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 茶吉尼天を追って現代に来ていた八葉たちが帰る日がやってきた。
 振り返ればたったの一年にも満たぬ短い間の出来事だった、それでも誰もが望美にとっては大切な仲間で、誰とも別れたくなんてなかったけれど、自分がそうであるように、彼らにも彼らの日常があるのだから、ここでお別れをしなければならない。
 だったら最後は笑顔がいいと、涙をこらえて別れの言葉をかわしていた望美に、敦盛が言った。
「私たちの事は、忘れて欲しい」
「敦盛さん」
 彼らしい、とてもまっすぐな瞳で紡いだまっすぐな言葉は綺麗で、懸命に微笑んでいた望美の笑顔をあっけなく壊してしまった。
「そんなこと言わないでください」
 望美の目にみるみる涙がたまって、こぼれそうになった。それでも、きっと優しさでそう言ってくれた敦盛の前で泣いてはいけないと思って、必死に再び笑おうとしたのに、弁慶までもがやわらかな声で
「僕も……僕たちの事は忘れてしまった方がいいと思います」
と同意するものだから、望美はとうとう彼を睨んでしまった。
「そんなことできません」
 確かに望美だって、もし、敦盛が自分のことを思い出して苦しむというのならば、忘れてほしいと思う、でもさらりとそんなこと言わないでほしかった。きっぱりと言うと、ヒノエや九郎が
「おいおい、最後くらい笑顔で別れたいじゃん」
「ヒノエもたまにはいい事を言うな」
「たまにはって……まあ、いいけどね。聞き流してあげるよ」
「ヒノエと九郎も随分仲良くなったよね〜」
「兄上、折角まとまったんだから余計なこと言わないでください」
「同感」
と、明るく流してくれたし、弁慶も望美から顔をそむけ、彼らを見ていつもみたいに微笑んだから、それで終わった。
 敦盛がなおも何か言いたそうにこちらを見ていたのが気になっていたけれど、それでもいくら彼の願いとはいえ、忘れてほしいなんて聞き入れられる筈もないし、もっと他の言葉でごまかすことだってできそうになかったから、それを望美が促すことはなく、ただ、精一杯の笑顔だけを敦盛に返した。

 そうして彼らは元の世界に帰って行った。望美も、将臣も譲も、しばらく彼らの消えてしまった鶴岡八幡宮の裏手で、閉じた門を見つめていた。


 望美が敦盛の言葉の意味を理解したのは、その後比較的すぐの事だった。

 望美はずっと、敦盛は、ただ『今まで一緒にいたのに離れてしまうから寂しく思わないように』、望美に「忘れてくれ」と言ったのだろうと思っていた。
 さながら、転校して離れてしまうのと同じように、進学して、学校が別になってしまうのと同じように。
 とはいえ同じ街に住んでいる友達とは違い、彼らにはもう会えないのだから、もっと深刻かもしれないけれど、それでもきっと想いは時空を超える、そう信じている望美には些細なことだった。
 現に、有川家へ行くたびに、現代の文化に八葉たちがいちいち驚いていた様子を、にぎやかだったクリスマスパーティを思い出しても、
また、鶴岡八幡宮だったり、江ノ島や、電車の中、歩いた街並み、あちこちの寺、そんなものを辿って、思い出に切なくなることがあっても、それは必ず幸せで楽しい記憶も併せ持っているから、望美を柔らかに癒すのだ。
 きらきらと光った望美の宝物、それをひとりだけの夢物語ではなく、将臣や譲と一緒に思い出話として語りあえるのも楽しくて、あちこちでそうして年の瀬の日々を振り返るたびに、道の端から九郎やヒノエが飛び出してきたりとか、有川家で景時がいれてくれた紅茶を、縁側では敦盛と先生が仲良く飲んでいる、なんて風な、あちこちに潜んでいる思い出がどんどん大切になってゆく。
 ……ああ、時空の彼方で敦盛たちもこんな風に思い出して笑っていてくれたらいいなと、望美は願った。そんな想いがいつまでも遙かなる場所とここをつないでくれるような気さえした。

