月明かりが屋敷を照らす。
その縁側に腰を下ろし、煙管を吹かしながら、政宗は月か庭かを眺めていた。
奥州の夜はまだ冷える。着物を羽織っただけでは、いくら何でも身体を壊してしまう。
「政宗殿、お着物を……」
羽織を手に、そう呼びかけ縁側に出てきた幸村に、政宗は目を向けた。
「……」
政宗の目に浮かぶ光に、幸村は息を呑んだ。
それは奥州筆頭でも好敵手でもなく、夢の中の人形でもない、幸村の知らない政宗だった。
幸村を見ない。向き合わない。気にすら留めない。
彼はもう、幸村を認めてはくれぬのだ。
「Thanks」
吐息と共に、煙がゆらゆらと流れてくる。
その間に光は消え去り、幸村の見慣れた政宗が礼を述べ、手を伸ばした。
その手に羽織りを渡しながら、己の胸の鼓動が早まっていることに幸村は漸く気が付いた。
 傍らの盆に煙管を置き、政宗は羽織っていただけの着物を身に着けていく。
流れるような所作での着付けの後、その様子に見惚れている幸村に近付くと、
幸村の目線に合わせるように上半身を曲げ、彼の額を指で弾いた。
「おい、どうした?」
我に返り、幸村は額を押さえ、何でもないと言うに留めた。
それに政宗は苦笑を返した。
「呆けてんなよ」
幸村の頭を軽く叩き、政宗は曲げていた半身を起こした。
幸村は咄嗟に、離れようとした政宗の手首を掴み、それを止めた。
「……幸村?」
小首を傾げ、怪訝に己を見遣る政宗に、幸村は再び我に返る。
正しく、直感のままに動いたその理由を、理性が理解できるわけもなく、
ただ、離れがたいと、そう思いながらも、幸村は止めたその手を離した。
「……いえ、失礼致しました」
「……」
宥めるように、もう一度幸村の頭を撫で、政宗は部屋を出て行った。




 その夜、幸村は逢瀬の夢を見ることが叶わなかった。
政宗の夢を己が夢で縛れるのは、一つめのみだ。
その大切な一つを、現の政宗と身を繋げた後のうたた寝の際に使ってしまったらしい。
しかも今宵の一つめは、闇に佇む政宗の姿を、遠くからただ眺めているだけのものだった。
殺すことはおろか、戯れもしなかった。
現の続きかを判じている間に、闇の中に在る政宗を見ている間に、過ぎ去ってしまったのだ。
 浅い眠りの後、目を開けてみれば辺りはまだ暗い。
だが逢瀬も叶わぬならば、再び寝入るもつまらぬと、微睡んでいた身体を起こし、
幸村は昨日を取り留めもなく思い返す。
 佐助の報告、それに政宗と片倉小十郎の様子から鑑みれば、
疑わしくも確信までには至っていないと言ったところだろう。
どのみち、気付いたところで手だてがあるはずもないのだが。
 しかし、こちらも若干手詰まりだ。
というよりも、毎夜殺していく度に、彼の心が虚ろになっていき、愉しくない。満たされない。
その理由は、夢の中の政宗が日に日に人形のようになっていくからで、木偶を壊し続けても面白くないからだ。
では、どうすれば政宗を人形から以前のように戻せるだろうか。
 夢で政宗を殺し始めた頃を思い返してみる。
初めは、呆気ない程容易く殺してしまった。
満たされたのは束の間だけで、後はただ虚しさばかりが残った。
だから次からは、止めを刺すまでに時間をかけてみた。
かける程に、政宗の全ての感情が鋭く溢れんばかりに刺してきた。
その感情全てが、己に向けられ、そしてそのまま息絶えていくことに、堪らぬ程の悦びを感じた。
 だが、いつしかそれが無くなってしまった。
いや、それを止めたというのが正しいか。
畜生ですら学ぶのだ。賢いあの方のことだ。
抵抗の無意味さと、恐らくはこの夢の仕組みにすら幾らか気付いたのかもしれぬ。
だからこそ、己を悦ばせるよりも己が飽きるのを待つことに努めた方が早く、無駄もない。
そういうことだろうか。
 ならば、多少の抵抗の機を与えてやれば、どうなるだろうか。それとも。








