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 海は広いな大きいな。そんな童歌が姫君や譲たちの世界にはあるという。たしかに海は大きくて、だったらこのまま船で漕ぎ出でてゆけば、ヒノエの望むところどこにだって辿りつけるような気がしてしまう。ただ、現実としてそれだけの力が今ここでのヒノエにはないし、姫君を放置するなんて無責任じゃないからただこうして海を、たまにぼんやり眺めてしまう。女々しいしらしくない、なんて自覚もある。それでも。
「熊野が恋しいですか、ヒノエ」
と、あまりに見知った声で言い当てられれば、さすがに動揺を隠せずに、
「っ」
言葉を詰まらせざるを得ない。
 ぬかった、と思えど時既に遅く、振り返った先では弁慶がにこにこと微笑んでいた。ああまた弱みを握られた。矢先、叔父上は言った。
「君は本当に熊野に夢中ですね。たまには僕のことを上位に考えてくれても構わないんですよ」
「あんたみたいな誰にも頼らずに生きていけるやつの心配、オレがすることじゃないと思うよ」
「ふふっ、だったら熊野の心配も君がすることじゃない、ということになってしまいますね」
「そんなのオレの勝手だろ」
「だったら僕がここにいることも、僕の勝手、になりますね」
 弁慶は隣まで来て、やはり眩しそうに海を見た。
「帰れますよ、大丈夫です」
 その声音は、いつもと同じ、子供扱いするような含みを持たせていたけれど、海をまっすぐ見つめる横顔に、ヒノエは見惚れた。
「そういうこと」
 なんとなくきまりが悪くて、腰に手を当て、ヒノエは言って、焼きつけるように海を見る。
 冬の海の風邪は冷たい。それでもなだらかな砂浜を駆ける風は潮岬よりはずっと弱かったから、なんなくヒノエは正面から受け止めていた。その分きらきらとした、小さな飛沫を見つめる。
 酒に入り浸る病気があると、この前譲が言っていたが、自分もそれに似たようなものかもしれない。ここが鎌倉でなく、もっと内地だったら不安定になっていたかもしれなかった。
「君は優しい子ですね」
 ふいに、突拍子もないことを弁慶が言った。仰ぎ見ると、彼はにこにこと、いつも全く変わらぬ笑みを浮かべ、ヒノエを見ていた。
「ご褒美でもあげましょうか」
「あんたにそう言われると怪しいことこの上ないから勘弁しとく、むしろそうして黙って笑ってくれてるのが一番いいよ」
 というのは半分本気で、半分冗談。姫君だったら望美や朔のように負けん気が多少ある方がヒノエは好みだったし、それが弁慶だったらなおさらだ。口が達者な叔父じゃなかったら、ヒノエがこんなにも夢中になったりする筈はなかった。とはいえ、散々な目にあわされたのも事実で、弁慶の好意はかなり裏表が激しいことはよーーく知っているので、自然、警戒もする。
 今回はどっちか。答えは直ぐに出た。
「大丈夫です、今日は君に……望美さんや将臣くんに、とっておきの店を紹介してもらったので、そこにご招待しようかと」
「店?」
「ホームシックな君に、海の幸をごちそうしましょう」


 ……なんて、基本繕って自分をよく見せるのが好きな、いわば見栄っ張りな叔父上が言うもんだから、どんなすごいところに連れてくるのかと思ったら。
「さあヒノエ、どれでも好きなものを食べるがいいですよ」
「……どれでも、って、どれでも値段同じ、って書いてあるんだけど」
「すごいですね、画期的ですね。景時と九郎が昨日、望美さんたちと来たみたいですが、感動していたのが分かるようです」
 姫君たちに連れられて、またはヒノエ単身でも何度かこの世界の店に入ったことはあったが、それらとは全く異なる作りの店内。
 ここは寿司屋らしい。寿司は既に知っていた。ヒノエなら寿司だよな、といつだか譲がまだ京にいた頃に喋っていたのを覚えていたので、ちょっと手にした小銭で真っ先に気に入った佇まいの店に行ったことがあるからだ。そして、その味に感動したのは記憶に新しい。
