いづれ来たる
ぎいんという甲高い音が響き、交わされた六爪と二槍は互いに引くことなくその力をぶつけ続ける。
「Ha-ha!」
六爪を払い二槍を弾くと、高らかに笑い独眼竜は再び間合いを詰めた。
懐に飛び込まれた紅蓮の鬼は爪が擦る脇腹には構わず槍で独眼竜の肩を突いた。
その一撃は僅か肩を穿ち、槍が離れると同時に鮮血が飛んだ。
「上等。だが、こんなもんじゃねぇだろう?」
血に酔ったのか戦に取り憑かれているのか頬を紅潮させる独眼竜を、瞳だけは激しい光を燃やしながら静かに見据え、
紅蓮の鬼は槍先に宿る炎を強くした。
「見せてみろよ、アンタの全てを!」
「参る!」
独眼に狂気めいた光が宿る。
その瞳に吸い込まれるように、誘われるように、紅蓮の鬼はただ真っ直ぐに向かってきた。
「うおおおっっ!!」
叫び声と共に、一槍が一突き。それを三爪で受け止めると残りの一槍が更に一突き。
首を狙った一撃は代わりに頬を掠めた。
同時に槍から迸る炎が傷口を焼くが、その痛みすら今の竜を悦ばせる。
唇の端を上げ笑みを浮かべた後、槍を受け止めた三爪はその槍を弾き、紅蓮の鬼を斬り裂こうと振り下ろされた。
身を引き避けるが、避けきれずに鬼の身体を掠める。
傷口に痺れが走り、それが独眼竜の爪に宿る雷によるものと瞬時に悟ると、
体勢を立て直すべく更に身を引き独眼竜と距離を置いた。
「逃げんじゃねぇよ!」
「逃げはせぬ!」
距離を縮めてくる独眼竜に紅蓮の鬼もまた叫び声を上げながら向かっていった。
己の身体の上で恍惚の表情を浮かべ、高い艶声を上げ達する政宗を見つめながら、
幸村もまた彼の中に熱を吐き出した。
胸の上に倒れ込んでくるその背に腕を回し、支えながらも抱き寄せる。
互いの乱れた呼吸以外に音はなく、気怠い空気が周りを包んでいた。
抱き寄せた政宗の頭に指を差し入れ、幸村が彼の髪を自らの指に絡ませながら梳くと、
政宗は息を吐きながら微かに笑い、幸村の胸元に顔を押し付けてきた。
まるで甘えてくるような仕草に愛しさを覚え、
幸村は絡めていた長めの髪を一房掴み、引っ張らない程度に引き寄せてから口付けた。
幸村の行動に政宗は再び笑みを漏らし、顔を横に向けて耳を胸に押し当てた。
落ち着いてきた呼吸と同じく、規則的に鼓動するその音を聞きながら、
政宗はその瞳を閉じた。
耳に響くその音と己が身を重ねるその感触に身を委ねながら、
僅かな刻だけ、己にとっては浅はかな願いを抱いた。
それは声にも気配にも出されることも無く、彼の心を通り過ぎていく。
通り過ぎるだけのそれを意識したのかどうかさえ判断がつかなかった。
しかしその僅かな刻が過ぎ去った後に、政宗は静かに笑った。
吐息めいた笑いは幸村の耳に届き、鼓膜を震わせたその音が心地良くて、
幸村もまた笑みを零し、おそらく政宗と同じ願いを心に抱いた。
口に出すか否かを瞬く間だけ思い巡らし、この気怠げで安らいだ空気と彼に甘えてしまおうと思った。
「何時の日かまた、そなたとこのような刻を過ごしたい」
声に出してしまえばその願いは確かなものとなり、
同時にその成就があまりにも霞んでいることをも知らしめる。
それでも声に出してしまうのは、
己の弱さとそれに反比例するかのような願いの強さ故かもしれない。
空気がさせたかもしれない。
それすらしかとは分からぬが、
己の出した言葉が己の心を決めさせたことは自ずと悟られた。
政宗は暫しの間沈黙し、諦めたように笑い声を漏らした。
しかしその声は嘲ることも拒むこともしなかった。
「……その時は、」
胸の鼓動と撫でられる感触を心に留め、政宗は静かに言葉を紡ぐ。
「俺とアンタが…伊達政宗と真田幸村が、敵同士で無くなった時、だろうな」
政宗にとっては仮定にもならぬ絵空事で、
幸村にとってはある意味答えだったその言葉は、
その軽重を別として互いの心に留め置かれた。
二槍が独眼竜の身体を穿ち、六爪が紅蓮の鬼の肉体を斬り裂いていく。
度に血と肉片がびちゃりと音を立て地に落ちた。
周囲は火薬と鉄錆と焼けた肉の臭いに包まれ、最早竜と鬼以外に立っている者はいなかった。
「……」
「……」
恐らくは、次が最後。独眼竜も紅蓮の鬼もそれを悟った。
呼吸は乱れ体力も気力も限界で、槍と刀を握る手は汗と血、脂で滑る上に力が上手く入らない。
それを握り締め、互いに睨み合う。
独眼竜が、ふと、唇の端をつり上げた。
その表情を真っ直ぐに見つめ返し、しかし紅蓮の鬼は決してその顔に笑みを浮かべなかった。
ドクドクと傷口から流れる血と、速まり続ける鼓動を感じたと同時、
独眼竜と紅蓮の鬼は互いに突進していく。
雄叫びと喊声とが両者の鼓膜に振動し、彼らの心臓をも震わせた。
独眼竜の六爪は紅蓮の鬼の胸に吸い込まれ、
紅蓮の鬼の二槍もまた独眼竜の胸を貫いた。
