「あっちー・・・!」
搾り出すようにそう言うなり勢い良くイスに腰掛けた客へと、
はさっと水の入ったグラスを差し出した。
「お冷どうぞ。」
「どーも。」
グラスを受け取ったのは、東方司令部勤務のジャン・ハボック少尉。
と父が経営するフードスタンドの常連客だ。
司令部の近くに店を構えているため軍関係者の利用率は高いのだが、
それにしてもハボックの利用頻度は他の軍人と比べて飛び抜けている。
彼曰く、安月給の懐に優しいから贔屓にさせてもらってます、だそうだ。
そしてこの少尉さんは、が目下気になっている人物である。
東方司令部の某大佐のように綺麗な顔をしているわけでは決してないのだが、
肉体労働をする人間独特の精悍さと、下がり気味の目じりのアンバランスさがキュートで、
飄々としているけれど人好きのする笑顔を浮かべる人。
・・・あっという間に水を飲み干すと、ハボックは深く息をついた。
「っはー!生き返るー!」
「そんなに美味しそうに水飲む人、初めて見ましたよ。」
「こんな暑い中せっせと肉体労働してりゃ、色のついてない水だって最高に美味いよ。」
そう言うハボックの額や腕には汗が浮かんでいる。
デスクワークよりも現場で働くことの多いらしい彼だが、
それにしてもここのところほぼ毎日彼を見かけている。
どうも先日の傷の男の騒ぎが関係あるようだが、当然というか、
尋ねてもその辺で知られている程度のことしか教えてもらえない。
「何食べます?」
「いや、今日は包んでくれる?
 司令部に戻って仕事しながら食うから。」
「良くないなー、そういうの。消化に悪いです。」
「消化の悪さよりも、暑さで既に死にかけてるから大丈夫。
 いつものサンドイッチでよろしく。」
「何が大丈夫なのか意味わかんないですよー!?」
そう言いつつも、はメモにさらさらっとオーダーを書き込んで、奥の作業台にそれを置いた。
「お父さーん!ハボック少尉のいつものよろしくー!」
「元気良いよなあ。ちょっとわけて欲しいよ・・。」
「陽に当たるだけでも疲れるのに、その上働いてるんですしね。
 日射病とかに気をつけてくださいね。」
「ありがと。」
笑顔を浮かべて素直にお礼の言葉だけを述べる、彼の無骨でストレートなところに、
はかえって好意を覚える。
ここで『君は優しいね』だとか付け加えられても、そんなのはハボックではない。
いや、単にハボックの恋愛対象に自分が入っていないだけなのかもしれないが。
それを考えると少し辛いのは・・・彼が好きだから、なのだろうか。
恋と呼ぶにはいまいち確信にかける想い達に、最近のは戸惑っている。
、少尉さんのいつもの出来たぞ。」
「はいはいっ。」
作業越しに顔を出した父親から、大き目の紙袋を受け取る。
それを見て、何も言われずともハボックは財布から代金を取り出してテーブルに置く。
「お買い上げありがとうございました!またのご来店お待ちしてまーす。」
「ありがとう、お代ここに置いてるから。」
紙袋を受け取るなりハボックはすぐに立ち上がって踵を返す。
この後も仕事があって本当にゆっくりしていられないのだろう。
ちらっと空を見上げると、ハボックは眩しそうに目を細めた。
司令部までそう遠くはないとはいえ、やはり暑そうだ。
「・・・何かしてあげたいな。」
歩き出した彼の後姿を見ながら、知らずそう呟く。
呟くと同時にぱっと1つの考えが浮かんで、その瞬間、はためらいなく大声で叫んでいた。
「ハボック少尉ー!ちょっと待ってくださいー!!」
「!?」
往来で恥ずかしげもなく自分の名前を呼ばれ、ハボックは驚いて振り向く。
それを確認してから、はすぐさま店の奥へと駆け込んだ。
父親が何事かと呼びかけてきたのを無視して、
自分のロッカーに入った『それ』を掴むなり再び部屋を飛び出す。
はしたないと分かっていても、店の客用カウンターを思い切り飛び越えて着地。
その少し先には呼び止めた彼がちゃんと立っていてくれた。
「よ・・・良かった・・・待ってて、くれた・・・。」
「あれだけデカイ声で呼び止められればそりゃ戻るよ・・・。
 ていうか大丈夫?すごい息切らしてるけど。」
「だ・・・っ大丈夫、です。それより、これ!」
「へ?」
ハボックはぐいと胸に押し付けられたそれを見て、不思議そうな声を上げた。
が持ってきたのは紛れもない・・・
「――傘?」
「傘は傘でも日傘ですよ。
 女物ですけど、そんなに派手なデザインじゃないから。
 よかったらこれ差して帰って下さい。」
確かに渡された日傘は真っ白でシンプルなデザインだったが、
さすがに女物なので小さめのリボンが一箇所だけ付いている。
差すのには微妙に抵抗があったが、それよりも気になることがある。
「でもこれ、ちゃん使わないの?明日も晴れっぽいよ?」
するとは、悪戯っぽくにっと笑った。
「いいんですよ。健康的に焼けて、いっぱい汗かいて、いっぱい食べて、
 もーっと元気になって、その元気を少尉に分けてあげちゃうから。」
えへへと笑うと、はハボックの手から日傘を取り上げて、
勝手に開いて2人の頭上にかかげた。
頭の上に影が出来ただけで随分涼しくて、ハボックは驚く。
目の前には、自分の身長に合わせようと力いっぱい腕を伸ばして傘を持つ少女。
「はー・・・ちゃんはすごいね。」
「ええ?すごいのは日傘ですよ?」
「いや、ちゃんがすごいと思った。
 ありがとう、日傘借りてく。」
自分に比べると小さな手から日傘を受け取って、ハボックはトンと肩に持たせ掛ける。
汗臭い大男がリボン付きの女物日傘を差している姿は結構間抜けだろう。
でもは全くそんなことを思わないらしく、ニコニコしている。
「今度来たとき返すから。」
「はい、いつでもいいですよ。」
「本当にありがとう。それじゃ。」
短くそう述べて、ハボックは今度こそ司令部へと歩き始めた。
その後姿をはただ見つめる。
白い日傘がゆらゆらと揺れている。
小さくなっていく彼の姿。
次はいつ会えるのか、切なさと期待が入り混じる。
この複雑な気持ちはやはり恋なのか。
するとふいに、日傘がくるりと向きを変えた。
「?」
驚いてきょとんとするに向かって、振り向いたハボックは小さく手を振っていた。
もう大分離れてしまったので叫ばない限り相手の声は聞こえない。
けれどにはちゃんと見えた。
ハボックの口が『またね』と動いているのが。
「・・・・・っ!」
むくむくと喜びが身体のずっと奥底からわきあがってくる。
これ以上ないくらい嬉しくて、は力いっぱい手を振り返す。
再び小さくなっていく後姿を見つめると、鼓動が速まった。
加速していくこの気持ち。
すごい、相手の一挙一動でこんなにも幸せになれるなんて。
「えへへ・・・!」
頬が火照っているのは暑いせいだけじゃない。
多分今の自分の笑顔といったら世界一可愛いに違いない。
そう、だって今の自分は――



「私、恋してる!」



――夏の鋭い日差しの中に、その呟きは不思議なほど綺麗に馴染んだ。