 だがこの店は…通路の隣に机が並び、その脇をくるくると、動く板とでも言えばいいのか、それにのって皿が流れてゆく。皿の上には寿司が乗っていた。
「ヒノエ、お寿司好きそうでしょう?」
「それはそうだけど、ここ、なんかオレたち随分場違いなんだけど?」
 弁慶が言うから、一体どこに連れてってくれるのかと……なんていうか、雰囲気ある店にでも連れてきてくれるのかと思いきや、周りは家族連れしかいない。はっきり言って浮いている。
 それに弁慶は不愉快そうな顔をした。
「酷いですね、でも仕方ないじゃないですか。確かに僕だって、京にいればどこへなりと連れてって差し上げることができましたよ、手近に九郎という有望な金づ…じゅなくて、御家人がいましたからね。でもここへ来てからは、九郎も僕もただの人以下。将臣くんのくれた5000円のお小遣いではいくらなんでもこれが精一杯ですよ」
「事実だとしてもきっぱり言うなよ、そういう事」
「隠したら隠したで怒るでしょう? 昔熊野から平泉や鎌倉に戻る時に散々なんで帰るんだと理由をせがんだのは君だったでしょう」
「古い話を持ち出すなよ……」
 それとこれとは全然違うだろ、言い返したかったけど、断然分が悪いヒノエだ、ここはもう黙って確信犯の恩恵にあやかることにした。
 実際……ヒノエが好き勝手に儲けてるだけで、金がないのは事実で、それは弁慶のせいじゃないし、なにより空気以外はこの店に、とりあえずの不満は見当たらない。
 だって、目の前を流れる寿司のネタは十分にうまそうだ。
「ま、食べるか」
「ええ。そうなさい」
 どれにしようかな、迷って、最初はやっぱりマグロにした。赤い身が食欲をそそる。醤油をつけ、ぱくりとひとくち。
「うまい」
「よかった」
 うまかった。そりゃ確かに、とれたてを浜でさばいたあの旨さには敵わない、それでも十分、ヒノエを楽しませるに適っていた。
 たまらずに、空いた皿をよけながら続けてもう一貫、次はカツオを手にした。やはり美味い。いつのまにか弁慶がいれてくれた緑茶を飲みながら、更にはサーモンも浚ったところで、はたと気がついた。
「ん?あんた食べないの」
「僕は君が幸せそうに食べているだけで、十分ですよ」
 にこにこと笑うが、ヒノエは引き下がらない。
「一人で食べさせてるの、無粋ってもんだろ」
「まるで夜伽の最中のような事をいいますね」
「……あんまり可愛げのない事言うんなら、金がないから食べらないものと見なして、奢ってやるから食え、って言わなきゃいけなくなるんだけど、叔父上殿?」
 そんなの嫌だろ? 目配せすると、それが本音だったのか、違うのかは分からないけど、
「そこまで言われてしまったら仕方ないですね。僕も頂きます」
と、ようやく流れに目を向けたので、ヒノエも安心してサーモンを口に運んだ。
 けれど。
「おい」
「なんですか」
「ここ寿司屋だろ? 寿司って新鮮な海の幸を握るもんだろ?なんでそんなもん手にしてんだよ!」
 思わずつっこまずにはいられなかった。だって弁慶が手にしたのはハンバーグの乗った寿司。
「え、いいじゃないですか、美味しそうじゃないですか」
「邪道だ、激しく邪道だ」
「立派な商品にその口答えはなんですか、ヒノエ」
「こういう時だけまともな人間ぶるんじゃねえよ」
「じゃあ戻しますか」
「もっと最低だろ!」
「ふふっ、冗談ですよ」
 笑って、弁慶はハンバーグ寿司を行儀よく食べた。
「おいしいのに」
「そういう問題じゃないって」
 はあ、と息吐きヒノエも冷静になった。こんなことで何真剣になってるんだ、自分も。そうそう、ヒノエからすれば確かに邪道だ、でも商品なのは確かだし、目くじらたてることもないだろう。
