Game Over
戦を終え、屋敷へと戻る道すがら、幸村は微かな悲鳴を耳にした。
眉を顰めて馬を止め、耳を澄ませた。方角を確かめると馬から降り、
草の者たちに野暮用と言い置いて道の脇にある繁みに分け入って行く。
案の定、野盗が数人、一人の老爺を取り囲んでいた。
汚れ、擦り切れた衣を纏った姿では、明らかに金目の物など持っていようはずもない。
戯れで嬲り殺しにでもする気なのだろう。
そう判断して、幸村は無造作に繁みから出た。
背後の物音に驚き振り返る野盗達に、幸村は声を掛けた。
「なかなか、いい趣味をしているな」
幸村の気軽さを余裕と見たか、野盗達は周囲に目を遣った。
それから一人であることを確認すると、余裕を取り戻したのか、
仲間の一人に老爺の見張りをさせ、残りで幸村の周りを取り囲む。
新たな獲物共々逃すつもりはない、といったところだろう。
背中に担いでいた二槍を構え、幸村は場の雰囲気にそぐわぬ笑みを野盗達に向けた。
「お前達とは、気が合いそうだ」
野盗を片付けた後、返り血を拭わぬまま幸村が老爺に目を向けると、老爺は無表情に幸村を見ていた。
死への恐怖も生を繋ぎ止めたことへの安堵も無く、
ただ幸村を見据えているその様は、どこか浮世離れしている。
その薄気味悪さに、幸村は眉を寄せた。
やがて老爺は口を開いた。
命を助けてくれて有り難う。お礼に貴方の望みを叶えましょう。
童に聞かせる御伽話のような口上に、幸村は先程抱いた薄気味悪さに胡散臭さも加えた目つきで老爺を見たが、
そのみすぼらしい老爺の曇った眼に目を遣った瞬間、不意に身の内に燻ったままの熱が全身に溢れ出るのを感じた。
それは、戦で昂ぶった熱であり、畜生にも劣る己の性だ。
織田にいるあの狂人と同類であることを思い知らされるこの欲は、
老爺は言うに及ばず、野盗程度で鎮められるはずもない。
それが出来るのは、恐らく隻眼の蒼き竜だけだ。
幸村は彼方の蒼竜を想った。
今すぐ北へと向かい、竜と交わりたい。
言葉でも刃でも身体でもいい。竜と時を共にしたい。
だが、己が最も望んでいるものは、ずっと願ってきたものは、あの竜を、
熱に浮かされた頭で、幸村は誰にともなく呟いた。
「……どんな望みでも、叶えられるのか?」
期待などしていない。できるはずもない。叶うべくもない。
それでも、正しく、血迷ったのだ。
気が付けば、戦の傷がまだ癒えきっていない平原に政宗は一人立っていた。
しかし、刀は有るものの具足の一つも着けていない。
己は何故にこんな所に一人でいるのか。
立ちつくしたまま、その理由と目的を少し考え、政務の途中で抜け出してきたことを思い出して、
どこでも良かったのだろうと結論づけた。
「政宗殿!」
突然の声に驚き振り返ると、真田幸村が戦場から抜け出してきたかのような格好でこちらに向かってきていた。
しかもその顔は政宗に会えた喜びに満ちている。
ちぐはぐした男だな、と少し呆れ、政宗は彼の元まで辿り着いた幸村に声を掛ける。
「アンタ、こんなところで何してんだ?」
この近くで戦があるという話は聞いていない。
だというのに、土埃と火薬とあまつさえ飛散した血肉に汚れた紅備えに、
同じく血と脂に濡れた槍を掴んだその姿は些か物騒だ。
しかし幸村は気にせず犬のように懐いてくる。
「政宗殿、お会いできて嬉しゅうござる!」
相変わらず人の話を聞かない奴だとは思いながらも、その様は微笑ましくもある。
絆されているな、と自身に呆れながらも、政宗はもう一度問い掛けた。
「幸村、アンタどこから来たんだ?まさか戦を放り出してきたんじゃねえだろうな?」
声音は穏やかながらも咎めるような口調の政宗に、
