奥州でも桜がその色を新緑へと変えた頃、真田幸村は奥州を訪れた。
これまでも使者として幾度となく訪れており、城主の認めた好敵手である幸村なので、
その居城では手厚く持てなされ、宴も催されたが、
幸村の話相手はほとんど伊達成実であり、なかなか政宗と話せる機会が無かった。
それでいて、片倉小十郎が時折幸村に向ける視線は厳しいものだったので、幸村は気が付いた。
出来ればすぐにでも現の政宗と話がしたいのだが、この調子では今日は無理だろう。
どのみち夢で逢えば済むことだ。そう己を納得させながら、幸村は人知れず息を零した。
「この幸村に逢うことが恐ろしいのですか?」
ひとしきり政宗をいたぶったところで、幸村はふとそう漏らした。
地面に叩き付け頭を割ったせいか、政宗はふらつくばかりだったが、
「伊達政宗殿ともあろう者が情けない」
その誹りに応える気になったのか、光の失せた瞳で漸くに焦点を合わせ、もつれる舌で一言だけ呟いた。
「……そう、かもな……」
どちらに対する応えか、幸村には分からなかったが、どちらにしても情けないことに変わりはない。
痛めつけすぎたせいか、最近の彼はただの人形のようだ。
抵抗もしないし、ただ死んでいくだけでどうにも愉しくない。
初めは彼の悲鳴を聞く程に満たされていたというのに、
今は同じ声を聞いても、それより悲痛な声を聞いても、己の心は躍らない。
「つまらぬ」
槍で身体をまた突いて新たな穴を空け、既に空いた穴を拡げ、
そうして政宗から悲鳴を引き出しながら、幸村はほうとため息をついた。
「何故であろうか」
槍を一つ放って政宗の肩を掴み、幸村は肉に食い込んだ槍を強引に引き抜く。
筋や腱が引き千切られる音と彼の声とが重なり、
空けた穴から噴き出した血が、政宗と視界を赤く染めていく。
全身に纏うその赤が、元の色か染まったもののどちらかも、よく分からない。
その赤く染まった手の平を眺めた後、幸村は政宗の左目に手を掛けた。
「ずっと声を聞いていたいのに、もっとそなたを殺したいのに、この胸は虚ろなままなのです」
暗闇に叫び声が響き渡る。それでもこの心は揺さぶられない。
「俺は、そなたをどうしたいのだろう」
抉り取った眼球を舌でなぞった後、筋の反応で痙攣するだけの様を無表情に眺め、
死んでしまう前に止めを刺そうと槍をかざした時だった。
背後から刺し込む光に、幸村は舌打ちした。
そして唐突に、その夢は終わりを告げたのだ。
己を起こしたのは佐助だった。
確かに、奥州、いや政宗の様子を探れとは命じた。分かり次第報告しろとも言った。
それに従ったまでなのだから、佐助には何の落ち度もない。
だが、おかげで殺せなかった。だから、気分が悪いのはそのせいだろう。
佐助の報告に耳を傾けながら、幸村は無理矢理にそう己を納得させた。
「昨日は悪かったな、幸村」
翌日に、政宗は漸く幸村との時間を作ってくれた。
通された彼の私室で数月ぶりに逢えた現の政宗は、確かに多少顔色が悪いようだったが、
それにも増して政宗に会えた喜びで、幸村は思わず彼を抱き締めた。
「おい、どうした、いきなり」
一瞬身体を強張らせたものの、政宗もまた幸村を抱き返す。
それだけなのだが幸村には嬉しくて堪らない。
「政宗殿、お逢いしとうござった! この時をどれ程待ちわびていたことか!」
「……相変わらず大げさだなぁ、アンタ」
顔をすり寄せてくる幸村に政宗は苦笑するが、幸村を信用したらしく身体の力を抜いた。
ようやっと政宗に会えた喜びに目を輝かせていた幸村だったが、
その瞳の輝きを曇らせ、いつもに増して白い政宗の顔をじっと見つめた。
「……お加減が悪いと伺いましたが……」
「……」
言い訳を思いつかなかったのか、一度弛緩しかけた唇を結んでから、政宗はまた苦笑した。
「……誰に聞いたんだ、それ?」
「……成実殿が心配されておられました。しかし、そなたは何も言っては下さらぬとも」
アイツか、と独りごちてから、政宗は暫し沈黙していたが、緊張を滲ませながらそれとなく切り出した。
「……近頃、夢見が悪くてな……」
「夢、ですか……?」
確かに、毎夜殺され続けるなど悪夢もいいところだ。
幸村は正しく他人事のようにそう思った。
「どのような夢を……?」
それでも、幸村の政宗に対して抱く気遣いは偽りではなかった。
政宗を案じるままに、幸村は不安げにそう問いかける。
それを受けたように、政宗の瞳も揺れる。
迷いを滲ませ、躊躇い混じりに口を開いた。
「……アンタは、どんな夢を見るんだ?」
「は?」
問いに問いで返され、幸村は面食らう。
