気怠さが酷く何をするのも億劫で、
このまま再び夢に堕ちていきたい気持ちが強かったのだが、不思議と閉じた瞳を開く気になった。
重い目蓋を無理矢理開くと、光と共に紅い色が飛び込んでくる。
そして誰かと思う間もなく、突然息が詰まった。
「――っ」
首を絞められている。
その力は骨ごと砕いてしまいそうな程に強まっていき、それに伴い目は霞んで光と紅が見えなくなっていく。
音を漏らす余裕もなく、疲労した身体は巧く動かせない。
「……」
いや、違う。
動かす気が最早無いのだ。
何もかもを投げ出そうとする己が知らぬ間にどこかにいる。
それがこのまま死んでもいいと言っている。
己の矜持など既に無いし、家臣の命はもう己には届かぬ範囲に行ってしまった。
その有無を確かめることが叶わぬのは僅かに心残りでもあるが、
己の力が及ぶ範囲の外に行ってしまった事実は有り難かった。
それでいい。
俺が見殺しにしないならば、見捨てることにならぬのならば。
それはこの隔絶された世界で気付けば生じていた思いであり、
今死を前にしてどこまで思ったかその余裕があったのかすら分からなかったが、
意識が永遠の闇へと落ちていく寸前で、不意に酸素が肺の中に飛び込んできた。
その差に咽せ込み、一気に気道を通った空気を吐き出そうとする本能と、
体内に欠乏した酸素を取り込もうとする別の本能がぶつかり、
しばらくはまともな呼吸もままならずにゲホゲホと子供のように咽せていた。
 己が最早いいように弄ばされる玩具に過ぎぬとは自覚しているつもりであったが、
殺しかけそれを寸止めて楽しむような嗜好を持つとはこいつも質が悪い、
と今更ながらに思った。
未だ乱れた息のままで呆れと侮蔑を顔に浮かべその男を見上げると、青ざめた表情とかち合った。
 何か言う前に強く抱き締められた。
密着したため抱き締めるその身体が震えていることに気付くが、その理由は分からない。
息苦しさから逃れたいと理由をつけ、声を絞り出して呼びかける。
「……お、い…」
掠れた上にくぐもった声ではあったが、相手には聞こえたようだった。
一瞬身体をびくつかせ、確かめるように顔を覗き込んでくるその顔が見せる表情は、初めて見るものだった。
「……アンタ、何、が、したい、んだ…?」
「……」
単純に聞いただけだが、言った意味が理解できぬのかそれとも答えられないのか答える気がないのか、
相手は不安そうにこちらを見つめてくるばかりだった。
揺れる瞳はまるで叱られた子供のようで、やはり見たこともない顔だった。
 呼吸を落ち着け、再び尋ねる。
「……殺さねぇのか……?」
その言葉に、相手は目を見開き必死に首を左右に振る。
首を締め付けたあの力を思えば、その否定は怪しいものだったが、
その瞳には少なくとも嘘が見えないし、嘘をつくのが苦手な男であることも知っている。
「…ならただの性欲処理か?」
そう言えば今度は否定しきれずに、固まったまま羞恥と自責の混じった複雑な表情を浮かべる。
「……じゃあもっと声出しゃいいのか?それとも強請ってほしいのか?」
「……」
「なら一言言えばいい、あの忍が言ってただろ」
別に追い詰めるつもりなど無かったが、相手にとってはその効果は覿面だったようだ。
頭を混乱させ巧い言葉が見つからずに瞳を揺らすばかりの男と、己に告げる。
「……その程度だろ、俺は……」
自嘲の言葉は知らぬ内に相手と己を苛んだようで、
泣き出す寸前のような顔を見たせいか、何故か余計にズキリと胸が痛む。








「……違います……」
漸く声を絞り出し、幸村は渦巻く感情を必死に言葉にしようとする。
「……そなたは某にとって…何にも代え難く……」
憔悴した顔で紡ぐ言葉を探すのを表すかのように瞳が揺れているが、
揺れた瞳は政宗に注がれ逸らすことは無かった。
「だから、いつからか欲しいと…手に入れたいと…
 ただそれだけ願うようになって……」
「……」
「……だが、分からぬのです……」
「……」
片眉を上げ、政宗は無言で続きを促す。
「……もう、どうすればいいのか…分からぬのです……」
悲痛な声でそう紡ぎ、幸村は縋るように政宗を抱き締める。
それに顔を顰め、その姿を政宗は無表情に見遣った後、低い声で言い捨てた。
「…逃げんじゃねぇ」
その言葉に驚き思わず凝視する幸村を、政宗は不愉快そうに睨め付けた。
「そんなのはなぁ、ただの言い訳だ」
「……」
苛立ちをぶつけられるようにも思える言い方だったが、幸村は咄嗟に言い返す言葉が思いつかない。
「てめぇのことぐらい、てめぇで考えろ」
そう吐き捨てた後、政宗は舌打ちして不意に黙り込んでしまった。
「…ま、政……っ」
「……」
追い縋りかける幸村から目を逸らすが、
それは呆れ果てて見限ったというよりも政宗自身がやり切れなくなった様子だった。
俺の方こそ、何も。
それこそ、常に付きまとい常に奥底に潜ませているもので、
逃れようとがむしゃらに思い続け、しかし死ぬまで逃れられず、
今はその意味すら無い。
その繰り返しに疲れたからこそ最早考えずに済むと思っていたのに、まだまとわりついているのだ。