 けれど、違ったんだ。
 確かに一年の経験は望美を、将臣や譲も変えた。成長もしたと思うし、関係だって変った。前よりずっと絆が深くなったと思う。
 けれど、そんなものとは全く別のところで、あの京へ行く前と後とで、望美の中で明確に変わってしまった事がひとつだけあった。
 それは……望美の記憶に源平の合戦というものが前より鮮明に刻まれてしまったということだ。
 そう、鎌倉に住んでいた望美だけれど、今までは興味がなかったから知らなかっただけで、源平の合戦というのは日本では語られてやまぬテーマだ、世の中には結構それに関連するものがたくさんあって、特に源九郎義経は有名で、皆から愛されていた。
 ゆえに、テレビでは頻繁に彼の名があがる、けれどああ九郎の事だと、望美が懐かしさに笑顔で振り返っても、そこで綴られるのは……いつだって悲しい物語。
 テレビだけじゃない、頼朝と縁の深い鎌倉に住んでいるのだ、街を歩けばそれよりももっと源氏の名を見る、けれどそれは全て頼朝に限ったことだ、九郎はこの街の歴史には現れない。それらは、彼が兄に討たれたのだという歴史を語る、九郎だけじゃなくって、平家も敵だと、壇ノ浦で滅びて行った彼らの終焉を綴る。
 はじめはそれさえも懐かしかった、けれど、すぐに望美はいつしかそれらに全く笑えなくなっていた。
 突きつけられるようだった。、一緒に戦い、共に過ごしたことは確かで、望美にとっては大切な思い出のひとたちは、けれど同時にこの世界の過去の人、彼らは800年も前に生きて、もういない。
 望美はただこの街で結果だけを見る。平家は滅び、敦盛だって別の所で討ち死にしていて、九郎は兄に追われ、景時にも追われ、弁慶は身を呈して彼を逃がしたのに、結局九郎も助からない。
 誰もがすれ違い、半ばで命を落としたのだという物語になって望美の元を訪れ、一方的に語ってゆく。それを彼女はただ見るだけだ、あの時空の彼方のように、彼らを救う事ができないし、……なにより救った筈の運命はちっとも変わっていない!
 たしかに、今の望美たちの世界はあの京の未来ではないのかもしれない、だから、彼らはちゃんと皆、幸せな生涯を終えたのかもしれない、そう信じればよかった、いつかはそう思えるのかもしれない、けれど喪失が大きくて、九郎たちの名を今聞くたびに、望美の心はからっぽになってゆくばかりだった。
 今更改めて気付く、敦盛は何を思って図書館で一族の滅亡を見ていたのだろう?
 ただ事実を受け止めるようにしていた彼を思い出して、敦盛に会いたくて仕方なかった。あの別れの日に彼はなんと言おうとしたのか聞きたかった。けれどそれは叶わない。
 だからもう、望美はもう、彼らに関わる全てを見ていられなかった。

 なのに、三学期に入ってすぐの進路調査で、理系志望だった筈の将臣が、いきなり文学部に希望進路を変更したと聞いて、とにかく驚いた。
「どうしてそんなことできるの?」
 責めるように問い詰めると、将臣は、向こうの世界の夢の中で見せたような、少し悲しそうな顔で、
「なあ、望美、俺たち、向こうで色々やったよな? 俺は平家を滅ぼしたくなくて必死で戦った、お前も九郎を救おうとしていただろう? それで、運命は変わった。少なくとも一の谷で戦いは起きなかった。だったら、信じたくないか? 俺たちがやったことに少しは意味があるんだって……だったら、その証拠を俺は探したいんだ」
負けてなんかいられないと強い口調でそう言った。
 そんな将臣をただ、望美は何も言い返すことができずに見つめていた。すると彼は
「お前ならそのうちわかるさ」
と、望美の頭をくしゃりと撫でながら笑ったけれど、九郎たちと過ごした時空は遙か彼方、神子としての力を失った望美は、彼ほど前向きにはなれそうになかった。


 けれど、その次の日の朝だった。
 前はギリギリまで眠り、母親に呆れられつつバタバタと登校していた望美だったけれど、京へ行ってからすっかり早起きが身についたので、以前よりも余裕を持った着替えや洗顔は勿論、ゆっくりとテレビを見ながら朝食をとる時間もできた。
 その日も部屋で身支度を整えた後、いい香りに呼ばれながらリビングに入ったところで、テレビの画面に望美は釘づけになった。
 ほんの小さいニュースだった、
「先日、岩手県平泉町で発見された、鎌倉初期のものとみられる書は、どうやら鎌倉幕府が成立した数十年後に源義経が書いたのではないかという説が有力となり、年代の測定や他の出土品の分析を急いでいます。事実ならば歴史を覆すものだと、早くも歴史ファンの間では議論もはじまっているようですね」
たった十数秒の言葉だった、けれど、それは望美の心も、時も呼吸も奪ってしまった。
 それこそもしかしたら、運命さえも。
「望美!?」
 母親の声にはっとしたときには、望美は既に鞄と、父親が読んでいた筈の新聞を抱えて玄関で無理やり足を靴に突っ込んでいた。
「ごめん、朝ごはん夜に食べる!」
 そして眩しい朝日で満ち満ちた表へ飛び出して、隣の有川家へ駈け込みチャイムを鳴らしながら叫んだ。
「将臣くん! 譲くん!!」
 二人ともすぐに現れた。
 勿論、これ以上ないほどの笑顔と共に、手には望美同様、ニュースの記事が書かれている筈の新聞を持って。




後で知ったんですが鎌倉でも九郎は愛されてるそうですね。よかったね!
もうひとつ後で思いだしたんですがあの京は望美たちの京都とはつながってないって
白龍言ってたね…
(16/02/2009)



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サソ