三草山で敦盛さんを回収した直後の馬瀬の陣の話。偵察行ってないルート推奨
ネタってことで軽く読んでいただけると嬉しいです
「気つけ薬、ですか」
麗しの叔父上は顎に手を当て、さながら品定めでもするように、上から下までじろりとヒノエを見る。
「あんたなら持ってるだろ?」
「ありますけど、そんなに容易く渡していい薬でもないですよ。何に使うんですか?」
返答も訝しげだ。君のことだからろくでもないことに使いに違いない、なんて顔に書いてある。
それはあんただけだろ、と言い返したい気もしたが、いつもと違い言葉を飲み込む。それくらいヒノエは心得ている。
だからといって、すんなり返答できないのもまた事実。それは彼の求める『理由』が、それなりに繊細なものだったから、なのだけど、
「言えないんですか?」
少し疲れているのだろうか、珍しくはっきりと機嫌の悪そうな弁慶に刺々しく言われてしまえば、素直に話す方が早そうだし、
……ヒノエが望美の元を離れた時点では弁慶が診察に来た気配はなかったけれど、どこかで噂くらいは耳にしているのではないか?
ヒノエは思い、腰に手を当てきっぱりと言った。
「……敦盛に使ってやりたい」
なのに、
「敦盛くん……? いきなり、どうして彼の名前が出てくるんです?」
予想に反して弁慶は目を丸くして驚いたから、ヒノエも一瞬言葉を失う。
「いや……なんでも、健気な姫君が三草川のあたりで倒れてるのを見つけて、ここまで連れてきたらしいよ。でも、その間ずっと意識を戻さないらしい。今は望美と譲が看てるはず」
確かに、実際ヒノエが彼を探すのに方々歩き回る羽目になる程に彼は忙しかったのだろうけど、事が事。いくら譲や望美が隠すようにしていても、とっくに景時あたりが気付いて相談でもしているかと思ったのに……否、景時は敦盛を知らないから騒ぎてることもなかっただけか。
代わりにヒノエが説明すると、やはり弁慶は複雑な顔をした。
「……そうですか。いつかは戦うことになるだろうとは思っていましたが、でも、どうして望美さんが」
「さあね、いつもの龍神の神子の力、って感じかな? 一緒にいた譲もよく分かってなかったみたいだし」
「……で、気つけ薬、ですか」
それでもやはり彼は思案をはじめてくれたようで、ヒノエは少し、ほっとする。
「……うーん、大丈夫かな」
真剣な表情。そうしてひとしきり何かを悩んだ後、弁慶は結局にこりと微笑んだ。
「分かりました。いいですよ」
優しい薬師の顔だった。
けれど喜んだのも束の間、
それは一瞬で悪意を含んだものに代わる。
「……とはいえ、ただでは渡せないですね」
「おい、冗談言ってる場合じゃ」
ヒノエは思わず声を荒げた。なのにそんなのどこ吹く風、
「可愛いですね、ヒノエ」
弁慶はしゃらりと笑い、
「敦盛くんといえば君の幼馴染、僕の知らない君をたくさん知ってますからね。いわゆる、恋敵、っていうのかな? だから僕、彼には少し妬いていたんです」
などと、とんでもなく見当違いなことを言い出したから、ヒノエはますます苛立った、
「だからって、」
けれど、
「それに、ひとつ忘れてませんか? 僕は源氏の軍師なんですよ」
と、……悪戯で、性格の悪い笑みはそのままに口にした言葉に、ヒノエははっとする。
「敦盛くんは平家に連なる上に、それはそれは尊き身分の方です。還内府や惟盛殿、彼の兄の経正殿程ではないにしろ、彼の首は源氏にとっては十分価値のあるものです、僕に彼を救う理由はない。むしろ、助けたら次に待っているのは拷問です。……僕はそこまで悪趣味じゃないですよ」
「それは……」
確かにそうだ。今は身分を隠し自由なヒノエとは違う。姫君や譲やヒノエがどれだけ懇願しようとも、敦盛の命を奪う事が必要なことなら彼や景時は……実行するだろう。
それでも。ヒノエは俯いたまま、手を握りしめた。
それでも、だ。やはり敦盛を見捨てるなんて、ヒノエには絶対できない。
そんな覚悟が伝わったのだろうか、
「でも、君次第ではどうにでも。さあ、どうします?」
腕を組み、高らかに薬師は言う。
……本当に薬師なのだろうか? 闇に溶ける黒の衣から鈍い月色の髪がゆらゆらと揺れる。余裕も笑顔もあくまで崩さないその態度。
どうみても悪人だ。怨霊と戦い八葉が傷つけば的確に治療を施してくれる叔父。五条近辺では嘘くさい程に評判もいい。だからヒノエも、他はともかく薬師としての彼は信頼していたというのに。言葉の代わりにヒノエは睨む。
「僕だって、この後九郎や景時を説得しなきゃならないんですから」
対して、当然だというように返ってきた言葉。……そういう事か。ヒノエはいよいよ心の底から吐き捨てた。
