真田幸村が独眼竜の居城を訪れた次の日、朝餉を取っていた幸村の元へ突然政宗が現れた。
政宗は部屋を見渡した後、幸村に人の悪そうな笑顔を向けて言い放った。
「アイツが来たら適当にやり過ごせ」
「えっ、だ――」
「政宗様!」
突然の政宗の訪問に対しての驚きの声は、大声にかき消される。
それにも驚いて幸村がそちらを見ると、
先程の声の主である小十郎が相変わらずの渋面で、先程の政宗のように部屋を見回している。
「おい、政宗様はどちらだ?」
「あ、伊達殿でしたら…」
小十郎の勢いに圧され、答えかける幸村だが、
再び部屋の奥に目を向けたところ、当の本人は影も形も無い。
「む、つい先程こちらにいらっしゃったのだが……」
首を傾げる幸村の様子に偽りは無いと見たのか、
小十郎は邪魔をしたと軽く頭を下げると、政宗を捜すためすぐにその場を後にした。
「……」
「まったく、勘がいい奴だぜ」
その様子を呆けたように眺めていた幸村だが、背後からの声に驚いて後ろを振り返ると、
どこから現れたのか、政宗が彼を捜す小十郎の背中を楽しげに眺めていた。
「伊達殿!?」
「アンタ、割と演技が巧いんだな」
視線を幸村の方に移しながら、おかげで巻くことができたと礼を言う政宗に、幸村は目を丸くする。
「伊達殿、何処にいらっしゃったのですか?」
驚く幸村と同じく政宗も軽く目を瞠る。
「何だぁ、俺はこの部屋に隠れてたぜ?
アンタ本当に気づいていなかったのか」
呆れた様子の政宗に、戦時では無いとは言え人の気配にも気づかぬと、
己の取った不覚に気づき幸村は眉を寄せた。
「…まあいいさ。ついでだ、ちいと付き合えよ」
情けでもかけたつもりか、政宗は不意にそう口を開いた。
「……あの、伊達殿…本当に宜しいのですか?」
前を行く政宗へ向かって控えめに声を掛ける幸村に、政宗は振り返った。
「No Problem、気にすんな」
いつぞやのように城を抜け出した政宗と幸村は、城下の町を目的もなく歩いていた。
「…しかし、お身体も本調子では無いのでしょう?」
「だからそれは、周りが騒ぎ過ぎだっつってんだろ。
別に何てことねぇんだ」
「……」
その言葉が何を示していたのかを確かめるのは躊躇われ、幸村は口を閉じる。
代わりに、再び正面を向いた政宗の背中を見つめ、様子を窺う。
足取りはやはり心許ないが、聞けばあれからずっと城に籠もりっぱなしであったという。
気分転換に外に出たいと思うのも、無理はないかもしれない。
「……では、ご無理をなさらず、具合が悪い際はすぐにお知らせ下され」
そう言い募る幸村に再度目を向け、政宗は苦笑した。
「……どこの小十郎だよ」
それでも、幸村の念押しに頷いた後、政宗は不意に近くにあった店に入る。
「だ――」
伊達殿、と呼びかけようとして、慌てて口を噤んだ。
伊達の者の居場所を周りに知られるのはあらゆる意味でまずいと思ったからだ。
慌てて政宗を追いかけ、彼の入った店に入りかけた幸村だが、
ちょうど出てきた政宗と鉢合わせになった。
「ほら、アンタこれが好きなんだろう?」
再び、何と呼ぼうか逡巡していた幸村に団子を渡してやり、
そのまま出入口にあった縁台に政宗は腰を下ろした。
暫し呆けていた幸村も急いで彼の隣に腰を下ろす。
「…あの、ど…とうじろう、殿…」
独眼竜も伊達も政宗も、有名すぎる呼び名だ。
だからひとまずそう呼んだ幸村だが慣れぬ呼び名は何やらむず痒い。
更に政宗まで怪訝そうに眉を寄せた。
「何だ、いきなり?」
「いえ、その…お忍びで参っている故、貴殿を何とお呼びすれば良いかと……」
「ああ……」
合点した様子だったが、特に気にする風もなく、政宗は好きに呼べと応える。
そう言われてもやはり慣れないので、名を呼ぶことは諦め、
幸村は先程言いかけたことを続けることにした。
