「 」 ――そして、振り払われた手。 額のひんやりとした感覚に政宗はふっと目を覚ました。 真っ先に視界に飛び込んできたのは、天井ではなく妻の顔だった。 「あ、ごめんなさい、起こしちゃいましたか。」 「いや・・・。」 発した声が掠れていて、自分で自分に驚く。 身体がひどく熱く、喉が渇いて、唇もかさついている。 汗でこめかみにはりついた髪を彼女がそっと避けてくれた。 冷たい指先だなと思ったが、自分の身体が熱すぎるだけなのかもしれない。 「かなり熱上がってますね。しんどい?」 「さすがにな。水飲みてえ・・・。」 「はいはい。」 気だるい身体をのろのろと起こすと、頭からぽとんと濡れた手拭いが落ちてきた。 さっきのひんやりしたものはこれだったらしい。 「どうぞ。」 「悪ぃな。」 手渡された吸飲みすら冷たくて心地が良い。 中身を全て飲み干すと、何も言わなくとも彼女がそれを取り上げて片づけてくれた。 有難く思いながら再び横になって深く息をつくと、がくすりと笑うのが聞こえた。 「政宗さんでも風邪引くんですねえ。」 「お前な、俺をなんだと思ってやがる。」 「人間?」 「なんで疑問形なんだコラ。」 「あはは! 冗談ですよ冗談!」 あっけらかんと笑うの額をいつものように叩いてやりたかったけれど、 その力さえ容易には出せないのだから、風邪とは厄介なものである。 しかも久しぶりに熱を出したものだから、余計にしんどく感じる。 濡れた手拭いを自分で額に戻した。 「ところで政宗さん、もしかして嫌な夢でもみてました?」 「・・・なんでそう思った?」 「否定しないってことはそうなんですね。 熱のせいにしては随分辛そうにうなされてましたから。」 そう言ってが、優しく慈しむように髪に触れてくる。 春の陽だまりのように穏やかな微笑み。 彼女のこの笑みが好きだと、素直にそう思った。 「――小十郎と乳母の喜多にしか話したことがないんだがな。 熱出すと必ずガキの頃の夢をみるんだ」 ぽつりと独り言のように呟いたそれに、はただ頷いてくれた。 それにどこか安心して言葉を続ける。 「疱瘡を患ったときの夢だ。 眼球が飛び出ている俺を見て、母上が青ざめた顔で唇を震わせていて、 そんな母上の膝に触ろうとしたら、きっつい一言と共に手を振り払われた。 幼心にそれが随分shockだったみたいでな。 それ以降疎遠になっていったせいもあって、熱を出すと必ずそのときの再現の夢にうなされる。」 一気に喋ってまた喉が渇いた。 目を瞑ってゆっくりと息をして、少しだけ乱れた呼吸を整える。 「情けねえよな、いつまで経っても。」 自嘲して、意味もなく額の手拭いをいじった。 早くも熱を吸い取ってなまぬるくなっている。 当時はあの夢をみると泣きながら目覚めていたので、それがなくなっただけ今はマシだ。 けれどそんな言い訳じみたことを考えたところで、一体何の意味があるだろう。 と、頬に彼女の冷たい指先が触れた。 はっとして彼女を見れば、真っ直ぐな瞳に射抜かれた。 「情けなくないですよ。」 ――胸が千切れるようだ。 瞬間、言葉があふれだした。 「母上の手が、温かかったのか、冷たかったのか、それすらよく分からなかった。」 「うん。」 「でももう二度とそれまでのように触れては貰えないことだけは、直感的に分かった。 どれだけ強く相手を想ったところで、どうにもならないことがあるのを知った。」 「うん・・・。」 「あの気持ちは誰にも、お前にも理解して貰えると思っていないし、 生涯理解できるような出来事に遭って欲しくもない。 でもな、ただ、・・・・・・・・・」 目尻に涙を浮かべたに、覆いかぶさるようにして頭を抱きしめられた。 ふわりと彼女の匂いに満たされる。 ただ、こんな風に誰かに受け止めて欲しかったんだ。 同情さえ許されない自分と周囲の身の上。 父にだって、とてもではないけれどすがることなんて出来なかった。 母は父が愛した女性なのだから。 「辛かったね、政宗さん。」 ぐすっと彼女が鼻をすすっている。 どうしてお前が泣くんだと、いつかと同じように思った。 それでも彼女の体温も匂いも心地が良かった。 もう少しそれを感じていたかったのに、彼女がそっと身体を起こした。 そして、潤んだ瞳で柔らかく笑む。 「ねえ政宗さん、提案があるんですけど。」 「なんだ?」 どちらからともなく手をとって、ぎゅっと握りあう。 「この時代って、普通は乳母さんに子育てをお願いするものなんですよね。 だけど、私たちは出来るだけ自分達の手で子どもを育てませんか?」 体温が溶け合ってひとつになっていく。 「そうだな・・・。それも、いいかもな・・・。」 「うん、それがいいかもです。」 はそう言って鮮やかに微笑んだ。 身体は相変わらず鈍く重たいし、当然熱も下がらない。 それなのにひどく満たされた感覚だった。 彼女がゆるゆると髪を梳いてくれるのが気持ち良い。 急激な眠気に襲われて自然に瞼が下りてきた。 おやすみなさいという彼女の声が鼓膜を震わせる。 繋いだ手はそのままに、眠りへと落ちていく。 きっとこの先も自分はあの夢をみて、そしてうなされるのだろう。 それくらい根が深いものだということは骨身に染みて分かっている。 けれどあの夢に『囚われる』ことは、多分、もうない。 この手のぬくもりが、自分を繋ぎとめてくれるから。 |
というわけで、2010年3月に発行したコピー本に書き下ろした作品でした。
発行から1年以上経ったので、2本書き下ろしたうちの1本だけサイトでも公開しようかな、と。
政宗と義姫についての話は書かないのかとよくコメントをいただくので、少しだけ触れてみようと思って書いた話です。
冒頭の空白の台詞は、皆様で各自ご想像くださいませ。
その痛みは、あなたと政宗だけのもの。