それを見つめる政宗の顔つきは険しいが、それ以上にその瞳は縋っている。
「良い夢か?」
「……はい、しかし申し上げる程のものでは……」
そう答えながら、幸村は思案を巡らせる。
半信半疑ではあるが、やはり政宗に疑念が生じているようだ。
政宗も思案に耽っているのか、逡巡しているのか、暫し沈黙していたが、
やはり縋るような目を幸村に向け、口を開いた。
「……その夢に、オレは出てくるか?」
「……」
その視線を受け、幸村はやや戸惑ったが、その感情すら利用して、政宗を欺こうと試みた。
「……いえ、出てくるのは、その…某の好物に、ございます……」
嘘と真を織り込んだそれは、政宗にとっては悪夢で幸村にすれば幸福な幻だ。
しかしそれを申し訳なく思う感情に偽りはない。
だから幸村は、心に浮かぶ戸惑いを転嫁する。
表情にそれを上らせると、政宗は見透かすような目で幸村を見つめてくる。
堪えかねそうになるが、幸村は揺れた瞳で政宗の視線に向かい合った。
視線に堪えかねたのは、政宗の方だった。
「……いきなり悪かったな。ただの夢だ、気にすんな」
暫く後、己の悪夢に幸村は絡んでいないと判断したのか、
いつかと同じ台詞を吐き、政宗はその表情を和らげた。
賢い政宗だが、気を許した者には些か甘いところがある。
それは幸村にとっては都合が良いことだが、
それよりも彼は、政宗がそれ程に好意を寄せてくれることが嬉しい。
安堵すると同時に、可愛らしい御方だ、と幸村は声に出さずに笑った。
しかしこの場では、その笑みも歓喜も表に出すことなく、幸村は眉を寄せたまま政宗の頬に触れる。
政宗は目を丸くするが、幸村は大真面目に心配する。
「……某では、政宗殿の御心を晴らすことはできませぬか……」
幸村の瞳が翳り、その表情も曇る。
政宗が幸村に全てをさらけ出せるはずもないことは分かっているが、
それでも何も話してくれずに、己一人で背負い込む姿を見るのが辛かった。
政宗は少し困った様子で幸村を見遣っていたが、不意に手を伸ばし、幸村の頭をはたいた。
「……」
「……悪ぃ、勢い余った……」
唖然としている幸村にそう釈明した後で、
政宗は、はたいたその手でがしがしと幸村の頭を撫でてやり、
そのついでに額の鉢巻を取り上げてしまった。
「政宗殿……」
続けて、乱された髪の隙間から若干恨みがましげに見つめる幸村に口付けた。
文字通り触れるだけのものだったが、案の定硬直する幸村に政宗は笑いかけた。
「……詫び代わりだ。受け取っとけ」
それからすぐに、その顔を隠すように、幸村の胸に顔を埋めた。
「あの…政宗殿……」
政宗の動きが止まったので、漸く幸村は声を掛ける。
胸に右耳を押し当て、政宗は目を閉じていたが、その呼び声に目を開く。
「……何だ?」
「……その…斯様にされては、某……」
元々、我慢が足りない幸村だ。
抱き合っている上に、口付けられ、密着までされれば、性欲も顔を出してくる。
「……ああ」
当然それを知らぬ政宗ではないが、葛藤する幸村を気にすることなく、幸村の胸に頭を寄せたままだ。
「……アンタが我慢できなくなったら、好きにさせてやるよ」
それだけ言うと、幸村にお預けさせたままで、政宗は黙り込んでしまった。
よく眠れていないせいだろうか、幸村に凭れたままで目を閉じ、寝入っているようにも見える。
普段の政宗からは信じ難いことだが、それだけ夢での幸村の所業は政宗を追い詰めているのだろう。
少なくとも幸村はそう思う。
それは幸村の心を悦ばせながらも、同時に影を落とした。
その矛盾に気付かず、また動けないままに、幸村は政宗を抱えて呆けていた。
夢と同じく殺したい衝動と、犯したい劣情と、言い知れぬ胸騒ぎが、同時に幸村の中を蠢いている。
それでいて、彼の衝動と劣情を鎮めるのは腕に抱く政宗の感触だった。
そこから伝わるのは幸村が己が手で止めたいと願う政宗の命の証であるし、
政宗が傍に在るという証でもある。
「……まさむねどの……」
意識することなく零れた音は、政宗の目を再び開かせる。
「……政宗殿……」
応えようと開きかけた唇が音を発することはなく、その応えを幸村が待つことはなかった。
抱き寄せたその腕の力を強め、幸村は政宗を抱き締める。
「政宗殿、政宗殿……」
不意の不安に駆られ、幸村はただ政宗を呼び続け、彼を抱き締め続けた。
先程の言葉通り、政宗は抵抗することなく幸村の好きにさせていたが、
幸村の呼びかけにはついに応えなかった。
夢ではない彼を抱いた。
夢ではないと己に繰り返し言い聞かせ、殺さぬように苦痛を与えぬように身を繋げた。
だが彼は、夢と同じく、人形のようだった。