 疲れた様子で再び幸村の方に目を向けた直後に、政宗は再び抱き寄せられる。
「分からぬ、俺には分からぬ…っ」
「……」
その手が、髪に触れ頬を通り首筋を掠め、胸を撫で腹をさする。
続いて背中を撫でながら胸に頬寄せた。
全身を余すことなく触れてくる幸村だが、その手には性的な意味は含まれていなかった。
何かを確かめるように二つの瞳が一つの瞳を覗き込み、
彼の存在を己に刻みつけるかのように、政宗の姿形を無骨な指が辿っていく。
 一つ眼が幸村の瞳に浮かぶ光を捉えた時、不意に生じた感情に若干戸惑う己に気付きながらもそれを押し隠し、
政宗は少しだけ助け船を出してやった。
「……じゃあ…俺を、どう思ってるんだ?」
「え…?」
無表情に見つめ尋ねてきた政宗の言葉に、幸村は初めて考えるべき点を見つけた気がした。
そしてそれはきっと、本質を突いていた。
欲しいと思った。
手に入れたかった。
彼の抱える全てとは言わぬ。
しかし彼の全ては手に入れたい。
彼の治める領地や家臣ではなく、
名声などでもなく、
欲したのは肉、骨、血、筋肉、髪一筋と、
そして、彼の心。

民、家臣、血族。
そんなものに笑いかけないで欲しい。
そんなものだけでなく、己に笑いかけて欲しい。
俺だけに笑いかけて欲しい。
あの優しい笑顔を、俺にも。
俺だけに。
「……笑って欲しい…俺に……俺だけに…」
「……」
「…大切なのです、そなたが。
 そなたの為ならば、この命失おうとも構わぬ」
だが分からぬ。
これは、佐助の言う、玩具を独占したがる子供とどう違うのだ?
それが、分からない。
「それは真のことであるのに、しかし分からぬのです」
願いでも望みでもなく、
貴方に対して思うこの感情を、
心を、
何と表せばいいのか、
何と呼べばいいのかが。








そういうことか、と政宗は合点した。
「…知らないんだな、アンタ……」
感情を抱いていたとしても、幸村はその名前とその意味を知らなかった。
だから物に対する好意と混同し、
例えば団子を好物と思うが如く、それこそ佐助の言うように玩具を是が非でも欲しがる子供の如く、
物と同様に欲し、得れば独りよがりに扱かってきたのだ。
だが今、その違和感に漸くか気付いている。
物に対する好意ではなく、政宗に対する感情を抱き、そんな己も自覚している。
ただし、自覚しながらも、幸村はそれを知らない。
 相手に向かって言うつもりでもなかった政宗の呟きではあったが、この距離では当然相手にも届いた。
彼の呟きに眉を寄せ次の言葉を待つ幸村に目を遣るが、
政宗は口を開かなかった。
「……」
例えこれがそうだとしても、それが己にとって何になると言うのだろうか。
いずれこの男が、抱いた感情を知ったとしても、
それによって己をただ色欲のままに犯すだけでなく、例えば慈しむようになったとしても、
それだけなのだ。
受け入れれば、きっと楽になる。
お前は俺に惚れているのだと、今そう言い気付かせ、そして口先で操ってやればいい。
そうすればこの無意味な刻も終わる。
好き勝手蹂躙され続ける日々は終わるのだ。
しかし政宗にはそれは出来ない。
「……何を、ですか…?」
「……」
堪えかねて尋ねてきた幸村を見つめる一つ眼が、どんなに歪んでいるのか考えたくもなかった。
敗軍の将とは言え、身分も弁えずに無体を強いて犯し続けるこの男に、
それでも絆され情が移ってしまっただけだったなら、
どんなにか良かったか。
だが、この男が己に抱く感情に気付くと同時、
己もまたこの男へ向かう感情を知ってしまったのだ。
「…政宗殿……」
だから、俺はこいつを――
否定したいその想いが、生じた想いが辛い。
知らなければ良かったと思うが無駄なことだった。
ならば俺は、俺からは止めておこう。
「……それは、俺が言うべきことじゃねぇ…」
いずれ知るだろうその感情を、僅かな間でいい、まだ知ってくれるな。
もう少し、あとほんの少しだけでいい、その意味を知らないでいてくれ。




「…真田、幸村……」
ここに連れて来て初めて、想い人から呼ばれた己の名前に、幸村の顔が無自覚なまま喜色を見せた。
「…もう一度……」
抱き寄せられたままだった身体を擦り寄せ、政宗は自らの意思でもって強請った。
驚愕に見開かれ、それでもその内に抑えきれぬ喜びと情欲を浮かばせ光る幸村の双眸を、政宗は虚ろに見返した。
「…なぁ、してくれよ…」
薬の効果は既に切れているはずだった。
だからこれは、これこそは、政宗の意思だ。
結局教えてはもらえなかった感情の意味とその名は、頭の片隅で引っかかったままではあったが、
今度こそ漸く、政宗は受け入れてくれたのだ。
賢愚のどちらかであるかは分からないが、どちらにしろそんなものを考える余地は幸村には無かった。
沸き上がってきた衝動のままに政宗を強く抱き締め、夢中でその半開きの唇を貪った。
その舌を己からも絡め、政宗は薄く笑い、最早動かず感触の消えた両手で縄を軋ませる。




この男を――――殺さねば。




「…さな、だ…ゆき、むら…」
最期へと向かう残り少ない時の中で、その名を心にしかと刻みつけた。

























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一応終わりですが、
続く、かもです。