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 眠らない夜。そんなの熊野の海だけだ……と言い切れるほどヒノエは世間知らずではなかったけど、それでも熊野の代名詞だとは思っていたのに、残念ながら神子姫の世界はそれが当然だという。
 この世はなんとも広く、奇怪で魅惑的なのだろう。綺麗な景色にヒノエは奪われる。ヒノエは綺麗なものが好きで、だから濃緑の並木や白灰色の建物にふんだんに使われた、細かに磨き上げられた……しかも色とりどりの金剛の如き光彩もやっぱり好きだから、酔いしれる。ぴりりと頬打つ寒さがそれらを際立たせるから尚更だ。
 進めば進む程、ヒノエの知る鎌倉と、山や海の位置以外の全てが異なるこの街は次々姿を変えてゆく。
 それこそ、
「この世界の夜はいつだって煌びやかですけど、今日は一段と凄いですね」
と、隣を歩く彼が、穏やかな……やはりヒノエの好きな声音で告げる通りで、まさに見違えるほどだった。
 こんなに眩しかったら他に数多にある美しきものがかすんでしまってつまらないな、とも思う。とはいえそれはそれ、これはこれ。今日が特別な夜だというなら、割り切って楽しむまでだ。
 言うなれば着飾った姫君か。この街が誰を想い誰がために着飾ったというのか、こちらに来て日が浅いヒノエにはそんなこと到底分からないけれど、姫君をもてはやすにも、はたまた浚うにも理由は要らない。そんなの随分と不作法だ。
「そうだね」
 ヒノエは隣を歩く弁慶をちらりと見上げ、同意した。
「全く、神子姫様がいちいち春の京で驚いてた意味が今更分かったよ」
「本当ですね。向こうにいた頃から譲くんや望美さんから話は聞いていましたが、まさかここまでとは思いませんでした」
 音も人の声も賑やかだ。たくさんの人がそれぞれの色を身に纏い歩いているから、景色はますます華やかで、店も並びますます賑わいに彩りを添える。声弾む楽しげな会話など、海の向こうまで届きそうな程に途切れない。
 ……さてこの状況、弁慶の言葉を拾えている自信はヒノエにはあるけれど、向こうにきちんと届いているのか。その上あまりにも人が多いから押され、自然と彼との距離も近くなって、譲たちの家にいるときには有りえない程に目と鼻の先に彼がいるというのに、それに胸が高鳴る事もすり寄りたいと思う事もなかった。
「暗い所など、海の上だけのようにみえる。ああ、あとは神仏に関わるところは少し暗いかな? 空も、おあつらえ向きに満月ですしね」
 そんな中でも麗しの叔父上はさっきから口を閉ざすことをやめない。
「満月関係ないじゃん」
「そうかもしれないですね。だけど向こうだと、月がない夜に歩くなんてありえなかったので、つい気にしてしまうんですよ」
「確かに、普通の奴ならそうだけど……あんたはそうでもないんだろ? 率先して夜陰にまぎれて暴れてた癖に」
「ただの噂ですよ」
「どうだか」
 相手が綿雲のような白い息と共に延々と言葉を紡ぎ続けるから、ヒノエもそれに相槌を打つ。でも会話は遠く、正直少しもどかしい。思った矢先、腕が彼の腕にぶつかった。
「っ」
 なんてあつらえたような状況だ、けれどらしくなく、つい動揺してヒノエは腕を引いてしまった。しまった、と思ったが、今更もう一度絡めるように腕を伸ばせるほどの可愛げはない。まあいいか、なんて流そうと思ったのに、
「大丈夫ですか?」
なんて、弁慶が顔を覗きこんできた。
「平気」
 きらきらと、半端に明るい髪色が今日は少し輝いている。繊細な色、寒さで赤刺す頬、
「そうですか、それはよかった」
不覚にもそれに吸い込まれてたと気付いたのは彼がにっこり微笑んで、元通りまで離れた時だった。
「、」
 思わず顔をゆがめた。それは見惚れたことに対することもあったけどそれよりも、
「そうじゃ、」
ねえだろ! ついに、そんな本音を、右手と共に相手へ向けてしまった矢先、
空を光が覆った。
「ヒノエ、ほら」
 彼が指すまでもなく、ヒノエも見上げる。薄闇に開く光、それはまさに大輪の花。刹那のずれを伴って、ばあんという大きな音がする。少し恋しい京の都の花見の宴を思い出した。見事な桜は人を呼び、楽を呼び、奏で、賑わい、散る。同じように天降る光は喧騒を支配した。ヒノエも、弁慶も、誰もが立ち止まり見上げる。歓声以外の言葉を封じる。
