喜多から、久しぶりに自室で休んでは、と言われた。 自室というのは東館ではなく、政宗の隣の部屋のことである。 出産後も未だに東館で過ごしているのは、そのほうが子どもの世話に色々と都合がいいからだ。 一応乳母に来てもらっているが、は極力自分の手で子どもを育てたいと思っているし、 政宗もそれに理解を示してくれている。 ・・・それはともかく、喜多の提案が唐突だったため、は最初ぽかんとした。 そこへ更に、子どもは一晩乳母に預ければいいと続けられて、 これはたまには子育てからはなれてゆっくり眠ればいいという心遣いなのだと解釈できた。 そう、そのときは自分のその解釈が間違っているとは、露ほども思っていなかった。 のんびり湯に浸かってさっぱりとしたは、上機嫌で自室への廊下を歩いていた。 子どもは勿論可愛いけれど、一晩子育てから開放されるというのは正直有り難い。 小さな寝息が聞こえないのは少し寂しいがゆっくり眠れる。 久しぶりの自室を思うと、寝るだけなのになんだかうきうきするのが可笑しい。 そうだ、寝る前に夫の部屋にも寄ろう。 それで子どものこともそれ以外のことも、どちらかが眠たくなるまでお喋りして、 できれば一緒にくっついて眠りたい。 といったことを考えて、はにやけた頬を小さくぴしぴしと叩いた。 自室の前に着いたので侍女を振り向くと、彼女は素早く頭を下げた。 「お褥の準備はしておりますので。」 「えっ、ありがとうございます。」 ここへ来たばかりの頃から、は自分で出来ることは自分でしていた。 そのうちのひとつが、褥・・・布団を敷くことや、部屋の灯りをつけること。 ただ、冬の夜に部屋を暖めておいてもらうことはいつもお願いしているのだが。 今日はどうも布団の用意までしてくれているらしい。 至れり尽くせりだなあと申し訳なく思いつつも、心遣いを有り難く受ける。 「今日もお疲れ様です、もう下がってゆっくりしてください。」 「勿体無いお言葉にございます。では、失礼致します。」 侍女は最後まで丁寧に振舞うと、静々と去っていった。 「んー・・・。」 ふたつの戸を前に少し悩む。 政宗はもう自室にいるらしいので、そのまま彼の部屋に行ってもいい。 でも久しぶりの自分の部屋で存分にくつろいでから彼の部屋に行くのもいい。 そして迷った末、は自分の部屋の戸を引いた。 「・・・・・あれ?」 はぽかんとした。 薄暗い部屋には、あるはずの布団がなぜか敷かれていない。 それだけで随分殺風景に見える自分の部屋を眼前に、は真剣に悩んだ。 これは・・・嫌がらせ・・・いや、まさか今更そんなことはないだろう。 それなら侍女の勘違いだろうか。 準備したつもりでいたが実はしていなかった? いや、新参の侍女ならともかく、先ほどの侍女はこの城に来て長いらしいので、 そんなうっかりなことはしないはずだ。 どういうことなのかはよく分からないが、このままぼーっとしていたからといって、 布団が勝手に敷かれるわけではない。 「・・・ま、いっか。」 それなら先ほどの考えを実行してしまえばいいという気持ちになった。 このまま政宗の部屋に行って、ひとつの布団でくっついて寝ればいい。 狭いけれど、それで軽口を叩き合うのも楽しいだろう。 再びうきうきしてきて、はさっさと自分の部屋の戸を閉めると、政宗の部屋の前に立つ。 「政宗さん。」 「ああ、入れ。」 こういうやりとりもなんのかんのと久しぶりかもしれないなあと、 出産前のことを思い出して胸が浮き立つ。 今度は緩む頬をそのままにして戸を引いた。 「・・・・・あれ?」 は再びぽかんとした。 見慣れた政宗の部屋。 あたたかくともる灯り。 くつろいだ様子で座っている政宗。 そして――二つ敷かれた布団。 ・・・これは、どういうことだろう? 政宗の部屋で眠れるようにしてくれることまでが『心遣い』だったのだろうか? それは微妙におせっかいじゃないだろうかと思いはするものの、 まあ、それならそうと言ってくれればいいのにとも思う。 「どうした?」 