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十六夜弁慶ルートED直前



 悲しみにくれた姫君は、白き龍の力で空へと還った。その力のせいなのか、または麗しき神子姫の涙なのか、随分と白く綺麗な光が空から落ちるのをヒノエも皆も暫く見上げていた。
 ほとんど見たことないけれど、雪というのはこういうものなのだろうか。彼よりは雪に詳しいであろう幼馴染に問うてみれば教えてくれたかもしれないけれど、白い力は空を清浄なものにするようにまた、彼らの言葉さえも封じてしまった。
「さあ、君も」
 と、同じように空を見上げていた黒い衣の源氏の軍師が……彼にしてはひどい脅迫で望美を彼女の世界に送りだした後、沈黙を破り視線をヒノエへ移した。
「熊野に帰りなさい。皆が待ってますよ、別当殿」
 さっきまではあんなに苦しそうにしていたというのに、すっかりいつもの彼の笑顔だ、先に起こることなどなにもかも知りつくしたというその余裕めいた振る舞い、
その上で、すべてを隠して笑うその卑怯なやり方。
 ヒノエは人知れず、否、そんなこともお見通しなのかもしれないけれど、唇を噛む。
 腹が立った。
 なんであんたに決められなければならないんだと思った。
 けれど実際それは事実で、どこまでも正しい。自分は源氏とは関係なく熊野別当なのだから、帰るのは当然で当たり前で、いつかはそれを切り出さなければならなかったのだけれど、
一方的に、しかもこんな表情で彼に言われることに心から腹が立った。
 その上、今この場面でもっとも心乱れているのだろう彼に対して、憎さで睨み返すことしかできない自分に更に腹が立つ。行き場のない怒りを抱え、それでも精一杯に耐えながら、ヒノエは静かに弁慶をただ睨みあげた。
「あんたに言われなくてもそうするさ」
「それなら、僕も安心ですね。家を出た身とはいえ、やはり熊野は特別ですから」
 ヒノエが言っても彼はなおも笑っていた。
 それが、彼なりの優しさなのだろう。  これから何が起こるのか、ヒノエは知らない、分からない、それでも戦いが意味を変えることは彼の様子から想像がついた。それに付き合わせるわけにはいかぬと、その程度には自分を想ってくれてもいるのだろう。
 けれど、……分かってない。それはヒノエや、そして望美からすればただ卑怯なだけだ。
 だって彼は置いて行かれる人間の寂しさを知らない。彼の大事な人間は、誰も彼を裏切らないし、裏切らせない。望美も九郎も、彼の兄も、そしてヒノエも、もっと知らない別の誰かさえも、もしかしたら。
 だから結局のところ……彼は分かった風に、まさに他人事のように優しく言うけれど、ヒノエが、望美がどれだけ今悔しいのかなんて、分かってないのだ。その上で他人の幸せを自分の価値感で決めつける!
「君の父君にも、よろしくと」
「……ああ分かった」
 挙句、こちらの想いさえも踏みにじるように笑うのだ。
 ヒノエは一度だけ、跳ね上げるように、焼き殺してもかまわぬと彼を睨みあげた。
 黒で覆われたかの身に届くと思った頃もあった。けれどもう遅い。諦めるなんてそれこそ口惜しいが、熊野はけして手放せない、巻き込まれるわけにはいかない。
 だから踵を返し、一歩、二歩と彼から遠ざかった。
 もう振り返ることはない。
 振り返りなんかしない、 それは確かな想いだった、だけど、最後にどうしても、一度だけくるりと振り向かずにはいられなかった。
「オレが守るのは熊野だ、あんたも熊野の男なんだろ? だったら……あんた一人くらいだったらかくまえるんだからな!」
 見苦しい真似は嫌いだった。特に彼にだけは死にそうになったって見せたくなかった。
 それでも……それでもここまで来てなりふり構っていられるか?
 去りゆく彼らに後ろ盾はない、神子もいない。彼がむざむざ殺されるとも思えないが、状況は絶望的だ。それを、何もかもを見なかったことになんてヒノエにはできなかった。
 彼が望美を還したのと同じくらい酷い誘い文句だったけれど、それでも後で悔やむよりずっとマシだ。

 ヒノエのそれに、彼が言葉を返すことはなかった。答えず、ただ結局いつもの顔で微笑んでいた。
 一瞥して、ヒノエは今度こそ振り返ることなく彼らから一人遠ざかって行った。








  これに「箱/庭」のちびっ子さんが絵をつけてくれたよ!!
  ヒノエがツボすぎでした本当にありがとう! → 【ここから!!】


苦労を見せないのがたんぞうのいいところだと思うんだけど
二次だとつい妄想したくなる
(06/11/08)