 六の爪を与えた。身体を自由に動かせるようにした。
しかし、槍に左肩を貫かれ、その顔が苦痛に歪むまで、政宗が動くことはない。
いつもと変わらぬ人形のようだった。
刺し貫いた槍で彼を地面に縫い留め、幸村は政宗の上に跨って彼を見下ろし、問いかける。
「抵抗なさらぬのですか?」
「……」
答えはないが、元より期待もしていない。
だから代わりに幸村が答えた。
「確かに、ただの人形を殺してもつまらぬだけ。
 然らば、この幸村もいずれは飽いてしまうだろうと、
 政宗殿はそれをお待ちであるとお察し致します」
「……」
変わらぬ沈黙を答えと判じ、幸村は微笑する。
「しかし某とて、飽いたからと玩具を捨てる程に幼くはございませぬ。
 故に、此度は幾らかの趣向を試みた次第」
幸村は政宗の左肩を貫いていた槍を引き抜くと、立ち上がり、背後に目を遣った。
政宗は動かず、その様子を眺めていたが、
不意に幸村のものではない足音が耳に入り、微かに眉を寄せる。
今まで、幸村と政宗以外の者が夢の中に現れたことはない。
何者かを確かめようと、左肩に走った痛みに顔を顰めながら、政宗は半身を起こす。
こちらに歩み寄ってくる人影は二人。
それが誰かに気付いた政宗の表情が見る間に変わっていくのを、幸村は満足そうに眺めていた。
「政宗殿もよく見知った方々故、今宵は存分にお楽しみ頂けるでしょう」
「……何で、」
唇が戦慄き、二の句が継げない。
ここは幸村に支配された夢の中だ。
幸村が望んだのであれば、何が起きようとも不思議なことはない。
そう理性では分かっている。
だが感情が付いていかない。
この夢において、彼らだけには見えたくはなかった。
呆然と、彼らの名を呟きかけた政宗の声音すら遮って、幸村は彼らに声を掛ける。
「では、片倉殿、成実殿、某に代わり政宗殿のお相手をお頼み申す」
瞬間、激昂し、政宗は落ちていた刀の一振りを掴むと、幸村に襲いかかった。
「真田幸村ぁっ!!」
憎悪に満ちた政宗と彼から迸る殺気に、幸村は歓喜で顔を歪ませた。




 憎しみに満ちた顔は、一瞬の内に驚愕のそれに変わった。
幸村に向けた政宗の殺意全てを代わりに受け、成実はその場に崩れ落ちる。
我を失った憎悪は、身内殺しの再来によって恐怖へと塗り替えられていく。
血に濡れた刀が政宗の手から滑り落ち、乾いた音を立てて地に転がった。
ただの屍に取り縋りかけた政宗の、その肩を背後から掴むのは竜の右目。
抵抗すら出来ずに容易く組み伏せられながら、政宗は戸惑いと迷いの目を向け、
束の間、過去での救いを小十郎に求めた。
「今なれば、小十郎は貴方様に応えられます」
過去の彼とは逆の答えを小十郎は口にし、それに政宗の思考は白く塗りつぶされる。
かつて政宗は、確かに小十郎に縋ったことがある。救いを望んだことがある。
遠い昔、梵天丸が藤次郎政宗となったばかりの頃。
右目の純然たる忠義を己が劣情で汚し、政宗は癇癪の儘に小十郎へ情を求めた。
だが、だからこそ、政宗は拒まれた。
だのに今更、それが何故この場で受け入れられようとしているのだ。
「……何で、お前がそれを、知っている……?」
呆然と紡がれた問いに、政宗の感情一つ一つを悦んでいた幸村は、暫しの沈黙の後に答えた。
「夢とはえてして、主の望みのままに万事運ぶもの」
その主の望むままに、小十郎は政宗に触れてくる。
衣を剥ぎ取り、幸村の目の前で、小十郎は政宗と身を繋げようとしてくるのだ。
夢であるが故に、小十郎がかつてのように政宗を拒むことはない。
しかしそれは、かつての政宗がそれを望んだからこそ、今の政宗にとって余りにも残酷だった。