間の抜けた顔で二、三度瞬きしてから、幸村は首を振った。
「いえ、戦はもう終わります故」
へらりと笑い、納得し難い言い訳をする幸村に呆れるが、
不意に生じた胸の違和感に政宗は目を落とし、そして思考が止まった。
胸のど真ん中を、槍が貫いていた。徐々に溢れ出す体液が着物を染めていく。
傾いだ身体が槍の勢いに従って地面へと向かい、背中から生えた刃が土に突き刺さった。
地面にぶつかった衝撃で口からも血を吐き出す。
これは、どうしようもないな、と妙に冷静に判断したが、
痛みよりも、死への恐怖よりも、ただ驚いていた。
その己に覆い被さるようにして、幸村が己を見下ろしている。
驚きに見開かれた己の眼を見つめる幸村の眼には、躊躇いも後悔も無く、ただ悦びに満ちていた。
それを表に出すように、幸村が唇の端をつり上げる。
その笑みは寒気がする程冷たいものだったが、同時に、温くなったのはオレの方か、と思った。
口から吐き出されるのは赤い体液ばかりで、言の葉は無理なようだったが、
何かを言おうと意識したわけでもなかった。
そして未だ辛うじて動いていた喉元めがけて、
振り上げられたもう片方の槍が突き刺さり首を捻り切ると同時に、政宗は事切れた。
まず視界に入ったのは見知った天井であったが、
目玉だけ動かして周りを確かめ、夢であったと結論づけてから漸く政宗は安堵する。
半身を起こす際には、切られたはずの首から上もちゃんと付いてくるし、胸にも風穴は空いていない。
そうであっても、と知らずため息が漏れた。
真田幸村とは、殺し殺される関係だと自覚していたはずだった。
どれ程親しく触れ合っていても、どれだけ身体を重ねようとも、その時が来れば躊躇い無く、と思っていた。
だが、この温く心地良くもあった過ぎ去りし時は、確かに情を呼び起こしていた。
そしてそうなってしまったのは、オレだけなのだ。
暗い闇の中で、幸村は突き立てた槍を見つめていた。
その刃の先にあるものも同じ闇、胸の内までもが暗闇のように虚ろだった。
「……ああ、そういうことか」
老爺の言葉を思い出し、幸村は呟く。
夢は繋がれているだけで、形作るものが消えれば、断ち切れてしまうのだろう。
つまり、夢を形作る者をその夢の中で殺してしまえば、終わってしまうのだ。
「……存外、つまらなかったな……」
あの恍惚とした時は一瞬で、後に残るのは空虚な闇だけだ。
余りにも呆気なく死んでしまったから、少し焦り過ぎてしまったから。
ならば、次からはもう少し時間をかけてみよう。
何、時間はまだ十分にある。
己とあの竜がそれでも人である限りは、夢を見ないことはないのだから。
ふっと漏らしたため息にめざとく気付いて、小十郎は政宗に声を掛けた。
「政宗様、如何なさいましたか?」
支城の縄張図から小十郎へと目を移し、政宗は何でもないと適当に返すと、
今度は小十郎が大仰に息を吐いた。
「この半刻程の間に十を超えるため息、小十郎には何も無いとは思えませんが」
無論、それだけではない。
ここ暫く、意識が虚ろなことが多い。顔にも幾分翳りが見える。食も細い。
塞ぎ込んでいるような、要するに、普段の覇気が全く無いのだ。
「……」
小十郎にそう返され、知らずついていた自身のため息の数に政宗は若干目を見開いていたが、
それから暫し黙り込んだ上でぽつりと呟いた。
「……毎晩殺されるってのは、あまり気分の良いもんじゃねえよなぁ……」
その唐突さに、小十郎の眉が寄せられる。
それを見て政宗が笑った。
「また眉間に皺が増えんぞ」
しかし、そう言ってからかう声にやはり勢いは無い。
どうやら戯れでも冗談でも無いようだ。
殺される?一体誰に?
