夏の終わり、京の梶原邸の一室。
正午の太陽を雲が隠せど、日差しは薄く屋敷を照らす。もう盆も過ぎたというのにじりじりとにじりよる暑さはまだまだ引くことはなく、八葉たちはそれと戦う日々だ。熊野から京へ戻ってきたばかりだからますますそう感じるのかもしれなかった。
そんな中、八葉の中の二人が向きあう形で卓を挟んでいた。
陽に顔を向け、やや眩しそうにしているのが源氏の総大将として名を馳せる源九郎義経、かたや外の景色に背を向けているのが九郎の宿敵平家の若者、平敦盛。
二人は奇遇にも、同じような顔つきで、同じような姿勢で睨みあっていた。九郎がそんな風なのはよくあることだったが、日頃無口で温和な敦盛までもがそう、らしくなく眼光を光らせている姿は珍しい。
「奇遇だな」
「……ああ、そうだな」
二人の纏う気は屋敷の外の熱気よりも熱く、まさに一触即発とも言える雰囲気だった。
そもそも、二人は端から仲がいいとは言えない。
八葉の出自は様々だ、たまたま八葉の中心である神子が現れたのが、源氏の陣の近くだった為、そして彼女が封印すべき怨霊を使役しているのが平家である為、自然源氏側に縁のものは多いが、皆がそういうわけではない。そもそも神子からして異世界からの客人で、彼女の幼馴染たちも同じだ。
故に、彼らの立場も様々で、彼らの関係も様々。
それを顕著に表わしているのがこの二人だった。
原因はなにより家の問題だ。九郎は源氏の棟梁の弟、敦盛は平家の栄華を築き上げた清盛の甥。両家は敵対関係で戦場でも何度もぶつかりあっていた。
その上、九郎は当初、戦場で傷つき倒れていた敦盛を見殺しにしようとしていた。敦盛はそれは当然だろうと言っていたし、九郎も大将としての判断を悔いてはいなかったようだけれど、ただ、仲間としてはずっと気にかけていた。敦盛もまた、平家の身でありながら源氏の軍にいること、それで九郎に迷惑をかけていることに心を痛めている。
今は同じく怨霊を浄化する者、つまり仲間、それゆえに打ち解けてきてはいたものの、わだかまりは深く、比較的敵を作らぬ、というよりは作れぬ性格の二人が唯一溝を深めあっている相手といっても過言ではなかった。
だというのに、その二人が珍しく、それはそれは深刻な顔で向かいあっている。
「意外だな」
彼らは随分と長いこと、その姿勢で蝉の声ばかり聞いていたようだったが、ぽつりと九郎が言った。口を曲げて言う姿はしぶしぶと言ったところで、間が持たなかったのだろうという風がとって見える。それに敦盛は、普段のようにごく静かに答えた。
「何がだ?」
「……見るからに気が弱そうだと思っていた」
九郎の様子は、まるで熊野別当に会いに行ったときのように真剣で深刻、追いつめられた感じさえするのに、尚も敦盛を気にかけ落ち着きがない。この状況では仕方ないかもしれなかった。
対する敦盛は、九郎の視線を正面から受け止めながら重く頷いた。
「……確かに、私は気持ちが弱いと思う。九郎殿のように、戦場で指揮をとるなど、到底できはしないだろう。けれど、私とて武門の子、引けぬときはある」
「俺を源九郎義経と知ってのことか?」
途端、九郎の口元がますます歪み、眼光も鋭くなる。けれど、敦盛は躊躇もせずにしっかりと頷いた。
「勿論だ。むしろだからこそ引けぬ」
「やはり家は捨てられないということか? それは」
「……あなたにとっては、仇だろう。だが、これは譲ることができない。戦場では私は家の名の為に家の者と戦わねばならない……そして今は、今この時は、家の名を汚さぬために戦わねばならない」
普段無口な彼が長く話す言葉は静かに場を制してゆく。それでも九郎が彼の言葉に納得することはなかった。
「俺を前にそこまで言うとは」