 悪夢は未だ続いている。何度となく菊座を貫かれ、吐精させられ、
全身が精液にまみれ、意識も朦朧とし始めた頃合いに、
それを眺めているだけだった幸村に、政宗は小十郎ごと槍で突き刺された。
政宗の右胸と小十郎の心の臓を貫いたその一突きは、小十郎を殺すためだけのものだった。
末期の右目の名すら叫べずに、口から吐くのは血と精液ばかり。
槍を引き抜き、幸村は増えた屍を無造作に政宗から引き離した。
 震えながら屍に伸ばされかけたその手を掴むと、
幸村はそれをさせじと二つの槍で肩と腕をそれぞれ突き、
再び政宗を地面に縫い止めた。
「……なかなか難しいものだ」
政宗をただの人形から引き戻しはするものの、その為に己以外が政宗の身体を貪るのも腹立たしい。
政宗の反応も鈍くなってきたのであれば、最早彼の者は用済みだ。
 用済みの代わりに、政宗の上に覆い被さると、幸村は政宗の唇に吸い付き貪り始める。
口中に満ちる血の味に酔ったか、固く勃ち上がった己の雄を滑った菊座にねじ込み、腰を揺さぶる。
動かす度に傷口から血が溢れ出すので、それすら執拗に舐め取った。
政宗の血肉は極上で、声も中もやはり心地良い。


嗚呼、だがこれではいつもと変わらぬか。








 その日の朝、脅えた小姓から政宗が呼んでいることを伝えられ、小十郎は急いで政宗の部屋へと向かった。
恐らくは主君を悩ませる件の悪夢についてだろうと推測し、小十郎は部屋の中の政宗へと声を掛けた。
「小十郎、参りましてございます」
許しを得て、小十郎は障子を開く。
小姓の様子から、多少の癇癪は起こしているかと思っていたが、政宗は存外落ち着いていた。
だが、部屋に足を踏み入れた小十郎を見遣った政宗の目つきの鋭さは、明らかに普段のそれと異なっていた。
「小十郎」
どこか正気を失っているような、冷酷な瞳が小十郎を刺し貫いてくる。
「昨夜、夢でオレを見たか?」
その瞳に気圧されたが、殺意が向かう先は己では無いと小十郎は気付き、
政宗から目を逸らすことなく、小十郎は答えた。
「いいえ」
暫し考え込み、時折何事かを呟いていたが、やがて政宗は再び小十郎に目を向けた。
「どうやら、祈祷の必要は無いみてえだぜ」
そう言って笑う政宗は、その明確な殺意を彼の者へ向けていたが、
やがて、それは突然に消え失せた。