 そう思って次はカニとやらに手を伸ばした時、弁慶も隣の皿をとった。マグロだ。普通だ。
「僕、本当はこれが一番好きなんです」
「熊野の味だから?」
「ええ、そうですよ」
 素直に微笑まれると、ヒノエは弱い。熊野を褒められるとどうにも、自分の事を言われているような気がしてしまうのだ。素直に嬉しくて、ヒノエの顔も緩んだ。
「じゃあ、たんと味わっていきなよ」
「ええ」
 とはいえ、だ。ヒノエは見逃さない、見逃すはずがない
「おまっ」
「どうしました?」
「それはねえだろ!!!」
 白いシャリは醤油の黄金に染まっていた。ネタも同じく、だ。
「つけすぎ、あんた、マグロを侮辱してるだろ、もしくは俺をからかって遊んでるだろ?」
「なにがですか?」
 けれど弁慶は平然とした顔でぺろりと食べた。……演技、か?そうなのか?思えど、再び彼はマグロをとって、同じように食べた。
「まだやるのかよ」
 ぐい、と箸を掴む。
「なんですかこんなところで、随分と積極的ですね」
「そうじゃない、そんなに醤油つけたら味が台無しだろうが」
「美味しいですよ」
「そういう問題じゃねえよ、いいから、いいから醤油はちょっとだけだ、じゃなきゃもうお前と口きかない」
「うーん、どうしよう」
「可愛くねーよ」
「君に言われると弱いですね。その代わり、ご褒美が欲しいかな」
「……!!!」
 心底腹だったが、これ以上寿司ネタを愚弄されたらもっと困る。しぶしぶヒノエは頷いた。
「……分かったよ」
 すると弁慶は更に楽しそうに条件を提示する。
「じゃあ、僕の為に選んでくれませんか」
「ん? ああ」
 正直なところ、案外まともで拍子抜けしつつ、ヒノエはネタを選ぶために流れに目を落とす。
「もう少し激しいのを期待してくれましたか? すみません、一応ここは望美さんの世界ですから迷惑かけては」
「黙れ変態」
 そっちは遮断し、今まで食べた中で格別に気になったサーモンにした。
「ほい」
 手渡たす。でも弁慶はにこにこと手をテーブルの下から出してこない。……こいつは! そういうことかと納得しつつも、寿司を、否熊野を質にとられるととことん弱いヒノエは、自分の箸で寿司をつかみ、ちょこんと醤油をつけて
「ほら」
見た目だけは秀逸な顔の前に突き出すと、弁慶はぱくりとそれを頬張った。
「おいしいですね」
「当然」
 全く幸せそうだから悪い気しないヒノエも重症だ。そのまま有無を言わさずもうひとつも押し込むと、更においしそうで、結構本当においしそうで、こいつもそう思う事があるんだな、なんて、ひどく大袈裟なような心配をしてしまったので、なんとなく気まずくて、
「さ、オレもまた味わうとしようか」
再び自分の分を食べることに専念することにした。
 ヒノエの選択はエビの軍艦にまぐろの軍艦、ぶりにヒラメ、なんて珍しいものまで進んでいく。
 一方の弁慶は、しばらく気持ち悪いような気恥かしいような、な程にのんびりと味わっていたようだけど、茶をずずいとすすった後、
「海老も美味しそうですね」
「だろ?」
 というから、生海老をとるのかと思いきや、手に取ったのは海老の天ぷらの巻物だった。
「……」
「なんか言いたそうですね」
「そうだね…」
 はあ、なんでこいつはこうなんだ。魚は生だそれが一番だというのはヒノエの持論、ていうか、生魚をこれだけふんだんに食べられる機会なんで、多分今後向こうへ戻ったら間違いなく存在しない。なのにそれを無視して、
「火の通った寿司なんで邪道だ、ですか?」
その通りだった。寿司というのは生魚がメインだという話も聞いてる。もうこの叔父上になにか言うだけ無駄なんだろうな、なんて思いつつ、半分くらい呆れも混じりでヒノエは見上げる、すると彼は柔らかに笑った。
「ふふっ、でも君の持っているその生の海老、それと、僕の手にしている火の通った海老。同じ食材を別の楽しみ方で味わえるなんて、幸せだと思いませんか?」