「……」
それはいよいよ戦場だ。九郎は斬ることを厭わず、敦盛は守るために身をさらすことをためらわない。その為に二人が今、視線でぶつかりあう。合戦の声さえ聞こえてそうなほどの二人の視線の攻防、譲れぬもののための戦い。
「……」
「……」
睨みあう、どちらも引けぬと、まっすぐにじっと、互いに互いを見る。敦盛の背後ではらりと風が巻き枝木を揺らしてもそれに気を削がれることもない。
「退くなら今だ」
「それはできない」
「……これは、お前にとっても困難なことなのだろう?それでも」
「それでも、私は退くことはできない。……九郎殿こそ、今なら」
「敵を前に逃げられるか!」
敦盛の言葉に激昂した九郎は、腰を浮かし拳を卓に叩きつける。がちゃりと卓の上のものが音を立てた。
それでも尚、敦盛は彼を静かに見上げる、九郎は斬るように見下ろす。
二人は再び静かに睨みあった。やがて遠くからまた蝉の声ばかりが聞こえてきて、二人の間の静寂を際立たせる。それに、屋敷の奥で譲や望美が何か騒いでいる声が混じるような気がしたが、彼らには関係ない。
二人の戦いは本当に切迫していて、いつまでも続きそうな予感さえした。
けれど……先に折れたのは、九郎の方だった。つり上がった眉は次第に元に戻り、上がっていた息もすっかり落ちついた頃、九郎はすとん、と腰をおろして、
「そうか」
と、呟いた。
表情は一転していた、それはまさに、昨日の敵は今日の友、そんな言葉が浮かびそうなほどに柔らかな、嬉しそうな笑顔で、いきなりのことに敦盛は当然戸惑った。それに構わず笑顔で九郎は続ける。
「俺はお前を誤解していたようだ」
「九郎殿?」
そのまま、ずるりと下がって、九郎は潔く頭を下げた。長い髪がくるりとはねて卓に落ちる。
「平家なのは名ばかりで、他には何も出来ぬ男だと思っていた」
「九郎殿、どうか頭をあげてほしい」
ならば今度は敦盛の番だった。先ほどまでは彼の表情だって冬の氷程にはりつめていたというのに、今やかすかに朱に染まり。
「許してくれるのか?」
「いや……私こそ、私も、ずっとどこかでわだかまりを感じていた。八葉だと、仲間だと言ってくれた皆に対しても、そうだった。でもどうすればいいのか分からずにいた。だからその……ありがとう」
「ああ」
「なんだか……あなたが随分身近になった気がする」
「俺もだ」
二人は今度は向き合い、微笑みあった。その姿は戦の後に健闘を称えあう様さながら。九郎の爽やかなそれと、敦盛のはにかむような笑みは、性質が全く違う。けれど確かに二人の間に存在していた、深くどうしようもない隔たりは…消えたのだ。
彼らはついに仲間になった。
……けれど。
二人の戦はまだはじまってもいない。
「私達は、どうやら最初から間違っていたようだ」
「ああ。どうしてどちらか一人だけで挑もうとしたのだろう、最初から、共に立ち向かえばいいことだったのに」
「……あなたが逃げることはあっても、私はけして背を向けないと決めていた。そして、いつまでも迷っている自分を見られたくなくて、あなたにここからいなくなって欲しいと思っていた」
「俺も似たようなものだ。どうせ、お前には無理だと高をくくっていた」
勿論今立ち向かうべきは平家ではない、八葉としての戦いとは別に、今この二人が敵意を向けているもの……
二人の絆を深めたきっかけをくれたものへと目を向ける。
「だが……まさか共通の敵に向かうことになるとはな」
「ああ」
九郎は口をへの字に曲げて分かりやすく、そして敦盛はただ瞳に嫌悪の浮かべて、じっと『それ』を見た。
「景時は真っ先に逃げたからな、あいつは一体どこまで行ったんだ!」
「……これは、朔殿の作ったものなのだろうか? 今まで並んだことはないように思って、安心していたのだが……」