部屋に入らず突っ立ったままのに、政宗は訝しげな顔をする。 それにはっと我に返って、はおずおずと部屋へ足を踏み入れて戸を閉めた。 「なんでこっちに布団敷いてあるんだろ・・・。」 「そりゃ俺がそうしろって言ったんだからそうだろ。」 「へっ?」 独り言のつもりで小さく呟いたのに、予想外なことに目の前の人物から言葉が返ってきた。 なんで政宗がそんなことを? 政宗も自分と一緒に寝たかったということ? それは嬉しいけれど、侍女はどうしてはっきり言ってくれなかったのか? 「――ん・・・?」 ふと、一連の謎が繋がりそうなもどかしい感覚に襲われた。 ひとつずつ考える。 喜多に久しぶりに自室で休んだらいいと言われた。 子どもは預かられているので、一晩世話をしなくていい。 侍女が布団の準備はできていると言ったのに、自分の部屋には布団が敷かれていない。 でも政宗の部屋に2つ布団が敷かれている。 そしてそれは政宗がそうさせた。 ――つまり。 「えっ、あっ、そっ!?」 突然真っ赤になって謎の言葉を発しつつ後退りはじめたを見て、 政宗の眉間にさらにしわが刻まれる。 が、すぐに状況を把握したのか、訝しげだった顔がにやりとした笑みに変わった。 そしてすっくと立ち上がるとずいずいととの距離を縮める。 「ちょっ!!なんでそんな近づいてくるんですか!?」 「なんだよ、近づいちゃ悪いか? お前こそなんでそんなに真っ赤になってんだよ。」 あっという間に障子まで追い詰められ、両脇に手をつかれれば、政宗に覆いかぶされるようになる。 至近距離、目の前に政宗の首筋。 かと思えば顔をのぞきこまれて隻眼にじっと見つめられる。 「だだだだって、ふっ、布団がこっちに敷いてあっ、てっ!!!」 「だーから、俺がそうしろって言ったんだから当たり前だろ、you see?」 「みっ、皆嫌いだー!!!」 ・・・の叫びが辺りに響き渡った。 ――つまりは、今夜は政宗との褥事を、ということだったのである。 出産前後から勿論そういった行為はご無沙汰だったわけだが、 悪露は随分前に終わったし体調も安定したので、もう「受け入れて」も大丈夫だ。 勿論だって全くそういうことを考えていないわけではなかった。 でもまさかこんなふうにその夜がやってくるとは思ってもいなかった。 とにもかくにも、政宗の膝の上に向かい合わせに座らされつつ、 今は自分の鈍さを心底呪っている。 ただでさえ恥ずかしい体勢なのに、心の準備ができていないので全身に力が入る。 「なんで分かんなかったんだろう・・・。」 「酷ぇな。俺は今日一日かなり楽しみにしてたぜ?」 「いっ、一日中なんてこと考えてんですか!!」 「つーかお前、なんか硬いぞ。」 「う・・・!」 一度そういうことなんだと分かってしまうと、必要以上に意識してしまっている。 夜の闇、小さく揺れる灯り、柔らかな褥。 なにより熱を帯びた政宗の瞳。 どこもかしこも艶を帯びているような気がして、なんだか逃げ出したい気分だ。 頬を赤く染めて目を泳がせているに、政宗が小さく笑う。 優しく髪を梳かれて、まわされた腕の力がふいにゆるむ。 かと思えば、政宗はの胸に頬を寄せた。 「・・・すげえ速さで心臓が打ってるな。」 「だっ、て・・・!」 「あんまり緊張するなよ。それとも、嫌か?」 そっと目線だけを寄越され、問われる。 余裕があるような、甘えるような。 どちらともとれる仕草や言葉にの身体から少し力が抜ける。 なんとなく可笑しくてくすりと笑うと、はゆっくりと首を横に振った。 「ううん、幸せ。」 「俺もだ。」 唇を合わせれば、あっけなく身体中の神経が彼を感じようと集中する。 身体が褥での彼の優しさや熱さを覚えているのだなと思う。 大丈夫、久しぶりで恥ずかしいのはどうしようもないけれど、緊張する必要はない。 柔らかさを取り戻したの身体に、政宗が微笑む。 「抱くぞ。」 「っ! は、はい・・・。」 ゆっくりと、夜が始まった。 |
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