「ああ、これが本物なんですね。景時のものも凄かったけど、やっぱり迫力が違うな」
 伸ばしかけた指の冷たさも、意味さえも忘れたヒノエは、夢がちに空を見上げる弁慶の横顔を見る。珍しく、屈託なく輝く瞳が鮮やかで、ヒノエからしたら花火より余程綺麗だった。けれど、
「火薬、というのでしたっけ? ああ、譲くんに折角教えてもらったのに忘れてしまったな。便利そうだったのに。また教えて貰うのも申しわけないな…ああでも景時に指南してもらえばいいか」
……そんな風に、いい年の癖にまるで無邪気に未知のものに心躍らせる叔父上は実によくあることで、ついでに日頃からよく喋る男でもあったけれど、
いい加減、このペースに付き合わされるのもヒノエは御免だ。
 腰に腕当てヒノエは呼ぶ。
「ねえ、あんたさ、」
「なんですか?」
 振り向けど、なおも変わらぬその笑顔の裏は手に取るよう。
「何浮かれてるの? 柄じゃないんだけど」
 不機嫌に、ずばりというと、弁慶はやや驚いたように目を見開き、言葉を詰まらせた。とはいえやはり束の間。
「……そうですね、この街があまりにも夜を知らないから、僕の心もそうなっているのかも。ヒノエ、君が隣にいますしね」
 流暢な言葉で飾ってた瞳が近づいて、細まる。
「こんな街に降り立ったところで、君はまったく陰ることを知らないんですから、僕の可愛いヒノエ」
「……」
 それをヒノエは無言で受け止めた。するとますます満足そうに弁慶は微笑み、ゆっくりとヒノエの頬へと手を伸ばす。でも、いざ触れようとしたところで、ヒノエは逆にそれを掴んだ。
「なんですか?」
 わざとらしすぎるんだよ、なんて言葉は敢えて飲み込んで、
「実は、困ってない?」
 単刀直入。きっぱり言うと……ヒノエが思っていたより困っていたのか、弁慶は驚いた後、京でよくそうしていたように、耳の下あたりに手を伸ばしたけれど、向こうと違って掴むべき衣はない。
 だからますますばつが悪そうに指先を肩まで降ろしながら、苦笑混じりに言った。
「ええ、実は少し」
 そうして漆黒の衣の代わりに、白いコートの襟元を掴んで、いよいよ浮足立ったように周囲をぐるりと見回す。
「……なんでしょうね、こんな風に恋人たちのためにあつらえた舞台に立ってしまうと、拍子抜け、というか、何か頑張らなければならない気がしてしまって」
 それは全くもって、ヒノエの予想通りの返答だった。息ひとつついてヒノエはぐい、と彼の指ごとコートを手繰る。
「バカだね、本当、バカだ」
「ヒノエ?」
「異世界はそんなに重圧かい? 桜の木の下で、あんたはそんなことを言わなかっただろ? だったら簡単さ、そういうときは、流れに逆らわなければいいんだよ」
 引き寄せて、ぼんやりと微かに開いた唇にそのまま口づけた。
「……ヒノエ」
「そんなんだから年寄りって言われるんだよ叔父上」
 離れるなり唇を少しとがらせながらヒノエが言うと、
「……言われてしまいましたね」
わずかの苦笑の後、弁慶が随分と無邪気に笑った。
 彼の向こうに一段と大きな花火が上がる。ヒノエの好きなその表情も、この舞台に装飾されて今日は特別の色に染まる。けれど、所詮は装飾でしかないし、ヒノエからすれば毎日はいつも特別だ。それだけのこと、だったら今を楽しまなきゃ損でしかない。それには余計なおしゃべりは幾分か邪魔だ、そういうことだ。
 今度こそ口を閉ざし、ヒノエは不敵に想い人を見上げる。弁慶もようやくヒノエの目を見た。ヒノエの紅を映すそれはまるでなにか果実のように甘くきらめき、触れたくなる。だけど、
「メリークリスマス、好きですよ、ヒノエ」
再びざわめき始めた周りの声にかき消されることなく近づいてくる言葉に、ヒノエは躊躇なく目を閉じた。






弁慶さんを困らせてみた企画1:クリスマスにそわそわしすぎて困る叔父上
(24/12/2009)



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