「いや、朔殿は景時想いだからな、今までこんなことをしたことはなかった。……犯人は多分弁慶だろう。昔、全く同じものを作っていたことがある」
「やはりそうなのだろうか、実は私もそう思っていた」
「お前もか! でも弁慶がこんなことをする意味が分からない」
「それは多分、ヒノエが弁慶殿を怒らせたのが悪いのだと思う。ヒノエもこれが嫌いだった」
「そうなのか? その割に、あいつは……」
「ああ、神子と朔殿の手前、見栄を張っていたのだろう」
「……そういうところは見習うべきかもしれん」
「……私も、そう思う」
一通り愚痴を言いつくしたところで、二人は並んで大きな溜め息をついた。
「だから、俺は言った、弁慶が料理ができるとちゃんと保障した!」
「九郎殿、違うのだ、そもそも私もヒノエもそれを知っている、熊野で何度かふるまっていただいた事がある。それなのに……」
それなのに、なんでこんなことになってしまったのだろう。言葉にせずにも、十分と二人の目はそう語っていた。
二人はどんよりとしばらく、卓の上、昼餉の膳の端にちょこんと出された小鉢を見つめていた。そして、どちらからともなく、ゆっくりと、武器代わりの箸に手を伸ばして、
「……行くか、敦盛」
「ああ、あなたが共にいてくださるなら、少しは頑張れるような気がする」
「それは俺の台詞だ、感謝する……よし!」
「っ!」
二人は揃って、目の前に揃えられた料理の隅に添えられた緑のお浸しに箸を伸ばし、
そして、
直後、分かっていたこととはいえ、
その苦さに腹を抱え床に突っ伏してしまった。
二人がのたうちまわり始めたのを見、弁慶は柱の陰からひょっこりと姿を現した。
「九郎、……敦盛くんも」
大袈裟ですよ、と言わなかったのは、彼のせめてもの、不幸にも巻き込まれたというのに敵前逃亡しなかった敦盛に対する敬意だといえた。
「それにしても、いくら嫌いだからって」
弁慶は口元に指を当てつつ、ふう、と肩をすくめてしまう。
事の発端はこうだ。
日頃から弁慶が法師なんて信じられないありえないを繰り返していたヒノエ。とはいえそれはいつものことなので、弁慶は相手にするだけ無駄と、常にさらりと聞き流していたものだった。
けれど、昨日はどうしてか……詳しい理由を弁慶は知らないし興味もないけれど、ヒノエの機嫌が悪く、絡み方が執拗だった。そしてまた弁慶も偶然虫の居所が悪かったから、つい「そんなに言うなら、たまには法師らしく精進料理を振る舞いましょう」とにっこり笑って喧嘩を買ってしまったのだ。
嫌な予感がする、ヒノエはそんな顔をした、ならばそこで逃げればいいものの、ヒノエは尚も「あんたが比叡にいたのは知っている、だからそんなものが見たいんじゃない、あんたの態度が法師じゃないって言ってるんだ」と続けてきた。挙句、「ていうか、あんたの料理なんて食べたくない」とまで言ったので、いい加減腹が立って、「そうですか僕が料理を作れないと思ってるんですね、だったら今度しっかりとご馳走してさしあげますよ、ヒノエ」と微笑んで言ってみせた。
勿論、美味しいものを作ってヒノエを驚かせようなんて可愛らしい考えを、弁慶が持ち合わせている筈はない。あるはずがない。
だから弁慶は、いつも食事を作ってくれる朔と譲の料理の隅に、ヒノエの嫌いな春菊のお浸しを紛れ込ませて食べさせてやろうと思ったのだ。弁慶が作ったと言ったらヒノエは残すに決まっている、けれど朔のものならば無理にでも食べるだろうという確信があったからだ。
そして無事、朔と譲の協力を得て、弁慶は今日の昼餉にそれを並べることができた。
けれど誤算があった。