「……あの、何故某の好物を…?」
口に入れていた団子を飲み込み、政宗はその一つ眼で暫く幸村を見つめていたが、
「……前に抜け出した時に結構な数を食べていたからな。違ったか?」
からかい混じりの口調でそう答える。
それに幸村の身体が熱くなった。
「……覚えておいででしたか……」
好敵手にからかわれたことよりも、
政宗が己の好物を知っていてくれたことが嬉しかったのだ。
「それに、朝餉の途中だったろう?」
アンタは人の倍は食いそうだからな、と続けられても、
やはり己を気に掛けての発言であることに、幸村は微笑した。
「忝のうござる。有難く、頂戴致す」
深々と頭を下げ、幸村は四つ刺さった団子を一口で平らげた。
幸村は政宗に恋情を抱いていた。
宿敵であり好敵手であって、
その首をいつの日か取るか取られるかだけの関係であるから、
彼はそれだけであるのが嫌だった。
政宗のことをもっと知りたいし、己のことをもっと知ってほしかった。
だからこそ、政宗が己のことを少しでも知っていたことが、
たかが好物の一つを知っていたことが堪らなく嬉しくて、
昨日の片倉小十郎の忠告を失念してしまっていた。
幸村の眼前に信じ難い光景が広がっている。
肩から胸にかけて斬り裂かれ、一人の童が悲痛な呻きを上げており、
その様子を政宗が見下ろしている。
そしてその手に握られているのは切っ先から血を滴らせる刀。
逃げ惑う者や遠巻きに眺める者たちで周りは騒然となっていた。
城下に置いてきた真田の草の者と連絡が取りたいのもあり、幸村は暫し政宗から離れていた。
それから間もなく、突如耳に飛び込んできた悲鳴や怒号に、そちらへ向かってみれば、
騒ぎの中心に政宗の姿があった。
間違えようもない。政宗が童を斬ったのだ。
苦痛に喘ぐ童を見下ろす政宗は、笑みを浮かべている。
しかし狂気や禍々しさなど微塵も含まれていない、
それこそ親しい相手に向けるような、屈託の無いものだった。
「……」
そんな笑顔を、何故に今ここで見せるのだ。
ただの子供を斬り捨てて、どうしてそんな笑みを浮かべられるのだ。
場にそぐわぬその微笑に、幸村の背筋を冷たいものが伝う。
彼の脳裏に漸く小十郎の忠告と道中に耳にした様々な噂が蘇ってきた。
呆然とその光景を見つめる幸村も、騒然としている周りも気に留めることなく、
政宗は、血を吐く童に何かを語りかけているようだが、ここからではよく聞こえない。
人垣をかき分け、幸村は政宗の方へ近づこうとした。
「……いいか、童。侍も、親だって信じるもんじゃねぇぜ。
そんな立派なもんじゃねぇ」
優しく言い聞かせるように、それでいて淡々と、
恐怖と苦痛に涙を流し、父と母に助けを求める童に、政宗は語りかける。
「信じたところで裏切られるし、
ほら、見てみろ、お前がこんな目に遭ってるのに、誰も助けにきやしねぇ」
ここで政宗は漸く童から周りに視線を移した。
拍子に、幸村の姿を認めたようだが、政宗は一瞥しただけだった。
「誰も助けに来ねぇのか? こんなに頭数揃ってるってのに?」
視線を合わさぬように目を逸らし、
逃げるようにその場から離れていく人々にそう言い捨てるが、
政宗は別段気にもしていない。
童が父と母を呼ぶ。
とうちゃん、かあちゃん、いたい、こわい、たすけて。
血を流し、血を吐きながら、泣きながら、巧く回らぬ舌を必死に動かして、
途切れ途切れに助けを求めている。
だが近くにいないのか父からも母からも何も返ってはこない。
彼の耳に入ってくるのは、怖い侍の優しいだけの声だ。
「……伊達殿…何を為さっているのだ……」
代わりにか、幸村が漸く声を絞り出した。
政宗は今初めて幸村に気付いたかのように、幸村に目を遣るが、
呆けた様子で何も言葉を発さない。
「その童が何か致しましたか?
