と弟を交互に見た後、今度は政宗が尋ねた。
「それで、これからどうしますか? また俺を殺しますか?」
単純な興味と疑問だ。
恨みも憎しみも皮肉も無かった。
それ故に、薄気味悪い。
狼狽えたまま何も答えない保春院と小次郎に、政宗は一歩近づいた。
それを引き金として、突然保春院が懐から短刀を取り出し、切っ先を政宗に向け叫んだ。
「寄るな、化け物っ」
小次郎を背後に庇い、保春院は気丈に政宗を睨み付ける。
「鬼子よ、そなた化性に成り果てたか」
「……」
「ここに貴様の居場所は無い。鬼は地獄へ帰るがいい!」
彼女が政宗を見る目は、最早我が子を見るそれでは無かった。
今思えば、彼女だからこそ今の政宗を見抜いていたのかもしれない。
だが、彼女の言の葉はその真偽に拘わらず、
彼女の、そして彼女のもう一人の最愛の我が子の身を滅ぼすことに変わりはなかった。
ひとしきり母の呪詛を聞いた後、
政宗は取り縋る彼女を振り払い、
最期に兄に呼びかけた弟を手に掛け、
数日後に母をもその手で殺した。
「……政道様を手に掛けてからだ、政宗様の自制が効かなくなったのは。
政道様を推していた者ほぼ全てが暗殺の企てに関わりありと見なされ、
あの御方の暇潰しにされた。
いや、もう誰であろうと構わねぇのかもしれねぇ」
「……」
「保春院様が仰ったことは、或いは間違いでは無かったかもしれねぇ。
あの御方はもう…」
「……片倉殿」
その先は、言うべきではない。
窘めの意を込め、幸村は小十郎に声を掛ける。
僅かに幸村に目を遣り、小十郎は俯いた。
「……政宗様は心根の優しい御方だ。
人の上に立つ者として、常に家臣や民のことを考えていらっしゃる方だ。
そんな御方が、戯れで人を殺せるはずがない」
やはり小十郎も己と同じ疑念を抱いている。
いや、その思いは右目として政宗の傍らに在り続けた小十郎の方が余程強かろう。
「……俺には、分からねぇんだ……
実の母親に己の生を否定された魂は、加持祈祷ごときで戻って来られるのか
…あの身体には本当に、政宗様がいらっしゃるのか」
「片倉殿」
先程よりも声を強めるが、堰を切ったように小十郎の疑念は止まらない。
「……あれは、誰なんだ。
政宗様の姿形で、政宗様を演じるあれは、一体誰なんだ……!」
「片倉殿!」
声を荒げ、強く窘める幸村に、漸く小十郎は我に返る。
自身の失言に気付き、小十郎は顔を歪め、項垂れた。
「……すまねぇ、忘れてくれ」
どうにか声を絞り出し、小十郎は最後にそれだけ告げる。
弱いながらも光を放っていた日輪が、黒い山に沈んだ。
夜、微かに聞こえた物音に、幸村は障子を開け、外の様子を窺った。
縁に面した庭を歩いていく人影が見えた。
目を凝らして見れば、政宗のようだ。
彼の部屋とは違う方向に向かっているようだが、こんな時間に何をしているのだろうか。
「……」
幸村の脳裏に、小十郎の言葉が浮かんだ。
直感的に、政宗がまた“暇潰し”を行っていたと気づき、
勢いで部屋を飛び出し、政宗に声を掛けた。
「伊達殿」
振り返り、無表情に幸村を一瞥した後、政宗は不意に笑みを作った。
「どうした?」
屈託無く笑む彼から、微かに何かの臭いがする。
この場でするのは考え難い、
戦場以外では嗅ぎたくはない、
血と肉の臭いだ。
「……また……」
幸村は眉を顰めた。
また、人を殺したのか。
知らず漏れた呟きに、続きを促す政宗を見つめたまま、幸村は動けない。
「……アンタに、聞きたいことがある」
幸村に続ける気がないと見たらしく、政宗が口を開いた。
幸村は応えず、政宗を見つめたままであったが、
聞こえてはいるようだったので、政宗は続けた。
「…昼、俺に何故殺すかと尋ねただろう。
アンタはどうなんだ?」
思わぬ彼からの言葉に、幸村は目を瞠る。
「アンタが人を殺すのは何故だ?」
「……何故、そのようなことを……?」
幸村の問いに、政宗は興味があるからだ、と答える。
「俺の理由とは、違うようだからな」
「……」
どう言えばいいか、幸村は暫し考えあぐねた。
今の政宗に、どうすれば伝わるのか、すぐには思いつかない。
先程と同じく、黙り込んだ幸村だったが、
政宗は今度は幸村が答えるのを静かに待っていた。
「……伊達殿、以前にそなたが語られた夢を覚えていらっしゃいますか?」
やがて幸村から返ってきたのは、政宗の問いに対する答えではなく、彼に向けての問いだった。
「夢……?」
政宗が微かに眉を寄せた。
記憶を手繰っているのだろうか。
しかし、幸村の問いに、すぐには答えられぬという事実が、幸村の胸を刺した。
「……覚えておいででは無いのですか?
そなた自身が抱き、語られた夢でござろう?」
「……」
彼が沈黙する程、そこに辿り着くまでの時間が流れていく程に、
幸村の疑念は確信へと姿を変えていく。
暫く沈黙した後、幸村は声を絞り出した。
「……某が人を殺めるのは、某の理想の為です。
その理想は、そなたの夢と同じ道の先にあるものでした」
その夢は、きっと政宗の本質であったのだ。
ならば、それが無い今の彼は……
辿り着いた一つの答えは、小十郎と同じものであり、
幸村にとっても堪え難いものだった。
「……それが答えられぬならば、その意味を知らぬならば……」
今、己は、己自身が諫めておきながら、小十郎の疑念と同じ言の葉を紡ごうとしている。
それどころか、彼を否定するものだ。
だが、政宗の魂を知らぬモノが政宗として在ることこそが、
幸村には許し難いものであり、政宗自身がそれを望むはずもない。
「そなたは伊達政宗殿ではありません」
己を否定する言葉を放つ幸村に政宗は目を向け、そして一つだけ思った。
なかなか巧くはいかないものだ。