春菊嫌いはヒノエだけはなかったのだ。九郎が嫌いなのは知っていたが、その他に景時も、敦盛も、神子たちまで含まれていた。
彼らの反応は様々だった。九郎と敦盛は延々と睨みあっていたし、景時は「用事があるから」と早々に逃げ出した。
望美と譲は、元々は嫌いではなかったらしく、最初は笑顔で口にしたものの、どうやら向こうの春菊と大幅に味が違っていたようで、「『すきやき』の味付けで乗り切ろう」と台所へ引っ込んだまま帰ってこない。
挙句、朔まで望美たちにそれに便乗したのは少し弁慶としては寂しいし、なにより肝心のヒノエが朔の作った、という名目だとはいえ、嫌がるそぶりなど微かにも見せずにあっさりと食べてとっとと出かけてしまったのが一番の見込み違いで期待はずれも甚だしい。
しかも、結果的にすんなり食べてくれたのは、そのヒノエと、リズヴァーンだけ。
その結果は、弁慶にとってはそれなりに不本意で、悔しい気持ちも残らなくはなかったけれど……、
けれど今、目の前で仲良く倒れている九郎と敦盛を見れば、そんな思いもどこかへ流れ出でてしまうようで、弁慶は複雑ながらも微笑んでしまうのだ。
「ほんとうに、君たちはいい友人になれそうですね」
春菊ひとつでこうも真剣になり、向かいあい、逃げもせずに食べて、倒れる。
軍師でもあるけれど、それ以前に二人を昔から知っている彼からすれば、きっと気が合うだろうと思っていた彼らの距離がこうして近づいたことは喜ぶべき事だった。
というのに。
なにやら土間の方が騒がしくなってきて、振り返ると、景時と白龍が凄い勢いで走り寄って来ている。
「弁慶、あれ春菊じゃないよ〜! 望美ちゃんたちが台所で苦しんでいる!」
「ええっ!?」
言われた弁慶が大急ぎで、景時が食べ残してそのまま放置されているお浸しを調べたら、それは春菊ではなくて春菊によく似た、腹くだしの作用のある薬草だった。
すぐさま、彼の隣で倒れている九郎と敦盛を見ると……どうも、彼らも苦さではなく腹痛で苦しんでいる様子だった。
「僕としたことが…」
「弁慶、失敗は誰にでもあるよ。神子もこの前、料理でヒノエと譲を苦しめていた。私には美味しかったよ」
「そうですよね……ありがとう白龍」
体に害があるものではないし、作用もごく弱いもの、とはいえ結果的に毒を盛るような形になってしまった。けれど龍神の心あたたかい言葉は弁慶を勇気づける。
「そうとなったら、皆さんの看病をしないといけませんね」
「大丈夫なの、弁慶?」
「ええ、特に体には害のないものなので、暖かくして寝ておけば直ぐに治る筈です。景時、白龍、手伝ってもらえますか?」
「うん、分かった」
「じゃあ、俺は皆を運んでくるから」
「私は布団を運んでくる」
そういって二人が足早に部屋を出て行った後、ふう、と、弁慶が溜め息をつくと、すぐ下から呻くような声が聞こえた。
「だから部屋を片付けろとあれほど……」
「……」
さすがに今回ばかりは弁慶も言い返せなかったが、
「……いや、だが、九郎殿だけではなく、弁慶殿の意外な一面を見ることができて、よかったと思う」
「…………潔い」
敦盛の優しい言葉と痛みで九郎は黙ったので、弁慶も苦笑いを噛みしめながらせめてもと、誰より苦しむ敦盛の背をさすることに専念した。
なお、後日、
「春菊はちゃんと食べれば美味しいんですよ!」
と、皆の春菊嫌いに腹を立てた望美が譲に頼みこんで『すきやき風』という甘辛い味付けの春菊料理を作ってくれたので、春菊の地位は弁慶一人を置き去りにして、八葉の中できちんと上昇することとなった。
いろいろすみません
多分ひとりで外に逃亡したヒノエが一番痛い目は見ている筈だ
あと調べるの忘れたんですが平安時代に春菊なかったらやっぱりすみません
(26/04/2009)