「……ほんっとに性格悪いな、あんた」
でも……どうあろうと今のヒノエに選択の余地はない。
諦めたヒノエはひらひらと片手を振るのみだ。
「もういいよ、好きにすれば?」
草の上は夜露が冷たそうだったから、代わりに丁度背中を向けていた大木に体を預け、まっすぐに見据える。
なのに弁慶には、自分で言った癖にくすくすと笑ってばかりで事に及ぶ気配がない。
「何言ってるんですか、ここでそんなことをしたって、君が喜んで終わりでしょう?」
「……あのなあ、」
いい加減一発殴ってやろうか、思った矢先にかさかさと草を踏みしめながら近づいてくる。
月に背を向け、顔は陰るから表情が見えないが、懐から何かを取り出しているように見える。
目の前まで来た叔父はヒノエの顔に手を伸ばした。つん、とかすめる薬の臭い、反射的に身をすくめてしまう、が、彼の両の手が行き着いたのは頬ではなく、髪。
「おい、何…」
「いいから黙って………………はい、できました」
ほとんど一瞬だった。不機嫌だったさっきまでと一転、実に楽しそうな叔父上の様子に、ヒノエは慌てて頭を探る。感触からして、髪を結っていたように思えたのだが……。
「まだ神代の頃の記録ですが、八葉の起源と考えられる人の一人がこのような髪型をした人がいたそうです。まるで猫みたいですね。望美さんたちの世界風に言うと……なんでしたっけ」
「ネコミミ」
「それです。ヒノエ、詳しいですね。君も少し興味があったのかな?」
「そんなわけな」
「さあ、にゃあ、とおねだりしてみてくださいな」
なんでこんな、唐突に。呆然とするヒノエとは対称的に叔父はまるで暴君。ゆるりと微笑んで、指先でくい、とヒノエの顎をつまみ上げる。
「ヒノエ?」
「……」
……敦盛の事がなければやりかえしてみせるのに。様々な思いがぐるぐる心を掻き立てて、それこそ獣のように全身の毛が逆立つ思いだったが、
「ね?」
背に腹は代えられない。
「……薬、くださいにゃ」
「駄目ですよ、ちゃんと仕草もつけてくれないと」
「……薬、欲しいにゃ」
にゃん、と、招くようにやりながら言うと、弁慶はそれはそれは楽しそうに笑った。
馬鹿にしている。絶対、馬鹿にしている。ヒノエはせめてもと睨み返したかったけれど、きっと今更意味ないのだろうな、なんて思えば、そんな気力も失せた。
「で、これで満足?」
「ええ。僕は満足です」
「だったら」
脱力しきったヒノエの前で、叔父上は衣を揺らして微笑んだ。その下に感じる、今より一層不吉な何か。
「でも、……君みたいに自分に自信がある人は、案外こんな風に、何かになりきることに喜びを感じるものではないですか……ほら?」
案の定。
彼は唐突に、ヒノエの内腿をその指先で撫で上げる。声が漏れそうになって慌てて堪えた。……その上、事実だから今度こそ反論できない。
「仮装が好きだったなんて、知らなかったな」
「っるせ……戦の後だからだよ」
「じゃあ、今度また試してみましょうか?」
「っく、」
薬の臭いが強くなる。服の中に忍ぶ指先はいつになくごわついていて、肌に逆立つ。……不覚にも目の前の腕にしがみついた。
けれど……彼は勘違いしている。
ヒノエが不覚にも煽られたのは、こんな状況だからじゃない。叔父に宿った熾烈な気配のせいだ。戦の跡を残した兵を手当てして歩いているから消えない、戦の痕を引きずる薬師。
きっとこれが、ヒノエの見たことのない荒法師だったころの片鱗。
「……いい加減、その性格直せよ」
満月とはいえ闇夜の逆光の中、黒の衣に身を包んでも滲まぬ瞳。ゆらりと揺れれば煌めいて、玻璃の破片のようだった。
「そうですね、だけど」
黙ったヒノエに再び顔が近づく。
「僕がこんなに酷いことをしたくなるのは君だけですよ、可愛いヒノエ」
再び差し出された手はもうなにもなく、代わりにヒノエがよく知る唇が降ってきた。
遅くなってしまった。
叔父が去った後、ヒノエは急いで明るい方、望美たちがいる方へと走る。
あの薬師は本当に最低だった。ヒノエが敦盛をどれだけ心配してるかどうせお見通しな癖に、随分足止めしてくれたもんだ。敦盛に妬いている、なんて言葉、柄じゃないから冗談かと思っていたが、あながち本気だったのかもしれない。
惚れた相手ながら器の小ささに少し呆れつつ、草踏みしめながら必死で走る。が、情けなくも足腰が少しおぼつかないから速さが出ない。『僕にはこの後まだやるべきことがたくさんありますから』なんて言いながら、弁慶がヒノエ一人を一方的に散々に弄んでくれたせいだ。挙句、終わったらとっとといなくなる始末。……それでも最後まで付き合ってくれただけまだマシだったのかもしれない、が、