 そして、ひとくち口にした。
「美味しい。海老を食べると、やっぱり熊野を思い出しますね。君と過ごした季節を」
「誤魔化そうったって…」
「ヒノエも食べてみたらどうですか?」
 美味しくないなんて言ってない、でもどうしても躊躇うヒノエに、弁慶は続けた。
「君も、この海老と同じなんですよ」
「?」
「熊野別当としての君、京での八葉としての君、そして今の、僕と同じ居候でしかない君。形は変われど、本質は君ですよ。違う面が見れて、むしろ僕は幸せだな」
「……」
 それは胡散臭いことこの上ない、とってつけたような理屈だったけど……不覚にも口ごもる。
「君も食べてみればいいんじゃないですか?」
 更に、確かに食べずに言うのはかっこわるい、思って、ヒノエは弁慶と同じものを流れから取り、食べてみた。
「……」
「おいしいでしょう?」
 悔しくて頷けもしなかったし、そもそも不味いなんて思ってもなかったけど、それも無粋か。
「あんたの言うとおりだったな。ここの職人に悪いことをしたよ」
「よかったですね、またひとついいものに巡り合えて」
「まあね」
しっぽまで平らげたヒノエを見て、弁慶は微笑んだ。けれど、
「好みはひとそれぞれですからね」
「そういうこと」
「ああ、マヨネーズ美味しかった」
「!!!!!」
それにはいくらなんだって、ヒノエはふるふる震える拳で箸を握りしめずにはいられなかった。


 結局金は弁慶の手持ちだけでは足りなくて、自分の分は自分で払った。
「今月この後どうしましょう」
「将臣にたかれば?」
「彼らにこれ以上迷惑をかけるわけにはいかないですからね……ううん、そういえば、景時がなにか埋めてたの、あれはどこだったか……」
 弁慶はその後もしばらく意味のわからないことを呟いていたけれど、放っておいて、ヒノエはすっかり赤く染まった空を見上げた。
 海沿いの道、赤と青のコントラストは自然熊野を思い出す。けれど、何も一切解決なんてしてないけれど、ヒノエはもう、今朝程の寂しさはなかった。
「また来ましょうね」
 背後から声をかけられたけど、無視。
「まだ怒ってるんですか?」
「当たり前だろ!」
「酷いな、ヒノエ、美味しそうに食べてたじゃないですか」
「確かに寿司は上等だったけどさ」
 ヒノエは金品の相場はいまいち分からないものの、多分、お手頃な店ってやつなんだろう。もしここに住むことになったら間違いなくまた行くだろうと思った。でも、それとは別。
「だけどあんたとは二度といかねえ!」
 隣に並んだ叔父にすかさず回し蹴りを入れ、波打ち際まで突き飛ばした。
「冷たい、何するんですかヒノエ!」
「いちから海を学び直してこい!」
 ここは本気で怒っていいところな筈だ。だってよりにもよってこいつ、あの後延々マヨネーズ美味しいとか言って、件の海老天巻きを筆頭に、マヨネーズ味付けのネタしか食べようとしなかったんだ。しかも最後は結局味が足りないとか言って醤油ベタ付けに戻ってたし。
「マヨネーズに嫉妬ですか、ふふ、可愛いですね」
「ねえよ!」
 ああもう、今度行くまでに徹底的に寿司と言うのはバランスよくいろんなネタを楽しむもんだとたたき込んでやろう、その為には譲や敦盛や九郎を巻きこもうと、手段は選ばない。ヒノエは青い海に誓った。だって、このままじゃこいつと一緒に熊野に帰った時、ヒノエの釣ってきた魚の魅力を存分に味あわせることができないんだから。






某さんと回転寿司食べに行った時に
「弁慶はきっとこんな食べ方してヒノエに怒られるんだよね!」
って言ってたのを大体そのまま拝借して書いた話です
(12/03/2010)



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サソ