のだけれども、飽きやすい性格が彼女であるので、やっぱりすぐに飽きてしまった。
相変わらず幸村は心の中で(?)お館様と語り合っている様子だったし、
第一、いくら何でもずっとこれでは失礼だ。
彼女は流れるような動きで優雅に立ち上がった。
「お館様、某まだまだ未熟にござった!
お館様の拳で、もっとこの性根を叩き直して下されぇぇぇっっ!!」
「なぁ、真田幸村?」
妄想という名のどこか遠い世界でお館様と熱く拳で語り合っていた幸村は、不意に呼びかけられた。
それが彼の耳には心地よかったので、思わず幸村は声のした方へ振り返った。
すると、目の前に政宗がいるではないか。
「おおおぉぉぉ!?」
反射的に奇声を発し、数尺程後ずさる。
すぐ近くで大声を出された彼女は、思わず身を竦めて耳を覆った。
「うぉわっ、も、申し訳ござらぬ!」
「……もうちょっと落ち着けないのか……」
咎めるような視線を向けられるが、その様子が何故か幸村の胸をざわつかせる。
もっと近付いてみたい、と生じた感情に従って幸村はそろそろと彼女に近付いた。
身を竦ませているせいだろうか、彼女は幸村よりも一回り小さい。
確かに、目の前の政宗は女の身体をしていた。
「……確かに、おなごにござるな……」
「……」
そう呟いた幸村に、政宗は少しだけ哀しそうに微笑んだ。
「……女じゃ所詮…当主にもなれないし、戦でまともに戦えないだろう?
だから……」
女を捨て、男として生きようとしているのか。
口を噤んだ彼女の言わんとした言葉の続きを察し、幸村は思わず叫んだ。
「某と政宗殿は宿敵同士!
例えおなごと言えど、手加減は致しませぬぞ!」
その言葉に、正にびっくりという言葉が相応しい程、彼女は幸村を凝視した。
が、すぐに俯いて肩を震わせ始めた。
逆にぎょっとしたのは幸村だ。
おなごを泣かせてしまった!
とやり場のない手を無意味に動かしながら、しかし触れる度胸もなく、あたふたと政宗のすぐ傍で慌て出した。
「す、すまぬ。な、泣かせるつもりなどなかったのだ!」
「バカ、泣いてねーよ」
俯いた顔を上げた政宗は、後日の幸村曰く、それはそれは可愛らしい顔で微笑んでいた。
それに対する幸村の反応は正にお約束で、顔を真っ赤に染めて再び後ずさりかけた。
しかし、その幸村の袖を掴み、彼女はそれを引き留めた。
「流石は伊達政宗の宿敵!
見直した、真田幸村」
屈託なく笑う彼女に幸村は思わず見惚れる。
彼女は普段の政宗らしく不敵に、しかしどことなく親しげに笑みを浮かべた。
「思ってたよりずっといい男だな、アンタ」
「…おぉぉ…」
あの独眼竜が好意全開で己に向かって笑いかけている。
しかもおなごで、更にいい男と褒められて……
幸村の思考がまともに機能せぬままぐるぐると回る。
一にお館様二に戦、同着食い気の幸村だ。
女がこれ程近くにいるという状況など今まで遭遇したことなどない。
むしろ今まで挙動不審の動揺しまくりであっても幸村にしては堪えた方なのだ。
しかし当然限界も来る。
「ま、政宗殿ぉっ!」
何かの糸が切れた幸村は、本能と勢いに任せて政宗に飛びついた。
「わっ!」
油断していた彼女は幸村の勢いに負け、簡単に倒れ込んだ。
案の定後頭部をぶつけ、おまけに髪を結い上げていた櫛が頭を刺し、かなり痛い。
その痛みに涙目になりながらも、文句を言ってやろうと恨みがましい視線と共に見上げた時、
彼女はやっと幸村に押し倒された状態になっていることに気が付いた。
そしてその幸村が、単純に飼い主に懐く犬と、
生物としての欲を露わにした雄との間を行ったり来たりしている目をしていることにも気付いてしまった。
どっちにしても嫌だ。
やばい、悪ノリしすぎた。
「おおお落ち着け、真田幸村」
先程の幸村に負けないぐらいに慌てる彼女を、心ここにあらず、といった様子で幸村は見つめる。
「政宗殿……」
「いやホントゴメン、アンタがあんまり可愛い反応するもんだから、つい調子に乗って……」
「可愛いとは嬉しゅうござる……」
褒められたと解釈し、犬としての幸村が飛び出したが、
彼女の乱れてきた着物に雄としての幸村が負けじと押し返してくる。
「ちょ、そろそろ落ち着こうよ。アンタいい男でしょ。いい男はもっと大きな心でさぁ…」
「某大きさならば自信がござる」
「いやぁっ、下ネタ嫌いーっ!」