小十郎が追及しようと口を開きかけたが、
その前にこれ以上の追及を避けるように政宗が話を打ち切った。
「まあ、ただの夢だ。気にすんな」
その内見なくなるさ、とだけ継ぐものの、結局それは叶わなかった。
政宗は変わらず夢の中で殺され続け、
それが夢から覚めた後も意識や記憶として留まる以上は、影響を及ぼさざるを得ない。
政宗はますます塞ぎ込むようになった。
小十郎がその原因の一端を見つけたのは、同盟を結んだ武田からの使者として、
真田幸村が遣わされることを政宗が聞いた時だった。
小十郎には納得できないが、政宗は幸村を憎からず思っているし、
甚だ不愉快だが二人が肉体関係にあることも知っている。
だからこそ、幸村の来訪の知らせは、多少なりとも政宗の気を晴らすと思ったのだ。
しかし、その知らせを聞いた瞬間だけ、政宗の瞳が揺らいだことに小十郎は気がついた。
「……政宗様?」
「……甲斐の虎も、やっと重い腰を上げる気になったってんならいいんだけどな……」
その咄嗟の誤魔化しに気付かぬはずもなかったが、
それは政宗が小十郎にその胸の内を明かす気がないことを物語っている。
それでも、小十郎は言わずにはいられなかった。
「……使者を別の者に替えるよう伝えますか?」
揺らいだままの瞳が小十郎を見据えるが、結局は逡巡しただけで政宗は了承はしない。
「……では、祈祷師を呼びますか?」
主君の身に起こっている事柄が人智を超えた領域であることは間違いない。
政宗があまり神仏を当てにしない気性なのは承知していたが、
小十郎は眉尻を下げ、そう言い募った。
「いや……」
その小十郎を慮ったが、先程の間に腹を決めたのだろう。
政宗は首を横に振り、今度はすぐに応えた。
「どのみちこのままじゃ何も始まらねえ。直接確かめてみるさ」
体液が身体から流れ出ていく。
腿を伝うそれが精液か血液かも分からないが、それを確かめる気力もない。
どのみち構うはずもなく、槍と雄とが身体を貫いた。
体中を駆け巡る感覚が痛みなのか快楽なのかすら、もう分からない。
この一月程の繰り返しで、幾らか分かったこともある。
まず、ここでの絶対的な主は、夢に現れる真田幸村だった。
この空間は幸村のものだ。
抵抗は無意味であるし、決して逃れられない。
次に、この時は己が殺されれば終わる。
一度殺されるまでは決して夢から覚めることはできないが、
夢から覚めてしまえば次の夜までの間はこの殺戮の夢を見ることはない。
つまり、夢に現れるこの真田幸村は、一つめの夢しか支配できないのだ。
しかしこの二つの事実は、結局は己の状況を悪くするだけだった。
二つめの事実故に、幸村は政宗を簡単には殺さない。
一つめの事実を最大限に利用して、じわりじわりと気が狂うまでの時間をかけて、己を嬲り殺すのだ。
最近ともなれば遊ぶことも覚えたらしく、殺しながら犯す始末だ。
しかもそれは最後に殺すと決めているだけに情けも容赦もない。
身体を裂き、突き刺し、抉り、その血肉を食らうことすらある。
それらは全て、真田幸村のための饗宴だ。
繰り返す度に、政宗からは気力も覇気も失せていく。
初めは抵抗も試みたし、理由を問うてもみた。
しかし幸村の答えは、正しく政宗と幸村が定めた、彼らの本来の関係に則したものであるし、
それに彼の儘が加えられただけだ。
その儘がどれ程に外道の所業であろうが、この空間の主が幸村である限りは、
この人外の領域は誰にも侵すことができない。
政宗には自己を守る術も権利もありはしない。
政宗に出来る唯一のことは、この虐殺に耐えることではなく、この夢が終わるのを待つことでもなく、
この時間が過ぎるのを眺めるだけなのだ。
ふと、身体を動かそうとしてみたが反応はない。
しかしそれがただの麻痺なのか、身体そのものが無くなっているかすら判断がつかない。
身体がどれだけ残っているかも分からない。
視界が暗いのは目蓋が重くて開けられないせいか。
それとも眼球そのものが抉られているのか。
この凄惨な繰り返しで、分かったことがある。だがそれは――
そこで政宗は、息絶えた。