「いやいやいや、最初に言い出したのあいつだし。少しは時と場所を考えろっての」
吐き捨てずにはいられなかった。
溜息も止まらない。
でも、それらは全て叔父の性格の悪さに対することに関してばかり。
懸命に走ってはいるけれど、そもそもの本題である筈の敦盛に関しては……本当の所、今となっては、そう不安を感じてはいなかった。
笑みさえ零れる。途中で気が付いたからだ。
弁慶は多分、なにかしらの方法で、敦盛のことを聞いている。
生かす理由はない、彼は言ったが……いつかの熊野でヒノエが小鳥を連れてきた時にそうだったように、叔父は救えなかった命が目の前で潰える悲しみを知っている。
だからもし、彼が本当に敦盛を見殺しにするつもりだったなら、ヒノエに薬を渡す筈がなく、なによりあの姫君に甘い男が、無益な看病を望美にさせておく筈がないのだ。
だったら、どういういきさつかは知らないが、彼には敦盛が回復するという確信があるのだろう。
……いけすかないし、性格は本当に悪いと今回の事で痛感したが、結局こういうときにはどうしようもなく、あの薬師は信頼できるのだ……憎々しいまでに。
それが嬉しくて、少し感傷的な気持ちになった。悔しいけれど、そう言うところは男として心底惚れていた。
足取りも軽い。彼を探していた時とは裏腹で……まさか、ここまで見越してあの薬師はあんなことをしたというのだろうか? 過ったけれど、それは過大評価だろう。彼にすっかり好意的になってしまったらしくない自分を戒めるように、ヒノエは速度を上げる。
安心していたとはいえこれ以上遅れたくはなかった。理屈じゃない。望美も心細いだろう。息を切らして駆ける。随分と走っている間に足も大分回るようになってきた。
そうしてようやく辿りついた頃にはどれくらい経っていたのだろうか。
「お待たせ、姫君」
「ヒノエくん!」
後ろ姿に声をかけたら、望美は勢いよく振り返った。健気に作り笑顔を浮かべる彼女に、ヒノエも精一杯の笑顔を向け、隣に腰を降ろす。
「どう?」
「うん。熱は少しずつさがってきたみたい」
「それはよかった。オレも気つけ薬、貰ってきたよ」
「本当!?」
待っていた、と言わんばかりの望美が声をあげる。それは素直にヒノエの心を軽くする。この笑顔と弁慶の薬があれば敦盛は助かる。
だけど……同時に、彼女がしっかりと握りしめて離さない、小さな包みが目についた。
「姫君、その手に持ってるのは?」
まさか。思いながら問えば、そのまさか。
「あっ、これは弁慶さんがさっき……って言っても、ヒノエくんと入れ違いみたいな形だったけど、診に来てくれて、置いていったんだ。起きたら飲ませてくれって」
「……起きたら」
「うん」
ヒノエの脳裏に半刻程前の、敦盛の名に驚いた叔父が過る。
気つけ薬をくれると言った直前の、真剣に悩んでいた姿が蘇る。
確かに、確かに、ヒノエの持っている薬と望美のそれは用法が違う。違うけれど、
「……あいつ!!!」
話に聞いていたとは思っていたが、まさか自ら診察した後だったとは。
しかも、……確かにねだったのはヒノエだが、事前に不要と判断し、望美には渡さなかった薬をヒノエに高く売りつけた、って事じゃないのか、これは!?
叫ばずにはいられなかった。けれど、
「ヒノエくん!」
短く呼ぶ声に敦盛を見ると、彼はようやっと、小さな声を漏らしたところ。
「う……ん……」
「敦盛さん!」
「敦盛?」
望美が手を握る。すると、ゆるゆると敦盛はその目蓋を開けた。
「……ここは……?」
焦点はあわず、ぼんやりと。けれど確かにその瞳はヒノエのよく知る敦盛だった。
「よかった、気がついたんですね!」
「……あなたは、それに、ヒノエ?」
「ああ……久しぶりだな、敦盛」
敦盛はよろよろと起き上がり、頭が痛いのか、顔をしかめたが、そんな仕草にも、ヒノエと望美は安堵の息を零してしまう。
「ヒノエがいるということは……ここは、熊野なのか? いや……違うようだな」
「ここは、源氏の陣ですよ、それで…………」
混乱しているだろう彼に望美が必死に説明する言葉さえもヒノエにはどこか遠く、ただ、胸をなでおろす。まだ辛そうだがとりあえず一安心だろう。
とはいえ、これで完全にヒノエは骨折り損だったが……、気つけ薬は返却だ。もちろん、払った代金と交換で。
「よかったな、姫君」
彼女の笑顔に紛れ込むようにヒノエも笑った。
三草山であっつんを看護していると、ヒノエが一度覗きに来た後気つけ薬をもらってきてくれるんだけど、
それにえらく時間がかかるんだよね……
というところから始まった話
実際弁慶にはこんなことしてる時間はなさそうだったけど
(20/10/2009-27/10/2009)
サソ