ボタリと、落ちた血が妙に大きな音を立てた気がした。
口から息と共に血を吐き出し、
自らの体重を支えきれなくなった身体は抱き合うように互いに凭れかかった。
「…Ha……」
相変わらず、暑苦しい。
重なる肩から伝わる体温は過去と違わず熱く、流れる血潮も思った通り温かく、
それに政宗は安堵した。
「……そなたは、相変わらず、冷たい…」
政宗が心に浮かべた言葉に応えるように幸村が口を開く。
過去に何度も温めたいと願っていた身体は変わらず自分よりも冷たくて、
流れ落ちる鮮血がますます彼から熱を奪っていくように幸村には思えた。
「……ずっと、考えて、おりました」
「……」
身体は最早動かない。
腕も動かない。
頭もまともに働いてはいないだろう。
「…あの時そなたが、言った言葉を、答えを、探し求めて、おりました」
余計な一切が働かない今、ただ在るのは願いだけだと分かった。
「……見つかった、か?」
期待無しに尋ねてくるのが声音で分かった。
期待していないのに、わざわざ己の話をきいてくれるのが嬉しかった。
「…しかとは……」
一度言葉を切ると、苦笑めいた息が漏れたのが聞こえた。
呆れられている、と思いながらも幸村は言葉を続ける。
「ですが、――」
ごぼりと口から血の塊を吐き咽せ込んだ。
息が詰まり、細い気道から僅かに空気が通り、ヒュウと音を立てる。
舌が回らず、音が巧く出て来ないのがもどかしかった。
「それが、しは…」
懸命に言葉を紡ごうとするが、最早ただの呻きにしかならない。
しかし何度も血を吐きながら、それでも幸村は告げようとした。
「…もう、いいさ」
咽せ続ける幸村に政宗はぽつりと呟きを漏らす。
「だから、もう、喋んな」
政宗の方も最早呼吸はまともに出来ていない。
絶え絶えに絞り出された声は掠れていて、彼の身を貫く槍を握る幸村の手に彼からの震えが伝わってきた。
「……」
その震えは当然恐怖などではなくただの生理的なものだが、
紛うことなく政宗が未だ生きている証であり幸村のすぐ傍にいることに相違ない。
大きく咽せ気道に入り込んだ血を吐き出した後、幸村は政宗を直向きに見つめた。
「政宗殿」
呼吸に乱れは無く、声は掠れることをせずによく通った音を発し、政宗の鼓膜に届いた。
気力を振り絞ることで僅か保たれているだけの時間だろうが、その声はあまりにも澄んでいて懐かしくて、
政宗は俯いていた顔を上げ、微かに瞳を大きくして幸村を見つめ返した。
向けられた視線を受け止める幸村の瞳は、ここが戦場であり今正に死にかけていることが幻かの如く穏やかで、
その表情は漸く笑みを浮かべていた。
「幸村……」
今にそぐわぬその笑みは政宗にある種の恐怖を抱かせ瞳が戸惑いに揺れる。
その瞳を見つめたまま、笑んだ幸村の口が言葉を紡ぐ。
「きっと今こそが、そしてその先こそが、彼の刻」
今度こそ瞳を大きく見開き、政宗は幸村を凝視した。
それを受け止める幸村の瞳は変わらぬ澄んだ光を讃え、槍を握る手を離しゆっくりと政宗に身を寄せていく。
刀が尚も身体を刺し貫いていくのにも構わず、気付いて思わず刀を握る手を離す政宗を自らの腕の中に抱き寄せた。
「お館様の夢の為、散りたい」
「未来の為に、生きねば」
互いに違いすぎるその願いを、
互いに理解することの無いだろう夢を、
語ったのは遠い昔だ。
最後の逢瀬よりも遥かに昔。
過去を振り返ることをしない二人にしては、遠すぎる程昔だった。
思えば、それが始まりだったのかもしれない。
その時、互いに相容れぬと確かに知り、
だが確かに、己と違う道を知ったのだ。
幸村は未来に希望を見出さなかったし、
政宗は家臣と民に対する責任故に生きねばならなかった。
だからそれはきっと、あまりにも浅はかな願いだったはずなのだ。
「…Ha」
口から息と笑みと血を吐き、政宗は漸く応えた。
嘲りと苦笑と羨望と甘受と、そういう矛盾した感情を、全てを含んだ笑いだった。
「All right」
己の夢見たのは主君としての道。
それが叶わぬ今ならば、務めを終える今ならば、
この男と描いた夢を見ても良いかもしれない。
そう言い訳する己を自覚し、それすらも受け入れた。
抱き返された手をその背に確かに感じ、幸村は息を吐いた。
「アンタにしちゃ、上出来だ」
耳に響くその声は優しく力強く、その手と反対に温かかった。
存在全てに惹かれその魂に焦がれ、散ることしか考えぬ己が初めて願った未来への夢。
彼との夢。
気付かせてくれたのは、貴方だった。
血が流れ、
熱は失われ、
心臓はその鼓動を停めていく。
ただ、その傍らにあるという事実だけは在り続ける。
意識が途切れる間際まで、
事切れたその先まで、
その繋がりだけは己の内で、共に在り続けるのだ。
それを確と信じられることこそが、堪らなく嬉しかった。
それが答えだと思った。