半泣きの彼女は男の欲を煽るには十分だ。
加えて乱れた髪や着物に裾からすらりと覗いた生足。
仕付けは足りないが聞き分けはいい犬としての幸村はきゃいんと押し込められ、
幸村はただの雄と化した。
「政宗殿ぉぉぉっっ!!」
「政宗様ぁぁっっ!!」
幸村の雄叫びと彼女の悲鳴が重なった。
そして、スパカーンというどことなく間の抜けた音と共に、幸村の脳裏に星が輝いた。
「うおぉぉっ、お館様、星が見えまするぅぅっ!」
「永遠に見てろ、むしろてめぇが星になれ」
今まで聞いたことも無い程に凄みのある低音が聞こえた。
「……あれ?」
聞き覚えのある声だ。
まだチカチカと輝く星を振り払い、幸村は振り返った。
と、同時に振り返り正面を向きかけたところを容赦なく蹴られ、奇声を上げて幸村は吹っ飛んだ。
「な、何事でござるか!?」
不意打ちでしかも全力の背後からの一撃にも昏倒しなかった頑丈な幸村だ。
地面にスライディングしたダメージも何のその、直ぐさま起き上がって再び振り返ると、
戦場で見慣れた独眼竜が怒髪天を衝く、といった様子でこちらを睨んでいた。
その怒りに応え、彼の身体からパリパリと雷が走っている。
「む? 政宗殿、いつの間に男装を……」
ドスのきいた声、がっしりとした体つき。
幸村の視線の先にいる、彼らしい蒼の裃姿の政宗は、確かに幸村が見慣れた独眼竜だ。
成程、男装すると声や体つきまで変わるものなのか。
勿体ない、可愛らしかったのに。
などと考えながら政宗を見ていたが、
彼の背後からこちらを窺っている赤い着物の人物に漸く気付き、幸村は仰天した。
「おおおぉ!? 政宗殿が二人!?」
「いやーっ、こっち見た!」
瞬く間だけ視線が合ったと同時に赤い着物の彼女がそう喚き、政宗の背後に姿を隠してしまう。
「……まーだ寝惚けてるらしいなぁ?」
怒りを通り越すと人は笑うらしい。
凶悪な笑みを浮かべる政宗に怯まないのは流石と言うべきだが、
未だ状況に追いついていない幸村は、そんなことよりも己の混乱した頭を落ち着かせようとするのに精一杯だ。
つまり、政宗殿は我が宿敵である独眼竜としての政宗殿と、おなごとしての政宗殿の二人が存在するわけで、
それすなわち――
漸く思い至り、瞬時に幸村の顔が青くなった。
そして、今まで己を照らしていた弱々しげな日輪の光は不意に影に遮られる。
すぐ側で明らかな殺気を感じる。
ついでに鯉口を切る音まで聞こえた。
度胸があるのか、怖いもの見たさなのか、幸村はぎこちない動きながら顔を上げた。
目が合った政宗は、それはそれは凄絶な笑みを浮かべていた。
「Go to hell, Cocksucker!!」
怒号と轟音と悲鳴と奇声が城内に響き渡った。
「……だがまあ猫、それはお前も悪い」
犬の仕付けもとい仕置きを済ませてそのまま幸村を城外に放り出し、いくらか溜飲も下がった政宗は、
幸村の性格を知っているだけに(さんざんぶちのめしたくせに)流石に哀れに思ったのか、
政宗の影も務める側室殿にそう言った。
「ひどい、殿。あんなのを庇うんですか?
殿はあんな助平野郎に優しくするんだ! 猫よりもあんな変態赤犬が好きなんだ!」
しかし、未だ半ベソをかいたままの彼女は、政宗の言葉に再びうわーんと泣き出してしまった。
もともと彼女は男嫌いの犬嫌いだ。
そんな彼女が犬の性質を持ったかのような男、幸村に襲われかけたのだ。
なまじその直前に幸村を見直していただけに、そのショックは激しい。
政宗はそんな側室殿の対応に困った様子だったが、
ふと彼女の言葉が彼の頭に引っかかった。
「ちょっと待て猫、聞き捨てならねぇ、誰があんな犬!」
かの虎哉師匠に臍曲がりを叩き込まれ、幸か不幸か捻くれた性格を幼い頃から培ってきた政宗だ。
最近、犬な彼に絆され気味なだけに、それを認めるのが癪な政宗は彼女の言葉を全力で否定した。
それでも泣き止まない彼女に彼曰くクールじゃない、実のところは柄じゃない台詞(口説き文句)を囁いたり、
猫殿が好む華やかな飾り櫛で釣ってみたり、最後はまあ身体に訴えてみたりと、
数日かけて何とか宥め慰め、苦心した分だけその怒りは元凶である甲斐・武田の赤犬に向けられた。
それから数月の間、捻くれ奥州筆頭と似たもの側室殿の怒りを一心に受け、
哀れ幸村は奥州に遅い初夏の兆しが見える頃まで、奥州への立ち入り禁止をくらったのだった。