斬り捨てられる程のことをしたのですか?」
溢れ出しそうな感情を懸命に抑え、幸村は言い募った。
しかし政宗は、足下の童に目を落とした後、再び幸村に目を向けた。
「……何も」
対して無機質な声音を放ち、政宗はただじっと幸村を見つめている。
それはどことなく物珍しげで、自身に無いものに対する関心のようなものだった。
事実彼は、幸村の次の行動を待っていた。
それはある種の薄気味悪さを伴い、幸村に戸惑いを生じさせた。
政宗の行動と彼の関心の間にある矛盾、違和感。
幸村を量っているわけではなく、
幸村の性格や彼が次にするであろう行動をただ知りたがっているような、
しかしそれを知る上で何かが欠けているような、
そんな感覚がする。
「おい親、童が呼んでるぞ。来てやらねぇのか?」
不意に、政宗の関心が幸村から童へと戻る。
周囲にそう問いかけ、応えが無いのを確認してから、
政宗は再び童に目を向け、怯える童に笑いかける。
「童、ちゃんと父ちゃんと母ちゃんに文句言っておくんだぜ」
その言葉とは裏腹に、逆手で垂直に立てた刀を無造作に童の喉に向かって突き下ろしていく。
殺す気だ。
「お止め下され!!」
叫ぶと同時に幸村は咄嗟に刀と童の喉の間に自らの手を差し入れた。
刀が童の喉ではないものを貫いたことに驚き、政宗は幸村に目を向ける。
己の掌を刀に食わせたまま、それを強引に引っ張り政宗から取り上げる。
それから乱暴に刀を引き抜くと童を抱き上げ、
店の中に隠れ様子を窺っていた店主に怒鳴った。
「医者を! 早くしろっ!」
慌てて走って行く店主に目もくれず、
幸村は懐から手拭いを出して童の傷口を押さえ、
童の身体から溢れ出る血を少しでも止めようとする。
そして、呼びに行かせた医者が来るまでの間、童にずっと呼びかけていた。
駆けつけた医者に念を押して童を任せた後、
幸村は、その一連の様子を呆けたまま眺めていた政宗の正面に立ち、彼を睨み付けた。
「伊達殿っ、そなたは何をしたか分かっているのか!」
「……」
政宗は訝しげに幸村を見つめるだけで、何も答えない。
彼の様子が更に幸村を苛立たせた。
「座興にただの子供を手に掛けるのが独眼竜のやり方か!」
槍を持っていれば襲いかかって来そうな迫力だったが、
政宗は相変わらず首を傾げている。
「……何故、そんなに怒っているんだ?」
その声音は幸村への挑発では無かった。
本当に、幸村の怒りの理由が理解できずに尋ねている。
彼の言葉に目を見開く幸村に、政宗は続けた。
「童は殺すつもりだった。それでどうしてアンタが怒るんだ?」
「どうして…だと…っ」
幸村には政宗の言葉が信じ難い。
血が上っていた頭が薄気味悪さを伴って急速に冷えていく。
本当に、自分がやったことが、
その罪深さが分かっていないのか。
「何故、殺す必要がある…っ
あの童は、お主に何もやっていないのだろう!?」
例えば先の事件のように、
彼の心を乱すことがあるならば、
不条理でも理不尽でも理由と呼べるものがあるならば、
あってくれと祈るように幸村は言い募るが、
政宗は当然のように答えた。
「だがそれは、殺さない理由にはならないだろう?」
背筋が凍り付いた。
かの事実は、彼にとっては些事だった。
理由などない。
理由を深く求めることもない。
意味もない。
呼吸するかのごとく自然に、何気なく、子供を、人を、殺すのだ。
この時、幸村は初めて一つの疑念を抱いた。