 幸村は動けぬまま、天井を取り留めもなく眺めていた。
突然部屋に来た政宗に半ば命じられ、布団代わりにされているのだ。
その政宗は、幸村を下にしてぴくりとも動かず眠り込んでいる。
ただし、その姿を他の者に見られぬよう、幸村の上に乗る前に障子を閉めたのは流石抜かりない。
 今、こうして政宗が眠り、幸村は目を覚ましたまま政宗の下で彼を抱えている。
となれば、今宵の逢瀬は叶わない。
しかし、幸村にこうして己の寝姿を晒すのは、それ程までに幸村を信用しているということだ。
それが嬉しくて、おとなしく政宗に敷かれる形で、幸村は政宗を抱いていた。
 腕に抱く政宗から、彼の体温と息づかいと鼓動が伝わる。それは幸村の思考を更に惑わせた。
手持ち無沙汰な時間に任せ、その理由を探してみようと、幸村は思考を巡らせる。
夢と現と過去と今と一握りの明日を考える。
 政宗は、幸村にとって唯一の好敵手であり、この命を懸けるに値する想い人だ。
政宗を殺す者が己以外であることなど許せぬし、己を殺す者も政宗であってほしい。
しかし、その望みが叶うことはないだろうと、己はどこかで悟っている。
実力の有無などではない。
仮に好敵手との決戦に臨めたとしても、
幸村と政宗との間にある絶対的で決定的な差が、
幸村が政宗を殺すという結末を許さない。
 幸村には、政宗とは異なり、政宗を殺した先が無い。
国を背負う政宗にとって、幸村は唯一ではあるが、全てではない。
しかし幸村にとっては、唯一つしかない。
主君に付き従い歩む道に命と理想を預けていても、
幸村の本懐はその為に散ることだけだ。
死ぬことだけだ。
政宗が見る明日に、幸村は存在しない。
 だから幸村は、幻に願った。政宗を殺すという、叶わぬ夢であるからこそ望んだ。
せめて一夜の夢幻の中だけでは、異なる結末を迎えてみたかった。
これが発端。ささやかな儘を込めた、文字通りの一夜に見るが如くの夢だ。
 腕の中で眠る政宗の、幸村の胸の上に置かれた頭にそっと触れ、彼の髪を梳くと、政宗が微かに身動いだ。
起こしてしまったかと窺い見て、呼吸の規則さに安堵する。
そして間もなく、その安堵の理由に、いや、それが及ぼす矛盾に、幸村はついに気付いた。
 日々の些末を繰り返し、積み重ね、政宗は幸村に心を許し、心を寄せた。
幸村と同様に、ただの敵から好敵手へ、唯一の存在となった。
それは事実であり真実。
幸村にとっての唯一。幸村にとっての全て。
故に夜見る夢は所詮幻。
愚かで弱い人である限り、見ざるを避けられぬもの。
それが夜見る幻を、人が夢と名付ける所以。
「……」
ごくりと生唾を飲み込む音が妙にはっきりと聞こえた。
背筋から冷や汗が噴き出し、鼓動はひどく耳障りだ。
気付いた。気付いてしまった。
 縋る藁を求め、知らず強められた腕の力に、政宗はうっすらと目を開いた。
その身動ぎに気付き、幸村は、顔を上げて夢うつつな様子で幸村を見つめる政宗の瞳を見つめ返した。
「……政宗殿、それがし――」
「真田、政宗様がいらっしゃると聞いたんだが……」
しかし紡がれかけた言葉は、小十郎の呼びかけに遮られ最後まで届かず、
障子を開いた小十郎もまた、抱き合っている幸村と政宗の姿に言葉を詰まらせた。
「か、片倉殿、その、政宗殿はお休みでいらっしゃって……」
「おい、声がでかい」
咄嗟に弁解する幸村を小十郎は咎めるが、些か遅かったらしい。
両者どちらかの声で完全に覚醒したらしく、政宗が応えた。
「……どうした?」
政宗の問いに、小十郎は幸村から政宗へと視線を移した。
「例のものが参りました」
政宗は一度だけ幸村に目を遣ったが、すぐにその視線を小十郎に戻した。
「……分かった。先に行っていろ」
「は」
大儀そうに起き上がろうとしている政宗の様子を確認してから、小十郎はその場を後にした。
それを眺めていた政宗の目が、また幸村に戻る。眉尻を下げ、政宗は幸村へ詫びる。
「悪ぃな、幸村。ちと野暮用だ」
「……はい」
離れがたく思う心が声に表れたのか政宗も名残惜しかったのか、詫び代わりに政宗は幸村の頬に軽く口付けた。
その唇の感触が無くなるのを惜しみながら、幸村は立ち上がる政宗に手を貸し、部屋から出て行く彼の姿を見送った。








嗚呼、どうしよう。俺は間違えてしまった。
人である限り、夢と現は重なり合わぬが隣り合う。
己が在るは現。故に己の性の行き所が夢。
夢であるから願った。夢ならばと縋った。
現では為せぬ故に。現が大事である故に。
夢より現に重きを置くは人である限り当然。
現を捨て夢に溺るるは只の気狂い。
嗚呼、どうしよう。ならば俺は、知っていたのに。
人である限り、それは当然にあの御方も同様であるというのに。
どうしよう。俺は殺してしまった。壊してしまった。
唯一なるあの御方の、掛け替えようもない現をも壊してしまった。




 外道の所業の数だけ、殺した数だけ、その罪深さに幸村は戦慄する。
決して贖い切れぬ罪の数々は幸村を押し潰す。
政宗は知らぬ。知らぬがそれが何になる。
幸村が気付いてしまった以上、それは政宗に関わりなく、幸村を地獄へと突き落とす。
夜見る夢も、現ですら、最早地獄へと成り果てた。
 一人残された部屋で、幸村は詫びる。跪き、その額を畳に擦り付け、何度も何度も詫び続ける。
だがもう、取り返しが付かないのだ。




 その夜の悪夢は幸村を苛む。己が己を苛む。
政宗は居ない。今宵政宗がここに現れることはない。
故に幸村を苛む者は、幸村以外に存在し得ない。
 夢の中でも、幸村は闇に向かって謝り続ける。
誰もいないからこそ赦しを請う。何度も何度も。
それはきっと、夢見た数だけ、
幸村が政宗を、犯し、喰らい、殺した数だけ続くのだろう。

























Next Novel